12 依本のメンタル強い! 遅球リリーバーとの全力対決
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まずは読者諸兄に感謝したい。なぜかといえば、先月号の『誰よりも君が好きだ』の記事が非常に大きな反響を得られたからだ。おかげで筆者の懐も多少暖まった(笑)。
暖まったといえば、球児たちの心はすでにアツアツとなっている。2カ月後に甲子園の土を踏むため、球児たちは努力を惜しまず鍛錬に励んでいる。
それは「彼ら」もまた同じであった。
先日、編集部の命令で再び千里大学第一高校にやってきた筆者は、念願叶って『誰よりの君が好きだ』の4人から話を聞くことができた。ついでに写真も撮っておいたので女性ファンの皆様には喜んでいただけるだろう。
では、さっそくインタビューの内容をお送りしたい。
――4人はいつ頃から野球を?
垂野 すみません。練習があるので行かせてください。
依本 通らせてください。
君沢 ボールを返してくれませんか。
鋤田 どこの人ですか。
やはり強豪校。どの子も練習熱心である。筆者は監督から許可は取ってあると方便を告げ、どうにか彼らをベンチに座らせることに成功した。写真はここで撮ったものだ。
――4人が目標とする選手は?
垂野 山田久志(阪急)投手です。
依本 星野伸之(阪急)投手です。
君沢 山口高志(阪急)投手です。
鋤田 今井雄太郎(阪急)投手です。
彼らの言葉を聞いて、往年のブレーブスファンである筆者は大いに喜んだ。たしかに彼らのプレースタイルは阪急投手陣のそれによく似ている。
アンダースロー、緩急の使い手、速球王、変な投げ方。
今では跡形もなくなってしまった阪急ブレーブスの面影に筆者の心が熱くなった。
(雑誌『野球ボーイ』6月号より抜粋)
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『千里大学第一高校、選手の交代を申し上げます――』
『9番・ピッチャー垂野くんに代わりまして、依本くん――』
ウチの打線に2本もホームランを打たれたからか、元々キリのいいところで代えるつもりだったのか。
1点差で迎えた6回裏。千大一高は早々と『誰よりも君が好きだ』の二番手・依本さん(3年)をマウンドに投入してきた。球速は130キロ前後ながらもスローカーブを組み合わせることで数字以上の活躍をみせる好投手だ。身体の細さは往年のトレンディエースを思わせた。
エース級の投手を4人擁する強豪校だからこそできる贅沢な継投策だが、俺たちとしては千載一遇のありがたい話である。
なにせゴロ狙いに切り替えてきた垂野さんは、ほとんど打てる気のしないスーパーエースだった。ひたすらにゴロと凡フライばかりが続き、1人の出塁すら叶わなかったのである。
このままでは勝てないと思われた時の投手交代。まさに恵みの雨だった。
「……で、次は何をするのかしら?」
「言わぬが花だよ。きっと呉羽くんならすでに手を打ってあるはずさ」
心底ワクワクした様子で俺の顔を覗き込んでくる氷野と水走。
はっきり言ってこの2人が「やれ」といったからやっているだけで、別に生まれつきの策士でもない俺としては非常に心が重たい。ベンチのみんなも楽しみにしているみたいだけど、やめて欲しい。こんなのは元より成功したら上々くらいでちょうど良いんだから。
やはり投手たる者はマウンドの上でのみ期待されたいのである。
「ミズハイくんならどうするの?」
「そうだね。依本さんはスピードより球の緩急で攻めてくるタイプだから、やっぱりさっきと同じで狙い球を絞っていくべきじゃないかな」
「なるほど……さすがミズハイくんね!」
二人の会話に俺は首を振る。
「そんなチンケな技は使わねえよ」
俺は灰塚メモの2枚目をビリリと破った。今回はズバリ定番。
例によってメンタル攻めだ。
『2番・セカンド大東くん――』
バッターボックスに先頭打者の大東が立つ。
チームでも有数のエラー男だが、今日は1つもエラーを見せていない。一方でヒットも打っていないので今のところ良い所なしだ。
「おい! 依本! この遅球王!」
そんな彼に思いっきり相手の悪口を叫んでもらう。
依本さんは球が遅いかわりにエグいスローカーブを持っている。ならばストレートの遅さをバカにしてストレートばかり投げてもらおうというわけだ。
これまで何度もやってきたメンタル攻め。
伏月の保田久さんに始まり、朝陽寺の坂下さんにもぶつけた覚えがある。相変わらず気は進まないながらも、ウチのチームにとってはもはや定石の戦術だった。
しかしながらこの十八番も今日ばかりは相手が悪かった。
大東の発した悪口にざわつく場内。
マナー以前の話なのでアンパイアからは当然のように注意を受ける。
だがそれ以上に……スタンドに詰めかけた女の子たちが燃えてしまっていた。
「おまえー! 依本くんになんてこといってくれてんのよ!」
「死ね! くたばれ!」
「いらないのよアンタみたいなの! 絵面にいらない!」
怒涛の口撃に戸惑う大東。
あっという間に3球を投げ込まれて三振を喫してしまった。
『3番・キャッチャー今津くん――』
バッターボックスに向かう今津先輩と交代で、大東がベンチに戻ってくる。
彼は半泣きになっていた。
「うぐっ、女の子にあんな酷いこと言われたの……初めてだぞ……」
「どうやらあんたのいつもの手は喰わないみたいよ。どうするの?」
大東の背中を撫でてやりながら、氷野はこちらに鋭い目を向けてくる。
「うーん。もはや球場は完全にアウェーだしな」
「そうだね……」
どうにかならないか水走と相談してみるも、咄嗟に良い手は浮かんでこなかった。
そうしているうちに今津先輩が追い込まれていたので、慌てて水走もヘルメットを被ってネクストサークルへと走っていく。
「……ミズハイくんがホームランを打てば少しは鎮まるかしら」
「そう願いたいところだな」
「あんたさ、他に作戦はないの?」
「悲しいことに無い。正直依本さんは良い投手だよ。垂野さんみたいな隙が見当たらないから攻めにくい上に『勝負のやり方』を心得ているみたいだ」
だからこそ俺は定石に手を出すしかなかった。他に打つ手が無かったのだ。
「ットラー! バッターアウッ!」
氷野と2人で話している間に今津先輩も三振に切ってとられる。
80キロのスローカーブの後に突っ込んでくる130キロのストレートは先輩曰く「保田久の速球より速く感じた」そうだ。かといってストレート1本に狙いを絞ろうにも、似た軌道のフォークボールに翻弄されて上手くいかないらしい。
まさに職人芸のごとき投球術。
だが、水走はまたしてもやってくれた。
低めに決まりかけたスローカーブを強引に振りぬき、今度はレフトスタンドに一直線。
約束の2本目だった。
愛の力ってすごい。俺は氷野とハイタッチしつつ、打のヒーローを出迎えた。
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水走が打ってくれた2本目でウチのチームはようやく追いつくことができた。
6回が終わって3対3。数字の上では希望のある展開だ。
しかし内実は違う。決して口にはしないが彼我の戦力差はあまりにも大きい。こちらには控え投手が2番手の呉羽しか残っていないのに対して、相手はまだ2枚もエースがいる。
特に3番手の君沢。あれは本物の化物だ。
藤川球児、伊良部秀樹、五十嵐亮太、与田剛、江夏豊。古今に速球王は多くいるがアレは阪急の山口高志に近い。3日前から振らないと当たらないと称されたあのストレートだ。
単純なスピードでは伏月の保田に劣るかもしれないが、球質はたぶん君沢が上だろう。ウチの教え子たちはバットにカスリすらしないのではないか。
「どうにかせえ、呉羽ァ!」
元エースにハッパをかけておいた。単純な戦力差で敵わない分を補えるのはおそらくこいつの作戦だけだ。
だから2年生の三住を先発させたわけだが、こっちはこっちでよく持ってくれていた。被安打こそ積み上げながらも初回の3失点を除けば無失点。北口・深野・平野の好捕などラッキーもあったが褒めてやりたい。
とはいえ9回までは持つまい。自分は寺川に投球練習しておくよう告げた。
(鴻池監督の日誌より抜粋)
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敗退行為じゃないの。思わず氷野がこぼした言葉に全てが詰まっていた。
7回表。マウンドに上がったのはショートのキャプテンだった。
わからない話ではない。肩が強いから投手も兼ねる。高校野球ではよくある話だ。かの鳥谷敬選手や中村紀洋選手も高校時代には内野手の傍ら控え投手をやっていたと言われる。
でもキャプテンは今まで投球練習すらしてこなかった。お遊びで変化球を投げていたことはあってもまともな練習はしていない。
そんな人より俺は投手として劣る扱いなのか。怒りすら超えて呆れてしまう。投手たる者のプライドはもはや破砕寸前だ。
「……鴻池監督」
「わしも投手やから言いたいことはわかる。ただ一つだけ言っとくぞ、呉羽」
「はい」
「もしお前が打たれたら……他に誰が投げるねん」
ポンッと帽子の上から頭を叩かれる。
ああなるほど。
何となく納得しかけたその後ろで、マネージャーの氷野が声を張り上げた。
「そんな……キャプテンが打たれて負けたら元も子もないじゃないですか!」
「ええか氷野。とっておきの切り札は最後まで取っておくもんなんや。出し惜しみするんとちゃう。わしはまだ勝負を諦めてへん。やけど勝負を仕掛けるのは今とちゃうはずや!」
いつになく語気を強める監督。
その背後には焦りのようなものが窺えた。監督なりに何かしらの危機感を抱いているのだろうか。一応同点まで追いついたのに変な話だ。
ちなみにキャプテンはわりとあっさり千大一高打線を抑えてみせた。
相手が下位打線だったこともあるが、結局ボロボロの三住先輩から3点しか取れなかったような連中なので元より打撃面の実力が足りないのだろう。
しかしだからといってキャプテンを登板させた意義は俺にはわからない。空いたショートには控えの谷川先輩が入っていたけど、正直見ていてハラハラした。どうしてこんなギャンブルに手を染めたのやら。
「ハラハラしただろう……呉羽くん」
「いえそんな。公式戦デビューおめでとうございます」
「まあ、もうないだろうね」
谷川先輩はグローブを片手に貧相な笑みを浮かべる。守備機会は無かったが幸せそうだった。やはり球児はグラウンドに出てこそ輝くものらしい。早く俺も出たい。
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7回裏も引き続き依本さんが登板した。手元の雑誌によれば元阪急・阪神の星野伸之投手に憧れているらしい。
彼のストレートとスローカーブが生み出す『緩急』に対応できず、ウチの打線は6番のキャプテンに始まり、7番の北口までもが連続三振に終わってしまう。
圧巻の2者連続三振に球場は大いに沸いた。女性ファンのみならず一般の観客も拍手喝采。ここぞとばかりに千里大学の応援団が華やかにメガホンを打ち鳴らし始める。
「……アカン。呑まれる。代打や!」
ここで監督は8番打者の平野に代打をコールした。
打席に向かうのは、さっきからちゃっかり準備をしていた伝令係の末広。
さっきの谷川先輩といい、こいつといい、まるで決勝まで来られた記念に試合に出してやる人情味あふれる采配――『思い出代打』のようである。
おっといかんいかん。
チームメイトをそんな風に扱うなんて良くない。
投手たる者は味方の守備に支えられていることを肝に銘じないといけないのだ。あるいは多くの人に支えられて試合をしていることも自覚すべきだろう。
プライドは大事だが、天狗になってはいけない。
『8番・ライト平野くんに代わりまして、末広くん――』
ドスドスと緊張した面持ちで打席に立つ末広。
中学時代に1年間だけ野球をやっていたという、未経験者と経験者のグレーゾーンにいる男だ。1年生の中では足が速い方なので代走兼伝令役に抜擢されている。一方で打撃の方はからっきしだった。目をつぶって打った方がいいくらいにバットに当たらない。
「ん? 目をつぶる……?」
「どうしたんだい?」
「いや……少し良い手を思いついた」
ふち思い立ち、俺はベンチから打席の末広に指示を送る。指示にサインを設定していないので身振り手振りだ。とりあえず彼には目をつぶってもらいたかった。
末広からの返事はハクツル・マル――「OK」。
よし。いたずら成功。
これが上手くいけばスタンドの女性ファンから気取られずに、依本さんを怒らせることができる。名付けて『目をつぶっていてもお前の球なんて打てるんだぞ作戦』だ。
投手たる者はとにかくプライドの塊だから、きっと依本さんも乗ってくれるはず!
「ストラッ! バッタアウ! チェンジ!」
ジトッとした目で帰ってくる末広に、俺は頭を下げた。
ううむ。どうやら依本さんにはメンタル攻めが効かないらしい。まるで制球が歪むこともなく、激情してストレート1本で勝負してくることもなく。
何やらプロフェッショナルの片鱗を見たようで、俺は少しため息をついてしまう。
こうなったら……もう正攻法で戦うしかないんだろうか。
一応ここまで対等に戦えているわけだし、水走のホームランを期待しながら地道に相手を抑えていけばギリギリで勝てるような気がしていた。
なお、続く8回表にもキャプテンが登板したが、特に困るようなこともなく上位打線を4人で切ってとった。どうも水走がベンチで教えたらしいスライダーが威力を発揮したようだ。あいつにはどこまで才能があるんだろう。




