5 炎の牽制球! 止めろ玉内フィーバー!
3回戦は4対0。中垣内の4点リードで8回表を迎えていた。
しかしここまで水走の直球を前に手も足も出なかった積雲工業ナインが、この回は先頭打者から四球で出塁。これに今津先輩のパスボールや二塁手大東のエラーが重なり……あっという間に無死1塁3塁の大チャンスを作りだした。
無論、俺たちからしてみれば大ピンチである。
さらに都合の悪いことに、ここで相手の打順がトップに戻ってしまった。
つまりお祭り男が打席に立つわけだ。
『1番・ライト玉内くん――』
どこかの学校のマネージャーさんが、少しばかり神妙そうにアナウンスを行う。今日の当番校はどこなんだろう。なかなかハキハキした声なので、もしかするとマネージャーではなく学校から駆り出された放送部員かもしれない。
玉内さんは両手で神主のようにバットを持ち、バッターボックスの前で小さく息を吐いた。
「たまうち! たまうち!」
「玉内ー! 根性見せたれー!!」
ベンチから、内野から、怒涛の勢いで歓声が飛ぶ。
応援団はラッパを片手に暴れん坊将軍のテーマらしきものを演奏しているが、ベンチと観客は好き勝手に騒いでいた。
「玉内!」「玉内!」「玉内!」「玉内!」
誰も応援歌を歌っていない。
むしろバラバラに大声で「玉内」コールを繰り広げている。
もうめちゃくちゃである。
そこには統率も何もない。ついには応援団もラッパを放り出した。
たった200人とはいえ、ここまで客席が盛り上がってくるとさすがにちょっと気になるらしく、水走もマウンドからチラチラと3塁側の様子を見つめている。
そんな状態から第1球、打席の玉内に放たれたボールは――内角高めのストレート。
「ストライク!」
ベンチからは少し高いようにも見えたが、さすがは水走。きっちりストライクゾーンに入れてみせたようだ。
この判定に3塁側の客席から非難じみた野次が飛んでくる。
うーん。すごい雰囲気だ。
「……おい呉羽」
ここで、ベンチの鴻池監督が立ち上がった。
「へ?」
まさかの指名に俺の胸が高鳴る。
「2番手なんやから投球練習ぐらいしとけや。しゃあないから、そんまま出てもらうぞ。ここはひとつ空気を換えたらなあかんわ!」
そう言って、監督は近くにいた1年生の末広を伝令として本塁のアンパイアまで遣わせる。
アンパイアに伝令を向かわせたということは、つまり。
「やったじゃない! 久しぶりの登板よ!」
氷野がパンパンと背中を叩いてくる。
他の控え選手たちから和やかな拍手で送り出された俺は、マウンドの水走からボールを受け取り、肩慣らしに2球ほど投げさせてもらった。久しぶりだけど気持ちいいなあ。うん。
『9番レフト三住くんに代わりまして呉羽くんがピッチャー』
『4番の水走くんがレフト――』
いやいや、そうじゃなくて。
ついルーチンに乗せられて何も考えずにここまで来ちゃったけど、そんな、いきなりピンチの場面で出されて、この俺が狼狽しないはずがない。
久しぶりの登板が無死1塁3塁からって、おいおい。
投手たる者、いついかなる時もポーカーフェイスであるべき――なんてお題目を唱えている余裕があれば、顔から汗が出なくなる方法を探るべきだった。
しかし焦りばかりが湧き出てきて、いつもの格好つけたい気持ちが逆に心の中でシンパを増やしていく。でも明らかに格好つけてる場合じゃない。どうしよう。
「プレイ!」
試合再開を告げるアンパイアの声。
(……よし)
ここは1つ。敵のことを考える前に俺自身の武器を見極めるとしよう。
戦いとは己を知るところから始まるのだ。
まずは基本中の基本・ストレートといこうか。
(1球目!)
俺は苦手なセットポジションから腕を振る。
受け取る今津先輩のグローブがググッと下に動いた。
「ボール!」
次はしっかり修正して第2投。
今度は高めに浮いてしまった。
「ボール!」
これでさっきの水走のカウントと合わせて、2ボール・1ストライク。
ダメじゃん。
ストライク入らないじゃん。ノーコンやん。
ふと気になって振り返ると……三住先輩に代わってレフトの守備に入った水走が、こっちの背中をじぃっと見つめていた。
ちょっぴり不満げな表情。
いつも笑顔を絶やさない水走があんな顔をするなんて、やはり彼も投手なだけあってマウンドを手放したのが惜しいのだろう。
領土を手放したいと思う王様が、この世に一人といないのと同じように。
マウンドから離れたいと願う投手も一人といないのだ。
だが、あえて言わせてもらえば……俺は今、お前にお城を譲りたいと思っているよ。
『大丈夫だ。気を付けて投げ込めばいい』
そんな今津先輩のサインにいくらか救われる。
でもダメだった。
右打席に立つ玉内さんからは、俺がどこに投げても、打たれる気しかしなかった。
セットポジションから第3球。
人差し指に引っかかりすぎたボールは、外角高めを進み、そこから大空へと舞い上がった。
× × ×
中華料理屋「ハザラジャート」を出た後、財布の中身を指折り数えていた俺の背中を灰塚さんがバチンと叩いてきた。
「いたっ!?」
目線で抗議するも彼女はまるで気にしていない様子。
花の女子高生を自称しながら最後のほうはビールまで飲んでいたので、基本的にこの灰塚という女性は適当にできているようだ。
冬でもないのに、なぜかブルッと寒気がした。
「ふふ。登板しても打たれるんじゃないかって不安なんじゃない?」
「そんなことはない。俺には俺なりの戦い方があるからな」
「例えば私の『マル秘メモ』でズルく戦うとか?」
灰塚さんの屈託のない表情からは、何となく愛のある嫌味が見出せた。
「それも1つだが、それだけではないさ」
「え、他に武器あったっけ? 呉羽くんってストレートもダメだった気がするんだけど」
「スライダーだ」
俺は右手でそれっぽい握りを見せた。
実は、近いうちに水走からスライダーの投げ方を教わることになっているのだ。
あいつのスライダーはスイングした時のバットの先端ぐらいの弧を描いて曲がるので――要するにかなりえげつない曲がり方をするので、もし習得できればかなりの武器になるはずだ。
「……ふうん。皮算用にならなきゃいいけどねー。他にはないの?」
「あとはスプリットも習いたいが、あれは指に合わない気がする」
「そうじゃなくて呉羽くん独自の武器とか」
残念ながら、そんなものはない。
強いて言うならアレくらいか。
「……牽制はよく監督に褒められました」
「へえ、右投手なのにね」
灰塚さんは手持ちのメモに何やら書き込み始めた。
たぶん今の自己申告のことだろう。
牽制とは、広めのリードを取ったりしてオイタ(盗塁)をしようと企むランナーに『コラ!』と怒鳴りつけてやる脅しのボールのことだ。ボールが塁にたどり着くまでにランナーが戻ってこれないと、そのランナーはそこでアウトになってしまう。
俺たち投手からしてみれば、例えライト前ヒットを打たれても牽制死に持ち込めば帳消しに出来る点で、非常に重要な技術といえるだろう。
しかしながら、みんなバカじゃないので早々牽制死なんて起きない。
それこそ、ちょっとしたミスや――他に気を取られるようなことでも起きないかぎり。
「じゃ、今日はごちそうさま。また会おうね!」
「あ……はい」
灰塚さんがママチャリに乗って歩道を駆け抜けていくのを見守った後、俺はふと近くの鉄塔を見上げた。
とても大きな鉄塔だ。夜風に負けず今日も電線を持ち上げている。
足元の周りは立ち入り禁止になっていて、どことなく女王というか『孤高のカリスマ』を思わせた。誰も寄せ付けないところがそれっぽいのだろうか。
「孤高のカリスマか……」
俺はよくテレビに出てくるような各界の天才たちの表情を思い浮かべたが、なぜか水走の顔は浮かんでこなかった。
× × ×
玉内さんの三塁打で2点を奪われた俺は、続く2番打者に四球を出してしまい、またもや無死1塁3塁のピンチを背負うことになった。
スコアボードに燦然と輝く『2』の文字が俺を暗に責めているようで、非常に落ち着かない。
まだ2点差あるってことはわかっている。こちらは3回裏にキャプテンの満塁ホームランで4点を入れているのだから。しかし次に相手に長打を打たれてしまえば、同点あるいは逆転されかねない。あくまで状況は予断を許さないのだ。
「たまうちー!」
「わーっ!」
先ほど三塁打を打った玉内さんは客席の声援に手を振って応えていた。少しだけ足が3塁ベースから離れているのは、3番打者がバントの構えを取っているからだろうか。
『どうする、スクイズしてくるつもりだぞ』
『そうですね……』
『ひとまず、こいつでお茶を濁そう』
キャッチャー今津先輩のサインは、外角ギリギリの低めにストレート。
俺は首を横に振る。
そして3塁ランナーの玉内さんがベンチからの声に気を取られたのを見計らって――三塁手の北口のグローブに思いっきりボールを投げ込んだ。
それこそ「キャッチャーミットに投げ込む時よりも速いんじゃないか」と我ながら思うほどのスピードで飛んでいったので、何も知らない三塁手・北口がボールを受け取ってくれるか心配だったが、彼はすぐに反応して、パァンとボールを掴んでくれた。
そう……掴んでくれただけだった。
「バカ! タッチプレーだよ!」
「しまった!」
遊撃手のキャプテンが叫んだものの、北口がそれに気づいた頃にはすでに走者の玉内さんはスライディングで3塁ベースに戻ってきてしまっていた。
せっかくの牽制死が――無くなった。
「ハハハ! あいつら運がねえな!」
観客の心無い野次がグサリと真理を突いている。本当に運がない。
無死1塁3塁と1死1塁は全然違うのに!
よくよく見まわしてみると、今のちょっとした守備のミスの間に1塁走者が2塁まで走っていた。北口はこれにも気づかなかったようで、こっちにゴメンと声を出す。
おいおい2塁3塁に悪化しちゃったじゃないか。
本当にもう……どうしてくれるんだ。
「……ひょっとしてこれが勢いって奴なのか」
俺は自問自答する。
たぶんきっと、そうなのだろう。
こっちのミスとあっちの成功はどちらも紙一重だった。それが全て相手の成功にサイコロの目が出るとなると、いわゆる勢いというのはこういう状態のことを言うに違いない。
いわばパチンコで言うところの確率変動。
圧倒的な相手側の押せ押せムードの中、今津先輩のタイム要求により、ベンチからマウンドまでウチの伝令が飛んできた。末広の奴だ。
「すまねえな呉羽。こんな時にまた交代だ」
「交代?」
「レフトに行ってくれ。水走がまた投げるらしい」
末広は同情するように首をすくめてから、またベンチまで走っていく。
言い知れない悔しさが足元で水たまりをつくった。
感情が足を縛り、マウンドから降りることを拒否してくる。
なぜだろうな。
さっきまではあんなにもベンチに帰りたかったのに、今となってはこの丸い丘が人生の全てのようにも思える。
もちろん伝令からアンパイアに選手交代が伝えられている以上、俺がこのままここに留まりつづけるわけにはいかない。
俺は近寄ってきた今津先輩に手で促され、何も言わずにレフトに向かった。
『4番レフトの水走くんがピッチャー』
『9番ピッチャー呉羽くんがレフト』
『以上に変わります』
「――お疲れ」
交代の途中で水走にハイタッチを求められる。
俺はわざとらしくポケットに手を入れた。
投手たる者なのに子供じみた感傷を抑えられなかった。
「次があるよ、きっと」
水走はポンと俺の肩を叩く。
その態度から感じられた優しさと余裕が――俺の唇をこじ開けた。
「水走!」
「なんだい、呉羽くん」
俺たちは内野と外野の境界線で立ち止まる。
「……頼む。お願いだ!」
俺はそこで深々と頭を下げた。
きっとグラウンドにおいては異様な光景だったのだろう、サードの北口がこっちをプレパラートの微生物でも眺めるような目で観察している。
「わかってるよ。後続はちゃんと抑えてみせるって」
「ちがう。俺に、スライダーを教えてくれ!」
「へ?」
水走はきょとんとしていた。
あれから、灰塚さんに自分の武器を伝えてから……いくらか時間があった。
大阪の地方大会は180校もの学校が競い合う大規模な催し事なので、野球場の数と1日に開催できる試合の数から、おのずと学校目線での試合日程には余裕が生まれる。180に分かれたトーナメントの表を想像していただければ、よくわかってもらえると思う。
特に序盤戦は試合数が多く、その処理に時間がかかるため、試合から試合まで3日程度の空き日はザラである。
つまり時間はたくさんあったはずだった。
なのに俺は、以前水走と口約束した『スライダーを教えてもらう話』を改めて言い出すことができなかった。
だって投手たる者、自分のプライドは意地でも守らなきゃいけないから。
きっと水走は俺に熱心に教えてくれることだろう。
あいつはそういう奴だ。
良い奴だ。
でも、もし仮に習得できなかったら――ストレートは遅い。カーブもダメ。基本的にコントロールがダメ。そんな俺でも楽しい未来を夢見ることはできたが、その可能性への漠然とした期待すら打ち砕かれてしまう。
少なからず親からチヤホヤされてきた俺だ。
水走の登場で叩き潰された『自信』だけでなく『未来』さえ奪われてしまうとなれば、もうパーフェクトにお終いだろう。きっと精神がイカれてしまうはずだ。それが怖くて仕方なかった。
だが今となってはそんな有象無象は全てがどうでもいい!
「……もちろんだよ。とりあえず後ろでよく見てて。後でちゃんと教えるからさ」
水走はツカツカと土の内野を進んでいった。
後ろとはきっとレフトのことだろう。
そうだ、守備しなきゃいけないんだった。
「プレイ!」
選手交代を終え、アンパイアの宣告でゲームが再開される。
打席には3番打者。相変わらずスクイズの構えだ。目線からして1塁側に転がすつもりだろうか。察したらしいファーストの赤井がニヤニヤと見下すような態度で前進守備を取る。
これに対して、水走はエグるようなスライダーを用いて、3番打者からスイングを、赤井から守備機会を奪ってみせた。
あっという間にストライクのカウントが重ねられ、アウトカウントもどんどん追加されていく。
終わった頃には赤井だけでなく俺までも守備機会を奪われていた。
要するにまるで仕事が無かった。
怒涛の五者連続三振だった。
× × ×
「ゲームセット!」
豊中ローズ球場に試合終了のサイレンが鳴り響く。
1日に何度も試合を開催しないといけない中で効率的に人を動かすことを目的に設置されたというサイレンは、甲子園の本戦でもおなじみの高校野球の象徴だ。夏の風物詩でもある。
「ありがとうございました!」
両チームが本塁前で整列し、互いに頭を下げあう。
勝利の歓喜を隠しきれない俺たちとは対照的に、目の前で帽子を取る積雲ナインの表情は『深刻』そのものだった。
ついさっきまで、あれほどまでに元気溌剌・喜色満面としていたはずの彼らが、競うように顔色を悪くしている様子は、さながら郊外の病院まで身内の末期ガン患者に会いに来た親戚一家のそれであった。
ベンチに戻った俺たちはキャプテンの号令の下、大阪締めでその日の勝利を祝う。
「ウチマーショ! モヒトッセ! イオウテサンド!」
キャプテンが拍子を取り、みんなで拍手を合わせる。
これはいわば大阪版の一本締めだが、関東出身らしい水走は微妙に乗りきれておらず、地元出身の1年生たちに笑顔で背中を叩かれていた。
もっとも2年生の先輩たちもいまいちよくわかっていなかったみたいなので、地元でも知っている人と知らない人の差が激しい文化なのだろう。
ともあれ、他の学校の試合があるので、あまり長居はしていられない。
みんなで荷物をまとめてベンチから通路に出る。
去り際、3塁側の様子をチラっと観察してみたが、やっぱり積雲側のテンションは下がったままだった。
彼らのあの勢いはどこに消えてしまったのか。
周囲でチームメイトが互いのつたないプレーをけなしあう中、俺はふと8回表1死1塁3塁での牽制のシーンを思い出した。
「あそこは悔しかったなあ。俺、どうしてタッチできなかったんだろ」
ちょうどサードの北口がチラリとこちらを窺いながら、水走を相手にあの時の話をしている。どうしてもこうしても最初から頭に無かったに違いない。
「あれタッチしてたら完璧だったよなあ」
「そうだね。あのプレーはタイミング的には完璧だったよ」
水走が明後日の方向にパンパンと小さな拍手をくれた。
こいつにそう言ってもらえると、少しは救われる気がする。
「――でも呉羽くんは事前に合図を送るべきだったね」
「なら俺だけが悪いわけじゃないってことか!」
パァっと目を輝かせる北口。一応ある程度の責任は感じていたらしい。
「まあ、そもそも北口君がボーッとしていなければベンチからのサインで前進守備を取っていたはずだし、あの牽制だってできなかっただろうけど」
「うっ」
一転して北口は肩を落とした。
そうなのだ。実のところ、スクイズバントをしようとしている相手に対して北口は前進守備を怠っていたのだ。
本当なら相手が転がしたボールを拾って本塁なり1塁なりに投げないといけないのに。
しかし、水走の言うとおりだと、北口の怠慢で牽制死がなくなったのは事実だが、そもそも北口の怠慢がなければ牽制自体ができなかったわけだ。
何だか虚しくなってきた。
「いや、呉羽くん。君まで肩を落とすことはないよ」
こっちに寄ってくる長身イケメン。
今日も今日とて笑顔が眩しい。
「なんでだよ。さすがに今回はダメダメだっただろ!」
俺は水走の手を跳ね除ける。
ピンチで登板して玉内さんに三塁打を打たれた。さらには牽制死にも失敗した。1アウトも取れなかった。総じて良くないことだらけだ。
「それは僕の出したランナーを返されたんだから君の責任じゃないさ。あと君自身はわかってないようだけど、相手チームの勢いを殺したのは確実に呉羽くんなんだよ?」
「えっ……どういうことだ」
俺は頭から帽子を取り、水走に尋ねる。
「いいかい。お祭り男は天然由来の人気者と養殖の二種類に分けられるんだ。つまり単純に行動の全てが周囲に大きな影響を与えてしまう本物の人気者か、全体の士気を上げようとして頑張ってお調子者を演じるアジテーター。玉内さんは残念ながら前者だったんだね。だからこそ、ここまで来れたのかもしれないけど」
「言いたいことがさっぱりわからん」
「玉内さんはとても人気がある先輩だったけど、それは人柄の良さや面白さというより彼の強い個性に依るものだったということさ。思い出してごらん。玉内さんが自ら味方を盛り上げようと声を張り上げたりしていたかい?」
「あ……たしかに。周りはみんな多摩川のラッコを見るような態度だったな」
俺の反応に水走は口をすぼめて笑う。
「つまりはそういうこと。玉内さんはみんなを盛り上げていたんじゃない。みんなが玉内さんの勝手なテンションの高さに乗せられていただけなのさ。ところが君が玉内さんを完全に刺してしまった」
「人聞きの悪いことを言うなよ……」
まるでナイフでぶっ刺したかのような言い草だった。
ああいうプレーを『刺殺』とは言うけど。ちなみにトリプルプレーは『三重殺』と書く。最高裁で死刑判決が出そうな言葉だ。
「あの牽制の後、玉内さんは深刻そうな顔をしていたよ。きっと調子に乗っていた自分に気づいたんだろうね。まさか3塁にいて牽制死されそうになるなんて。それも自分が観客の声援に応えていたからだろ。真面目に試合しなきゃって考えを改めるのは当たり前だよ。それで彼らは負けた。牽引車がスピードを落としちゃったからね」
なるほど。
あれから彼らの主軸の打者があっさり三者三振にきって取られたり、その裏にウチの貧弱な打線から追加で3点も奪われたことを考えると、何となく辻褄は合う。
勢いを失った、積雲工業の本来の力はあの程度だったということか。
「でも……良かったね。これで3回戦突破。甲子園まであと5戦、決勝の相手はPMC学園か千里第一かな」
「あんまり調子に乗ってると反動が怖いぞ、水走」
「はは、まさしくそれだね……」
言い終えてから、俺たちは二人で口を閉ざした。
近くの道を積雲ナインが歩いていたのだ。
彼らは淀川の傍に学校を構えているそうなので、きっと電車で帰るつもりなのだろう。
ちなみに俺たちの学校はちょっと遠めだけどバスなんて持ってないので基本的にどこの球場でも電車移動である。いくら投手たる者でも貧乏新設校では贅沢など言えない。
元お祭り男・玉内さんは相変わらずどんよりとした表情のままだった。周りの積雲工業ナインも同じく冴えない表情をしており、特に投手の鈴川さんはこの世の終わりみたいな陰だらけの顔をしている。
しかしながら、いかんせん彼らは見た目だけなら完全に不良集団なので、下を向いて歩いているのはかなり異様に見えてしまう。
できればお近づきになりたくないと考えてしまうのは人の性というものだろう。
だが、彼女は臆することなく彼らの元に駆け寄った。
「あの! お疲れ様です!」
おずおずと頭を下げる氷野を見つけて、玉内さんが何か返事をする。
「~~~~~!」
「~~~~!」
残念ながらこちらから彼女たちの会話を聞くことはできないが、氷野のああいうところは素直に好感が持てた。本人はマネージャーの仕事と割り切っているのかもしれないけど、あるいは物怖じしないだけのバカである可能性も否定できないけど。
「やっぱりあの子は……うん。僕も挨拶してこよう」
ちょっと手伝ってくると言い残して、水走もあっちに行ってしまった。
すると、こうしてはいられないとキャプテンたちもそれに続くような動きを見せる。
「おい、水走がやられたらヤバイんだぞ! 周りを男で囲め!」
すかさず1年生の末広が音頭を取った。
「そんな変なことにはならないと思うけどなあ」
「三住先輩も呑気なこと言ってないで、ほらほら!」
1年生も2年生もなく、ぞろぞろと水走の周りを囲み始める我らが中垣内野球部の面々。
どうやらみんな相手が積雲工業なだけに暴力沙汰になることを恐れているようだ。一部の連中は水走というより水走の肩が使い物にならなくなることを危惧しているようにも見える。
もっとも、何だかんだで両チームはすぐに打ち解けていったのだけど――そんな彼らの輪の外で、俺はずっと、水走のような超高校級の選手がどうしてウチなんかに来たのか、その理由を考えていた。
右ポケットの中で、ひたすら自分なりにスライダーの握りを試しながら。