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1 水走登場! 呉羽道弘・大ピンチ!

 5月。地方大会に向けての練習が山場を迎えていた頃だ。

 あいつは「期待の新人」として我が中垣内商業高校のグラウンドにやってきた。

「中学まで野球をやっていたそうよ!」

「ほう」

 この俺にわずかながら期待を抱かせる台詞。

 マネージャーの氷野朋子は高揚感に満ちた表情で話を続ける。

「守備位置は投手。あんたと同じになるわね。エース呉羽にライバル登場かしら?」

 彼女はガンッと肩甲骨に肘打ちを食らわせてきた。

 地味に痛いが、表情に出さないよう努める。

 投手たる者、常にポーカーフェイスでなければならない。

「ふん。よせよ。俺はエースなんてガラじゃないさ」

「まあ、そうよね。あんた以外にまともな投手がいないから仕方なしのエースだったけど、ぶっちゃけあんたレベルの投手なんてどこにでもいるもの」

「なっ!?」

 ちょっと格好つけたつもりが、思ったより反撃が大きくてビックリした。可愛いマネージャーにそんな風に思われていたなんて。

 いかんいかん、調子が崩れる。

 投手(球場の支配者)たる者、常に格好良く振る舞わないと。

「ふん。別に俺はエースでなくても構わないさ。投手にとってマウンドは在るべき場所であって、立場なんてのは二の次なんだよ。それこそリリーフでも十分なんだ」

「新人くんがバリバリ完投できるタイプだったらどうするのよ」

 氷野のツッコミに対して、俺は返答を放棄する。

 ぐだぐだ言い訳したって格好良くないからね。

「で、その新人はどんな奴なんだ」

「気になってんじゃないの。そうね。実際に見たほうが早いかも。さっき深野くんに聞いたんだけど、これからグラウンドで投げてみるんだって」

 どこか含みのある笑みに、何となく波乱の予感がした。

 ちなみに深野くんはウチの部員の一人だ。守備位置はセンター。元は陸上出身でとにかく足が速く、将来性を見越してキャプテンから『前期緒方二世』の渾名を付けられている。赤星じゃないのはキャプテンが広島ファンだからだ。あえて前期なのは後期の緒方選手が打撃メインの選手だったから。

 ウチの野球部には一芸のあるメンバーが少ないので、意外と重宝されていたりする。他にはまともに走れない奴だったり、走れない上に守れない奴だったり、そんな部員ばかりだった。


     × × ×     


 氷野に手を引かれてグラウンドまでやってくる。

 端っこのブルペンで、キャッチャーの今津先輩が新参者のボールを受けていた。

「いやあ、先輩は身体が大きいのでやりやすいですよ!」

「そりゃどうも。俺の唯一の取り柄なもんでな」

 そう言って、今津先輩はマウンドの新参者にボールを投げ返す。

「またまた! キャッチングもすごいですよ!」

 快活な男の声がグラウンドに響き渡る。

 氷野によると、新参者は水走有也みずはいゆうやというらしい。

 ミズハイか……気をつけないと、つい誤読してしまいそうだ。

 ちなみに彼には名前以外にも稀なる特徴があった。

 高校生離れした巨躯である。まるでレスラーのごとくデカいのだ。

「ミズハイくんは身長185センチの体重85キロ。あんたのジュノンボーイみたいなヒョロイ身体と比べるまでもなく一級品の素材なんだから」

「で、でも技術では負けてないと思うぞ」

 言わずもがな、身体能力だけで野球はできない。高度な理解を要するプレーが多いスポーツなので、頭の良さだって必要になってくる。手先の器用さを求められることも多々ある。

 しかしながら、身体能力が高ければ高いほど有利なのも、また事実ではあった。身体だって大きいほうが良いに決まっている。小手先の技術なんてのは、あくまで「努力次第で差を覆せるかもしれない」というレベルの話なのだ。

 そもそも技術は後付けできるけど、大人になってから身長は伸ばせない。

 心の底でビクつきながらも、俺は水走の投球を見守る。

「じゃ、3球目行きます!」

 水走は元気よく声を出した。

 彼はセットポジションから、小さく右足を上げる。

 そのフォームは、じわーっと地の底を這うような、ゆるやかなスリー・クォーター。

 かなり前かがみになってから放たれたボールは、そのまま一直線を描き、ほぼ微動だにしなかったキャッチャーミットにズバッと突き刺さった。

「うわーなにあれーしゅごーい」

「あんた、いつもの猫かぶりが完全に外れてるわよ……ちなみにミズハイくんは中学時代にボーイズの全国大会で144キロを出したことがあるそうだから、それにこのコントロールとなると、もはや化け物よね」

 はたして男の格好つけを猫かぶりと言っていいものなのか、ちょっぴり疑問に思うところだけど、そんなことよりも。

 なぜ、そのような化け物じみた左投手がどうしてウチなんかに来ているんだ。

 悲しいことだが、ウチの野球部はレベルが高くない上に人数も少ない。

 学校自体が一年前に出来たばかりの新設校なのも手伝って、今年俺たちの世代が入るまでメンバーが9人揃わなかったくらいだ。

 そんなチームに、強豪校のセレクションさえ免除されそうな投手がやってきた。

 さらにそいつは、俺みたいな平凡な投手とエースの座を争うつもりらしい。

 そんなのスパルタとペルシャの戦争に、現役のアメリカ軍人を巻き込むようなもんだぞ。

「あっ! 氷野さん!」

 ピッチングを終えて、水走がマウンドからこっちに走って来る。

 近くで見るとやっぱり体が大きい。左腕の筋肉なんて丸太みたいだ。この筋力があってこそのあの剛速球なんだろう。でも中学までにウェイトしてるなんて珍しいな……あれって子供には良くないんじゃないの。

「やっほ、ミズハイくん。腕の調子はどうかしら?」

「バッチリだよ! おかげで1ヶ月ぶりにマウンドに立てたし、気分は最高だね!」

 その無邪気な笑みは、まさに野球少年そのもの。

 水走有也は左腕をぐるぐると回して、なにやら氷野にアピールしている。

「なあ、もしかして、水走って身体を壊してたのか?」

「いやあ、ほとんど絶望的だったらしいんだけどね。そこの氷野さんが、接骨院仕込みの秘術とやらですっかり治してくれたんだ。ホントビックリだよね!」

 氷野に話しかけたつもりが、わざわざ水走本人が返事をしてくれた。

 なるほど、そういうことだったのか。

 イランことをしてくれちゃって……なんて歪んだ思考は心の奥に捨て去る。

 俺は投手。相手も投手。

 お互いに球場の支配者を自称する者同士ならば、あくまで格好良く相対するべきだ。何よりこれから先、同じチームで一緒に切磋琢磨していく予定なのだから。

「そうか。それは良かったな……」

「うん! ところで、もしかして氷野さんが言ってたエースの呉羽くんかな?」

「そう呼ばれているのは否定しない」

「やっぱりそうなんだ。これからよろしくね!」

 そう言って、水走は握手を求めてきた。

「ああ。よろしくな」

 俺はちょっぴりトギマギしつつ応じる。

 ちなみに水走はかなりのイケメンで、線の細い美男にしっかり筋肉を付けたバランスの良い上半身をしていた。手の大きさだって俺の5割増しくらいありそうだ。

 イケメンで運動神経抜群なんて少女漫画の世界にしか存在しないと思っていたけど、案外そんなこともないらしい。

 なんだか、泣きたくなってきたぞ。

「もう知ってるみたいだけど、僕は水走有也。ちなみに1年5組だよ」

「俺は1年3組だ。フルネームは呉羽道弘くれはみちひろ

 今更ながらお互いに自己紹介をする。

 呉羽道弘。右投左打。守備位置はピッチャー。

 詳しいプロフィールは省いておいた。水走と比べても勝てる点なんて一つも無いような気がしたからだ。

「3組なら、氷野さんと同じクラスかな」

「単にクラスメイトなだけだ。それ以上ではないからな」

 俺の言葉に水走はキラリと目を光らせる。

「そいつは好都合だ! 大恩ある彼女には、ぜひ僕の恋人になってもらいたいからね。さっきから君たちの距離感が近かったから不安だったんだよ!」

 い、いきなりグラウンドで何を言っているんだ、こいつ。

 その時、俺がどんな表情をしていたのか、俺自身には知りようもないが、水走はちょっと焦ったような具合で一歩後ろに引いた。

「えっと……呉羽くん的にはダメなのかな?」

「いや、真顔で恋人になってほしいとか言える生き物って何かすごいなとか、イケメンって怖いなとか、少し思っただけだ。気にしないでくれ」

「そうかなあ。僕は好きなものは好きとハッキリさせるほうが、まどろっこしくなくて良いと思うけどね」

 ニィっと白い歯を見せる水走。

 うーん。すごく良い奴みたいだから、あまりこんなことは考えたくないんだけど、俺はこのイケメンにエースの座とマネージャーの心を奪われようとしているんだよなぁ。

 いや、氷野はそんなんじゃないよ。気なんてないよ。まったく。

 でもさ、同じ部活の中でくっつかれるとか、他の部員にとっては気分がよくないよね。

「ミズハイくん、本当に爽やかだよね」

 ほら、氷野もそんなこと言い出してるし。

「いやいや。嬉しいな」

 水走は照れてニヤニヤしてるし。美男美女でお似合いだし。今津先輩も「おやおや」とか口にしちゃってるし。

 この中で俺だけ仲間外れみたいだし。

「あーなんか辞めたくなってきたなーピッチャー」

「そうね。実力で敵わないんだから、あんたとしては投球とは別の方法でチームに貢献することを考えたほうが賢明でしょうね。でないと、辞めるまでもなくクビになるかも」

「いや、何もそこまで言わなくても良いじゃないか」

 傷口に塩を塗るような彼女の言葉に、思わず恨めしい声が出てくる。

「いいえ。紛れもない事実を述べたまでのことよ」

「言い訳もなしかよ!」

「うるさいわね。別にね、こちとら、元々消去法エースでしかないあんたに大きな期待なんかしてないのよ。でも前に言ったはずよね。私を甲子園に連れてけって」

「前向きに努力すると答えたはずだが?」

 正直なところ、1年生の俺がエースに選ばれている時点で、地方大会を勝ち抜くなんて、夢のまた夢だと思っていた。

 なのに理想論で「連れて行く」と答えても虚しいだけなので、結局そんな代議士じみた返答になった覚えがある。

 もちろん、甲子園は目指すべき目標ではあるのだが、少なくとも1年生の間に連れていくのは不可能に近いだろう。

 だが、氷野は「ふん」と腕組みして、

「だったらその努力をしてもらわないと。マネージャーとしても、こんな貧弱な部を補助してやってんだから、多少の夢は見せてもらいたいのよ」

「随分な言い草だなぁ」

「黙らっしゃい!」

 ビシッと人差し指を向けられた。

 あまりの権幕に俺はタジタジになる。

 それに乗じてなのか、我が部のマネージャー様は、さらに大声でまくし立ててきた。

「いいこと、ミズハイくんの加入であんたの立場は第2投手に転落したわ! 監督もエースのミズハイくんを可愛がるだろうし、他のチームメイトや先輩たちだってきっとそう。その中であんたが存在感を出すためには、ビッグライトで大きくなるか、スモールライトでミズハイくんを小さくするか、あるいは突然走ってきたトラックに『ミズハイくん、危ないでやんす!』ってグシャっと轢いてもらうしかないの。そんなの嫌でしょ。だったらチームのために、投げる以外のことをやりなさい! わかった!?」

「ぐうっ」

 彼女の指先に胸を突かれ、奥の心を打ち抜かれた。

 不思議なもので、ここまで叱咤されると逆にやる気が出てくる。

 投手として水走に勝てないなら、他の部分で勝てばいい。

 たしかに正論だ。

 そうだな。例えばバッティングなんかどうだろう?

 あまり得意ではないけど、今から練習しておけば役には立てるかもしれない。

『すげー! 水走の奴、フェンス越えやがった!』

『なんだよあの弾道! 人殺す気かよ!』

 うーん。ちょっとダメっぽい。

 というか、いつの間にバッティング練習なんて始めたんだ。俺に対する当てつけなのか。

 だったら走塁でトップになれば――とも思ったけど、あれについては深野の奴に勝てる気がしない。キャッチャーは今から始めるのはちょっと。

 なかなか難しいなあ。どうするべきか。

 小さな身で巨人に立ち向かうには、いったい何をすればいい?

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