第3話 教皇
竜との戦いのあと、アインとフィアは軍の駐屯地である要塞へともどった。この要塞はアルバスの防壁と一体化しており、石造りの重厚な姿は昼世界防衛の象徴だ。
一通りの処置を受けたあと、アインはすぐに自室で眠った。激闘の疲れもあったが、それ以上にこれは義務だ。
彼の仕事は夜人としての特性を活かし夜戦を受け持つこと。昼人の兵士たちを安心して眠らせてやることだ。そのために、星が出るまでには万全に戻らなければならない。
「ん……」
目を覚ます。戦いを終えたのが正午を過ぎたころだったので、それほどは眠れないだろうと覚悟していた。そのわりには体から疲れが抜けており、アインは違和感を覚えた。
「ん、んん?」
寝ぼけたままの目をこすって窓の外を見る。満点の星空だ。
「──うお!」
「うわ!」
まさか寝過ごしたのか。そう思って飛び起きると、となりで驚きの声が上がった。見れば、昼間の少女──フィアが椅子の上でのけぞっていた。
「び、びっくりした……! なんだきみは。いきなり大きな声を出すな」
「わ、悪い──いや、それより!」
ベッドから降りてドアへとびかかる。なかば蹴破るように押し開くと、肩に手がかかった。
「落ち着け。魔獣の群れは撤退した」
「は……」
撤退。いままで魔獣と戦ってきて聞いたことのない言葉を告げられ、アインは思考を停止させた。
フィアが細い指で窓の外を示す。慌てて外を見下ろすと、たしかに静かだ。北の草原は静まり返って、戦火の明かりもない。
「撤退って……あいつらが?」
「そのようだ。わたしも詳しくは聞かなかったが、夕方になるといきなり北へ引き返したらしい」
どうにも信じられなかった。アルバスへ来てから7年、ずっと夜戦を担ってきたがそんなことは一度たりともなかった。
「どうなってんだ……?」
「さあな。それよりも、ガークイン卿が呼んでいるぞ」
「ガークイン──ああ、エデュロか」
言づて助かった。そう言ってアインは部屋を出た。廊下を歩いていく。春の夜だが、アルバスは赤道直下にあるためムッと暑い。
「この国は暑いな。わたしの国はこんなに暑くなかった。四季もあったし」
少し遅れてついてきたフィアがぼやいた。手でパタパタと顔を仰いでいる。
「まあ、その修道服じゃな。下に鎧も着てるんだろ? そりゃ暑いさ」
「まったくだ。父がこの格好でいろとうるさくてな。わたしは土地の服を着てみたかったんだが」
「ああ」
「きみはいいな、涼しげで。しかし、そんな薄っぺらい服で危なくないのか?」
「避けりゃいいから……」
「ほお、大したものだ。わたしもそれくらい言ってみたいんだが、どうも運動は苦手でな」
「へえ……あの」
「ん?」
「なんでついてくんの?」
そう尋ねると、となりを歩くフィアは素っ頓狂な表情で見上げてきた。それからしばしして破顔した。
「そういえば話していなかったな。ガークイン卿はわたしときみを呼んだんだよ」
「ああ、なんだ。それでか」
アインは安心した。実のところ、さきほどから薄っすら怖かったのだ。どうしておれが寝ているところを見ていたんだ、と。
「だから部屋に来てたんだな。おれが起きたときに、たまたまタイミングが重なっただけか」
「いや、ずっときみの顔を見ていた」
「……あ、そう…………」
恐怖が再燃した。なんで? 脳裏を疑問が埋め尽くす。これは本人に尋ねてもよいものか。
「なにしろわたしの騎士になる男だからな。顔は大事だ。見たところ、まあ、及第点をやってもいい」
「顔の採点されてたんだ、おれ……」
ひょっとするとかなり変な人物なのかもしれない。アインはちょっと距離を置こうと思った。助けられた恩はあるが、それはそれだ。
そして、もうひとつ気になることがあった。
「アルバスに戻るときも言ってたけど、その騎士ってのは?」
そう尋ねると、フィアはとたんに真面目くさった顔になった。ふむ、と顎に手を当てて考え込む。それからフッと顔を上げた。
「着いたな」
言われてアインも気が付いた。エデュロ・ガークインの執務室の前だ。
「ガークイン卿、わたしだ。入るぞ」
フィアは返事を待たずにドアを開いた。
執務室はよく整理されていて、質素で、アインは入るたびに感心させられた。ここまで人格を反映した部屋もそうそうないだろう、という感心だ。
余分な装飾は一切なく、壁は本で埋め尽くされ、中央の机には無数の書き込みが入った地図が広がっている。全体的にほこりっぽいのは、信頼に足る人間以外は清掃のものすらいれていないという話だ。
「……名代殿、返事する前に入ってこられては困ります」
「世間知らずなものでな。許せ」
事務机の向こうからフィアの無礼を指摘したエデュロだったが、にべもない返事をされてため息をはくばかりだ。彼はフッとアインに視線を移すと、
「休めたか」
と尋ねた。
「寝すぎてだるいくらいだ」
そう返事すると、エデュロは満足そうに笑った。
「おまえは働きすぎだからな。それぐらいがいい」
「働かせてんの、あんた」
「それもそうだ」
「ガークイン卿、さっさと本題に」
フィアがいらだたしげに割り込んだ。言動といい、態度といい、なんとも横暴というか、尊大というか、いってしまえばずいぶん偉そうな少女だとアインは思った。
──いや、実際えらいのか?
アインは疑問を抱いたが、すぐに捨ててしまった。きっと、それを今から話すんだろう。
「では……アイン、竜との戦いの直前、私は話があると言ったな。今からするのがそれだ。そして、その話には彼女が深く関わっている」
エデュロは真面目な、あるいはそれを通り越して深刻な表情でそう告げた。
「まあ、じゃなきゃふたりして呼ばれねえわな」
「アイン、これはおまえが考えているよりはるかに重大で、巨大な話だ。そのつもりで聞いてほしい」
そう言われてアインはすこし鼻白んだ。エデュロと出会ったのは10歳の頃で、それ以来彼の懐刀として戦ってきたが、子供時代を知られているからかどうも甘い対応をされていると感じていた。こんな風に言われたのは初めてだった。
「と言っても、何から話したものか──そうだな、まずはこのアルバスの将来について話そう。まず結論だが──」
エデュロは短く息を吐くと、意を決したように告げた。
「このアルバスはじきに堕ちる」
オチル。堕ちる? アインは少し遅れて言葉の意味を理解した。
「堕ちるって……魔獣に攻め落とされるってことか? いや、たしかに今回の群れは数が多かったけど……そうすぐにどうこうなることはねえだろ。実際、今日だって撃退できたんだろ?」
「魔獣は夕刻になって自発的に撤退した。それまでの戦況ははっきり言って劣勢だった」
劣勢。たしかにそうだったろう。アインはこれに関しては驚かなかった。それには理由がある。
魔獣。7年前に突如として昼世界に現れた脅威。彼らは昼世界と夜世界をつなぐ唯一の通路である昏暁門を通って北からやってくる。
魔獣は数こそ多くなかったが個々は強力だった。昏暁門のすぐ南に位置していたパルスという国は1週間ほどで滅んだ。
しかし、逆に言えばその程度の被害で済んだ。昼世界はすぐさま連合軍を結成し魔獣に対抗した。連合軍は魔獣の群れを瞬く間に押し返し、パルスの跡地にアルバスという防壁を築いた。
それ以来、飛行能力を持つ魔獣を除いてアルバス以南への侵入は1匹たりとも許していない。言ってしまえば、魔獣とはその程度の脅威なのだ。一国で相対すれば滅ぼされかねないが、昼世界が協力すれば敵ではない。
ゆえにこそ、各国はアルバスに最低限の戦力しか送っていない。余裕の采と言ったところだ。
だから、今回のように前例のない規模の襲撃があれば劣勢にもなる。しかし、やはりそれだけなのだ。
「エデュロ、あんたは昼世界すべての国に対して戦力を要求する権利を持ってる。それを使えばいい。どの国もまだまだ力を残してる。へそくり隠してんなって、言ってやりゃあいいんだよ」
「そうだな。襲撃の規模が今回のままなら、それでいい」
エデュロの言葉にアインはハッとした。確かにそうだ。昼世界の全戦力を集めても対応できない規模になったら?
「けど、群れの数がこのままの保証はたしかにねえけど、増えるって確証もないだろ? 今回だけ、たまたまかも。アルバスがすぐに落とされるって話は大げさじゃないか?」
「そうだな。普通ならそう考えるのが自然だ。だが、私には、群れの数が増え続けるという確証があるのだ」
おもむろに立ち上がるエデュロ。彼は静かな足取りで中央の机に向かい合った。それを真似するように、フィアも机に向かって立つ。アインはよくわからないままそれにならった。
「アインよ。この世界でもっとも偉い人間は誰だと思う?」
「え?」
「偉い、というのは子供じみた言い方だったな。つまり、もっとも権力を持っている人間は?」
「そりゃあ……」
この場合の世界というのは昼世界のことだろう。アインは考える。大昔は昼王という昼の神の代行者がいたそうだが、もう何百年もあらわれていないという。となると。
「カルパ教の教皇だ。いまなら、たしか……教皇シベリウス」
「そうだ」
エデュロは机の上の地図を指でなぞった。昼世界をぐるりと囲むように。
「昼人のほとんどすべてが信仰するカルパ教、その最高位聖職者たる教皇こそが、この昼世界の最高権力者だ。いかな王侯貴族であっても彼をないがしろにすることはできない。私に各国への戦力請求権を与えたのも教皇だ」
そう言うと、エデュロはちらりとフィアのほうを見た。すると、フィアは浅くうなずいて自分の右手に触れた。左手の中できらりと光るもの。どうやら指輪を外したらしかった。
「アイン。わたしはフィア殿を名代殿と呼ぶが、彼女がいったい誰の代わりであるかは考えたか?」
「い、いや……」
「そうか。しかし、話の流れからもわかるだろう。彼女は──」
教皇シベリウスの名代だ。
告げられた事実に、アインは呼吸を忘れた。
教皇、という存在がいかに巨大かということを実感できているわけではない。世界最高の権力者など雲の上の存在で、そのすさまじさを正確に推し量ることは政治に無縁なアインには不可能だ。
だが、言葉のもつ魔力は強力だ。小柄で横柄な命の恩人として映っていたフィアが、とたんに巨大な怪物のように思えてきた。
フィアが指輪を机の上に置いた。それは夜の暗がりの中で不自然に光っている。
「そしてわたしはその教皇から予言を聞いた」
「……予言?」
「そうだ。数千の魔獣によってアルバスが落ちる、という予言をな」
「ガークイン卿、準備ができた。いつでも構わない」
「お呼びしてくれ」
エデュロがそう言うと、フィアは何事かを唱え始めた。とんとん拍子に進んでいく話に、アインの頭はパンク寸前だ。
しかし、だれもかれも待ってはくれなかった。指輪の輝きが強まり、放たれる光が像を結ぶ。
机の上に老人の胸像が現れた。齢70を超えるであろう禿頭の老人だ。やせこけ、皮と骨ばかりの身体。だが、落ちくぼんだ両目には異様なほどの力がみなぎっている。
「お久しぶりです、お父様」
フィアが深々と頭を下げる。エデュロもそうしていた。アインは、呆然としてなにもできなかった。
「──そなたがアインか」
光の像が声を発した。いかなる奇跡によるものか、遠くにいるであろうこの人物はアインと対話が可能であるらしかった。
「あん……あなたは」
「シベリウス。余は教皇シベリウスである」




