思い知る現実②
その後、やって来た高橋さんに少し愚痴を言って気を紛らせ、さらに数日経って痛みが治まってきた代わりに時間を持て余すようになってきた。
「そう言えばこの部屋は個室ですけど、部屋代、高いんじゃありませんか?」
「実はそうなんですけど、椎葉さんは集中治療が必要でしたから。
ご希望ならこのままでも構いませんけれど、先生からは来週にも六人部屋へ移動していただいても構わないと伝えられています」高橋さんは笑って答える。
「ぜひそうして下さい。あ、でも食事やトイレの時はどうなるんでしょうか?」
「それはこれまで通り私が続けますので、安心して下さい」
そうだ。両腕を失ったオレは、食事もトイレ介助もみんな彼女に手伝ってもらっていた。
食事はともかく、“しびん”から解放されて歩けるようになってからのトイレ介助は抵抗感があった……むしろ、コリャたまらんと邪な感情があったものの、手が使えないためどうしようもない事と、毎度になるとさすがにお互い慣れてしまった。
当然、彼女はあくまで仕事でやっている事なので、余計な感情が入る余地もない。それよりも、今さら彼女以外のナースが来て介助されるほうが恥ずかしい。
彼女以外の誰かがくる……そう考えてから、オレはふと思った。
どうして彼女や親から連絡が無いんだろう?
いきなりの事だったので、連絡が行ってない? いや、警察が関与しているんだ。そんなはずはない。
「高橋さん。ちょっと連絡取りたいところがあるんですけど、代わりにダイヤル押してもらえますか?」
「それじゃあ、エレベータ横の公衆電話のところまで車イスで行きましょうか」
彼女は素早く車イスを用意してオレを乗せ、最近は見かけなくなった緑の電話の前まで運んでくれた。
「テレホンカードはこれを使ってください」
ポケットからネコの写真がプリントされたカードを取り出し、オレの伝える番号を押して受話器を耳に当ててくれる。
彼女の携帯を呼び出す音が繰り返され、ようやく出た懐かしい声は、公衆電話からだったためか少し怪訝そうだった。
「あ、オレだ。基文だ。長いこと連絡取れずにすまない。心配かけたな」
しかし彼女は意外な返事をよこす。
「はっ? 基文? 何言ってんのあんた」
「何ってことは無いだろう。オレは事故に遭ってずっと入院していたんだ」
「事故? 入院? 誰だか知らないけど頭でも打ったんじゃないの?
だいたい、私は今、あんたの言う基文と一緒にいるのよ。変な電話かけて来ないで。次にかけて来たらストーカーで警察に訴えるから!」
ブツッと、一方的に言われて切られた。
え? オレと一緒にいる?
「椎葉さん。どうされました?」高橋さんの声で我にかえった。
「い、いえ。どうも彼女、何か勘違いしているようで……」
勘違い、だったらいいが。
ああ、そうか。連絡が取れなかったからオレのことはさっさと忘れて別の男と付き合い始めたんだな。それでオレのことが分かっていながら、あんな言い方をしたんだろう。
あいつモテるから男に不自由しないんだろうな。どうせオレも前の男から奪ったんだ。向こうが飽きたって言うならそれでいい。結婚したところで浮気するに決まっている。
この病院、きっと古いんだろうな。晴れているくせに雨漏りしてやがる。
「椎葉さん……」
もう一度高橋さんに呼ばれ顔を上げると、ガーゼでオレの顔を拭ってくれた。
そうだな。ここがよく雨漏りする場所だと分かっているんだろう。
「もう一件、お願いします」
何とか笑顔を作り、今度は実家にかけるよう彼女に頼んだ。
だがそこには、オレにとって信じられない事態が待ち受けていた。
「……何がどうなっているんだ!」
電話に出た母親まで、彼女と同じことを言った。
いや、正確には必死で食い下がるオレを可哀相に思った様子で、事故の話など聞いた事も無いし、昨日も普通に連絡して彼女と結婚の話が出ていると語っていたと話してくれた。
「……オレの勘違いだったようです。お騒がせしてすみません」
そう言って電話を切ってもらい、部屋に戻されてからも頭が混乱してパニック寸前だった。
「……きっと皆さん、何か勘違いされているんですよ」彼女の慰めの言葉も今のオレの頭の中には入って来ない。
「すみませんが、しばらく一人にしてくれますか」
高橋さんは寂しそうに頭を下げて出て行ってくれた。
「何が起きている? いや、起こされている?」
一時間ほど呆然としていたが、そう思ったとたん頭が働き始めた。
そうだ。オレは議会議員を単独取材できるだけのフリーランスのライターなんだ。
そしてあの日、市民平等党と関龍会とのつながりの致命的な証拠を握った。
この事故もその直後起きた。さらに運転手は保険契約していない。
一連の流れは偶然では無いのかもしれない。
だとすれば……。
背中に冷たいものが流れた。
彼女にはオレが連絡しても知らないフリをしろと金で買収できる。だが、両親を買収するのは難しい。
考えられるのはオレをオレだと認めた場合、本物のオレに危害が加わると脅迫されている事。
それともう一つ。
これは考えたくもないが、すでに両親が別人に取って代わられているかもしれないという事。
オレは不安で叫びたくなる思いを一晩中、押し殺し続けた。