第4話 世界からの依頼
机に置かれた指輪の上に浮かび上がる老人の胸像。彼が現在の昼世界の統治者である教皇だという事実に、アインは現実感を失っていた。夜人である彼はカルパ教を信仰してはいないが、それでも教皇と言えば雲上人だ。
しかも、これまでの流れから察するに、その教皇が自分に用があるという。
「フィアよ、無事に彼と合流できたことをほめて遣わす。よくやった」
「当然です、お父様。わたしがあなたの言いつけをやぶったことなどあったでしょうか?」
「……数えきれんが」
シベリウスとフィアがなにやら話しているが、どうも耳に入ってこない。
ああ、おれって権力に弱いんだな──。
そんなことを考えていると、アインはエデュロが自分をじっと見つめていることに気が付いた。真面目な顔をして目の奥で笑っている。この小市民め。そう言われた気がした。
「──して」
おごそかな声がして、現状へ意識を向けなおす。シベリウスはこちらの様子が見えているようで、エデュロのほうに視線を向けた。
「どこまで話を?」
「猊下から予言があった、というところまで」
「そうか。では、ここからは余が彼に話そう」
そう言うと、シベリウスはアインのほうに視線を向けた。眼力につらぬかれ背筋が伸びる。
「アインよ。奇跡とはなんであるか」
「は……?」
「奇跡とは、なんであるか」
予想していなかった質問に面食らう。しかし、この大人物を待たせることにいいようのない抵抗を覚え、なんとか意見を述べる。
「き、奇跡は……昼世界の生き物だけが扱えるもので……昼の神から送られてくる神力を消費して現実を書き換える秘術です」
「ふむ、ずいぶん教科書的な答えだ。どこかで神学を?」
「父から」
「そうか……まあ、それは今はよい。夜世界における奇跡を魔法と呼んだりもするが……それも、今は置いておこう」
シベリウスはひとつ咳をした。それからまた口を開く。
「奇跡の効果は個々人によってさまざまだ。火、水、風、土といった四元素をあやつるものもいれば、それらとはまったく異なる──たとえば物体を入れ替えたり、人形を操ったり、武器を生み出したりするものもいる」
シベリウスがそう言うと、フィアはサッと右手を掲げた。すると手のひらに光の円盤が現れ、そこから一振りの質素な剣が現れた。
「と、このようにだ。そして、余も固有の奇跡を持つ。それが──」
「予言、ですか?」
アインが言葉尻を引き取ると、シベリウスは静かにうなずいた。
その予言が、アルバス陥落の根拠になるという。しかし、どうにも納得できない。
「予言の奇跡は、おれも知ってます。あれを使う人間は多い。でも……言っちまえば、けっこうでたらめが多いというか……」
「その通り、予言の奇跡というものは往々にしてでたらめだ。しかし、余の予言は違う。当たるのだ。必ずな」
そう言われても、アインとしてはやはり得心がいかなかった。必ず当たる──場末の占い師から高名な予言者まで、だれもが口をそろえてそう言うものだ。この教皇だけが特別だという根拠がない。
「アイン、猊下の言っていることは本当だ」
「エデュロ……」
「約550。観測隊が数えた、今回の襲撃を構成した魔獣の数だ。猊下は今回の襲撃を予見しておられたし、その数を553とおっしゃっていた。そのほかにも、私は数多く猊下の予言を目の当たりにした」
「いや、けどさ」
「──アインよ」
エデュロの意見に反駁しようと口を開く。すると、シベリウスが静かに割り込んできた。
「今、予言が降りた」
「え……」
「エデュロよ、そちらはちょうど朝になるころか?」
「は、すぐに夜明けです」
「そうか……やはり、魔獣は明確な意思によって統率されているようだ」
「ッ! では?」
「昨日の倍の襲撃がすぐに始まる。急ぎ備えよ」
「了解いたしました。アイン、おまえはここに残って話の続きを。もうすぐ朝になる。おまえの魔法は使えん」
そう言うと、エデュロは血相を変えて部屋から出ていった。
アインは、まだ信じられなかった。というより、信じることを拒んでいた。もし、たったいま行われた予言が成就すれば。それは近い将来にアルバスが落ちるという予言にも説得力が出てくることになる。
そうなれば。
──父さん。
強烈な頭痛とともに、在りし日の光景がよみがえった。去っていく父の背中。まだ子供だった自分の一歩は小さくて、到底追いつけない。
「──アイン」
「ッ!」
耳に自分の名前が飛び込んできて現実に戻る。気づくと、フィアがいぶかしげにこちらを見ていた。
「どうした?」
「い、いや……」
「なら窓の外を見ろ。始まったらしい」
フィアにそう告げられて、足が反射的に窓際へ向かった。北を見る。昏暁門の奥から、黒い大群が押し寄せてきている。
魔獣だ。
「ほんとうに来やがった……」
呆然とつぶやく。教皇のほうを振り向くと、彼は予言の成就を誇るでもなく、まっすぐにアインを見据えていた。
「信じてもらえただろうか」
「う……」
こうなれば、もはや納得するほかない。信じるほかない。教皇シベリウスの予言は絶対であり──防壁都市アルバスはじきに落ちる。
しかし、ひとつ疑問が残った。それはもっとも大きなものだ。
「どうして……」
「ふむ」
「どうして、その話をおれに?」
「そう、それが本題なのだ」
シベリウスは我が意を得たりとばかりに深くうなずいた。これから、この対談のもっとも重要な核心に触れる。そんな予感に、アインは身を固くする。
「7年前の災禍を、そなたは覚えておるな」
7年前の災禍。アインには思い当たる出来事はひとつしかなかった。そして、そのひとつはあまりにも巨大で、自分の人生の分岐点とも言えるものだ。
「エルデベイン大事変」
──魔竜エルデベイン。昼世界史上最悪の敵。史上最強の夜種。
それは7年前に突如として昼世界に現れ、7つの国を滅ぼした。直接的な死者の数は約100万人。副次的なものを含めれば数倍に膨れ上がる。経済的、文化的損失も計り知れず。文明が50年後退したとも。
「あの魔竜は昼世界に壊滅的な打撃を与えたのち、昏暁門を抱えるアルガ山に住み着いた。それ以来、奴は門に近づく魔獣以外の生物を殺戮している。対魔獣戦線が防戦一方なのは、奴が原因だ」
魔獣は昏暁門を通って、北の夜世界からやってくる。であれば、魔獣災害の根本を断つためには夜世界へ赴いて調査するのが道理。しかし、魔獣以外の生物を見境なく鏖殺するエルデベインの存在によってそれはかなわない。
「しかし、アルバスは落ちる。魔獣は勢力を増して昼世界に侵入するだろう。そうなれば終わりだ。取り返しがつかない。こんどは一国が滅びるだけではすまない」
シベリウスの言葉はだんだんと熱を帯びて加速し始めた。対談は、どうやら終結に向かっているようだ。
「そこで余はエルデベインの討伐を画策した。奴を討てば、夜世界へ魔獣の調査に向かうことができる。私は夜世界の指導者の人物を知っている。彼が魔獣を使役し、こちらの世界に差し向けているとは到底思えない。きっと何かわけがあるはずなのだ。だが!」
シベリウスはそこで言葉を切った。そして心底憎々しげに口をゆがめて、ひときわ低い声で絞り出すように言葉を紡ぎなおす。
「奴を打ち倒すには昼世界の総力を結集させる必要がある。しかし、いくら余であっても各国の全軍を徴収する権利などない。ゆえに余は自らの足で出向き、王や皇帝とじかに話し、ときには懐柔し、ときには武力でもって脅し、エルデベイン討伐の協力をとりつけてきた。だが──」
そこでシベリウスは大きくせき込んだ。湿り気の混じった咳だ。口をおさえた手が開かれる。
手のひらは真っ赤に染まっていた。
「余の命は、もはや尽きた。あとほんの少しであったというのに……この体は持たなかった。今となっては、奇跡の補助がなければ話すこともままならぬ」
シベリウスの後ろにほかの人間の姿が映りこむ。介添え人や医者のようで、ひどく焦っている。本来、こうして長く話をできるような容体ではないのだろう。
「だが、あきらめるわけにはいかぬ」
しかし、シベリウスの目は死んでいなかった。開いた瞳孔の中に、確かな輝きが宿っている。
「余は託した。依然として説得に応じない残りわずかな国々の説得を、我が娘にな」
「それが……」
「そう、わたしだ」
フィアが答えた。アインは驚いた。この小さな少女は、計り知れないほど巨大な使命をその双肩に乗せていたのだ。
「そして、わたしは騎士を欲した。過酷なものになるであろう旅路を支えるための騎士を」
黄金の瞳が射抜いてくる。もはや、聞かずとも理解できた。自分がこの話を聞かされている意味を。
「余はフィアの願いを聞き入れ、ガークインに連絡を取った。余が知る限りもっとも戦場に通じた男が彼だったからだ。ガークインは言った。昼世界でもっとも強い戦士を知っていると」
いつのまにか、全身が震えるのを感じていた。恐怖か。武者震いか。あるいは別のなにかか。
逃げてしまいたかったが、足が床に縫い付けられたようだった。
そして、その宣告はやってきた。
「アインよ。傭兵としてのそなたに、教皇シベリウスの名において依頼する」
それは人生を揺るがす、世界からの依頼。
「我が娘にして名代たるフィアの騎士として国々を回り、王を、皇帝を説得し戦力を集め──魔竜エルデベイン討伐を成し遂げるのだ」
こうして、彼の運命は回りだした。




