3.マテオ・ペレスナ
♢♢♢マテオ・ペレスナ♢♢♢
俺は幼い頃から決まっていた婚約者アドリアーナと結婚し、夜は死闘を繰り広げた。アドリアーナは俺の三歳年下のロランド公爵家の長女。俺が妾の産んだ第三王子でありながら、皇帝に上り詰めたのはロランド公爵の功績。
長女が生まれるなり、メルチョル・ロランドは俺に婚約話を持ち掛けた。後ろ盾のない俺を皇帝にすると言い切る彼の下心に気がつかない程、馬鹿ではない。彼は俺を皇帝にすることで、ペレスナ帝国を我が物にしようと企んでいた。俺は逆に公爵の企みを利用してやろうと画策する。
先帝が急逝すると激化した皇位継承権争いは俺の勝利で決着した。
俺の戴冠式と同時に行われたアドリアーナとの結婚式。
アドリアーナが俺を陥れる為に、嫁がされた刺客だとは分かっていた。皇室に入れば機密情報をロランド公爵家に流し、俺を失墜させるつもりだろう。
彼女と婚約したのは彼女が赤子の時。それ以来、彼女は病弱ということで公の場に姿を現さなかった。俺は将来自分の妻となる彼女が気になり、結婚する三年前まではロランド公爵邸を週に一回は訪れていた。
アドリアーナに会わせて貰えなくても、彼女の部屋を見上げる。ある日、カーテンの隙間から覗いた艶やかな長い黒髪にルビー色の瞳の少女。美しいその宝石のような瞳が、じっと俺を求めるように見つめている気がした。心どころか魂までも奪われそうな感覚に陥る。
俺はロランド公爵にアドリアーナに会えるようにして欲しいと伝えた。
『マテオ皇子殿下、アドリアーナと殿下は所詮は政略結婚です。アドリアーナも、そう認識しております。余計な情を掛けて頂く必要はございません。無事に皇位を継承することに集中しましょう』
『アドリアーナは俺に会いたがってはいないのか?』
カーテンから覗いた彼女の瞳は非常に寂しそうに見えた。「俺も君に会いたい」と視線で伝えたが通じただろうか。
『そのような無駄な感情を抱くようには育てておりません。アドリアーナは殿下が皇帝になった際に捧げる献上品です。今、極上の品にするべく研鑽している最中です』
『そなたは、実の娘をモノのようにいうのだな』
『女はモノです。情を掛ければ調子に乗りますし、足元を掬われます。アドリアーナは弁えるように育てておりますから、三年後までお待ちください』
メルチョル・ロランドは公の場に息子のルーカス・ロランドは同行させた。黒髪に氷のように冷たい青い瞳を持つ親子。俺はアドリアーナの一歳年上のルーカスに彼女について聞いた。
『アドリアーナは元気にしているか?』
『元気ですよ。アドリアーナは未来の皇后になる為に順調に育てられてます』
他の皇子達が婚約者の機嫌をとらねばならぬ中、俺は女の相手をしなくても皇位継承権を得る手助けをロランド公爵から得られると割り切ることにした。しかし、好都合だと思い込もうとしてもアドリアーナに会いたい気持ちは抑えなれない。
手紙だけでもと思い、祈るような気持ちで書き溜めた手紙を送っても返事は一向に来ない。次第に俺のアドリアーナへの気持ちは冷めていった。アドリアーナは皇帝の女になる為に育てられた女。彼女が俺を求めているなど思い上がり。俺が皇帝にならなければ、彼女が俺のような血筋の卑しい男に嫁ぐことはない。
俺が皇帝にならなければ、ロランド公爵はこの婚約を破棄する。皇帝にならない皇子の価値などない。
俺が皇位につくと同時に初めて会った俺の花嫁。
手紙の返事の代わりに送られてくる肖像画で美しい娘だとは思っていたが、実物は誰もが一瞬で見惚れ恋に落ちそうな絶世の美女だった。
アドリアーナとの間に、今、子を作るのはロランド公爵家に力を持たせてしまうのでリスク。まだ皇位に就いたばかりで俺の立場は危うい。彼女以外の女を娶る気はないが、子を持つのは今ではない。
だから、初夜もすっぽかそうと決めていた。でも、結婚式の時に見た彼女の横顔があまりに美しく、三年前彼女に目覚め掛けた恋心が再発してしまいそうになる。長いまつ毛に彩られた輝くルビー色の瞳に自分だけを映して求めて欲しい欲求が沸き起こってきた。俺は欲に負け避妊薬を飲み彼女の寝室に赴いた。
欲望のまま彼女に口付けしたら、甘い唇を味わう間もなく突然首を絞められた。必死に逃れ護身用に隠し持ってたナイフを彼女に向けたが、あっさりと奪われ首に突きつけられる。
死を覚悟し目を瞑った俺に、「その顔が見たかったんです。皇帝陛下、そんな楽には死なせませんわ」と冷ややかに彼女は言い放った。
腹を蹴り上げられ、顔を踏みつけられ、彼女が自分をなぶり殺すつもりだと気が付く。
彼女は色白で、腕も細く武道などに精通しているとは思えない女性。見た目とのギャップがえげつない。どこから彼女の力が湧き出てるのか不明だが、間違いなく彼女が操っているのは異国の暗殺術。
ペレスナ帝国の騎士が学ぶ剣術や皇族が最低限の護身用に身に付ける体術とは全く異なる。蹴り技を駆使したスピード感のある動きは、見慣れないものだった。
俺も暗殺者対策に訓練した護身術で応戦した。カーテンから朝日が差し込む頃まで、お互い殴り合い闘った。
アドリアーナは病弱な深窓の令嬢と聞いていたが、それはメルチョル・ロランド公爵が俺を油断させる為に流した嘘だろう。ロランド公爵の妻が病弱ゆえにアドリアーナの出産後に衰弱し療養しているという話も俺は怪しんでいた。
これだけ部屋の中で暴れ回っているのに、誰も部屋に立ち入らないのも不自然。もしかしたら、アドリアーナは今宵俺を殺すように父親より命令を受けているのかもしれない。
『そろそろ、本気を出そうと思います。もう、皇帝陛下の顔は見飽きましたわ』
お互いフラフラになったところで、彼女は今までは本気ではなかったと恐ろしいマウントをとってくる。
彼女はもう俺に見飽きたらしい。だから、殴りつけたのだろうか。俺は彼女の美しい顔はまだ見ていたいが、その願望は死に直結する。今は彼女を化け物だと思って応戦しなければならない。
薄手の透けて見えそうなネグリジェから、真っ白な細く長い脚が伸びて来た。彼女の蹴りを避ける余力がなく、目を瞑ったが痛みはこない。ゆっくりと目を開けると目の前で、アドリアーナが唇の端から血を流し倒れている。差し込む朝日に照らされるその姿は絵画のように美しかった。
俺は眠っているような彼女の頬にそっと手を伸ばした。白く陶器のような肌は俺が触れるのを待っていたかのように吸い付くようだ。
「⋯⋯アドリアーナ、君は一体⋯⋯」
突然、パチリと目を開けたアドリアーナは先程までの鋭い目つきではない。無垢な少女のような瞳で俺まじまじと見つめてくる。彼女の次の一手が怖くて、俺は縮こまっていた。
「マテオ! 私たち、その⋯⋯結ばれてしまったのですね」
予想外のアドリアーナの言葉に俺は間抜けにも口をポカンと開けて固まってしまった。
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