白い部屋④
交差点の長い信号待ちで渋滞にはまっている車の列を尻目に、オレは議会議員の取材を終えて、意気揚々とバイクを飛ばして事務所へ帰る途中だった。
今回の証言で国民の損益を第一に考えた茶番を続ける与党が、実はここ数年で異常な数の信者を獲得して巨大化してきた宗教団体「関竜王会」がバックについている政治組織、『市民平等党』の言いなりになっていることがはっきりした。
証拠となる資料も数多く受け取り、これを数少ない信用のおけるマスコミとネットに一気に流出させれば、さすがに隠蔽工作や握りつぶすのは不可能だろう。
かねがね関竜に疑問や不満を持っていた者たちもこれを機に表立って活動することができ、世論を変える起爆剤ともなり得るほどの情報だ。
そこから派生して与党のみならず、市民平等党をも崩壊させ、今の閉塞状態を実質的に切り開く転換期を迎えられる期待さえ感じていた。
野党に転落したある議員も、それを狙った上でオレにリークしたんだからな。
オレは他のバイク乗りと同様に、先頭の車両を追い越して横断歩道直前まで進み出る。一刻も早く記事に仕上げて世間に発表したい気持ちでいっぱいだった。
だが、信号が青に変わったと同時にアクセルを開いた直後、赤信号を無視して無理やり右折して来たトラックがオレの目の前に立ちふさがった。
ヤバイッ!!
目一杯ハンドルを切っても間に合わない。まわりの景色が止まったように感じられる中でトラックの下の隙間が余裕ですり抜けられる大きさに感じられ、バイクを倒せば潜り込めそうに見えた。
直後、バキバキッ! と遠くから音が聞こえ、全身に激痛が走った瞬間、視界がまっ暗になった。
「がっ! はああっ!!」
体が動かないまま、硬直しながら起きたオレの頭の上からリズムを刻む機械音が響いたが、もう慣れたのか鼻をつく薬品の臭いは感じない。
体は全身から吹き出した汗でびっしょり濡れていたが拭うこともできず、冷暖房が完備してある病室の中でさえ白くなるのではないかと錯覚するほど荒く熱い息が絞り出た。
今のが、オレの、事故か……。
すり抜けられるはずのないトラックの下へ潜り込んだオレは、ちょうど万歳の姿勢のまま、両腕を後輪に轢き潰されてしまったんだ。
だがどうしてオレはあんな隙間を抜けられるなんて考えたのだろうか? そう言えば甚大なビル火災に遭って九死に一生を得た人にインタビューした時に言っていたことがある。
「とても飛び降りて助かる高さじゃないのは頭で理解しているんですけれど、背後まで火が迫ってどこへも逃げ場がなくなった時に下を見ると、一階がすぐそこに見えるんですね。
もちろん錯覚だとは分かっていましたけれど、本当に手を伸ばせばすぐそこに地面があるように見えたんです。あの火事でたくさんの人が耐え切れずに飛び降りて命を失われましたけれど、私と同じように地面が近くにあるように見えたのかもしれません」
あの時は今ひとつ信じられなかったが、オレの感じた感覚もそれに似たものだったのだろうか。
事故のことをはっきり思い出したためか、ズキンッとこれまでより強い痛みが両腕に走った。
だがこれは何だ? 潰されたひじの痛みじゃない。
もっと先の何も無いはずの指先が、ハンマーで何度もぶっ叩かれているような痛みだ!
痛い! 痛い! 痛い!
クソッ! 高橋さん、早く来い……早く来てくれ!
ほんの一分が、オレにとって何十分、何時間にも感じられるほどの拷問のような時間が過ぎてようやくやって来た高橋さんに痛みを訴えたが、彼女の判断ではこれ以上強い薬を使う権限がないらしい。
婦長から夜勤当番のドクターへ連絡し手配してもらった痛み止めが使われて多少はマシになったが、存在しない指先からの痛みが消えることは無く、オレは来る朝までずっと痛みと戦い続けた。
翌日。
飲み過ぎたのだろうか、目を真っ赤に充血させた担当ドクターがやってきて強めの麻酔を処方してくれたおかげで、少しは頭の中から痛みのことを忘れられそうだった。
なぜ無いはずの指先が痛むのか尋ねると、「事故などが原因で手や足を失った場合に、すでに存在しないはずの手足がそこにあるかのように感じられることを幻肢と呼び、失われているにも関わらず、その部分に強い痛みを感じることは幻肢痛と呼ばれていて、現在はまだはっきりとした原因はまだ解明されていない」と説明されたが、オレにはこの痛みが治まる方法はまだ無いとしか聞こえなかった。