置き土産
「なっ!? 一体どこへ?」
鈴が信じられないと言う様子で辺りを見渡すが、マントの女の姿はどこにもなかった。
「奴は神経干渉系の能力を持っていた。おそらく、私たちの視神経に干渉し、姿が目に映らないようにしているのだろう」
そう言って、雅は瞼の上から目に触れ、奴からの干渉――繋がりを切断した。
「……逃がしたな」
「そう……ですか…」
「それより、あれは一体どうする?」
翡翠が、数メートル離れたところに突っ伏している寝倖を見た。彼女はそのままボクに視線を向ける。
「そもそも、一体なぜ急に倒れた?」
「司令官である彩河の意識が途絶したため、一時的にフリーズしているだけだ。またすぐに動き出す」
「その時、奴は――」
「最後に受けた命令を実行しようとする」
雅が言い終える前に、ボクは応えた。
とは言っても、実際には分らない。七式がこのような無様に転がっていることなど、初めてなのだ。故に、一番確率の高い可能性を答えた。
「命令は、完遂できたか?」
一瞬沈黙が流れ、ボクは鈴に尋ねた。
何のことか分らなかったのか、数秒間首を傾げていたが、すぐに怒った様に頬を膨らませた。
「確かに、私はこの街と住んでいる人たちを守ってくださいといいましたが、それは峻君が死にそうになってもいいということではありません! こんなにボロボロになって……あの時、私が一体どれだけ心配したか、分っているのですか!?」
ものすごい勢いで迫ってくる鈴。わけも分らず、ただただ説教を受けるボク。
シュリルが『お嬢、結構押しが強いな』とか言っていたが、構っているどころではなかった。
やがて喋り疲れたのか、「ふぅ」と一息ついた。
「でも、峻君は私たちも街も、守ってくれました。その……と、とっても……か、かか格好………よかっ……た…ですよ……」
「? すまない、最後が聞き取れなかった。もう一度言ってくれ」
「~~~っ! な、ななな何でもありません!」
何故か顔を赤らめ、背を向けてしまう鈴。
しかし、本当に聞き取れなかったのだ。本当なら余裕で聞き取れたはずの声量だったが、寝倖との戦闘で集音装置が損傷したらしく、普通の人間とほぼ同じくらいの聴力に下がっていた。ぼそぼそと呟く程度の声が聞き取れなくても、仕方のないことだ。
まあ、本人が何でもないというのなら、それ以上追求する必要はないだろう。むしろしつこいと不快感を与えるかもしれない。
「それはそうと……この後は一体どうすればいい?」
この場の全員に問う。
「本部へ報告し、迎えをよこしてもらおう。【紫電】の拘束と運搬もだな」
翡翠が一応応えてくれるが、彼女自身、このような状況は初めてなのだろう。あまり自身はなさそうだった。
「公衆電話でもいい。通信できるもはないのか?」
「―――――」
「そうだな……たしか、百メートルほど先の交差点の角に一台、く欧州電話があったはずだ」
「鈴お嬢様、私が行きましょう。援軍――と言っても、着くまでに事が終わってしまいましたが、その報告もあります」
「――――――ろ」
「では、お願いします」
「では、私たち三人は――」
『オレッチを忘れんな!』
「ああ、これは失礼した。では、私たち四人は、この場で待機、同時に【紫電】の監視を――」
「――――――げろ」
「「「「『―――っ!』」」」」
ボクらは、反射的に後ろを――這い蹲っている寝倖を振り返った。
「……逃げろ!」
どうにか自我は取り戻したらしい。
だが、体の自由はそうではないらしい。つまり――
「やはり、絶対命令の効力がまだ生きていたか」
ボクは、冷静に呟いた。
寝倖の左腕が変形し、銃器に変わる。
「シュリル」
『ああ、分ってる。お前しかいないからな』
名を呼んだだけで、ボクが言わんとしている事を理解してくれる相棒。
寝倖の左腕――レールガンに、エネルギーが充填し始められる。
「くっ、ここまできてこんなことに……」
「鈴お嬢様、下がってください。私が――」
「そんなの駄目です!」
翡翠も鈴も、当然のように雅も、完全に慌てている。そうしている間にも、レールガンにエネルギーが溜まっていっている。
『おう、お前ら、全速力でこの場から退避するぞ。少しでも遠く離れて、あれが発射される直前に、建物でもどこでも、エネルギーの余波を少しでも防げるところへ隠れろ!』
「し、しかし、そんなことをしたらこの街が………まさか!」
反論する翡翠だったが、すぐにボクとシュリルの考えていることを理解し、ボクを見てくる。
「駄目だ、そんな……」
「ほかに、方法があるのか?」
「それは……」
必死に何か言葉を紡ごうとするが、結局何も言わず、彼女は引き下がった。
「委員長、いったい……?」
置いて行かれかけていた鈴が話に入ってくる。
「鈴………」
言いにくそうに目線を泳がせる翡翠。雅にいたっては、先ほどからずっと目を瞑って一言も発していない。
興味がないのか、あいもかわらず嫌われてしまっているのか(おそらくは後者だろう)。
「行くぞ、鈴」
「で、でも、そうしたら――」
「いい、黒耀君に、任せる」
「………え?」
一瞬、思考が止まったように、絶句する鈴だった。




