6 嵐を呼ぶ魔球王! Rヌーヴォーって何だ!
努力をしない天才ってどんな終わり方をするんだろう。
あるいは、体格に恵まれなかった天性のセンスの持ち主は、どんな気持ちなんだろう。
水走からスライダーを教えてもらった日の夕方。部室の椅子に座ってボーッとそんなことを考えていると、ふと思考が赤井の存在にブチ当たった。
『5番・ファースト赤井くん――』
天性の口の悪さを生かして、1回戦では保田久さんにトドメを刺したこともある赤井。
彼はまた類まれなるバットコントロールセンスの持ち主でもあるらしく、常日頃から「グラウンドのどこにでもボールを落とせる」と豪語している。
実際、ボールを狙った場所に運ぶのはチームでは水走の次に上手い。
しかし身長が150センチしかなく、体重も50キロ程度とかなり華奢であるため、正直スポーツが向いていない男だった。
これで彼が少年漫画の主人公だったならば、そこから一生懸命に技を磨いてチームを引っ張っていくのだろうけど……残念ながら赤井のプロフィールはこれで終わりにしたほうが綺麗にまとまる。
本当に酷いからね。この前なんて「1アウトも取れない投手なんていないのと一緒」とか言いやがって。いくら投手たる者でも我慢の限界というものがある。
「さて。今日の午前中の試合で、次の相手が朝陽寺に決まりましたね」
部室の中心でマネージャーの氷野が司会進行を始めた。
ああ、そういえばこの会議のために集められたんだったな。
先日の3回戦に続き、4回戦をコールド勝ちで突破した俺たちは、次の5回戦の相手である府立朝陽寺高校の対策案を講じるべくクラブ会議を開催していた。
「信頼できる筋……雑誌『野球ボーイ』の特集記事によりますと、朝陽寺は典型的な4番エースのワンマンチームだそうです」
氷野は雑誌のページをみんなに見せつける。
「このように部員の数はさほど多くなく、レベルも高くはありませんが……」
「エースの坂下さんが凄いんだよね」
水走が口を挟むと、氷野はコクリと頷いた。
「ええ。なんでも魔球を使うとか。元々サイド気味の変則右腕だから慣れるまで打ちづらいというのもあるみたいだけど、この魔球のおかげで2回戦では18奪三振を記録したそうよ」
その数字に他の部員からオオッと声が出る。
たしかに18奪三振は凄いな。
27アウトのうちの3分の2が三振だなんて、敵ながら憧れてしまいそうだ。
しかし、実際に試合をするとなると話は変わってくる。
まるでバットに当たらなかった保田久さんのストレートにはまだ諦められるだけの余地があったけど、球速は大したことないのに打ちづらいとなると、それだけチームにストレスが溜まってしまう。
打てるようで打てない、というのは非常にムカつくものだ。
あとちょっとなのに! あとちょっとでアガれたのに! みたいな。
ちなみに灰塚さんの『マル秘メモ』には坂下さんの魔球についての情報は載っていなかったけど、彼の投球フォームについては「元広島のジオに近い」とだけ書いてあった。
ただし「ジオと比べて背は低い」とも。
「はい! それで魔球対策だけど、あんたの情報屋はなんて言ってるの?」
いきなり氷野に話しかけられる。
どうしよう。それについては載ってないって再確認したばかりなのに。
「えーと……だな」
「まさか教えてもらってないの?」
まずい。このままじゃ集団の前で役立たず扱いされてしまう。どうしよう。まだ投手のプライドは保ちたい。
俺が対応に困っていると、横から助け舟がドンブラコと流れてきた。
「それについては、実際に動画を見たほうがいいんじゃないかな」
水走はそう言ってポケットからスマートフォンを取り出す。
さすがイケメンだ。準備がいい。
軽くこちらにウインクしてきたあたり、どうやら事情を察してくれたみたいなので、後でこっそりラーメンでも奢らせてもらうとしよう。
「ええと、たぶんこの動画で合ってると思うんだけど……」
みんなで水走のスマートフォンに注目する。
水走が見せてくれた動画はネット上の投稿サイトに上がっていたものだった。
太字で飾られたタイトルには『魔球王・3回戦で魔球を投げる』と書かれていて、なかなかどうして香ばしい。
おそらく投げている本人がネット上にアップしたのだろう。投稿アカウント名も『魔球王』だった。
「なるほど。相手は自己顕示欲が強いタイプみたいね」
氷野がチラリとこちらの顔を窺ってきた。
「いや、俺とはタイプが違うだろ」
「そうかしら。理想の投手像を演じているのはどっちも同じだと思うけど?」
クスクス笑っている氷野に帽子を投げつけたくなる衝動を抑えつつ、俺は水走のスマートフォンに視線を戻す。
『スットラァァァイク! バットァアウトォ!』
魔球王こと坂下さんは多彩な変化球を持っていた。
どれもこれも丁寧に投げられていて、こっちが惚れ惚れするくらい投げっぷりがいい。
しかも手元でよく曲がるから、並の打者ではバットに当てるのが難しそうだ。
だが、魔球と呼ぶべきボールは今のところ1つも出てこない。
俺のイメージする魔球はもっとこう――とんでもない威力を発揮するものだ。
ズバッと決まって打者は手も足も出ないくらいの、それこそホワイトボール並の超絶球でないと俺は断じて魔球とは認めない。
投手なら誰しもが憧れるものだからこそ、その基準は厳正に保たれるべきだ。
「……あ。これじゃないか?」
動画も後半に差し掛かったところで部員の誰かが声を上げた。
ちょうど坂下さんが、数正社高校の4番打者から三振を取ったシーンだった。
「わかった。もういっかい観てみよう」
水走がちょいちょいと操作して動画を巻き戻す。三振を奪ったボールがその『魔球』ではないかと指摘されたのだ。
他の部員たちも「たしかに変だったな」と感想を言い合っている。
部室がざわつく中、水走のスマートフォンは再びその『魔球』のシーンを流し始めた。
『スットラァァァイク! バットァアウトォ!』
右手から放たれたボールが――変な曲がり方をしていた。
「これは……無回転フォーク!」
キャプテンが大げさに驚いてみせる。たしかに球の軌道は中日の岩田投手が投げているそれに近いものがあったけど、俺はどちらかというとナックルの部類だと感じた。
速めのナックルというか。
「いえキャプテン、これはきっとバルカンチェンジですよ。私、見たことありますもん」
氷野が負けじと新説を繰り出してくる。
「そうかなあ? ただ氷野ちゃんは素人だけど目は良いからなあ……」
「キャプテン、坂下さん本人は改造チェンジアップと言っているので一応そういうことにしておきませんか?」
水走が動画の説明文から余計に混乱を招くような情報を引っ張りだしてきた。
「いや違うわ! ミズハイくん、これはバルカンチェンジよ!」
「それもチェンジアップではあるけど、呉羽くんはどう思うんだい?」
「うーん、俺の目ではナックルにしか見えないんだけどなあ……」
「で、でも球種って基本的に自己申告ですよね、キャプテン!」
氷野はあくまでバルカンチェンジを推していた。
「いや、あれは」「でも」「きっとパームだ」
みんな引かないから、もう会議とかめちゃくちゃである。
いったいあのボールは何なのか。もはや意見が分かれすぎてさっぱりわからなくなってきたが、そういう意味ではチームを惑わす『魔球』なのかもしれない。
ちなみに動画のコメント欄にいた自称専門家のハイヅカさんによれば、あのボールはいたって普通の縦のカーブが指にひっかかったものらしい。真偽は今のところ不明である。
× × ×
1日の雨天順延を経て、いよいよ3回戦が始まる。
舞洲球場に集まった俺たちは、さっそく例の『魔球』を目の当たりにすることになった。
なにせ、相手の坂下さんが試合前の投球練習の時から見せつけるように投げてくれるのだ。小さな身体から放たれる『魔球』は不規則な軌道を描いてホームベースに着地する。
「ククク! オレのRヌーヴォーを打てるかナー!?」
わざわざ大声で挑発まがいの行いまでしてくれちゃって、とても2年生の先輩とは思えないお方である。
当然、ウチのベンチからは動揺と失笑が半分ずつ巻き起こる。
「ねえ呉羽くん……アール・ヌーヴォーって変化球の名前なの?」
氷野は文字通りに凍りついていた。
どうやら坂下さんのセンスを理解できないらしい。完全に奇人を見るような目をしている。
「あんまり言ってやるな。ああいう手合いは格好良い単語を使いたがるものだ」
「あれ格好いいの……?」
「きっと小学校の頃からキャッチボールするたびに変に指に引っ掛けて『魔球だ!』とか言ってた人なんだろう。それがそのまま成長しただけだ」
「ええー」
相変わらず氷野は引いたままだが、坂下先輩に関してはどことなく俺の幼い頃とかぶる部分があったので、できるかぎりの弁護をしておいた。
投手たる者、他の投手にも多少は敬意を払わないといけないのだ。
中世の在地領主がお互いの名誉を尊重したように。
「でも、あの人の球はきっと打ちづらいよ」
ケラケラと失笑している部員たちの中で、水走はただ1人真剣な眼差しで坂下さんの投球動作を眺めていた。
ああ。俺もそう思う。
『5回表、中垣内商業の攻撃は――』
案の定、4回裏が終わる頃にはベンチの中にイライラが溜まっていた。
前日に雨が降ったことからグラウンドが全体的に濡れていて守備がやりにくいらしく、それに加えて打撃面でも坂下さんのボールに全く手が出なかったため、スタメン全員が非常にフラストレーションを感じているようだ。
いつもは笑みを絶やさない水走も味方のエラーで初回から3点を奪われたのが影響しているのか、少しばかり顔色が悪かった。
しかし、氷野から飲み物をもらうと一転して機嫌が良くなる。恋愛感情ってすごい。
「さて……そろそろ作戦を聞かせてほしいな」
コップを片手に、水走が俺の肩を抱いてきた。
あんまり密着されると気分が悪いので逃れさせてもらったが、近くで見るとやっぱり水走はイケメンだった。
どことなく制汗スプレーの匂いがしていて、並の女子はこれだけでコロっといってしまうことだろう。クソッ。脇に小豆でも塗りたくってやろうか。
女子力ならぬ男子力を見せつけられたようで、つい気分を害してしまったが、やはり投手たる者、それでは格好良くない。
俺はぐぐっと精神力を頭脳に送り込んでみる。よし。耐えられたぞ。
「作戦か。あのボールを打ち崩す以外にないんじゃないか?」
「やっぱりそうだよね。自信満々の『魔球』を打てばきっとメンタルも崩れるだろうし」
「あの人、メンタルが墜ちたら脆そうだな……」
「あーヤケになってストレートしか投げられなくなりそうだね」
例によってメンタル攻めを意図する俺たちに、氷野が軽くタオルを投げつけてくる。
2人でバシッと受け取ってやると、彼女は余計に機嫌を悪くした。
「もう! もうちょっとまともにやりなさいよ!」
「そうは言うけど、相手の決め球を打つのは野球として当たり前の目標だと思うよ?」
水走の言い分に氷野は「ぐっ」と押し切られそうになるが、そこは図太い女なだけあって土俵際で耐えてみせる。
「ほら、例えばこっちも魔球を見せてやるとか。あるでしょうに!」
「なるほど魔球か。いいね。呉羽くん、彼女に例のスライダーを見せてやったらどうだい?」
「登板する機会があればな」
チラリと監督のほうを窺うも、動く気配は見当たらなかった。そもそも今はこっちの攻撃中なので投手を変えるタイミングではない。
あの玉内さんとの勝負から数日が経っていた。だが、あれから俺は一度もマウンドに立っていない。
やはり水走の投手としての実力は俺と比べて圧倒的で、先日の4回戦でも見事に完投勝利を決めており、その日の深夜のスポーツ番組では奪三振シーンを全て放送されるなど、すでに存在自体が俺たちからかけ離れたものになりつつあった。
また打撃面でも先日の試合では2本のホームランを放っており、正直わざわざ2番手の俺に代える理由がなかったりする。
一応、その試合は俺も7番レフトで出場して1本だけヒットを打ったんだけどね。
今日のところはいつも通りベンチだ。なので他の奴らみたいに変なストレスを浴びていなかったりする。その点ではちょっぴり得した気分だった。
「……ダメだ。さっきの赤井くんもそうだけど、みんな変化球に空振りしてる」
8番サード北口の凡退を見て、水走がガックリと肩を落とす。
他のみんなも同じような反応だ。
あの打てそうで打てない変化球にすっかり心をやられてしまっている。
このままでは坂下さんに完封されてしまう……。
そんな焦りにも似たストレスがベンチの中からあふれ出しそうになっていた。
さて、どうするか。
× × ×
ククク。いいねえいいねえ。素晴らしいねえ。
バッサバッサと三振の山。右手で数えてちょうど5つ目だ。
なんてったって一昨日のテレビで特集されていたイケメン投手が相手だからなあ。
イケメン死すべしを信条とするオレとしてはとても戦いやすいぜ。
マウンドから螺旋のパワァがみなぎってくるようだ。
「フハハ! 今日は勝ったな!」
ベンチで大声を出してやると、監督が睨んできた。
なあに気にすることはない。他にまともな投手なんていないんだからな!
それにしてもよかった。
この学校に来れば自由に野球ができると踏んでいたからこそ、わざわざ弱小校を選んでやったわけだが、2年目にしてようやく守備がまともになってきたぜ。
おかげで5回戦まで来れたし。来年は甲子園だって夢じゃないかもしれない。
あるいは今年中かもな。ククク。
さあて浅黄色の思い出を作ろうか――我が朝陽寺高校の校歌の一節だが、今のところオレたちはむしろバラ色だ。いつもは貧打に悩まされるところを相手野手のエラーのおかげで3点も得られた。
これだけあればオレには十分だ。
あとは七色の変化球でバサバサと三振を奪い続けてやる!
「おい! すごいぞ坂下!」
「オレを呼ぶ時は『冥界の果報者』と呼べと何度もだな……で、何がすごいんだ?」
同級生で控えの早川は、ひたすらマウンドのほうを指差していた。
全く、口頭で説明もできないのか。いっそ唇を縫いたまえよ。
どれどれ。ふむふむ。
「……なんだアレは」
ズバンとド真ん中に決まった速球に、ウチの五番打者・櫛田はポカンと口を開けていた。
今まで見たことがない。とんでもない速さのボールだった。
おそらく150は超えているだろう。今まで手でも抜いてやがったのかよ。
保田久とかいう筋肉ダルマは1回戦で消えているはずだから、たぶん今生き残っている大阪の投手の中では最速に近いはずだ。
このオレでも測ってもらって140は出ないわけだし、千里第一の君沢でも148が限界らしいからなあ。
オレともあろう者が、少し嫉妬していた。
「ノハハハハ! やはり投手たる者、速球で勝負をしなければエースとは言えんなあ!!」
「こら! 喋りが過ぎると退場させるぞ!」
アンパイアに怒られてシュンとしている相手のハンサムな投手。
名前は水走有也とか言ったか。
どうやらオレを挑発して、変化球主体のピッチングを辞めさせようと考えているみたいだな。
下種な連中め。汚らしい手を考えやがって。
いっそ逆に全部変化球にしてやろうか。
いいねえ、いいねえ。最高にいい考えじゃないか!
「よかろう! これからできるだけストレートを投げてやる! ただし俺なりのストレートだがな!」
「朝陽寺の君も反応しない! わかったか!」
アンパイアに怒られてしまったが、これまた別に気にすることはない。
俺なりのストレート――つまり曲がった球を投げてやれば、あいつらはどうせ「きりきりまい」だ。ストライクゾーンなんて気にする必要もナッシング。
シュート。フォーク。スライダー。シンカー。カーブ。スプリット。
そして魔球・Rヌーヴォー。
どれもこれも自由自在に曲げられるんだ。
打ち崩せるなら、打ち崩してみろという話じゃないか!