サイボーグのパラダイス
ネットワークに脳が直結されたらどんな世界だろう?
自己同一性の担保と言う部分でのIDは意味をなすのだろうか?
生身に羨ましがられる様な仕組みが1つくらい無いと、きっとやってられないですよね。
電話ボックスより一回り小さな箱が部屋の中で異彩を放っている。
唐突に運び込まれたその箱は、これから彼女の安住の地になるはずだと言う。
訝しがる彼女を横目に、ツナギを着たスタッフがテキパキと組み立てて行くのだが。
まだむき出しの機械部分を見られたくない彼女の落ち着かない様子など眼中に無く、気が付けば窓一つ無い箱が完成していた。
「では、納品を終ります。ネゴシェーションはお願いしますね」
じゃ。
一言で言えばそんな感じだ。
彼女の事は一切関知せずと言った様子で、スタッフ達は部屋を出て行った。
無視されたらされたで少々機嫌も悪く成ろうかと言うもの。
年頃の乙女心は何かと傷つきやすいのだ。
だが、そんな彼女の意向など頭から無視するように、センターの女性スタッフが部屋にやってきた。
「さて、少々驚いたと思いますが……」
制御内科のお医者さんがやってきて、心の準備も無いままに説明を始めた。
はじめて見る人だなぁ……
ちょっと警戒しているのだけど、スタッフは余り気に留めてないようだ。
「これは通常動力型サイボーグ向けの保安装置付きクレードル。意味の説明は要らないよね。携帯の充電スタンドをクレードルって言うでしょ?そもそものクレードルってのは揺りかごって意味なんだけど、これはもうそのまんまの意味で、サイボーグ向けに作られた揺りかごです。バッテリの残量が乏しい状態の時に充電中モードへ陥ると自分の意思じゃ動けなくなるでしょ?その時の為の、いわば逃げ込み先って意味もあるしね。そしてもう一つ重要な機能があって……まぁ、それはこれから調整しつつ説明するけどね」
スタッフに手招きされてその箱へと近づいた彼女は、半ば強制的に上着を脱がされた。
まだ鈍い光を反射する機械の身体なのだけど、だいぶそれにも慣れてきた頃合とも言える。
それゆえだろうか。余り面識の無い人にこの姿を見せるのが少々恥ずかしい。
機械である姿が恥ずかしいのではなく、年頃の女の子が裸を見せるのと同じ理由……
「あぁ、ゴメンゴメン。だけど、私は年間200件位こういう仕事してるから、余り気にしないで」
スタッフが妙な笑い方をしつつ、箱の脇に立って小さなボタンを押した。
「私がこのハッチを開けられるのはあと3回だけね。4回目からはあなた以外開ける事すら出来なくなる」
エアシリンダーの伸びる音が聞こえて、観音開き状になったハッチが開いた。
中には高級な革張りの椅子が一基だけ備え付けてある。
ヘッドレスト部分には様々な接続端子があり、彼女の知識にある全てのコネクターが備え付けられていた。
その箱の右手には、100ボルトと200ボルトの給電コンセントがあり、急速充電対応型なのが見て取れる。
反対側の左手には透明なパイプの先端に逆止弁の付いた水物補給のホースが3種類用意されている。
「見れば意味は分かるよね?この中に入ってあなたが補給を受けている間、この箱があなたの安全を担保する」
彼女は再びちょいちょいと手招きされた。
入ってみろと言わんばかりに招かれたので、言われるとおりに中へと入る。
なんとも不思議な視界。妙な感動と言うか『自分が機械になった』のを実感する。
しかし、そんな感情を他所に、スタッフは彼女の左右わき腹にある整備ハッチを唐突に開け始めた。
「こっち側は給電スポット。通常充電なら6時間半、200なら3時間ほどで空っぽのバッテリーが満タンよ」
スタッフは勝手に100ボルトのコンセントを接続し始めた。
視界の中に給電中を示すピクトサインが現れる。
ただ、仮にも17歳の夢見る乙女(?)で有るからして。
勝手に身体を触られるのはあまり良い気がしない。
しかもまるで、家電製品のコンセントを無造作に差し込むように扱われているのだ。
人扱いされてないと言うのは、実は地味にショックなのだけど……
「こっち側は見て分かるとおりの生理補給と排出よ。上から生理食塩水、ブドウ糖溶液、ドレン排出パイプ」
彼女のような全身サイボーグとて、脳と周辺の細胞は生身なのだから栄養が必要になる。
その為に補給するのが生理食塩水とブドウ糖溶液。
高分子構成体で作られた人工心臓で脳内へ送り込まれる人工血液の機能保全の為には生理食塩水が必要だ。
人工血液や脳液などは定期的なオーバーホールで新品に交換される。
しかし、ある程度運び出される老廃物の不活性化にはそれなりの手順が必要だ。
一定のペースで溜まっていく生理的な『ゴミ』はドレン排出と言う形で体外廃棄されるようになっている。
今までは通常型ベッドの上でナース姿のスタッフが手を貸してくれていた。
だけど、そろそろこの程度のメンテナンスは自分で出来なくてはならない。
そうでなければ義体使用免許は交付されないし、彼女自身がここから飛び立つ事も出来ないと言うことだ。
「次の段階だけど、これも、もう分かるよね?」
スタッフが彼女の首裏辺りへ幾つかのコネクターを差し込んだ。
全く無造作にポンポンと差し込まれたので、一瞬背筋がゾクッとした。
彼女の視界に有線接続のマークが浮かぶのだけど、それより、不快感の方が大きい。
ちょっと不機嫌っぽい表情を浮かべたのだけど、スタッフは全く持って意に介してなかった。
「ちょっと待ってね。今システムを起動させるから」
スタッフが持っていたタブレットPCを起動させると、彼女の視界へ一斉様々な情報が浮かび上がった。
それと同時に制御用のソフトが『注ぎ込まれる』のを彼女自身が感じている。
かなり大きなソフトなのだけど、有線接続時の高速転送はストレスらしき物を一切感じない優れものだ。
ただし、家電製品か工業製品みたいに扱われている気分の悪さだけは如何ともしがたい。
ここに居る限りは全く持ってその通りの扱いである事など、とっくに承知しているつもりだったのだが……
「接続IDが表示されているかな?」
「……はい。見えています」
何処か不機嫌そうに応えた。
だけどやっぱり意に介してないようだ。
「ちょっと集中して」
いや、分かってるのかな?少しそんな気にもなる。
集中を促された以上は頑張るべきなのだろう。
彼女は視界に浮かぶ数字の文字列に意識を注ぎ込んだ。
00493540435122190113
「最初の四桁0049は日本の国番号。サイボーグの国籍。次の四桁3540は佐川精密の企業識別番号、そして」
「4351は私のこの身体ですね?」
「そう。空気作動型4000シリーズ。3は内部バッテリー充電駆動型。5はバッテリー容量種別。1は女性型」
「最後の8桁は私の人格識別IDですよね?」
「その通り!まぁ、サイボーグが2000万人も居る訳じゃないけどね」
視界の中の数列が鈍く点滅を始めた。
「問題なければ視界の中の『次へ』ってボタンを押して」
「はい」
視界の中のカーソルを押してやると、画面の中に幾つかの画像が浮かんだ。
円や三角、四角と言った単純な図形の画像たち。
「その画像のうち、最初は三角を選んでいて。その画像は自分の意思で差し替えられるから」
「あそっか、そうすれば正解は自分しか分からないって訳ですね」
「飲み込み良いわねぇ!優秀な生徒さんは好きよ。男も女も」
そう言いつつ、スタッフが箱の内側にあるボタンを押した。
もう一度シューと音を立てて箱の扉が閉まった。
僅かに見える隙間の向こうで手を振るスタッフが見えた。
箱の中にうっすらと明かりが燈っていて、彼女の軽金属の身体がぼんやりと光っていた。
「今度はあなたの脳へ直接話しかけている。聞こえる?」
「はい」
「これから視界の中にダイアログが出るから。ウィザード方式なんで、そのまま手続きして」
「わかりました」
一瞬視界が瞬き、その直後にダイアログボックスが現れた。
先ほどの数列をポチポチと入力すると、今度は複数画像選択方式のパスワード。
全て入力すると本人認証確認の文字と共に、桜ヶ丘へ行きますか?との表示が現れた。
「これは……?」
「あれ?まだ行ってない?ウチのSNS」
「あ、一度だけ見た事がありますけど」
「じゃぁ心配ないね。とりあえず行ってみれば分かるよ。切り替え自体は25mm秒で終わるから」
「切り替え?」
「そう。切り替え。あなたの脳が感じる情報を義体信号から仮想空間信号へ切り替えるのよ」
「つまりSNSへ入るわけですね」
「その通り!今からストロボが光るけど、3回目で切り替え完了よ。後は好きに動いて良し!」
え?なに?どう言う事?
事態を飲み込めないままに、唐突なストロボの光。
1秒おき程度の感覚で3回光った。
3回目の光を感じた直後、急に体全部がズシッと重くなったような感じがした。
そして、視界の中の様々なデータ表示が全部消えた。
生身の身体に戻ったような錯覚。
「あれ?この後どうするんですか?」
だけど、何の返答も無い。
どうしたもんかなぁと考えていたのだけど、それより興味の方が勝ったようだ。
正面にある扉をぐいと押したら、あっけなくパタンと開いた。
まるで隠れん坊の最中に飛び込んだ洋服タンスの中の様な気分だ。
椅子から立ち上がって箱から出てみると、なんとも不思議な部屋の中だった。
大き目のベッドと壁に備え付けのテーブルと、その向こうにあるユニットバスの付いたトイレ。
壁には大きな窓が一つあり、部屋の中にはシンプルな明かりが燈っている。
部屋の出口脇にはカードキーの刺さったセキュリティスイッチ。
なんか、どこかで見たようなビジネスホテルのシングルルームみたいな部屋。
振り返ると、例の箱が扉を開けたままでそこにあった。
―― 好きに動いて良し!
その言葉を思い出し、勇気を出して部屋の扉を開けてみた。
やはり、どこかのビジネスホテルのような建物だ。
そしてそれは彼女が普段生活していた建物に似ていた。
無意識にカードキーを抜き取って部屋を出る。廊下を歩いていくとエレベーターが有った。
とりあえずフロントの文字が見えるフロアのボタンを押して下の階へと降りて行くのだが。
『お出かけ時には携帯電話を忘れずに!お持ちでないお客様はフロントまで!』
エレベーターの中の掲示板には大きめの文字で書かれた注意書きがあった。
え?携帯?こっちに持ってこれるの?ちょっと不思議を通り越している。
そんなこんなでモタモタしている内にエレベーターの扉が開いた。
ドアの真正面にはホテルのフロント状態になっているカウンターがあった。
「おぉ、来た来た。待ってたよぉ~♪」
さっきまで『現実世界』に居たはずの女性スタッフが黒のスーツ姿で椅子に腰掛けていた。
「これを忘れずに持って行って。と言っても、その格好じゃマズイわねぇ いけてない!」
はい!と渡されたスマホ状の携帯電話を受け取りつつ、大きな姿見で自分を眺める。
リハビリセンターで機械部分を隠す為に着ているフードの付いたガウンを裸の上に羽織っている姿。
さすがにちょっと恥ずかしくなったけど、でも、どうすれば……
「アプリが色々と入っているけど、重要なのは通話機能と、ここからログアウトする為のアプリ」
彼女の戸惑いを全く気にせず、スタッフは説明を再開した。
勝手にスマホの表示面を生身の指で触ると、画面が出てきた。
上から覗き込んでぽちぽちと操作を始めているのだが。
「通話機能はこの世界の管理者と話をする為のもの。まぁ、色々と呼び出されることも有るけどね」
スタッフの指がソフトを起動させる。
すると画面にオペレーターの文字が浮かび『もしもし~』と気の抜けた声。
「あ~ホテルカリフォルニャーです。今から法務局へ仮登録の方を送り出します。あとよろしく」
『はい、了解しました。では何かありましたら呼んでください。じゃぁ』
ガチャ…… ツーッ ツーッ ツーッ ……
「道に迷ったり変なのに声掛けられたり、あと、プログラムの範囲外へ落ちそうになったら電話する。いいね?」
「あ、はい」
「意味分からなくても方法は覚えておく。あとで役に立つ。そんな感じよ」
スタッフの指が違うソフトを起動した。
「こっちはログアウト用アプリ。外部から、つまりリアル世界の方であなたに用が出来たとか、或いはあなた自身に用が発生した場合、このソフトを使って仮想世界からログアウトする。ほら、起動画面が出た」
画面にログアウトマネージャーの文字が表示されている。
今現在、仮想空間のどこにいるのか?と、リアルのほうでの義体状態が表示されている。
電源充電量とフル充電までの推定予想時間。それと、各種消耗品などの補給やドレン排出のデータ。
それだけじゃなく、リアル世界の方の状況。気温や天候や時間など。片隅にニュースの文字もあった。
「ソフトのメニューにログアウトと言うのがあるから、それを押すとリアル世界へ戻れるの。やってみる?」
「はい、じゃぁとりあえず」
指で操作するとメニューバーからログアウトの文字が出てきた。
そっとタッチしてみると、ログアウトまで10秒の文字。
「この10秒の間に色々出来る。恋人と最後の生キスしたり。案外長いモンよ?最後に心の準備をして……
一瞬パッと世界が白く染まった。そして視界の中に様々な情報表示が浮かんだ。
再び薄暗い箱の中にいるのが分かった。
どうやって開けるんだろう?と思ったけど、真正面に『開く』と言うボタンを見つけた。
カチャ
無意識にボタンへ触れたら機械的な音を残して鍵が開いたようだ。
その後で再び空気シリンダーの作動音が響く。
ゆっくりと開いたドアの向こうにさっきのスタッフ。
「あれ?先に戻ってこられたんですか?」
「ん?あ、あぁ、あっちのか。あっちのはここでアクセスしてたの。私は1級オペレーターの資格持ちだからね」
首筋に幾つもケーブルを刺したままのスタッフが笑っている。
ケーブルの先は箱の外にある小さな扉の中だ。
「完全に無防備になるのは電源切って補給中の間だけ。なれてくればこんな芸当も可能になるのよ」
つまり、この人もサイボーグだ……
彼女が不快感を覚えていた行為の殆んどが、むしろスタッフには自然なことなんだと気が付いた。
「まぁ、良くある笑い話よ。飛行機に乗る時に、自分の体を手荷物扱いにしちゃうとか」
ヘラヘラと笑う姿が、かなりのベテランぶりを発揮していた。
だけど、やっぱり、あまり良い気分じゃない。
「あと、移動中はあっちでひたすら仕事してるとか……」
「飛行機に乗ってる時とかでも通信できるんですか?」
「あ、そうじゃなくて、スタンドアロンの仮想空間があるのよ。通称『引き篭もりルーム』っての」
アハハと無邪気に笑っているのだけど、目が笑っていない。
そうか。サイボーグって目が笑わないんだ。
変なところに気が付いて苦笑いだ。
「身体の方の補給が終わってないからもう一度あっちへ行こうか。今日はパレフェスだし」
「パレフェス?」
「そう。まぁ、見れば分かるよ」
もう一度さっきと同じ手続きをして仮想空間へとログインした。
同じ様にフロントへ行くと、今度はさっきのスタッフがつなぎ姿で待っていた。
「衣装選ぼうか?」
「衣装?」
「そう。パレードはみんなが主役だから」
おいでおいでされて付いて行くと、ホテルのような施設の奥にある衣装室へと案内された。
アニメに出てくるヒロインみたいな衣装から、レオタードやら、ちょっとエッチなものやら。
これ、どこに布が付いてるの?と聞きたくなるような、ほぼ紐しかない物まで。
「デビュー戦は目立つの重視よねぇ~♪」
アレコレと物色している間に、彼女はふと部屋の隅にあった棚へ目をやった。
どこにでもあるような、デニムのパンツと、あまり色気の無いブラウス。
ちょっと色の濃いカーディガンを羽織って出来上がり。
「それで良いの?」
「ダメですか?」
「……デビュー戦にしては地味ね」
意味が分からぬままホテルを一歩出た。
そして、眼前に広がる光景に圧倒されるのだった。