9.置き去り
♢♢♢如月スミレ♢♢♢
「きゃああ! なんてこと、大丈夫ですか? ナタリア嬢」
目を開けた途端、顔に大火傷をしているナタリアが目に入った。私は慌てて手を伸ばし聖女の力を使う。強い光と共に彼女の傷が癒えていく。
「良かった。どうして、こんな事に? なぜ、このような場所にいるのですか?」
周りを見渡すとここはどう見ても囚人を収監する牢屋。如何にも悪いことをしそうな悪漢が囚われている場所。そこに昼間お茶をしたドレス姿の令嬢達が入っていて、隣には驚いたような顔のマテオがいる。
「元に戻ったのか?」
マテオの言葉の意味は分からないが、今はここにいる令嬢達を助け出すのが先だ。
「賊に囚われたのですか? 今すぐここを出ましょう」
呆気に取られて絶句する令嬢たちが安心するように、微笑んで見せる。
「ひっ、悪魔! 私に近付かないで」
薄紫色の髪の令嬢が私に怯えたように声を発する。
「すみません、貴方の名前なんでしたっけ?」
「ファビオラ嬢だ」
私はここにいる女の子たちの名前をナタリアしか知らない。でも、この先も知ったかぶりで通す訳にもいかないだろう。親切にも隣にいたマテオが教えてくれた。私がファビオラに近付き手を伸ばすと、彼女は腰を抜かした。
彼女のお尻のところに水溜りができる。どうやら漏らしてしまったようだ。
年頃の女の子が恥ずかしい思いをしたら可哀想。私は慌てて彼女の作った水溜まりのところに尻餅をつく。これで、彼女が失禁した事を隠せるだろう。
「滑って、転んでしまいました。ここ暗くて怖いですよね。早く出ましょう」
皆が私を怯えたような目で見ている。友達になりたいのに、どうして自分が避けられるのかが分からない。
「大丈夫だ。アドリアーナ。ここにいる令嬢たちは解放する。一緒に城に戻ろう」
マテオが助け舟を出してくれてホッとした。死ぬと無になると思ってたのに、新しい人生を生きている今。この「生」を大切にしたい。そして目の前にいる優しい旦那様と楽しく仲良く幸せになりたい。
ドレスが臭くなって濡れているのに、マテオは私を横抱きにした。いわゆる憧れのお姫様抱っこというやつだ。
「マテオ、城に戻ったら一緒にお風呂とか入ってみますか?」
お尻がべちょべちょだ。だからと言って、私は自分でも大胆なことを言ってしまい恥ずかしくなった。
「一緒にお風呂?」
マテオの顔が真っ赤になる。女性慣れしてそうな男に見えたのに、意外と初心。私も男の人とは付き合うのが初めてで、彼をリードする自信はない。
「やっぱり、今のナシです。もう少し仲良くなってからにしましょう。直ぐに着替えるので待っててくれますか? 温室の薔薇園を一緒に散歩したいのです」
私の提案に一瞬、マテオが迷った顔をした。もしかしたら、忙しかったのかもしれない。
「やっぱり、今のもナシ⋯⋯」
私の唇にマテオの人差し指が当てられる。
「アドリアーナ、君が着替えるのを待ってるよ。君の瞳のように美しい赤いドレスを送っといたから、それに着替えてくれ。薔薇園も良いが今は婚礼の舞踏会の途中だ。最後くらい顔を出さないか?」
「舞踏会は踊る練習をしてからでも良いですか?」
社交ダンスは少し習った事があるが、皆に注目されながら踊る程上手ではない。
「練習? 分かった。今晩は二人で夜の薔薇園を散歩しよう」
マテオの首に強く絡みつくと、彼が私の髪を撫でてくれた。公式行事よりも、私の要望を聞いてくれる優しい旦那様だ。
カルラに入浴を手伝って貰い、ルビーが沢山ついている色鮮やかな真っ赤なドレスに着替える。素敵なドレスを着ると、一気にお姫様になった気分になれた。
薔薇園の所まで行くと、マテオが私と揃いの赤い礼服に着替え待っていてくれた。
「マテオ! ペアルックですね」
彼の気遣いが嬉しくて飛びつくと、彼も私を愛おしそうに抱きしめ返してくれる。辺りは真っ暗で燭台の灯りだけが頼りだ。とてもロマンチックで、隣には美しく優しい旦那様。
「そうだな。では、真夜中の温室を探検をしようか」
マテオが静かに言った言葉に私は頷く。温室の中に入るとガーデンテーブルの近くに、黄色い薔薇の花びらが飛び散っているのが見えた。
茎が折られたのは黄色い薔薇はヘンリーフォンダという品種。棘が多い薔薇として有名で、棘には血も付いている。
「酷い⋯⋯誰がこんな事を」
私は聖女の力で薔薇を復元しようと努める。しかし、一度散ってしまった命を戻すことはできない。
涙を流す私の手から、薔薇をそっと奪ったマテオ。彼はそっと懐から取り出したナイフで、薔薇の棘を丁寧に落とす。そして、そっと私の髪に棘の落とした薔薇を刺してきた。
「美しい君を彩らせることで、この薔薇の最期を楽しもう」
マテオの言葉に私は思わず胸を抑える。なんて、素敵な考え方をする人なんだろう。
「私、ますますマテオの事を好きになってしまいそうです」
彼の紡ぐ美しい言葉に思わずこぼれた感動の涙を拭いながら、私を見つめ続ける旦那様に微笑み掛ける。
「泣き顔も美しいな。心を奪われてしまいそうだ」
マテオは目を逸らしながら呟いた。
「ふふ、まだ私はマテオの心を奪えていなかったのですね」
昨晩、激しく愛しあって身体は結ばれたが、心はまだだったようだ。
私はもっと彼と仲良くなりたくて、彼の腕に絡みつく。
なぜかマテオは私の腕をそっと振り解いた。
「三年前、一度、ロランド公爵邸でカーテンの隙間から覗く君と目が合った。覚えているか?」
マテオの目がいつになく真剣な眼差しを向けてくる。私はこの時になって初めて気が付いた。異世界転生をしていた気になっていたが、昨夜より前の過去の記憶がない。私は十八歳まで生きた異世界のアドリアーナに憑依しただけなのかもしれない。
「流石に覚えていません。そんなに昔のことは⋯⋯」
マテオに正直に話した方が良いだろうか。
でも、信じてもらえる気がしない。ただ、この緊迫した雰囲気を何とかしたい。私は何も悪い事をしていないのに酷く責められているようだ。
「あの時の事を覚えていないはずないんだ」
「目が合ったって、一瞬の事ですよね。普通は覚えてないはずです」
思いの外、大きな声が出る。マテオは先程のナイフを再び懐から取り出すと、私の首筋に当てた。
「な、何をなさるのですか?」
「お前は誰だ! 正直に言え! お前はアドリアーナではない」
「私はアドリアーナです。どうしてそんな事言うのですか?」
悲しくて涙が止まらない。私が怖がり震えているのに気が付き、マテオはナイフを首に当てるのをやめてくれた。
「君は美しく、聖女の力を授けられるくらい優しい心を持っている。一緒にいると心を奪われそうだ。でも、俺の知っているアドリアーナは一瞬で俺の魂まで奪うような目で俺を見てくる」
マテオが悲痛な表情で頭を抱えている。私は彼が何を言いたいのか全く理解できない。
「目? 何を言っているのですか?」
「今日は色々あって、もう疲れただろう。部屋で休むといい」
マテオは私を薔薇園に置いて、一人出て行ってしまった。私は酷い喪失感に苛まれた。
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