第8話 最強の戦士
太陽が完全に沈み、とうとう夜が訪れたそのとき。
「──なんだ?」
フィアはかつて感じたことのない違和感を覚えた。気づけば全身の肌があわだって、足が細かく震えている。やけに寒い。まるで氷に閉ざされたようだ。
彼女には神力の流れが見えた。それは神から送られてくる愛であり、身体強化に魔法や奇跡といった術に用いるエネルギー。
戦いの最中でも、防壁の上に流れ込む神力がずっと見えていた。夜の神から送られているであろうそれは、常人と比べて圧倒的に多く濃いものだった。
しかし、それは今。
「は、はは……これは、すごいな」
防壁の上から飛び降りて歩いてくるアインを見て、フィアは乾いた笑いしか出なかった。兵士たちもオルガノも動きを止めている。
神力が見えないながらも、感じているのだ。
彼に送られてくる神力は、もはや巨大な滝のようだった。昼間には光の柱として映っていたそれが、ごうごうと音をたてる瀑布として見えた。
そして濃い。もし匂いがあるならば、えずくような血の匂いがするだろうとフィアは思った。
アインが右手を上げる。すると、エデュロはすぐさま兵士たちに撤退の命令を出した。オルガノはそれを追いかけない。そんな隙をさらす余裕がないのだろう。
「……ガークイン卿」
「なんでしょう」
「たしかにあなたの言う通りだった。彼はきっと──最強の戦士だ」
「よお」
アインはオルガノに対し、まるで友人のようにきさくに声をかけた。
「待たせて悪かった。夜じゃねえと、あんたに勝てそうになくてな」
「……いや、構わぬ。我も、どこかでこの時を心待ちにしていた」
アインはくすりと笑った。
「悪いやつだなあんた。長とやらから、夜にはおれと戦うなって言われてたんじゃないのか?」
「負けて死ねば叱責されぬ。勝って帰れば叱責させぬ」
「それもそうか」
オルガノは表情がないながらも笑っているようだった。しかし、とたんに真面目な声音になった。
「ただ、ひとつ頼みが」
「なんだ?」
「あの娘に、この壁をとっぱらうよう頼んでくれ。自在に飛べぬのでは全力で戦えぬ」
「……逃げない?」
「逃げぬ。いや、逃れられぬのだろう?」
アインはにやりと笑うと、防壁の手前まで下がったフィアに向かって声を張った。
「この壁! 解いてくれ!」
声は届いたらしい。フィアは少しの間迷うようなそぶりを見せていたが、エデュロがなにやら話すと光のドームが消えた。
「これでいいか?」
「感謝する、戦士アイン。──我はオルガノ。空の血潮のオルガノ」
そう言うと、オルガノはじっと見つめてきた。アインは一瞬なにを求められているのかわからなかったが、すぐに理解した。
「おれはアイン。ガリウスの息子アイン」
「──いざ!」
両雄が疾駆し、その肉体がぶつかり合う。
火ぶたが切って落とされた。
戦いが始まった瞬間、オルガノが抱いた感情は驚きだった。
はじめに自分が取った選択肢は突進。それに対し、小さな人間であるアインが取る選択は回避か魔法による迎撃だと思っていた。
だが。
「馬鹿な!」
アインに向けて叩きつけたはずの両腕は、彼に届く寸前で止まっていた。否、止められたのだ。オルガノからすれば小枝よりも貧弱に見える両手が、自分の巨木のような両腕を真っ向から受け止めていた。
ありえない出来事に体が硬直する。そこへ、衝撃。
「ぐ──ッ!」
胸元に強烈な熱。見れば、鱗が砕けてベコンとへこんでいる。そして、アインはまっすぐに片足を伸ばしていた。前蹴りだ。前蹴りで、鱗を打ち砕いたのだ。
「昼ならどうしようもなかったけどよ。今は薄っぺらい板切れみてえだ」
「なるほど、夜になると力が増すか──ならば!」
翼を思い切りに動かして空へ飛び上がる。喉元に意識を集中し、体中をめぐる神力を意識する。口腔に熱。それを膨らまし、火球として打ち出した。
高速で飛翔する死の塊。しかし。
「吠えろ星空」
アインが短くつぶやく。それは詠唱。黒髪の中で瞬く光がひときわ強く輝いたかと思うと、青色の光線が無数に飛び出して火球に衝突した。
空中で巨大な爆発が起こる。赤と青の火の粉がまじりあって草原に散らばる。まるで星の雨だ。それを一身に浴びるように両腕を広げている。
「次はどうする?」
「調子に乗るなよ──ッ!」
単純な正面衝突でかなわないのなら。空中に炎をまき散らし、そこへ神力で干渉する。消えゆくはずの炎は時が止まったように固定され、それから一気にアインへ殺到した。
「おっと!」
四方八方から飛んでる無数の火球。それを次々と回避するアインを凝視しながら、オルガノは再び喉元へ意識を集中させる。今度はさきほどとは違う。様子見の一撃ではない、本気の業火。
神力を練り上げ、より大きく、より速く、より熱く。もっと、もっともっともっと──。
その集中があだとなった。
アインと目が合う。彼は火球の群れを回避しながらもこちらに照準を合わせていた。ガントレットの刃が青く光っている。
「──そこだ」
肘が縦に振りぬかれた。青い光刃が高速で宙を切り裂く。それはまっすぐにオルガノへと向かい──。
「ぐッ、がァ!」
顔の右側を切り裂いた。角の根元から顎先にかけて深々と傷が刻まれた。眼球が裂けて視界が半分消えた。
あまりの痛みに悶え墜落する。顔を上げると、アインの姿が残った視界に飛び込んできた。まるで疲れた様子がない。まったく、相手にもしていないような冷たい表情。
そのときオルガノが抱いた感情は、怒りでも恐怖でもなく悔しさだった。
この世に生を受け、ずっと強者だった。それゆえに孤独だった。対等に戦えるものは現れず、ただ弱者を蹂躙する日々。
ついに現れた強者は、自分をまるで意に介さないほどの存在。
──我はとうとう、対等の戦いを知らぬまま死ぬのか。
そう思うと悔しくてたまらない。戦いだけを愛したのに。なんのために生まれてきたのか、これではわからない。
死ぬのはいい。だが、このまま終わりたくない。
ああ、神よ。夜の神よ。この命をささげてもいい。せめて一瞬だけでも、彼と戦うに足るだけの力を──。
「……終わったのか?」
墜落したあと動かなくなったオルガノを前にして、アインは強烈な違和感を覚えていた。
まったく動かないオルガノは死んでしまったように見える。しかし、光刃の傷はそこまでの手ごたえではなかった。闘志も燃え尽きてはいなかった。まだ動けるはずだ。
足元に血が流れてくる。致死量の出血ではない──。
「……熱い」
足を下げる。血に浸っていた部分が、ブーツ越しでもわかるほど熱かった。異常な熱だ。火の魔法を操るといえど、血が熱くなる道理はない。
硫黄のようなにおいが鼻腔をくすぐった。脅威を感じて後ろに飛びのく。前触れなく血だまりが発火した。まるで油のように煌々と燃え盛っている。
オルガノの体も、いつしか燃え盛っていた。紅炎に包まれた巨躯が立ち上がる。つぶれた右目からだけ、真っ青な炎が激しく噴き出している。
「……夢を見ていた」
「夢?」
「灰色の大地……どこまでも闇が広がる空の下で、夜の神と会った。そんな夢だ」
「……ま、夢の内容はどうでもいいかな。あんたもそうだろ?」
オルガノが笑う。表情はないが笑っているとはっきりわかった。
「その通りだ」
瞬間、アインの視界から巨体が消えた。
左側から気配を感じとっさにガードする。直後、全身に衝撃。草原の上を真横に吹っ飛ばされる。何とか着地。骨と内臓が悲鳴を上げる感覚。
「おいおい……」
オルガノは右腕を振りぬいた姿勢で固まっていた。まるで自分の力が信じられないように。しかし、すぐに笑みを浮かべて口上を叫ぶ。
「ここからだ──!」
熱い突風が吹いた。草原が一気に燃え上がる。呼吸するだけで内臓がやけどする感覚。無数の火球が夜空に浮かび、真昼のように明るくなる。敵はまさに炎の化身だ。
それでも。
「──そうこなくちゃな!」
それでも、最強は笑った。
数えきれない火球が飛んでくる。同時にアインも駆け出した。光をまとった両腕で、次々と迫りくる死を打ち落とす。
オルガノが右から左に首を動かす。業火が巨大な津波となってなだれ込んでくる。とっさに踏み切って高く飛んだ。背中を焦がしながら飛び越える。
──あと10歩。
尾を避けて踏み込む。
──あと5歩。
爪をかいくぐって滑り込む。
──あと3歩。
牙をかすめて飛び込む。
──あと1歩!
オルガノの胸元めがけて手を伸ばす。しかし、それは届かなかった。
暴風が吹きすさび、巨体が宙に浮かび上がる。頭上から途方もない熱量。神力の守りを貫いて肌が灼ける感覚。間違いなく、最強の一撃がくる。
腰を落とし、両腕を引く。手は開いて掌底の構え。
「行くぞ、アイン!」
「来い、オルガノ!」
オルガノの口元で光が弾けた。世界が白く染まる。地上の太陽が落ちてくる。
迎え撃つのは最強の一撃。
アインの両掌で神力の塊が渦を巻く。それを一息に、真上へ叩きつけた。
「月雷の双掌」
白と青の光が衝突する。世界を揺るがすような衝撃。大気が砕け、アルバスの防壁に亀裂が入る。
すべてが収まったとき。
そこに立っていたのは、アインだけだった。
オルガノは胸に大穴を開けて地面に倒れ伏している。もう、二度と動くことはない。
「ありがとよ。旅立ちにあんたと戦えてよかった」
敗者に感謝を告げ、アインは街のほうを振り向く。すると、すぐそこにフィアが立っていた。
「すごいな」
「だろ?」
「わたしはきみの存在に勇気をもらって外の世界に出ることを決めた。そして、それは間違いじゃなかったようだ」
フィアはスッと手を伸ばしてきた。躊躇せずその手を握る。
「おれはエルデベインを倒して夜世界に父さんを探しに行く」
「わたしは父と世界のために使命を果たす。──目的は違うが、道は同じだ。ともに行こう、アイン」




