延長戦! 逆境のフォッサマグナ!
8月。球児たちはグラウンドで白球を追い続けていた。
1年生は試合に出られた喜びに打ち震えながら。
2年生はスタンドにいる仲間たちに負けないように力を振り絞りながら。
3年生は今に全てを尽くしながら。
そして、ここに初めてやってきた俺たちのような新参者は――ただただ「場違いなのではないか」と気を揉みながら。
阪神甲子園球場。ただ行くだけなら市内からワンコインで済むけど、そのグラウンドに立つというのはとてつもなく貴重な体験だった。ウチのキャプテンなんてグラウンドで守備練習するだけで泣きそうになっていたほどだ。
さすがは全ての球児が目指している聖地である。
加えて、スタンドには満杯のお客さんがいるわけで、はたして彼らに恥じない戦いをできるのだろうか。いやそれだけじゃない。これまで倒してきた対戦校の選手たちに顔向けできないような試合をするわけにはいかないのだ。
このようにして、まだ試合が始まる前から、俺たちは身に合わない栄誉と重圧に押しつぶされそうになっていた。
特にマネージャーの氷野は恐慌状態のような有様で、ひたすらに取り乱している。
「どうするのよ……めちゃくちゃヤバいじゃない、たしかに来られたのはうれしいけど、でもミズハイくんが投げられないとなると、そんなの!」
「あんまりわめいてくれるなよ。マネージャーなら健気に応援すべきだろうが」
「……あら、うっさいわね。どこかに小人でもいるのかしら?」
チビの赤井に対して、まるでその姿が見えないかのような仕草をみせる氷野。
地元では絶大な知名度を誇る「とある新喜劇」のネタなので、またそれまでの極度の緊張感も相まって、試合前のミーティングなのに俺たちは思いっきり笑い転げてしまった。
「てめえら、オレはメザシでもメダカでもないぞ!」
赤井は苛立ちを隠そうともせず、発起人の氷野に掴みかかろうとする。
しかし、キャプテンによって、あっさり食い止められた。このあたりは体格の差だ。
「もうテレビのカメラが回ってるんだぞ。しっかりしろ赤井」
「チィッ。こうなったら絶対に氷野よりもヒットを打ってやるからな!」
「当たり前のことを偉そうに言わないでよ。というか、赤井の方こそ打てるのかしらね」
氷野は1塁側ベンチの前でキャッチボールをしている相手校の投手に目を向ける。みんなもそちらに視線を向けて、ガックリと肩を落としていた。
スネル祐作さん。2年生にして新潟の強豪・フォッサマグナのエースを務める人物。
平均球速142キロのストレートとキレのある変化球を武器に、地区大会を計4失点で乗りきってきた、来年のドラフト候補だ。ちなみにオランダ系日本人らしい。
「雑誌『野球ボーイ』によると双子の弟の怜史も控えているらしいわね。どちらも本格派の右腕で新潟ではスネル兄弟として人気があるとか」
近寄ってきた氷野が、いつものように雑誌で得た情報を教えてくれる。
残念ながら、彼らについてはチームの参謀役である(らしい)俺としても、大体同じくらいの知識しか持ち合わせていないので、特に付け加えることはできない。
『ごめんね。さすがに新潟の球児まではカバーできなかったよ!』
灰塚さんにはこれまでお世話になってきたので、そんな風に謝られても受け入れることはできなかった。なので、きっちりお礼に中華料理を添えておいた。投手たる者、裏方を務めてくださった方には財布がカラになってもお礼をしなくちゃいけないのだ。
「……ところで、デートの件だけど、あんたの方からアイデアとかないの?」
「え? ああ、それなら水走と3人でショッピングセンターでも行かないか。ついでにあっちの半日デートも済ませられるだろ」
本当は生駒山上で遊ぼうと考えていたけど、フリーパスに手を出せるだけのお金がなくなってしまったので妥協させてもらった。投手たる者、時にはケチになるべきなのだ。
氷野は何やら不服そうにしながらも、髪を指に巻きつけて、
「うーん。なんかシャクだけど、モノは考えようだから……うん。別にそれでいいわよ」
「というか、これから決戦なのによくそんな話できるな」
とても先ほどまであんなに気落ちしていた女とは思えない。心配事がどこかに消えたわけでもあるまいに。
「そうね……私にもなぜだかわからないけど、こうやってあんたの顔を近くで見ていたら、だんだん気が楽になってきたのかも」
氷野は言い終えてから、自身の野球帽のツバで表情を隠した。
何となくキャプテンの側にいた水走に目を向けると、さすがにプレイボールが近いだけあって相手の先発投手を必死で見つめていた。
むしろ大切な試合前なのにお花畑な氷野がおかしいわけで、俺は「そんなことよりスコアブックを持っておけよな」と彼女に作戦ノートを手渡した。
× × ×
聖地のサイレンが鳴り響き、いよいよ中垣内商業の全国大会が始まる。
対戦相手は新潟代表・私立フォッサマグナ高校。春夏合わせて計12回の甲子園出場を誇る名門校である。
ネットで調べた情報によれば、彼らは実力も去ることながら、これまで負け試合を何度もひっくり返してきた「逆境」のチームでもあるらしい。
『つないだ、つないだ、フォッサマグナの春はまだ終わらない!』
そんな名実況と共に語り継がれる、彼らの壮絶な戦いの歴史は「ガトリング打線」という渾名にも表れている。
新潟の強豪チームをガトリング砲のように「ヒットの連射で」「迎え打ってきた」彼らを倒すためには、一体どうすればいいのだろうか。
『1回表、中垣内商業の攻撃は――』
『1番・センター深野くん――』
『2番・セカンド大東くん――』
「ストライク・スリー!」
フォッサマグナの先発投手・スネル祐作さんのパワーピッチングを前に、あっさりと連続三振に切ってとられるウチの上位打線。
ちなみに大東を2番に入れているのは彼の足が速いからだ。あれほど不器用な奴にバントなんて期待していない。それをするくらいなら俊足の深野に走ってもらう。
基本的には「1番と2番のどちらかが出ればOK」というのが監督の方針だった。
あとは3番の今津先輩が適当に進塁打でも打ってくれたら、もっとも活躍の期待できる4番打者に回ってくるのである。
『3番・キャッチャー今津くん――』
「ストライク・スリー! チェンジ!」
しかし一人もランナーが出なければ、水走だって役には立てない。あいつにソロホームランが多いのは他の打者がまるで打たないからだ。
せめてリードオフマンの深野がもう少し打てたら……おっといけない。投手たる者、味方打線を恨んではいけないのだ。
「すまないね。呉羽には楽をさせてやりたかったんだけど」
ベンチに帰ってきた今津先輩が、こちらに頭を下げてきた。
もしかすると思念が届いてしまったんだろうか。
「いえ。たぶん次の回には水走が大きいのを打ってくれますから」
「だったら、せめて1点には抑えておきたいね」
キャッチャー用の防具を付けながら、相手ベンチの打者たちに目をくれる先輩。
はたして、ガトリング打線を打ち取ることができるのだろうか。
全ては俺の右肩にかかっている。
× × ×
各々の守備位置に向かうチームメイトに合わせて、俺もマウンドに上がる。
憧れの甲子園のピッチャーマウンド。すぐ後ろには放水用の蛇口があって、ちょっとビックリさせられた。
小高い丘から周りを見渡せば、三六〇度のスタンドにお客さんが詰め込まれている。まだ平日の昼なのにビールを飲んでいるオジサンたちは地主なんだろうか。カメラマン席からはビデオカメラが容赦なく向けられていて、こちらの投球練習を待っているみたいだ。
やるしかない。
ワインドアップから白いボールをキャッチャーミットに投げ込む。スコアボードの表示は123キロ。ああ。もうダメだ。
『1回裏、フォッサマグナ高校の攻撃は――』
『1番、ショート天谷くん――』
フォッサマグナの打者が打席に入ってくる。
たぶん実況席では「エースの水走くんがケガしているので、代わりに1年生の呉羽くんが投げています」「いやあ、えらいタマが遅い子だねえ」とか言われているのだろう。
となれば、もう恥をかききったと考えるべきだ。投手たる者、大切な時に開き直れないと、そのままどん底にまで落ちてしまいかねないのである。
「ストライク・スリー!」
水走から教えてもらった伝家の宝刀・スライダーがビシッと決まった。データによれば天谷さんは地方大会で4割も打っていたそうなので、その人から三振を取れたのはありがたい。それもファールなしの三球空振りとなれば俺としても嬉しくなってくる。
もしかすると、こっちのボールにタイミングが合っていないのかもしれないな。投手のフォームには好き好きがあるから、天谷さんとは相性が良かったのだろうか。
「ストライク・スリー!」
「ストライク・スリー! チェンジ!」
3人目を抑えたところで、なにやらイヤな予感がしてきた。
ベンチに戻ってみると末広の奴がラジオを聞いていて、他のベンチメンバーと共にクスクスと笑っている。
「おい呉羽、なんかストレートがノロすぎて打つ方のタイミングが合わないみたいだぞ!」
やっぱりそういうことだったか。
「たぶんミズハイくん対策で速球に合わせていたのでしょうね。でも良かったじゃない。ケガの功名よ」
「まったく嬉しくねえよ!」
からかってきた氷野と取っ組み合いになりそうになる。
しかし、グラウンドからカキーンと大きな音が聞こえてきたので、俺たちはすぐにもベンチから身を乗り出した。
2回表。水走の先制ソロホームランである。
例の「キス宣言」のおかげで左肘は奇跡的に完治したとはいえ、またすぐに壊すわけにはいかないので来年の夏まではマウンドに立たないことになった水走。
そのぶんバッティングの方で「エースの責任」を負うつもりらしく、さっそくスネル祐作さんのボールをスタンドに放り込んでくれた。
ベンチに戻ってきた水走をみんなで祝福しつつ、やはり俺はあいつの前にランナーを溜められないものかと考えさせられる。
1・2・3の三人が出るだけで試合はもっと楽になるはずなのだ。あるいは足の速さではなくキャプテンや赤井みたいな少なくともヒットを打てるバッターを1・2番に置いておくべきなのかもしれない。
そのあたりは試合が始まってからはどうにもできないので、この試合が終わってから鴻池監督とお話しさせてもらおう。
× × ×
プロ野球とは違い、高校野球の応援席は内野のアルプススタンドにある。
フォッサマグナは遠方なのに、1塁側スタンドには多くの生徒が集まっていた。ブラスバンドやチアガールが左右に揺れていて、なんとも「青春濃度」の高そうな一帯である(灰塚さんはこの怨念めいた言葉をよく使うけど、本人に浮いた話はないんだろうか)。
対して3塁側には――なんとビックリ。
待望の応援団が現れていた。
さすがにウチの学校も全国放送の甲子園において恥をかくわけにはいかないようで、面目を保つために全校召集をかけたらしい。
やる気のなさそうな男子生徒たちに混じって、女子生徒たちがレフトの水走に向けて声援を送っている。吹奏楽部は五人しかいないのでトランペットの音色が貧弱だった。それでも、グラウンドに立つ身としては、すごくありがたかった。
「なんでオレの応援歌は『とっとこハム太郎』なんだろうな」
「赤井はいいじゃねえか。こっちなんてキャプテンだからって『キャプテン翼』だぞ」
「二人ともやめないか。せっかく来てくれているんだから」
そういう今津先輩の応援歌は『ドカベン』である。古いアニソンばかりなのはラッパの子の好みなんだろうか。
いずれにせよ、そんなことは内野陣がマウンドに集まっている――つまり大変なピンチを迎えている、今この時に話すべき内容ではなかった。ちなみに俺はCMソングの『クレハおばさんのクリームシチュー』だった。
3回裏。それまで北口のエラーなどでランナーを出しつつも、どうにかノーヒットで0点に抑えていた俺だったが、さすがに打者が一巡してしまうと遅いだけのボールでは対処できなくなっていた。
125キロのストレートに目を慣らしたフォッサマグナ打線は、こちらの内外野に鋭い打球をガンガン連発。瞬く間に一死満塁の大ピンチとなる。
伝令の末広によれば、鴻池監督としてはこの場面を最少失点で切り抜けてほしいそうで、つまり、俺たちには1失点しか許されていなかった。
『5番、サード井上くん――』
ネクストサークル近くで力強いスイングをしていた右打者が、くいくいと肘を回しながらバッターボックスに入ってくる。こんな大舞台でも自分のルーチンを忘れない、いかにも打ちそうな人だ。
だけどランナーが溜まっているので敬遠はできない。
俺はまず外角低めにストレートを投げ込んだ。アウトローはピッチングの基本だ。
「ボール!」
スコアボードに緑のランプが点く。
まあ、これが入っていたら、こんなに苦労はしていない。
『次はスライダーで行こうか』
『外に逃げるスライダーならスイングもらえそうですね』
キャッチャーの今津先輩とサインを交換して、俺はグローブの中でスライダーを作る。
井上さんは5番なだけあって地区大会でホームランを3本打っている。ならばここでも大きい当たりを狙ってくるはずだ。そこをスライダーでかわしてやる。
大きく振りかぶって、右腕をムチのようにしならせる。
ボールは――まったく変化しなかった。しかもめちゃくちゃ遅い。
失投だ。しかし井上さんはそれに対応できなかった。狙い球が別にあったのか、半端なスイングをしてしまい、白球はサードの北口のところに転がっていく。
「ホーム!」「ホーム!」「ホーム!」「ホーム!」「北口、ホームだ!」
内野にいるみんなが一斉に声を出した。さすがの北口もこの状況だと気は抜かない。
本塁ベースに足を添えた今津先輩が、北口から受け取ったボールを一塁の赤井に回すと、アンパイアは「アウト、チェンジ!」と宣告した。
まさかのホームゲッツー。
思わぬ形で大ピンチを脱することができた俺たちは、ベンチの前で軽くハイタッチしたが、一方で何となくイヤな感じもしていた。
というのも、今のプレーは完全に「運」が介在していたわけだ。
たまたま失投したからこそ、井上さんはミスをした。これはおそらく彼らが「流れ」に乗れていないということ。オカルトだと侮るなかれ。かつて俺たちは「流れ」を作るために生まれてきたような人と対戦したことがある。
何が言いたいかといえば、今のプレーには相手にも言い訳ができるということだ。井上さんはベンチでガックリしているけど、自分にはこの投手は打てないかもしれない、なんてことは一分も考えていないはずだ。つまり次の対決でも自信に満ちたバットを振ってくる。
逆に根拠のない抑え方になってしまった俺たちにとっては、この「流れ」を手放さないための努力が必要になってくる。
だけど、相手が逆境に強いチームとなると、はたして終盤まで保っていられるか……。
「……おい。なんで呉羽が気落ちしてんだ」
「あ、深野」
センターからベンチに戻ってきたばかりの深野はだらだらと汗をかいていた。いかんせん外野には遮るものがないので、立っているぶんには日当たりが良すぎるらしい。
今の深野は3回表にラストバッターで凡退したので特にすることがない。せいぜい打席に向かう大東に「がんばれ!」と叫ぶくらいだ。
そうか、やることがないのか。
だったら一つ、次の打席のために仕込みでもしてもらおう。たとえ灰塚さんの情報がなくても立てられる作戦はある。
「氷野。渡した作戦ノートに書いておいた件、ちゃんとできた?」
「ありがたいことにランナーが1人も出ないものだから、きっちりチェックできたわよ」
氷野が例のノートを返してくる。
よし。これさえあればスネル祐作さんからヒットを打てるかもしれない。水走は放っておいても打てるだろうけど、加えて深野たちが打てれば打点は倍々ゲームになる。
投手の俺が残念ながらいまいち信用ならないのだから、こっちでどうにか手を打たないと、また水走に『エース』の座を取り返されてしまいかねないのだ。
さっそく俺は深野に作戦を伝えようとした。
「深野くん、あのノートには相手の守備位置を記してあるから、それを参考にして上手くボルチモア・チョップを狙ってくれないかしら」
「当てていく作戦だな。内野安打なら足も活かせる。わかった。やってみるよ。しかし考えたもんだな。マネージャーなのに作戦コーチみたいだぜ」
なるほど。事前に氷野に作戦を教えてしまうとこうなっちゃうのか。
やっぱり次からは自分だけでやろう……投手たる者、自分の勝ち星を盗まれるのは避けたいのである。
× × ×
その後も俺たちに傾いた「流れ」は衰えず、かといって水走以外が打てるわけでもないので点差が広がることもなく。
また水走の2打席目は逃げ気味の四球だったこともあり。
1対0のまま、試合は6回を迎えようとしていた。
『6回表、中垣内商業の攻撃は――』
『9番、ピッチャー呉羽くん――』
本日二度目の打席に立つ、今のところ相手打線を0点で抑えている功労者。
汗ひとつない姿で大きくスイングすれば、フォッサマグナ側もちょっとくらい考えてくれるだろう。
もっとも、0点で抑えているわりにエラーやヒットで球数は多くなっており、また久しぶりの先発ということもあり、もう身体はヘトヘトだったりする。
なのに一つも汗をかいていないのは、さっき水走に拭き取ってもらったからだ。必死さを出さないためにもスマートな自分でいなければならなかった。
だってこれからやるのは必死の作戦なんだから。
マウンドのスネル祐作さんは力強いストレートを武器にしていた。あとはフォークとカーブを交えてくる。いわば本格派の投手だ。
こういう隙のない人を打ち崩すためには今のチームでは奇策を用いるしかない。
1球目をまず大振り。2球目も大振り。3球目も大振りして空振り三振。
たぶんフォッサマグナ側は「呉羽は疲れているからわざと三振させたんだ」とは考えないはずだ。だって汗をかいていないのだから。
加えてベンチに戻ってきた俺に向けて、水走に「一発狙っていこう!」と叫ばせる。
こうすることで相手チームに大きな当たりを警戒させる。相手の内野陣を後退させることができれば、内野安打のチャンスが生まれてくる。
一・二巡目までは『足』を考えてか、深野の時には若干ながら前進気味だった相手の守備シフトが、この一連の演技で――全く変わらない!?
「なんで!?」
「どうも読まれたみたいだね。まあピッチングからして呉羽くんがヘトヘトなのは相手にもわかるだろうから、仕方ないよ」
水走が慰めてくれるのはいいけど、作戦が上手くいかなかったのはキツい。
さすがに全国大会の常連校を率いてきたフォッサマグナ・河井監督の目には見抜かれていたか。相手ベンチを覗いてみると、特に動いた様子もなくドッシリと座っていらっしゃる。
あとは深野がボルチモア・チョップを狙えるかだけど、この守りのシフトだと転がしてもサードに拾われそうだ。
ちなみに深野は両打ちなので、右投手のスネル祐作さんに合わせて左打席に入っていた。これで当てるだけだと3塁側に転がってしまうのは目に見えている。
「いや、ここは逆の逆を突いて……強行もありか!」
そう呟いた時だった。
同じことを考えたらしい深野はフォークボールをフルスイング。
バットがボールの上面に当たったようで、打球は1塁線上を転がっていった。これを相手のファーストは捕球できず、深野は一気に2塁まで走り抜ける。
「セーフ!」
ライトからの返球をくぐり抜けた深野は、大きくガッツポーズをみせた。
一死二塁。
あとは水走まで回すだけだ。それができれば最低でも2点が入る。
しかしながら次の打者は2番の大東。さらに3番の今津先輩までアウトになってしまえば、せっかくのチャンスもスリーアウトで消えてなくなってしまう。
スネル祐作さんにこれ以上のラッキーパンチは見込めないし、はてさてどうしようか。
必死で考えているうちに、大東はツーストライクにまで追い込まれていた。
「大東の奴、身体能力はあるんやから、もうちょいやってくれんもんか……」
イライラする右足を右手で抑えながら、鴻池監督も打席の大東に注視する。他のチームメイトたちもみんなが大東を見つめていた。おそらく球場全体があいつを見ていた。
その隙を深野が突いた。
祐作さんが投球動作を始めたタイミングで3塁を陥れたのだ。
さらに、それにビックリしたせいか、相手のキャッチャーがボールを落としてしまった。投球自体はストライクの扱いだったので、バットを振っていないものの、大東は1塁へものすごいスピードで走っていく。
対してキャッチャーの送球は大東の1塁到達に間に合わず、しかもその送球がこれまた逸れてしまったものだから、深野は悠々と3塁からホームに帰ってきた。
あっというまの出来事に、ウチのベンチはしばらく無言になってしまう。
だが、スコアボードには「1」が記され、これにより2対0。記録上は大東の「振り逃げ」ということになるだろうか。複雑すぎてよくわからない。
いずれにせよ、ベンチに帰ってきた深野はみんなに祝福されていて、しかも一死一塁となれば、下手をしないかぎりは水走にも打順が回ってくるわけだ。
深野は『足』を活かして最高の仕事をしてくれた。ありがたい。本当にありがたい。このままいけば今日のヒーローはこいつだろう。
「あっ、ああっ」
ベンチにいた三住先輩が悲鳴を上げる。
どうしたのかと思いきや、続く3番の今津先輩はあろうことかセカンドゴロ。4・6・3であっさりと併殺を取られてしまったのだ。
千大戦では俺の大暴投をキャッチしてくれたり、他の試合でも水走やキャプテンに隠れながら密かに仕事をしてくれていた……チームを支える縁の下の力持ちみたいな人だけど、この打席では残念な結果となってしまった。
「すまない。本当に呉羽には楽をさせてやりたかったのに」
「あの、ええと……」
お世話になっている先輩の珍しい失敗にどういう声をかけるべきか、俺が悩んでいると、
「下手に慰めなくていい。安心してくれ、次は絶対に楽にさせてやるから」
逆に先輩から気を遣われてしまった。
俺は何とも表現しにくい気分になり、ちょっと早めにマウンドに向かう。かといって特にやることもないので、何となくバックスクリーンに注目してみると、日の丸が逆方向になびいていた。
さっきまでライト方向に吹いていたのに、今はレフト方向。
もしや「何か」の前兆だったりするのだろうか。
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