白い部屋③
ヨーロッパの拷問機具に二枚の板が万力の要領で徐々に締まり、足や腕の指先など神経が敏感で、より痛みの強い末端を押し潰す道具がある。
体を拘束されて動けないオレの腕は、この恐ろしい機具で締めつけられていた。
腕からビキビキ骨の潰れる音が響いたが、脳髄に焼けた串を突き刺されるような激痛で気絶することさえできない。
痛みに絶叫するオレを見物する奴らは、目を輝かせてあざ笑いながら、コッテリと脂のしたたる肉をむさぼり、血のように赤い酒を満たしたグラスを傾けている。
こいつら、人がこんな目に遭っているのを楽しんでやがる。
怒りが込み上げ、殺意さえ覚えたが、なぜか笑っている奴らの顔がオレには見えない。
お前ら異常だ! 何でこんなことしやがる? クソッ! 痛い、痛い! クソ、クソッ! クソッ!!
天井も壁も真っ白な部屋で、オレは目覚めた。
薬品の臭いが鼻をつき、頭の上から一定のリズムを刻む機械音が響く。
クソッ! 夢か。
カーテンの隙間から見える外からの光は薄暗くなっていて、もう部屋には医者もナースもおらず、オレしかいない。
眠らされた?
ズキッとひじあたりに痛みが走り、恐る恐る両腕を持ち上げると「コレ」は夢ではなかったことを実感した。
長年、見覚えのある腕は失われ、ひじから先は十五センチ程度で終わっている。
何が起きたか分からず、気がつけば両腕が無いなんてどうなっているんだ。
痛い。
切れているところではなく、その先の、今はもう無い指が痛い指なんて無いのに、意識すると余計に痛くなってくる。
激痛に耐えられずにナースを呼ぼうとしたが、ナースコールのボタンが押せない! オレにどうしろって言うんだ‼
痛みといら立ちでキレそうになったが、体の激痛と頭痛に襲われて仰向けのまま呻くことしか出来ず、自分自身が情けなくてどうしようもない悲しさというか、不安というか、よく分からない感覚がわき上がって理由も分からず泣けてくる。
オレに何があって、どうしてこうなって、これからどうすればいいんだよ。
「お目覚めですか?」
ドアをそっと開いて問いかける女の声に、オレはあわてて涙をぬぐおうとしたが、そのぬぐえる腕がない。
恥ずかしくて背を向けるオレのベッドの横へステンレスのキャリーワゴンを押しながらやって来たのは、薄いピンクの制服を高く押し上げる豊かな胸のナースで、名札をチラ見すると『高橋』と書いてある。
しかも顔はオレ好みで、仕事用の愛想笑いでも十分可愛い。現金にも今の今まで激痛でいら立っていたオレは一瞬で機嫌が治った。
「そろそろ椎葉さんの麻酔が切れて、目覚めておられる頃でしたから」
そう言いながら小さい点滴を取り出して、注射器で白く濁った痛み止めの薬を混ぜてチューブにつなぐ。
「だったらもっと早く来てくれ。呼びたくても、この手じゃ呼べないんだからな」
「す、すみません。先輩方に申し伝えておきます」
顔色を変えて謝る様子と先輩に伝えるなんて言うところを見ると、彼女はまだ新人なんだろう。
だけど、そんなことはオレの知ったことじゃない。
そうとも。両腕が無くなって、激痛とひどい頭痛に加え、何とかしろと助けを呼ぶことさえできないオレを放っておいたんだ。
「おい!」
「は、はいっ!?」
「いろいろ聞きたいことはあるが、まず、オレはどうしてここにいるんだ? 両腕が無いのはなぜだ?」
「あの、私がお教えしていいものかどうか……」
「教えるなら遅かったことをチャラにしてやる。教えなければあんたがわざと遅れてきたと先輩に言いつけてやるぞ」
「そ、そんな。それじゃ、あの、椎葉さんは交通事故に遭われたんです」
まるで近くに恐い先輩でもいるかのように怯えながらキョロキョロ辺りを見渡して、口元に手を添えながらそっと顔を近づけて言った。
「交通事故?」
思い出そうとしたが、頭にズキンと痛みが走り、はっきりと思い出せない。
「あの、まだ無理に思い出そうとされないほうがいいそうです。
椎葉さんはその事故で強く頭を打って、六日間集中治療室で意識不明の状態だったのですから」
「六日間? だったら今日は何月の何日だ?」
「今日は、五月十七日です」
五月十七日。
もう取材の日から一週間も過ぎているじゃないか!
だめだ。オレのライターとしての信用は無くなった。いや、ひょっとして事故に遭ったことを知ったら大目に見てくれるかも知れない。あの議員とも昨日今日の短い付き合いじゃないんだ。
それにしても、高橋さんはよほど先輩が恐いらしい。これからは医者が教えてくれないことをこの手を使って聞き出せるかもしれない。
そう思ったオレだったが、もう手は無いのに「手を使って」なんて皮肉だ、などとバカバカしい考えが頭をよぎった。
気がつくと腕の痛みはずいぶんと治まっている。痛み止めが効いてきたんだろう。
「ナースコールを押されなくとも、時々回って来ますから安心してくださいね」
彼女は愛想笑いをしながらキャリーワゴンを押して部屋から出て行く。
カーテン越しの窓の外は、もう真っ暗になっていた。
両親や彼女、仕事仲間はオレがこうなったことを知っているのだろうか? 知っているならどうして来ていないんだろう。
知らなかったとすれば、どうやって説明しようか?
だがここには気を紛らわすためのパソコンも携帯もiPhoneもなく、知り合いに連絡さえ取れない。
一人になったオレは、また、どうしようもない不安にさいなまれ始めた。