閑話
不思議な感覚だった。
知らないはずなのに、彼女を知っている気がする。
やはり、黒耀という名をもらう前―――人間時代の、消した記憶に彼女がいるのだろうか。
何もすることがなく、自分の部屋でぼんやりと昨日の少女の事を考えていると、急に戸が開けられた。いや、急にではない。誰かがこの部屋へ近付いてきていることは、わかっていた。その人物が誰なのかも。
「爺さんか」
「なんじゃ、気付いておったのか」
カカカと笑いながら、爺さんは近付いてくる。その手には、昨日ボクが買ってきた酒のビンが握られている。
「なぁに、たまにはいっしょに飲もうではないか」
ボクの視線に気付いたのか、爺さんはビン持ち上げて強調するように二、三度振った。
「ボクは酒が好きじゃない」
「何を言うか。年寄りの楽しみを邪魔するものではない。ほれ、飲まんか」
陽気に笑いながら、ボクにビンを押し付けてくる。どうやら、ボクが飲むまで諦めないつもりらしい。
仕方なく、ボクはそれを受けとり、一口飲んだ。
「………不味くはない」
そう言って返すと、彼は「だろう?」と得意げに笑って、自分もごくりとボクが飲んだ二倍の量を一気に呷った。
「ところで、地上で何かあったのか?」
そんなふうに切り出した。
「何か……とは?」
「惚けるでないわ。黒耀、お前の表情を見ればわかる」
「表情? ボクは表情を変えてなどいない」
「カカカ。そうかな? 儂には、お前が久々に人間らしい表情をしているように見えるのだが?」
「人間……らしい………?」
ボクは自分の顔に手を当ててみた。しかし、普段の表情としか思えなかった。
「何も、変わった顔はしていないようだが?」
そう尋ねると、爺さんは「そういう事ではないわ」と答えて再びビンを傾ける。
「まぁ、それはそれだ。いずれわかるようになるわい。それより、何があったのだ?」
爺さんは断りもなく部屋の物置から座布団を取り出し、座った。
ボクはベッドに転がった。
「ボクの知り合いの少女に会った」
「ほっ! それはまた、なかなか珍しい事もあるものだな」
「しかし、ボクは彼女を覚えていない」
「だろうな。お前は昔の記憶を全て片っ端から消去しているのだからの。しかし、ならばどうして相手がお前の知り合いだとわかったのだ?」
「いきなり、昔のボクの名を呼びながら抱きついてきた」
「カッカッカ! 近頃の若い者は大胆だのう」
ボクは、昨日あったことを聞き出される形で語った。
もちろん、彼女の下げていた剣のことも。
「しかし、《砂漠の歌声》か……。レプリカではないのか? あの手のものにはよくあることだが」
「レプリカであれば、Lv4もの危険信号が出るわけがない」
「フム。確かに、それはもっともだな。しかし、七式にも呆れたものだな。あれほどの剣を前にして、危険度がLv4とは恐れ入る」
「Lv1もあれば、それは立派な武器だ。危険度の高低に関わらず」
「ま、確かにな。それで、そのボディガードを破った後、どうなったのだ?」
酔ってきているのか、爺さんの顔はほんのりと赤い。
「どうなったも何も、そのまま帰った」
「そのまま帰ったじゃと? カカカ、お前らしいわい。して、先方の反応は?」
「特に何も……いや、鈴という少女が叫んでいたな」
「ほう? で?」
「『また明日、この時間、この場所で会えないか?』という内容だったな」
「カカカ! また、大物に目を付けられたな」
「大物?」
ボクが聞き返すと、爺さんは「知らんのか」とやや呆れたように語ってくれた。
「お前の通りかかった学院。おそらく、第一テルル女学院だろう。ウルスラグナによって異能者―――女神となった者を集め、将来の戦力を育てているのだ。そこで他の生徒に見送りをされるような者は、少なくとも並の実力ではなかろうな」
「そういうものか?」
「そういうものだ」
とりあえず理屈はわかった。
「で、お前はその格好でいくつもりか?」
「?」
爺さんはボクの格好を見ながら呆れていた。別に、なんてことはない、普通の服だ。
何か、もっときちんとした格好でないと駄目なのだろうか? というより、そもそも―――
「行かなきゃ、駄目なのか?」
「――ぶふっ!? げほっげほっ! 馬鹿もん! そんなもの行かなければらばならないに決まっているだろうが!」
なぜか、爺さんは口に含んでいた酒を盛大に吹き出した。
「なぜだ?」
「そんなもの決まっているだろうが! 約束したのだろう?」
「いや、していない」
「しかし、それでもその少女は律儀にその場所でお前を待つはずだ。それが、女という生き物だ」
「そう……なのか?」
「そうなのだ」
彼は断言した。
「わかった。行くだけは行ってみよう」
「おう、そうしておけ。ではな。そろそろ、いい具合に酔ってきたから帰るわい。ではの」
「ああ」
ボクはベッドから起き上がることなく短い返事で彼を見送った。
「行かなきゃ、駄目なのか……」
多少面倒くさく思いつつも、爺さんの言った事に従って外出の準備を始めた。
今出れば、昨日彼女と会った時間には間に合いそうだった。