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11 水走登板せず! 取られたら取り返せ!

 15時00分。

 定刻通りに始まった千里大学第一と中垣内商業の決勝戦は、思わぬ伏兵の登場により1回表から波乱を呼んだ。

 伏兵と言っても、初めから鴻池監督はそうするつもりだったようで、相手と交換したメンバー表にもその名は書かれていたのだが――いかんせん電光掲示板に名前が表示されるに至ってもなお、チーム内外の動揺は収まりそうにない。

 かくいう俺もベンチで控えの選手たちと目配せを繰り返していた。

 いったい何が起きたのか?


 8深野 (1年・センター)

 4大東 (1年・セカンド)

 2今津 (2年・キャッチャー)

 7水走 (1年・レフト)

 3赤井 (1年・ファースト)

 6寺川 (2年・ショート)

 5北口 (1年・サード)

 9平野 (1年・ライト)

 1三住 (2年・ピッチャー)


 そう。まさかの先発・三住先輩である。

 エースの水走は4番ながらレフトで出場。

 連戦で疲労した肩を休ませるために登板を避けたのだろうか。

 別に納得がいかないわけではない。どうして俺じゃないのかなんて心にも思わない。千大一高を相手に投げたいと志願できるほど俺はまだ投手ではないからだ。

 ただ少なくとも正攻法ではなかった。

「……言うなよ、呉羽」

「は、はい?」

 いきなり監督に話しかけられて鼓動が跳ね上がる。もしや不満が顔に出てしまっていたのだろうか。どうしようまだ来年も再来年もチームはあるのに。

「何も言うな。ここは一つ、三住の右腕に託したれ」

 そのくぐもった声は、ただただマウンドに向けられていた。


『1回表、千里大学第一高校の攻撃は――』

『1番・センター車戸くん――』


 マウンドの三住先輩は丁寧にボールを投げている。

 元々彼はこのチームのエースだった男だ。俺たちの世代が入ってくる前の連合チームでも主戦投手を務めていたと聞かされている。

 とはいえ、現状水走がエースで、この俺が二番手であることからもわかる通り、あまり野球というか運動そのものが上手い人ではない。

 特にフィールディングがダメダメで、センター返しのような速い打球が飛んでくるとまともに反応できず、球を取り損ねたり、身体にぶつけてしまうことがしばしばだった。

 去年は練習中に怪我をすることも多かったそうだ。2年の今年からレフトに回されたのもそういった事情が影響しているらしい。

 ただ俺と比べて球は速いので、曲がらない変化球と守備さえなんとかすれば再びエースの座にカムバックできるはずだった。実際監督が1年坊主である俺をエースに抜擢したのも三住先輩の奮起を促すためだったんじゃないかと今では思う。

 しかし、6月の水走の加入によりその話も水の泡と消えてしまった。


『2番・レフト清水くん――』

『3番・ファースト小室くん――』

『4番・セカンド酒井くん――』


 おっと他人の事情ばかり考えてはいられない。

 投手たる者、常在戦場の心持で試合を見ていなければ。

 千大一打線は立て続けの3連シングルヒットであっという間に2点をもぎ取ってしまった。全てセンター前に転がっていったゴロ系の打球で、案の定三住先輩は一つも拾うことができなかった。

「がんばれー!」

「せんぱーい! 気負わず! 気負わず!」

「ファイトォー!」

 控え連中や氷野の声援に三住先輩は小さく手を振って答える。仕草が可愛い。

 しかし初回から2点は大きいな……なにせ相手チームは『誰よりも君が好きだ』を擁する投手王国だ。どれほどの実力なのかはよく知らないけど、灰塚さんのメモによれば『相当ヤバい』らしいので、はたして打って点差を埋められるか。

 さらに言えば無死1・2塁とピンチはまだ続いていたりする。

 こうなってくるとベンチの俺にできることは祈ることだけだった。相手の打球がショートの真正面に飛んでいきますように。インフィールドフライで1アウトくらい取れますように。


『5番・サード村中くん――』


 は、フォアボール。これで無死満塁。

 三住先輩、球威はあるのに力んじゃっているなあ。

「……あんたさ、作戦とか無いの?」

 しびれを切らした氷野がポソッと話しかけてきた。

「ごめん。守る分には用意してない。特別すごい打者もいないはずだから抑えられると思っていたんだ」

 水走ならという言葉は呑みこんでおく。

 投手たる者、いたずらに同業者を晒すようなことは避けるべきだ。俺だって強豪校相手にまともに投げられるような自信は無い。むしろマウンドの三住先輩は立派だ。ノーコンだけど俺のように逃げのピッチングをしていない。力んではいるけど。

「だから祈るしかないよ。先輩のために祈ろうぜ」

「それは現実逃避だわ。そりゃ千大一高が打撃のチームではないとは雑誌にも書いてあったわよ。でも少しは考えておきなさいよ。ウチは水走くんだけのチームじゃないのよ!?」

 黒い帽子の下で彼女の両目が不安に揺れている。

 このままでは負けてしまうと危機感を抱いているのだろう。

 だが案ずるなかれ。守る分には水走を想定していたので考えていなかったが、攻める分にはいくつか考えてあったりする。

 何より水走はむざむざ『エースの役目』を放棄する奴ではない。

「……大丈夫だ、氷野。あいつはきっと昨日の約束を守るよ」

「バカね。あの時点でちょっとは察しておきなさいよ。投手が本分なのに打撃で誓いを立てるなんて、変な話だったじゃないの」

 ぶんぶんと頭を振る氷野。二つくくりがつられて揺れる。

 ああそうか。だから水走はホームラン4本を誓ったのか……。

 つまりあの時にはもうあいつの登板回避は決まっていたわけだ。監督も氷野もケチだなあ。ちゃんと教えてくれればいいのに。


『バッターは――』

『6番・ライト林くん――』


 まだ1回表なのにもう6人目まで打席が回っている。しかもノーアウト。

 三住先輩は一つ息をついた。

 打席の林さんは犠牲フライを狙っているのか多少大振りだ。小柄な選手だが筋肉質なので当たれば飛びそうといったところ。

 もちろんスタンドに入れば一挙4点となる。となれば6点ビハインドとなり敗戦は決定的になってしまうだろう。

「…………負けたくないな」

 口から本音が出てきた。とても失礼な本音だ。でも本音だった。

 負けたくない。

 氷野が、水走だけのチームでないと言ってくれるのなら――俺としてもそれに応えたい。

 水走が、エースを「勝利に導く者」と規定しているのなら――俺はあいつを越えてチームのエースになりたい。

 投手たる者。大望は常に抱いている。

 投手たる者。常にマウンドを欲している。

 投手たる者。常に自分が一番だ。


「……監督! 俺が投げます!」


 言ってやった。

 言ってしまったぞ。

「呉羽。何も言うなって言うたやろ……」

「大丈夫です。水走の助けは借りません。9回まで投げます!」

 ありがたいことにここに至るまでほとんど投げていないので俺の右肩はまるで疲労とは無縁だ。9回を投げるなんて中学以来だけど多分どうにかなる。

「……アホタレ。なんで三番手のあいつに投げさせたかよう考えぇ」

 俺の不作法な『要求』に鴻池監督は奥歯をギッと噛みしめていた。

 怒っているわけではなく、むしろ困惑しているような表情だ。練習の時から試合中までずっと厳しい監督の、こんな表情は今まで見たことがない。

「どういうことですか?」

「……わしも少なからずお前の作戦には期待しとるってことや」

 帽子を取り、監督は若干恥ずかしそうに白髪を掻く。

 ただその目はマウンドで首を振る三住先輩に向けられている。

「水走は事情があって投げさせられへん。三住と呉羽なら実力に大きな差はない。その上でベンチから参謀役が抜けたら上手いこと試合が回らへんやろ?」

「………………」

「やから、三住ィ! どうにかこらえんかぁ!」

 声を張り上げる鴻池監督。

 俺はなんだか面映ゆいのような悔しいような。

 不思議な気分になった。

 もしかすると初めて監督に褒められたかもしれない。

 ただ投手失格と言われたような気もして、そのあたりは複雑だった。

 投手たる者、やはりベンチよりはマウンドに立ちたい。


     × × ×     


 1回表が終わったのは試合開始から30分後だった。

 あれからどうにか犠牲フライ1本で切り抜けてくれた三住先輩は、久しぶりの登板にすでに疲労困憊のご様子で、氷野から受け取ったドリンクを美味しそうに飲んでいる。

「ええかお前ら! 取られた分だけ取り返す! 野球は点を取るゲームや!」

「はい!」

 全員に声をかける監督。チームのみんなも力強く返事をした。


 しかしながら――なかなかどうして思い通りにいかないのが野球の常である。

 3点を先取した千大一高に対して、ウチの打線は1回から4回をパーフェクトに抑えられてしまった。一度も塁に出られず、ただ凡退を繰り返したのだ。

 さすがは『誰よりも君が好きだ』の一番手・垂野さん(3年)。

 足立光宏を彷彿とさせるアンダースローから投じられる130キロのシンカーはさすがの水走も初見では打てなかった。加えてカーブまで投げてくるから、他のウチの打者なんてもう相手にもならない。

 だが水走はやってくれた。

 5回裏に訪れた2打席目。高めから落ちてくるシンカーを振り抜き、打球はスコーンと逆風を切り裂いてライトスタンドにイン。

 約束の1発目である。

「やったよ、氷野さん」

「……ここからあと3度も打席が回ってくるのかしらね」

 抱擁を求める水走に辛辣なコメントを告げる氷野。

 見れば後続の赤井はシンカーにくるくるとバットを回されていた。当たり前だが水走一人が頑張ったところで他の8人が凡退続きなら早々打席なんて回ってこない。

 水走は苦笑しつつ、

「なあに呉羽くんがどうにかしてくれるさ」

「おいおい無責任だな!」

「そうとも。君に譲ってあげてるんだ!」

 そう言って、ポンと俺の背中を叩いてくる水走。

 うーむ。水走といい鴻池監督といい、どんどん俺の責任が積み上げられている気がする。

 いくらチームを勝ちに導くのがエースとはいえ、勝敗の責任を全て押しつけられるのは勘弁してほしい。

「千大倒せーぶっ倒せー♪」

 とはいえ他人から頼られて悪い気は一切しないので、俺は上機嫌で『灰塚印のマル秘メモ』に手を伸ばした。

 打順も1順したくらいだから、そろそろ仕掛けるべき頃合だろう。

 中島みゆきではないが「ファイト!」と大きく書かれた最新版メモには、イケメン軍団と戦うための秘策がズラリと並べられていた。

 どれもこれも灰塚さんと夜なべして作ったオーダー(作戦)の数々だ。

 その数、全部で4枚。

 相手投手の人数と一致しているのは偶然ではなく、それぞれ1人ずつに対応している。

 これら4枚のカードをもって俺は『誰よりも君が好きだ』に立ち向かうつもりだ。

「あら。今回はリングタイプのメモ帳なのね」

「まあな。そろそろみんなも垂野さんの球に慣れてきただろうから、一つやってみるとするか」

 俺はメモ帳の1枚目をちぎり、その内容をネクストサークルで素振りしていた6番のキャプテンに告げてみた。さらに後続のバッターたちにも強制しない程度に話しておく。

「で、あんた何をするつもりなの?」

「おまじないだよ」

「まじない? 少女趣味?」

 ピンと来ない様子の氷野だが、ぶっちゃけ今のうちから偉そうに説明しておいて失敗なんかしたら大恥なので、内容については上手くいってから話すつもりだった。

 投手たる者がプライドを守りたがるのは、もはや天下の理なのだ。


『6番・ショート寺川くん――』


 5番の赤井があえなく三振に終わり、キャプテンが打席に入る。

 スーパールーキー水走のせいで霞んでこそいるが、このキャプテンも相当の実力者だ。ボロばかり目立つ他の内野陣とはまるで異なり、強肩堅守でしかもそこそこ打てる。

 聞くところによれば新設の中垣内商業に入ったのも、某有名校に誘われていたにも関わらずあまりにも学力試験の結果が悪かったからだとか。

 今でもたまに補習に呼び出されていたりするのでこの話には信憑性がある。当の本人は否定しているけど。

 さて、イケメン軍団を倒すための第一の作戦に話を戻すが――灰塚さん曰く「4人の中でもっとも容姿が良くないが故の目立ちたがり」である垂野さんは、今大会を通じて妙に奪三振にこだわる傾向があった。

 データによれば毎試合6から7イニングで10程度の三振を取っており、18アウトのうち10奪三振というのは球速の遅いアンダー投手としてちょっぴり奇妙だった。

「本来なら下手投げのピッチャーはゴロを狙う人が多いよね」

 防具を外した水走が隣に座ってくる。

「ブレーブスの大エースばりに速球を投げられるなら別だけどな。アンダースローはスピードが出ないから空振りを取りにくい。だからゴロ狙いの低め中心になるのは利にかなっているはずなんだ。だけど垂野さんは三振を取りにくる」

 そう言って、俺はメモの1枚目を水走に手渡した。

 水走はニコニコ笑顔で読み込み始める。

 投手としてマウンドに立てていないにも関わらず、いつもより楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。

「なるほどね。変化球は捨てて三振狙いの高めの速球だけを狙わせるつもりなんだ」

「曲がりの大きな変化球とのコンビネーションで多少速く感じるだけで、速球だけに焦点を絞ればきっと狙い撃てるはずだ。他はみんな無視してくださいと伝えておいたよ」

 水走に対して、ある程度の説明を終える。大体そんな具合の作戦だった。

「ふーん。何だかいつもより普通過ぎてつまんないわね」

「なっ!?」

 これでも必死で考えたのになんてことを言いやがるんだ。というか結果が出るまで教えないつもりだったのに、氷野はどうして聞き耳を立てているんだよ。そんなに不安なのか。

 彼女とベンチで取っ組み合いになりかけたところで、カキーンという金属音がグラウンドから聞こえてきた。

 ゆっくりと歩きだすキャプテン。

 あの独特の歩き方には見覚えがある。俺はチーム内の紅白戦で何度も見てきた。

「よっしゃぁ! 2連発!」

「キャプテン、ナイバッチー!」

 そう。あれはホームランを確信した者だけが味わえる偉大なる徒歩。

 バット投げと同じく並の打者には経験できないお遊びだ。

「……ちぃっ!」

 垂野さんが地団駄を踏む。女性ファンの応援には笑みを向けつつも口元が引きつっていた。有名な水走はともかくキャプテンなんかに、といった心境だろうか。

「キャプテン、おめでとうございます!」

「いやいや。お前の言った通りで良かったよ、呉羽」

 キャプテンをハイタッチで迎える。

 チーム2本目のソロホームラン。

 良かった良かった。読み通り上手くいった。これでスコアは2対3の1点ビハインドだ。

 もっとも、このホームランはあくまでキャプテンに技術と力があったからこその結果なので、後続に同じことを期待するのは少し可哀想だなと感じなくもなかった。

 相手チームも多少の対策はしてくるだろう。

 なにせ相手は府下随一の強豪校。油断も隙も禁物なのである。

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