7.駆け引き
舞踏会会場の前のエンジ色の重い扉。
マテオは珍しく私を待ち構えていた。
回帰前ではそんな紳士的ではなかったのに、如月スミレの存在で変化が起きている。彼女が聖女の力を持っているのが原因だろう。
「マテオ皇帝陛下、お待たせ致しました」
「ふふっ、なんだその目つきは。また、悪魔にでも取り憑かれたのか?」
マテオが見たこともないような甘い笑みを浮かべている。このような笑みを回帰前一度でも私に向けてくれていたら、私は馬鹿みたいに彼に従った。私はそれくらい彼を求めていた。
「悪魔⋯⋯そうですね。私は悪魔です」
ずっとマテオを想ってきた。神にも醜悪な魂と言われた私。如月スミレを頭の中お花畑の天然娘と馬鹿にしていた。しかしながら、皆が愛するのは如月スミレのような女なんだろう。マテオが計算で甘い顔をしていると分かっていても、何だか苦しい気持ちになってくる。
「マテオ・ペレスナ皇帝陛下とアドリアーアナ皇后陛下の入場です」
マテオにエスコートされ、舞踏会会場に入る。
煌びやかなシャンデリアに照らされた帝国の財を尽くした空間。
貴族達の視線が一斉に私に集まるのが分かった。
「美しい! こんなに美しかったのか」
「男性が隠したくなるような女性ですね」
「アドリアーナ様は病弱と聞いてましたのに、髪も肌も眩いくらいに艶やかですわ」
「ドミティラ王女の再来ですわね」
表に姿を現さなかったアドリアーナの評価。私は回帰前にこれらの声が聞こえてきた時に絶望した。私が隠されてきたのはメルチョル・ロランドの策略。私が病弱だという事実など存在しない。詐病され隠される私を父は全く愛していないと再認識した瞬間。
容姿を褒められても、そのような移り変わるモノに価値は感じない。そもそも「美」の基準すら曖昧になる程に閉塞的な環境で私は過ごしてきた。
絶望的な毎日の中で、私の光はマテオの存在だけだった。
「悪魔に取り憑かれた私とのダンス。踊って頂けますか」
私の言葉にマテオは目を見開いた。何を驚いているのだろう。私は神からも見捨てられた穢れた魂。それなのに、恋する心は持っているらしい。マテオの揺れるエメラルドの瞳が私を惑わす。
「もちろんだ。俺の愛しい花嫁」
マテオは酷い。どうして過去には言わなかった甘い言葉を紡ぐのか。私の真意を探ろうと瞳の奥を必死に見つめて来るのか。彼自身、残念な生まれの皇子。女を利用し尽くし、私との婚姻を利用し成り上がった男。
以前のように、彼には私自身に何の興味もないように振る舞って欲しい。
差し出された手にそっと指先を重ねる。マテオは自分が私をリードするかのように踊り始めた。
オーケストラの荘厳な演奏に合わせて体を動かす。この舞踏会は私とマテオのダンスにより始まる。その後の交流などオマケ。
「ふふっ、お上手ですね」
思わず漏れた私の言葉にマテオが真顔になる。
「物足りないと言いたげだな。君は俺のステップを知り尽くしている。それも教育の成果か?」
当然だ。結婚生活二年。私と彼は幾度となく公の場でダンスをしてきた。彼のステップの癖は熟知している。
「そうですね。私は皇帝陛下に相応しい女として教育を受けていましたわ。ご満足頂けてるなら幸いです」
私が何気なく言った言葉に、何故か彼は切なそうな表情を浮かべた。
彼はとても真面目で純粋な所がある男で、人が何気なく言った言葉の意味を考える。非常に疑い深く、相手の発した言葉の裏を勝手に想像し悪意にとる。
しかし、父は彼のそんな性格も熟知し、言葉巧みに彼の思考を誘導してきた。
私は彼と結婚して二年で処刑されたが、処刑される直前まで僅かだが彼への気持ちが残っていたと思う。私は幾ら冷たくされても、彼の危うさを放っておけなかった。
下心しかない人間の良心を信じては裏切られて苦しむ。そこから学ぼうとしても、本当に彼を道具のように利用しようとしている人間の思考は理解できない。そうしてどんどん人間不信になっていった彼の信用を私は得ることが出来なかった。
結局、疑心暗鬼な彼が信じたのは「聖女の力」。神様が美しい心を持つものに授けると言われる力を持っている女性なら、安心だとでも思ったのだろう。
聖女ルチアナに信用できる部分など無いのに、いい加減な「神様のお墨付き」だ。
マテオは非常に脇の甘い男。だから父に目をつけられた。私は彼を助けたくて、父を出し抜く為にあらゆる非道行為をした。非道な男とやり合うには人の心を捨てなければならない。
マテオが完璧な男だったら、きっと私は彼に情も湧かず上手く振る舞えただろう。
「皇帝陛下。今は何も考えないで頂けませんか? 目の前の私とのダンスに集中してください」
自然と口から漏れた言葉に、まだマテオに期待している自分がいるとに呆れた。私の言動を、また悪く捉えられてそうで嫌だった。時には何も考えず、私との息のあったダンスに身も心も任せて欲しい。
忙しいマテオと私が向かい合う時間は少ない。回帰前の私はその少ない時間で何とか彼と通じ合おうして喋り過ぎた。
彼は皇帝だが不安定な立場。それゆえに強欲な権力者の娘である私の事は最初から疑っていた。喋る事全て悪く捉えられ関係は悪化。
私が十五歳の時、彼とは見つめ合っただけで分かり合えた感覚に陥った瞬間が確かにあったのに皮肉なものだ。
「君の誘惑のまま、身も心も預けられたら良いのにな」
消え入りそうに囁いたマテオの言葉は私の耳に届く。彼の宝石のように美しいエメラルドの瞳が私を求めているように見えた。
「マテオ皇帝陛下、私は⋯⋯」
マテオは狡い。彼が不安そうな顔をすると母性本能がくすぐられてしまう。彼が憎いけれど、本当はずっと想っていた彼と分かり合いたい。
私の心は彼の何気ない一言により迷いの森の中。私が今まであった事を、信じて貰えなくても全てをぶちまけてしまおうかと思った時だった。
「アドリアーナ、話は聞きている。毒を盛られた? 気に食わないからと言って、貴族令嬢達八名を地下牢に投獄しているそうだな。このような祝いの日にやり過ぎだ。君の評判にも関わる。悪目立ちするような行動は避けた方が良い」
私は一瞬何を言われたのか理解できなかった。回帰前、私はお茶会でナタリアの入れた毒に苦しんだ。連日予定されていた婚礼の大切な行事に穴を開け、私の評判は最初から最悪だった。
ナタリアのマルティネス侯爵家は私の実家ロランド公爵家と通じている。毒を盛ったのは父からの指示。私が初夜にマテオを始末しなかったお仕置きだ。父から私への操り人形としての立場を弁えろとの警告。
私はマテオに復讐したいが、マテオを殺す事は父を喜ばす。私を皇后にした今、父にとってマテオは用済み。
「気に食わない? そのような些細な事で地下牢の貴重なスペースを無駄にはしません。彼女達は私に毒を盛ろうとしました。この後、然るべき処罰を彼女達に与えるつもりです。見物人になりたいならご自由にしてください」
それ以上の言葉は紡げなかった。
回帰前、何度も経験した心が沼に沈むような感覚。
私が苦しい目にあっても、マテオはいつも他人事。私がマテオの為にどう動いても、彼は悪意にしか捉えない。昨晩何度も殺すチャンスはあったのだから、こんな男は殺して仕舞えば良かった。
「ご自由に? じゃあ一緒に行こうかな。出来る限り君と一緒にいたいんだ」
私は彼らしくないセリフに鳥肌がたちながらも、額へのキスを受け入れた。
彼は私を計略的に籠絡しようとしている。キサラギスミレに惚れたのではなく、聖女の力に利用価値を見出したのだろう。過去にルチアナに優しくしていた時も、同じような事をしていた。
彼は私の父の影響を色濃く受けて、女を利用するのが得意。きっと誰にも恋したりしない人だ。
彼の意図に気が付かないくらい馬鹿ならどれだけ幸せだったか⋯⋯。
オーケストラの演奏が終わり、私はマテオと向き合った。
落ち込む心を奮起しながら、マテオの手首を掴み引っ張る。
「アドリアーナ、一体何を企んで⋯⋯」
私は戸惑うマテオの瞳の奥をじっと見つめた。
妾の子として生まれた彼が大帝国の皇帝にまで上り詰めた。そんな男の強靭なメンタルに期待していたが意外と弱い。私の一挙手一投足に惑わされている。
彼も私と同じ父の操り人形。そんなことは、過去に結婚して一週間で気がついた。マリオネッ同士寄り添い想い合えれば違った未来があったはず。マテオが私を少しでも愛してくれれば、私は彼を守り抜く道筋を必死に探った。
回帰前の二年の結婚生活は地獄。私に関心を寄せない夫を、父を中心とする彼を引き摺り下ろそうとする勢力から守り疲弊。
父からマテオを殺すように催促され、母を盾に脅される日々。マテオは私がいくら尽くしても労いの言葉一つかけてはくれなかった。ずっと温めていた恋心も、彼の冷めた態度に少しずつ消えていった。
「何の企みもないのが愛でしょ。少しは思いのままに少しは行動してください。皇帝陛下の本心に触れたいのです」
私がそっと目を瞑ると、沢山の目があるにも関わらずマテオが唇を寄せてきたのが気配で分かった。
前回、マテオが私に唇を寄せたのは初夜のみ。私は彼の役に立てる女になろうと研鑽していたのに、義務でしか彼を動かせなかった。今、私とのキスを周囲に見せつけようとするのは、私を利用する為。
自分が誘導しときながら、過去とは違う行動をする彼に失望する私。人を利用しながら生きていかなければならない皇宮で、私は彼とだけは本心で寄り添いたかった。
愛し愛される口付けを私は知らない。マテオは計算でしか動かない男。彼の瞳に映っていたかった健気な私は時間が巻き戻るまで。今は冷静に彼の動向を観察できる。どうやら、今度こそ私は彼への気持ちを完全に消せそうだ。
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