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朝日が眩しい。私達はいつものように彼の家を出る。コンビニを過ぎ、駅前の桜並木に来るとまだ人通りの少ない道は一面の桜色の絨毯になっていた。通い慣れた道。笑いながら、あるいは泣きながら私はこの道を通った。
「研修なんてたるいよなぁ……」
彼、河西浩大が笑いながら私を見る。手には大きな荷物を持って。私は答えに困りながら笑う。
「一日ぐらいサボれないのか?折角の卒業旅行だったのに」
「仕方ないよ。私の分も楽しんで来て?」
私は上手く笑えてるだろうか。そんな私を意にも留めずコウは携帯なんか取り出して何か打ちだした。いつもの光景。私なんていないような振る舞いで。
改札を抜けて私達は別れた。行ってらっしゃいとか何気ない会話を交して。私は歩いて行く彼を見つめていた。相変わらず携帯片手に歩いていく彼を。私より少し高い背丈、あかるめに色を抜いた髪、広い背中……がに股に歩く足。視線に気付いた彼が笑顔で手を振った。
「ねぇ、お花見に行こうよ。夜桜見に」
私は叫んだ。
「わかった!帰ったらな」
叫んだ私にびっくりしながらもコウはそう答えた。アナウンスが流れて電車が来る。走る彼の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
私達が出会ったのは大学に入ってすぐ。何気なく友達に誘われ行ったテニスサークルのコンパだった。あまり大きくないサークルで新入生は私達を含めても一桁。私が約束の居酒屋に着いた時には彼がひとりぽつんと上座に座らされていた。ツンツンの黒髪にパーカーにジーンズの男の人。居心地悪そうに座る彼は無理矢理お誕生日席に座らされた子供のようだと思った。
「美也ちゃんと理央ちゃんだったね。よかった!新入生片山くんしか来ないかと思ったよ」
副部長の牧さんが嬉しそうに迎えてくれた。既に何杯も呑んでいたのか彼女の顔は赤かった。人嫌いさせない彼女に私は思わず微笑んでしまう。牧さんは小踊りするように私と美也の手を掴んで彼同様に上座に座らせた。どうしよう
「かなり恥ずかしいですよね……」
彼が困ったように私に話しかけてきた。笑顔がかわいい。私達は顔を見合わせてクスクスと笑った。
「じゃあ、改めてまた乾杯!」
部長の佐藤さんが乾杯の音頭をとった。
私達はその後、段々仲良くなり夏の合宿の夜に付き合い始めた。
ねぇ、あの頃はいつも夢みたいな話ばかりしてたよね。あそこに行きたいとか、これしたいとか……。叶う事がなくても幸せだった、小さな約束。
私は車窓の見慣れた景色を眺めながらため息をついた。楽しかった事も悲しかった事も思い出せる景色。
何時から彼が変わってしまったのだろうか。
派手な風貌に軽い性格の男。……そう、彼が変わっていったんだ。私が気付かない程少しづつ。
二年生になった辺りぐらいだろうか。段々と彼と連絡が取れない事が増えてきたのは。最初はバイトだとか言っていた彼が遊び回っていた事を私が知るまでにそんなに時間はかからなかった。噂も聞いたし、知らない女の人からもよく電話がかかってきていたから。そして段々とふたりで出掛ける事も少なくなっていった。
この頃からだろうか。当てのない約束ばかりするようになったのは。あの頃の私は希望にすがるしかなかったんだ。きっと。
電車は私の住む街に停まる。私はホームを降りて空を見上げた。一面の青空。少し肌寒い風。私はひたすら前だけを見て歩いていた。余計な事を考えないように。
「お前って空気みたい」
コウはいつもそう言っていた。実際、彼は私がいる時でも平気に女の子と話していたし、ゲームばかりしていた。
「たまにはどこかに行こうよ」
私がそう言ってもめんどくさいの一言か今度とかそのうちと言う答えばかり。私、知ってたんだ。他の子とはいろんな所に出かけていた事。それは親友の美也も含めて。我慢ばかりしていた。一緒にいるのが辛くなるくらい。
「荷物はこれで終わりですか?」
業者のおじさんの問いに私ははいと急いで答えた。がらんと空っぽの部屋は私の心と同じ様に思える。隅々を見回して私は部屋を後にした。
さようなら。
今、思い出すのは辛い思い出ばかりだよ。
でも……いつかは楽しかったって言えるのかな。私は誰にも告げずにいなくなります。ずっと内緒で準備していたの。新しい家も仕事も探して。きっとコウなら私が居なくても何も変わらないよね。大丈夫だよね。
美也と幸せに。
そう、コウにメールを送り、私はアドレスを消した。トラックが桜並木を通った時、私は今朝の約束を思い出す。果たされない約束を。その時に電話が鳴った。
『理央!俺は……』
もう遅すぎるよ。既に決めたんだもの。
コウからの電話を切り、さらに電源を切った。
春の突風が桜を散らす。
「綺麗……」私は初めて泣いた。
Delete。
私は全てを削除した。
……
……
…………
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