14 決着の舞洲! 勝負を決めたバットと初キス!
いよいよ試合は9回裏を迎える。
同点のまま終われば延長戦の可能性もあるが、基本的には最終回だ。
無死満塁の好機を俺なんかに抑えられた千大一高ナインは、垂野さんを中心にベンチの前で円陣を組んでいた。ここを守りきらなければ負けてしまう。だから意地でも抑えないといけない。そんな気迫がこちらのベンチにまで伝わってきた。
逆に俺たちは1点でも入れればサヨナラ勝ちできる。運の良いことに3番から始まる好打順なので十分にあり得る展開だった。もちろん、君沢さんを打ち崩せたらの話ではある。
「しかし君沢さん……本当になんで俺に負けたとか言ってたんだろ」
「三振を取られたからじゃないの?」
氷野がとぼけたことを言ってくる。そりゃそうかもしれないけど、あの感じは他意があると考えたほうがいいはずだった。
ふと彼女に目を向けると、何やら妙にニヤニヤしていた。
「どうしたんだ、お前」
「いやねえ。ちゃんと抑えたじゃない。すごいピンチだったのにさ」
「……ああ約束のことか。結果的には守れたよな」
「ふふ。デート期待してるわよ」
氷野は楽しそうだった。ベンチでスポーツドリンクを飲みながら打席の今津先輩に声援を飛ばしている。とてもさっきまで負けそうだと喚いていた女とは思えない。
ただ少しばかり輝いて見えるのは夕焼けのせいだろう。
別に彼女のために抑えたわけではないけど、何だか少しだけ報われたように思えてきた。
『4番・レフト水走くん――』
先ほど小粋な活躍を見せた今津先輩が四球で出塁する。相手は荒れ球なので待ちの姿勢で行きましょうと告げておいて良かった。
あとは水走がホームランなりタイムリースリーベースなりを打てば終わりだ。阪神電車なら260円で買えてしまう甲子園へのチケットがようやく手に入る。
ここまで長かったなあ。疲労の溜まった肩を慰めながら俺は打席を見守る。無論一番疲れているのは打席に立っているアイツの左肩だろう。チームをここまで連れてきてくれたアイツにはその分、この試合の美味しいところを持っていって欲しいところだ。
水走にはその資格がある。
「あっ!」「ぬあっ!?」「おい、おい!」
打球音に続いて、チームメイトが穏やかではない悲鳴を上げた。
見れば、鋭くライト方向に転がっていったボールを千大一高のセカンドが好捕、ゲッツーは狙わず一塁に投げて水走をアウトに仕留めていた。今津先輩の力走が功を奏した形だ。
セカンドゴロ。良く言えば進塁打にはなったかもしれない。むしろ相手の二塁手を褒めるべきかもしれない。
だが、どちらにしろ俺たちが水走に求めていたのは全てを決める一振りだった。
爽快なサヨナラホームランだった。
それは水走本人もわかっていたようで、走り抜けた一塁後方で「くそっ」とらしくない台詞を吐いている。
「……彼を責めちゃダメよ」
「誓っても良い。絶対に誰も責めないよ」
ここまで連れてきてくれた男にツバを吐きかけるような奴はこのチームにはいない。ちなみに赤井はもう打席に向かっているからベンチにいない。
チームみんなで水走を出迎える。
ベンチの前で末広が「ナイス進塁打!」とハイタッチしようとしていたが、体よく断られていた。普段なら絶対にしない対応なので、よほど悔しかったのだろう。
「くうっ……ホームラン2本じゃ、デートできないじゃないか!」
「あくまでそっちなのかよ……」
ベンチでうなだれる水走にドリンクとタオルを渡してやる。
まあ元を正せば左腕を治してくれた氷野の恩に報いるために頑張ってるらしいからなあ。
すっかりチームに馴染んだ今でも本人なりにこだわりがあることなんだろう。仮に本気で恋をしているのなら、ついでに目も治してもらうべきだと思う。
「デートねえ。半分だから半日なら、なんてね?」
「よっしゃあ!」
氷野の一言で息を吹き返す水走。
もう「死ね」と言われたら死ぬくらいの勢いがあった。
『千里大学第一高校、選手の交代を申し上げます――』
『9番・ピッチャー君沢くんに代わりまして、鋤田くん――』
えっ。ベンチの全員がマウンドに目を向けた。
相手の伝令に何やら事情を説明している君沢さん。手首をプラプラさせているから、どこかのタイミングで捻ったりでもしたのだろうか。あるいは違和感を覚えたか。
投手たる者は緻密な集中力を要求されるため、少しのケガでも降板することが多い。そもそもスポーツをやっている人はみんな身体が資本だ。根性でどうにかならない時には、いさぎよく休むのが正しい。
例えば今日の水走のように。
「…………」
「?」
なぜか君沢さんと目が合う。別に非難するでもなく褒めるでもなく、むしろ敬意を表されたような……そんな表情だった。
一体彼に何が起きたのか。今のところ俺にはわからない。
ただはっきりしていることがある。君沢さんをマウンドから降ろすことができた。俺たちは『誰よりも君が好きだ』を3枚まで倒したのだ。
「いけー赤井! 決めたれーっ!」
打席で素振りする5番の赤井に監督から声援が飛ぶ。突然の降板に球場が騒然とする中でそのダミ声は殊更に響いた。
『5番・ファースト赤井くん――』
球場アナウンスにも若干ながら感情が入っている。
俺としてはどこかの放送部がボランティアでやっていることにプロフェッショナルを求めるつもりは毛頭ないし、むしろ大歓迎な演出だ。
この打席で決まる――小さな感情はそんな雰囲気を醸し出すための良いスパイスになる。何より往年の「代打八木」コールのようで格好良い。
俺は灰塚メモの4枚目をちぎった。
千大投手陣『誰よりも君が好きだ』の4番手・鋤田さんを倒すために練り上げた必殺のラストオーダーがここにはある。
「ねえミズハイくん。鋤田さんを倒すにはどうすればいいのかしら?」
「うーん。これといって特徴が無いみたいだからね。チームの精神的な支柱らしいけど実力は君沢さんだろうし、シューシンって変化球に気をつけるくらいかな」
氷野と水走が『野球ボーイ』を片手に鋤田さんを語っているが、灰塚さんによれば鋤田さんの特徴は投げっぷりにあるらしい。
どんな状況でもしっかり腕を振って投げられる。メンタル面の強さはどのような競技でも大きな武器になるものだ。
この1死2塁のサヨナラのピンチにおいても侮れない相手となるだろう。
マウンドの鋤田さんはメガネをかけているので余計に気が強そうに見えた。ただ『野球ボーイ』に載っている素顔の写真を見るかぎりでは心の優しそうな人だ。
そんな彼を倒すためにはどうすればいいか。一言で言えば――ボーク狙いだ。
「……プレイ!」
アンパイアが試合再開を告げた。マウンドの鋤田さんはヘンテコなフォームでボールを繰り出す。
対する赤井は1球目から勝負を仕掛けた。
「あのバカ!」
末広が声を荒げる。
初めて見る投手に1球目から打ちに行くなんてアホのやることだからだ。本当ならしっかりと相手の球筋を見極めて後続にも見た感じを伝える義務がある。また作戦の面でもボークを狙うために彼には出来るだけ球数を稼いで欲しかった。
だが赤井は打ちにいった。それは明らかにセオリーから外れる行為だ。だからこそ相手も若干ながら甘い球を投げてしまったのだろう。あるいは制球にはこだわらない投手だったのかもしれない。
今となってはもうわかりようがない。
身長・体重ともに女子中学生レベルの赤井が振り抜いたところで……本来なら大きく飛ぶはずがなかった。
しかし今は夕刻だった。風向きは右打者の背中を押し、ボールをより遠くまで運んでいく。
もはやセンターのフェンスを越えようが越えまいが『結果』が変わらないとわかった時点で――一番に水走がグラウンドに駆け出した。
続いて北口と三住先輩がベンチ前の段差を飛び越える。後には大東や末広も続く。キャプテンはすでにネクストサークルからホームの前まで走っていた。
もちろん、俺も走った。
まず2塁走者の今津先輩をみんなで出迎える。
そして殊勲打の赤井には日頃の軽口の恨みを込めて、何より決めてくれたことへの感動を込めて、思いっきり殴打をくれてやった。
「いたっ、ちょっと、なんか強くないか! おい!」
輪となり球となり一まとめに抱き合うチームメイトたち。
やがてキャプテンが大空を指差したのでみんなもそれに従った。
上へ行けた。今まで目指してきたところに行けることになった。
それが、それだけが、ただただ嬉しくて嬉しくて……そして、そんな晴れやかな表情たちの中で……水走の顔が一番に輝いていた。
× × ×
夕方から夜になる。
試合は昼に始まったから、随分と時間が経っているわけだ。
気温もゆっくりと下がりつつあり、サヨナラホームランの興奮でテンションが上がっていた俺たちも式典が終わった頃にはすっかりクールダウンしていた。
「……カットのやりすぎで手がしびれた?」
「らしいわよ。さっきネットニュースに上がっていたわ」
バスの中で氷野からスマートフォンを渡される。
記事によれば君沢さんは9回表の2死満塁のチャンスにおいて「呉羽投手の投げた8球を全てファウルにカットした」影響で利き手にしびれを覚えていたらしい。
なので、もっとも恐ろしい水走を抑えた時点で鋤田さんに交代したのだとか。これが結果的に赤井のサヨナラを呼ぶことになった。
「そうか、キャッチャーの丸さんに手がしびれるから打たないって言い訳したせいか」
「どうしたの?」
「いや別に何でもない。予期せぬことで策士扱いされたんだなって」
俺は氷野にスマートフォンを返す。
言うまでもなく別にカットさせるために際どいボールばかり放ったわけではない。空振りさせるために釣り球を多投したまでの話だ。
最後の大暴投まで狙ってきたあたり君沢さんには本当に選球眼が無いのだろう。だから手がしびれたにしても相手の自爆であって俺の作戦では決してない。
「でも俺のボールってそんなに威力あるかな?」
「私にはわからないけど、やっぱり日々の努力の賜物なんじゃない?」
「…………そうか」
素面で褒められるとさすがに照れる。
日々の努力か。作戦を考えている分だけ練習量には自信が無いんだけどな。
その作戦も準決勝までは多少なりとも役に立ってきたけど、決勝については4つのオーダーを作ったところでほとんど役に立たなかった。
まあ千大一高の選手たちはみんな隙が無かったから当然かもしれない。
そして、これから先に甲子園で戦う対戦校は、彼ら以上に隙の無いチームばかりとなるだろう。きっと小手先だけではどうにもならなくなってくるはずだ。
多くの運と練習に裏打ちされた実力が絡んでくる。
「……水走は、もう投げられないのか?」
思わず尋ねてしまった。
マウンドには1人しか立てないのに、他の投手に大きく頼ってしまうなんて投手のプライド以前の問題だ。もう投手たる者の資格が無いと言ってもいいかもしれない。
「別に投げられるよ。だましだましなら」
「だましだまし?」
「さすがにこれだけ投げてくるとね。肘がもう……あの時と同じ匂いがするんだ」
水走は悲痛そうな顔をする。
腕がちぎれるような痛みだったか。こいつの性格を考えると無理をできる範囲なら投げているはずなので、めちゃくちゃに厳しい状態なのだろう。
ならば。彼女にも尋ねてみるとしよう。
「おい氷野、もう水走は治せないのか?」
「……わからないわ。でも一つだけ言わせてもらうなら」
「もらうなら……?」
「1年くらい休ませたら大丈夫なんじゃないかしら。治すのにも休養は必要なのよ。大体せっかく治したのに傷口を傷つけるようなことばかりしたから悪化したんだし」
氷野の言葉に水走共々あっけに取られる。
そうか。そういや治したばかりだったんだ。
なのに無理に投げさせたから、また壊れかかってしまっていると……でも水走は氷野のために投げてきたんだから、お前だって原因の一つなんだからな。全面的に頼ってきた俺たちが悪いのはわかっているけどさ。
「というか1年も待ってたら、その間は誰が投げるんだよ」
「そんなの、あんたしかいないじゃない。良かったわね。エース復帰おめでとう!」
「いやいやいや!」
こっちにもたれかかってくる氷野を押し返す。水走が羨ましそうにしているけどそんなのはどうでもいい。
「なにが嫌なのよ。そんな反応だと自信なくすじゃない……」
「あ、いやそうじゃなくてさ……これから先の甲子園本大会はどうなるんだよってことだよ! さすがに打たれるに決まってるだろ! 俺なんかじゃ!」
「「………………」」
バスの中が静寂に包まれる。
千大一高は投高打低のチームだったけど、大体の強豪校は強烈な打線を従えている。例えるなら江袋高の綿引さんがウジャウジャいるような……俺は全国放送される甲子園の本大会で晒し投げをしている自分の姿を想像した。
天下の大阪大会から出てきた学校が。
1回戦もまともに戦えずに、テレビ中継で晒し投げ。
「アハハ。多分、一生の語り草になるだろうね!」
「うわあ……うわああ……」
バスを運転する灰塚さんからの言葉で俺はうなだれてしまう。近い未来にやってくる悲惨な光景。しかし今のままでは逃がれようがない。
これが実力もないのに甲子園を望んだ結果なのか。
だんだん悲しくなってくる。
「もうバカね! 始まる前から悲しんでどうするの!」
「でもさ……もう無理だよ……」
「無理じゃないわ! あんたにはこれがあるじゃない!」
氷野が丸めた紙くずを投げつけてきた。
丁寧に開いてみると、例のオーダーが書かれたメモだった。どうやらちぎるたびに捨てていたものを回収してくれていたらしい。
「いやいや、作戦だけで水走の穴を埋められるかよ……」
「全くもう融通が利かないわね! あんたもここ2ヶ月で人を使うのにも慣れたでしょう。こういう時こそ言いだしっぺの私を使うくらいのことをしてみせなさいよ!」
「氷野を使うってどういうことだよ」
よくわからない。いつもマネージャーとして色々と手伝ってくれているのはありがたいけど彼女に特別な能力があるわけではないし、目の保養としても使い勝手は微妙なところだ。
「例えば……そうね。こう使うのよ!」
「ぶへっ!?」
いきなり顔が近づいてきたかと思ったら、あっさり唇を奪われた。
ますます意味が分からない。あと初めてなんだけど責任取ってくれるのかな。それと長くなってきたからそろそろ離れて欲しい。さすがに恥ずかしいし。さほど嫌ではないけど衆目には耐えがたい。
灰塚さんまでバックミラーでこっちを見ているじゃないか。
ついでに水走の人を殺しそうな顔まで見えてしまった。ひえええ。
「プハッ、ふう……ミズハイくん!」
「は、はい!」
氷野は顔を紅くしながら、後部座席の水走を指差した。
「私を甲子園の決勝まで連れていってくれたら、あなたにも同じことをしてあげるわ!」
水走の左腕が治った。




