思い知る現実①
「痛みを取り除く方法は無い訳ではないんですよ」
動けずに大量の汗をかいたオレの体を清拭しながら高橋さんは言う。
正直言って、今は痛みを除く方法よりも陰部を拭われる方がたまらなく恥ずかしかった。
そこだけは動けるようになってから自分ですると言ったが、一番清潔にしなければならない場所だと却下され、もとよりほとんど動けないオレには選択権がない。
いや、こういうシチュエーション自体は悪くない。オレの彼女に言えば、まあ、やってくれなくもないだろう。
だが、これは状況が違う。あくまで高橋さんがやっているのは介護の一環であって、オレが変に意識すると体が動かないくせに一部は元気に立ちあがる変態と思われかねない。
こんな時は冷静にあのスクープ記事を思い出せ。政治の背後から、今やこの国の未来を左右しかねない連中の尻尾をつかんだんだ。
現在、急速に悪化している国民全員の経済が一夜にして好転するチャンスをこのオレが握っている。
一刻も早く完治して、世にあれを晒さなければならない。
ふと高橋さんを見ると、少し顔を赤らめてふくらはぎを清拭している。
目だけを下へ向けると、なんてこった! 思い切りそそり立ってやがる。
そうか、しまった!
オレにとってスクープは最高に興奮する出来事だ。
まだ新米の彼女には事務的に無視出来なかったのだろう。
「えっと、ちょっと仕事を思い出して興奮してしまって……」
「いえ、生理現象ですので。よくあることですから……」
思い切り愛想笑いされた。いっそ言い訳なんてしないほうがよかったのか? なんて羞恥プレイだよこれは。
「あ、先ほどの痛みを和らげる方法ですが……」
「は、はい。どんな方法でしょうか?」
彼女の気づかいが余計に痛かったが、オレは出来るだけ明るく答える。
「幻視痛というのは主に精神的な要因から来ることが多いんです。
ご本人が失いたくなかった手や足をいきなり無くされたことで、これまで慣れ親しんで来られた手足が無いことが過度のストレスを産むとか……。
すみません。私もまだ勉強不足なので。
それを理解した上でリハビリを行うことで痛みを減少させる方法が海外ではあるそうです。
ですけれど椎葉さんは今、とにかくドクターのおっしゃる通り安静にして回復をはかってください」と言って、愛想笑いではない微笑みを高橋さんはオレに向けてくれた。
そうだな。あせっても仕方ないか。
病室を出て行こうとした高橋さんは、急に何かを思い出したのか、ドアのところで振り返る。
「そうそう、ドクターからの伝言です。椎葉さんが意識を回復されたので、今日の午後に警察の方が事故についての聞き取りをされたいそうです。大丈夫でしょうか?」
ドクターが大丈夫と判断したから聞き取りを承諾したんだろう。それなら問題ない。
昨日より頭痛も楽になったし、午後からならそれなりに返事をすることも出来るだろう。
「痛み止めだけは忘れないでくれ」と返事をすると、高橋さんは「それじゃあ伝えておきますね」と、笑って病室を出て行った。
その後、昼近くにやって来た医者はいい加減なのか、軽いのかよく分からない。
医師が使用できる痛み止めのおかげで多少治まったためだろう、昨夜眠れなかった分、眠気が押し寄せて来る。
オレはまた暗い眠りに引きずり込まれていく。
午後二時ごろやって来た警察は、オレに事故のあらましを説明して間違いないかと問いかけた。
「覚えている限り、だいたいその通りです」
要するにトラック運転手の信号無視による無理な進入が原因で、業務上過失で取り調べているという。
「事故当時にオレが持っていた荷物はどこですか?」
警官に尋ねると「今は警察内で破損したバイクと一緒に保管しています」と答えた。
「医師からまだ起き上がれない状態と聞いています。回復されてからか、あるいは退院されてからお返ししましょうか?」
「いえ、出来るだけ早く返してください。あの中には大切なものが入っていますから」
「分かりました。一通りの調査が終わりましたらお持ちします。ところで、大変申し上げにくいのですが……」
警官が話したのは、オレにとって大問題だった。
トラック運転手が保険に加入していなかったため、相手から事故による保険金が支払われないということだ。
どうすればいいか警官に尋ねたが、そのへんのところは民事になるので、保険会社と相談してくれと言って無責任に帰ってしまった。
「管轄外」「今は手続きが出来ない」などと言ってストーカー被害者を見殺しにしながら、世間に騒がれてからやっと謝っただけの体質は、いまだに反省の「は」の字もないようだ。
まともに体を動かすことができないオレには保険会社への交渉はまだ先の話だが、何ともやり切れない気分だ。