6.取り戻した体
「なんだか、貴族っぽいですね」
私は悠々自適で優雅なその楽しみ方がいかにも貴族令嬢と思い、褒めたつもりだった。しかし、ナタリア嬢達には別の意味で伝わったようだ。彼女達の顔は明らかに不快そうに引き攣っている。
「聡明で博識な方と伺ってましたが、この茶もご存じで?」
「ええっ。有名ですから誰でも知ってると思いますよ」
「世界の端から取り寄せたお茶ですよ?」
「世界の端? 今の私達からみれば東洋は世界の端。でも、東洋の方達から見れば私達の住むこの場所こそが世界の端ですよ」
ジャスミンティーは日本人なら誰でも知ってる。なんなら、ペッドボトルに入ったものをコンビニで買えるくらいだ。
私は何か失言をしてしまったのかもしれない。周囲の貴族令嬢達が下を向いて固まっている。
「ジャスミンティーには血行改善やリラックス効果があります。ちなみに妊婦には禁忌ですよ。子宮を収縮する作用があるんです」
私は自分の知っているジャスミンティーの効果を皆に教えた。令嬢達は未だ何も言ってくれない。私は急に不安になった。
「私、妊娠していたらどうしよう⋯⋯飲まない方が良いかもしれません。昨晩、マテオを受け入れたから」
妊娠に関する知識は前世で保健体育を受けた程度。でも、私は妊娠するような事を昨晩マテオとした。もし、このジャスミンティーを飲んでせっかく産まれかけた命が苦しむ事になったらと思うと怖い。
「少し嗜むくらいなら大丈夫なんではないですか? ナタリア様も悪気があって用意した訳じゃないと思います」
声を震わせながら私の隣席の薄紫色の髪の女性が伝えてくる。もしかしたら、私の態度が失礼にとられたかもしない。確かに私の為にお茶を遠くから取り寄せてくれたナタリアに失礼だった。
「ナタリア、私は飲むわ。皆も、飲みましょう。ナタリアに乾杯!」
私がティーカップを持ち上げても、皆沈黙したまま。不安で仕方ないけれど、今一番慰めるべきはナタリア。
でも、今までこんなにも皆に無視されたことがない私は自分の何がいけなかったのか分からない。悲しい気持ちになっていると意識が遠のくのを感じた。
♢♢♢アドリアーナ・ペレスナ♢♢♢
「ナタリア・マルティネス! お前を皇族暗殺未遂で拘束するわ!」
ようやっと再び自分の体に戻れた。どうやら、キサラギスミレが弱気になると己の身体に戻れるようだ。この調子ならばいつか私は自分の体を取り戻せるかもしれない。
それにしても、キサラギスミレの心は弱すぎる。どれだけ優しい世界の中で彼女は両親や周囲の人に愛されて育ったのだろう。悪意に晒されると貝のように心を閉ざす彼女の弱さは私にとっては好都合。
「そ、そんな。私は無知で不適切な茶を出してしまっただけです。どうか、お慈悲を⋯⋯」
ナタリアが頭をゆっくりと下げる。私は薔薇園の棘の多い黄色い薔薇を一本折って、彼女の首筋を叩いた。
「痛っ」
「この程度で痛い? たかが薔薇の棘じゃない! 私が満足するまで耐えなさいナタリア・マルティネス。侯爵令嬢ごときが皇后である私に楯突くなんて愚かだわ」
回帰前もあったお茶会。ようやっと外に出た私が受けた洗礼。私は外の世界に出れば美しい楽しいことばっかりだと夢想していただけに絶望した。渡る世間は悪魔ばかり。その苦い事実を本当の意味で知った頃には、私は処刑台に立っていた。
私はナタリアに温情を与えたつもりだったが、薄紫色の髪を靡かせたファビオラは図々しくも私を諌めてきた。
「知識不足だけで、このような酷い罰を? それが、帝国の母と言われる方のすることですか?」
ファビオラはナタリアの取り巻きだ。ナタリアの側で美味しい思いを散々してきたから、この先も同じだと勘違いしている。短絡的な思考回路は身を滅ぼす。回帰前の私がその証明だ。「真っ暗な人生に唯一差し込んだ光」とマテオに尽くした結果、処刑されている。二年の結婚生活、幾らでも軌道修正するタイミングはあった
「無知で阿呆である罪で片付けようと温情を与えてあげてたのに、私の中の眠れる獅子を起こしましたね。たかだか子爵令嬢が私を諌めようとするなんて身の程を知りなさい」
私はそっと銀のティースプーンを持って、琥珀色のジャスミンティーをかき混ぜた。ゆっくりと銀のティースプーンが変色していく。
「毒が入っている証拠。ほら、皇族暗殺未遂でしょ。私が賢かったから防げたけれど、本来ならここにいるお仲間の首飛ばし、ご実家を潰すレベルの話ですわ」
私の言葉に周りの令嬢たちがガタガタと震え出す。回帰前、首を飛ばしたのはナタリアだけ。他の令嬢達がこの毒について事前に知らなかったことは過去に調べがついている。しかし、過去と今、二度も私を馬鹿にしたようなお茶会を楽しんだ令嬢達を苦しめてやりたくなった。
「アドリアーナ様、微量の毒がお茶に混じってしまうことなどあり得ることです。茶葉とは自然由来のものですから」
ナタリアの言い訳に私は溜息をついた。
「微量の毒でも病弱な私になら効くかもしれませんよ?」
私の言葉にナタリアは目を見開く。彼女は指示されて毒を盛っただけだと私を知っている。そして、この毒が死に直結するものではなく、私の評判を落とすだけのものという事も分かっていた。このお茶の中には致死量の三分の一のヒ素が入っている。私は回帰前この毒で激しい発熱と腹痛に苦しんだ。
しかしながら、私の存在を面白くないと思っていた彼女はこの状況を楽しみ、毒で苦しむ私を見たいとさえ思っていた。隣で震えているファビオラをはじめとする令嬢達も同じ。私は誰からも歓迎されない存在だった。
そして、マテオはその麗しいルックスから多くの令嬢達の憧れの存在。私を潰せば自分も皇帝の女になれるという下心を皆が持っている。そのように令嬢達に下心を持たせてしまったのはマテオの責任。マテオは私の父に習うように女心を上手く利用し、ペレスナ帝国という大帝国の皇帝まで成り上がっていた。
「その程度の頭と、見目で皇帝陛下の関心を得られるとでも思ったの? 何一つ私の足元にも及ばない愚かな女」
私はナタリアの首筋に再び薔薇の茎を当てる。彼女が棘の痛みに苦しみの声を上げた。黄色い薔薇の花言葉は「嫉妬」。彼女は過去にも私への嫉妬心を剥き出しにして来た。苦しい人生の唯一の光だった男によって処刑された私の人生を知りもしないで羨む彼女が憎らしい。
「ここにいる、八名の令嬢を地下牢に投獄しなさい!」
私の命令に控えている騎士達が動揺しているのは無理もない。私はマテオの婚約者だったとはいえ、表舞台に姿を見せなかった存在。皆が私を皇帝との結婚により皇后になったメルチョル・ロランドの娘としか見ていない。皇后には皇帝と同等の権力があっても、私は皆にとって初めて見るお人形からのスタートだ。
「私は皇后。私はこの帝国で皇帝と唯一肩を並べる女。これは皇命よ。逆らえばどうなるかわからない程の馬鹿なの?」
騎士達が動き出し、助けを求める令嬢の声を背にしながら、私は鮮やかな花を開き甘く誘うような香りが充満した薔薇園を去った。
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