第5話 アルバスの街
「ん……」
アインが目を覚ますと、そこは慣れ親しんだベッドの上だった。要塞に用意された部屋ではなく、アルバスの西地区にある自宅の部屋だ。
教皇シベリウスからの依頼に、アインはその場で返事をすることができなかった。彼は逃げるように戦場へおもむいたが、そこからも追い返された。エデュロが戦うことを許さなかったのだ。
──ガルバと戦わせたのは、おまえが名代殿の騎士として昼も機能するかを確かめるためだ。もうおまえは私の一存で戦わせられる人間ではない。
ということだった。そう言われてはどうしようもないので、すごすごと自宅に退散して眠ったのだ。
体も心もよほど疲れていたらしく、十分に眠ったあとだというのにもう半日眠ることができた。窓の外に星空が見える。
「寝すぎた……頭痛え」
こめかみをおさえながらベッドを降りる。すると、家じゅうにドアノッカーの音が響いた。
一瞬だけ魔獣襲来の知らせかとも思ったが、竜と戦った日の襲撃が夜の前に撤退したことを思い出した。そして、教皇とエデュロの会話から、それが継続するものであろうことも。
そもそも襲撃があったにしては街が静かすぎる。
そう、静かだ。街は静かだった。まるで昨日までの激動が嘘のようだ。
「ぜんぶ夢だったとか」
言いながら玄関へ向かいドアを押し開く。立っていたのは。
「やあ」
「……夢じゃなかった」
案の定フィアだった。
「なにしにきたんだ。返事なら、まだ決まってないぞ」
「安心しろ、依頼についてじゃない。そう簡単に決められることじゃないからな。そうじゃなくて──」
フィアは微笑みながら外を指さした。
「案内してくれ」
「は?」
「恥ずかしながら箱入り娘でな。夜の街を出歩くのなんて初めてなんだ。この街に慣れた夜人といえば、きみだ」
なんて名案。フィアは心底楽しそうにニコニコ笑っている。アインは呆れてしまった。昼世界の命運を握っているにしては能天気だ。
「やだ」
「やだ? やだと来たか。きみは子供か」
「そんな気分じゃないんだよ」
「なんだ、恩知らずめ。助けてやったのに。ああ、カルパよ。与えれば与えられる、あなたはそうおっしゃいますが、この男は──」
「……ちょっとそこで待っててくれ」
扉を閉めると、アインは寝室に戻って適当に身だしなみを整えた。すぐにフィアのもとへ戻る。
「うん、素直なやつは好きだ」
「悪魔かあんた」
フィアに連れられてしぶしぶ家を出る。家はアルバスの西の砂浜に立っている。海がすぐそこで、潮騒を聞きながら眠るのが心地よい。
「それにしても」
とフィアが振り向く。彼女は家を見上げてなにやら感心していた。
「なんか珍しいか?」
「いや、わたしはずっと教皇庁の中で暮らしていてな。一般的な家についてよく知らないんだが……この家は大きいよな?」
「ああ、うん。デカいよ。持て余してる」
アインも自宅を見上げる。木造の2階建て。砂浜の上に建てるために石の基礎が深くまで打ち込まれている。内装もそれなりだ。
ふつう都市部の家というと集合住宅だ。個人が戸建てを持っているのはかなり珍しい。
「借りてるわけじゃないんだろう?」
「父親が買ったんだ」
「ふうん」
フィアは街のほうを指さして言う。
「あっちに買えばよかったのに。ここは少し不便じゃないか?」
アインは苦笑した。
「おれは夜人だからな。昼人の街で暮らすなら、ちょっとした遠慮がいるんだよ」
そう言うとフィアは納得したようだった。つまり、昼世界における被差別対象である夜人が、街の真ん中に住むわけにはいかないということだ。
「面倒だな。見た目では区別もつかないというのに」
「そういうもんなんだよ。むしろ、あんたが変なんだ。なれなれしすぎる」
「こっちはきみを騎士にしようというんだぞ? 怖がってどうする」
「そりゃそうか。で? どっか見たいところでもあるのか?」
「そうだな……」
フィアは小さな手で顔の下半分を覆い隠した。何かを考えるときの癖らしい。しばらくのあと、彼女は微笑んだ。
「きみがいつもどんなふうにこの街で生活しているのかを見せてくれ」
「はあ? なんだそりゃ」
「見たいんだよ、きみという人間を」
やはりつかみどころのない少女だとアインは感じた。しかし、これは命を助けられた恩返しだ。要求されれば断る道理はない。
「なにも面白くねえよ?」
「まずきみが面白い。だから、きみのすることはなんでも面白そうだ」
腑に落ちないまま歩き出す。砂浜と街をつなぐ階段を上ると、すぐに喧騒が出迎えた。
夜だというのにとても明るい。街路の両脇に軒を連ねたショップハウスが外灯をともしているからだ。
ショップハウスというのは、1階が店舗になっている家屋のことだ。2階は集合住宅になっていて、店主とその家族や徒弟が住んでいる。
屋根は赤レンガで統一されているが、木造の本体部分はカラフルに染められている。軒先では呼び込みが声を張り上げ、それにつられた通行人が出たり入ったり。
「にぎやかだな」
フィアがつぶやいた。家に来るまでの道のりで見てきたはずだが、それでもまだ珍しいのだろう。アルバスについてちょっとばかし解説してやろう。アインはそんな気になった。
「昼世界の海は大陸を挟んでふたつあるって言われてる」
「西の朝洋と東の夕洋だな」
「そう。で、そのふたつを行き来しようと思ったら、大陸の南を大回りするか、運河を使うかだ」
歩きながら話していると川に突き当たった。といっても小河川ではない。
「で、これがいくつかある運河のひとつ。アルバス運河」
西から東までをまっすぐつらぬく水路。向こう岸までの幅は最大級の貿易船がすれ違えるほどで、川岸は強固に舗装されている。大小さまざまな船がひっきりなしに行きかっており、まさに西と東をつなぐ結び目だ。
「壮観だな」
「すげえよな。エデュロが指揮して、たった3年で造ったんだ」
「ガークイン卿は建設もやるのか」
「なんでもやるぜ、あいつ。それに、この運河は軍事とも無関係じゃない」
「というと?」
フィアの疑問に、アインは川の上にかかる大きな橋を指さした。
「もし防壁が落とされたら、あの橋を落とすんだよ。そしたら、この運河は第2の防壁になる」
「ああ」
フィアは手を打って感嘆を示した。この運河は平時であれば街を潤す一大航路であり、危急の事態に陥れば強固な防壁となるのだ。
「大したものだな」
「そうさ。で、おれがいっつもぶらつくのはこの橋を渡ったほう」
「こっち……南側はあまり使わないのか?」
「こっちは一般の市民とか、運河を使う商人に向いた店が多いんだ。兵士とか傭兵向きのはあっち」
フィアと並んで橋を渡る。彼女は足元を通っていく船団を見下ろし、ほほを薄っすら染めてはしゃいでいる。本当に箱入りらしかった。
北側につくと、少し街の様子が変わった。南側はどこか洗練された雰囲気だったのに対し、こちらはなんとなく粗野で無骨な気配をかもしている。
全体的に色がない。建物も木造から石造りに変わった。
「いかにもだな」
「戦場に近いからな……おーい」
なおざりに返事すると、アインはいちばん手前の店に向かう。中に入ると、出迎えたのは不愛想な壮年の男だった。
「アインか」
彼は興味なさげだったが、後ろからついてきたフィアを見ると目を見開いた。
「女連れ……!?」
「ただの依頼人だ」
「あ、ああ。びっくりしたぜ……」
男はまだ驚きから抜け出せない様子で、まじまじとフィアを見ている。フィアのほうは視線を意に介さず商品を見ていた。
「武器を売っているのか」
「そ。ファブリ、頼む」
ファブリと呼ばれた男はアインからガントレットを受け取ると眉をひそめた。
「刃が歪んでる。なに切ったんだ?」
「猿と竜」
「バカじゃねえの……」
そう言うと、彼は奥の鍛冶場に引っ込んでいった。その背中を見届けてフィアが口を開く。
「彼は夜人か?」
「いや?」
「そのわりには、ふつうだな」
「ま、7年も付き合ってりゃな。最初はもっと不愛想だったよ」
それからしばらく商品について話した。フィアの興味津々な様子がアインには少し意外だった。
話のタネが尽きるころになってファブリが戻ってきた。
「直したぞ」
「助かる」
「無茶な使い方は控えろ。おまえには魔法があるんだから、そっちを使えよ」
「昼に戦ったんだよ」
「昼に?」
「じゃ、あんがと」
銀貨を1枚おいて店を後にする。次に向かうのははす向かいの店だ。
「ばあさん、久しぶり」
「おや」
出迎えたのは痩躯の老婆だった。肌の質からして相当な歳のはずだが、かくしゃくとして背がすらりと伸びている。
「あんた最近来ないからくたばったと思ったよ」
「おれが死んだら、あんたも魔獣に食われてるよ」
「まるで自分ひとりで守ってるみたいな物言いだね。傲慢は身を滅ぼすよ」
「次は本屋か?」
遅れて入ってきたフィア。老婆はファブリと同じように驚いた。
「あんた、とうとう女を!」
「いや、ただの依頼人」
「恥ずかしがることはないよ。ばあさんは全部わかってる。とうとう春が来たんだね」
「違うって」
「フィアだ。夫が世話になっているようで」
「あんたも乗るなよ」
なにやら盛り上がり始めたふたりを放置して、アインは本の物色を始めた。数十年前はすさまじく高価なものだったそうだが、転写の奇跡が普及して一気に安くなった。
「あれ」
目当ての本が並んでいるところを目でなぞったが最新刊がない。
「ばあさん、『プティマイオス』の最新刊は?」
「入ってないよ」
「はあ? あれ、ずいぶん前に出ただろ」
「次の巻がなかなか出ないからね。もしここで打ち切りなら、入れても売れやしないから」
アインは愕然とした。そんなことが許されていいのか。
「拝金主義のババア」
「うるさいよ、不能のガキ」
「なんでだよ。おれの見たことないだろ」
反論すると、老婆は呆れたようにため息を吐いた。
「あんた、この娘の依頼を断ってるんだって? 男なら、こんな美人が頼ってきたらおったてて力になるもんだよ」
「やめてそういうの。なんか……やだから」
「ふん。目が青けりゃケツも青いらしいね」
「ところで」
フィアが口をはさんだ。ふたりの視線が彼女に向けられる。
「おったてるとはなにをだ?」
衝撃の発言に老婆は腰をぬかしかけた。
「箱入り……!」
アインも驚きを通して恐怖した。
結局何も買わずに店を出た。
「ところで」
「訊くな」
「彼女の名前は?」
「ああ、そっち……おれも知らね」
「ええ……」
次に向かったのは少し防壁に近いほうの店だ。両開きの扉を押し開くと、料理と酒の匂いがあふれ出した。
「あっ、アインだ」
「おお、アルバスの剣よ」
「将軍の客人も一緒だぞ」
テーブルについている連中が一斉に声を上げる。みなアルバスの兵士で、アインからするとだいたいは見たことのある顔だ。
カウンターにつくと、すぐに若い女がやってきた。
「アイン、今日はデート?」
「これもう3回目なんだけど、ただの依頼人」
「なあんだ、残念」
エプロン姿の女は肩をすくめた。それから、カウンターに埋め込まれたワイン瓶にしゃくを突っ込む。
「飲まねえから」
「なんでよ。居酒屋よ? ここ」
「毎回言ってるけど。エデュロが怒るんだよ」
「あの人、まだあんたのこと子供だと思ってるもんねえ」
女はアインに酒を飲ませるのをあきらめ、その矛先をフィアに移した。
「わたし、エマ。あなたは?」
「フィアだ。いただこう」
「え」
アインは驚いて、まじまじとフィアを見る。なんど見ても小さい。
「飲めんのか?」
「15だ」
「あ、そう……」
ちょうど飲めるようになる年齢だった。そもそもほとんど守られていないルールだが、体格からして少し心配になる。
そんな心配をよそに、エマはジョッキになみなみワインを注いだ。フィアは中身を見て、
「ワインなのに泡が」
「この瓶なかでもういちど発酵させてるの。シュワシュワするわよ」
「ああ、なるほど」
フィアはジョッキを持ち上げると、臆することなく口をつけた。白く細いのどがゴクゴクと動く。
「うまい」
「よかった」
エマは嬉しそうに笑って注ぎなおした。
「あんま飲ますなよ」
アインの言葉は届いていないようだった。フィアはどんどん飲むしエマはガンガン注ぐ。
呆れて視線を外す。兵士たちは料理と酒でどんちゃん騒ぎだ。と言っても、明日も仕事のあるものは飲んでいないらしい。
彼らはシベリウスの予言を知らない。最近の戦いが多少苦しくとも、このアルバスが落ちることはないと思っている。
しかし、落ちるのだ。明日すぐにでもということはないだろうが、そのうちに落ちる。
落ちれば、街の北側は放棄される。
アインはフィアのほうに向きなおった。話をしなければならない。使命を持ってきたこの少女と──。
「え?」
カウンターの上に空になったらしい瓶が並んでいる。
「え? なに? これぜんぶいったのか?」
「アイン、この子すごい! 底が抜けてるのかも」
「いやいやいやまずいだろ! 死ぬぞ!」
「大丈夫だ」
「いや大丈夫なわけ──」
言いかけて、アインは絶句した。フィアの肌は白いままだった。声もはっきりしているし目の焦点もあっている。まったく酔っている様子がない。
「え、こわ……」
「酔わない体質なんだ」
「限度あるって。おれなんか2杯も飲めば頭痛くなんのに」
フィアがなおも飲もうとしたので、アインは制して金を払った。目が飛び出るような額だった。
エマに送り出されて店を出る。
「で、満足してもらえたか?」
「うん」
フィアは満足そうにうなずいた。
「きみという人間のことが少しわかったような気がする。さて──」
少し話そうか。フィアはそびえたつ防壁を指さした。




