19.聖女を名乗る女
♢♢♢マテオ・ペレスナ♢♢♢
アドリアーナが失踪して一ヶ月以上。
俺に見飽きたと言っていた彼女は、新しい男の元にいる。
執務室に向かう途中、皇宮の中庭でヒソヒソと噂話をする女たちの声が耳に入った。
「エクトル様と毎日のように観劇やパーティーに興じているらしいですわよ」
「皇宮で政権闘争に巻き込まれ窮屈な毎日を過ごすよりずっと良いですわよね。アドリアーナ皇后陛下は実は強かで賢い方ですわ」
「エクトル・ゲラ伯爵閣下は本当に素敵な方ですね。あのような方から求められれば、女は揺らぎますわ」
「私はマテオ皇帝陛下派ですわ。でも、エクトル様は陛下にはない大人の色気がありますよね。皇后陛下が羨ましいですわ」
俺の姿に気がついた女達は石像のように固まった。皇帝に上り詰めて、ここまで惨めになる日が来るとは夢にも思わなかった。
無礼な発言を咎めるのも煩わしい。元々、穢れた血と陰口を言われながら育って来た。俺にとって大事なのはアドリアーナが、俺をどう思っているかだけ。
俺はアドリアーナの父メルチョル・ロランドを召喚した。執務室に現れた彼はいつもより余裕がないように見える。応接セットのモスグリーンの革張りのソファーに座るように促すと、遠慮がちに浅く腰掛けた。
いつも、自分が皇帝になったかのように振る舞っていた彼らしくもない挙動。皇室に嫁いだ娘が、他の男と逃げたのだから当然かもしれない。俺以上に、今の彼は立つ瀬がない。
「アドリアーナは、ガルシアン王国のエクトル・ゲラの元にいるようだ。二人は熱烈恋愛中のようだが、どう説明する」
僕が取り出してきた新聞をロランド公爵は笑い飛ばすも目が泳いでいる。彼はガルシアン王国の元王女を口説いて略奪した事を始め、女を利用して地位を固めてきた節がある。
美しい女とは歴史上戦利品として扱われたことはあったが、それは今も変わらない。奪われた側の惨めさを知る日が来るとは思わなかった。
ペレスナ帝国に比べ規模は小さいが、ガルシアン王国は資源も豊富で治安も良い世界から尊敬される国。
しかしながら、自国で全てを完結できてしまうが為にガルシアン王国は他国と一線を引いていたところがあった。国交が盛んになったのはエクトル・ゲラが航路を開いたから。
エクトル・ゲラはガルシアン王国の港を活用し、世界中の国と貿易を始めた。そして、その結果巨万の富を得た。ペレスナ帝国の皇帝の名を知らない人間がいても、世界でエクトル・ゲラの名前を知らない人間はいない。アドリアーナが俺より優秀だと判断し彼を選んだようで、俺のプライドはズタズタに引き裂かれていた。
「このようなゴシップ誌の記事を信じるのですか? 陛下はこの大きな帝国を総べる皇帝になったのです。恐れながら、もっと余裕を持つべきかと」
「苦言を呈しているのか? たかが公爵のお前が皇帝になった余を諌めているつもりなのだとしたら、無礼だ。そもそも、アドリアーナはお前の娘だ。娘の行動の管理一つできないのか?」
ロランド公爵は俺が皇帝になれば、アドリアーナは俺のモノだと言った。しかし、あっという間に彼女は俺から逃げてしまった。初夜は済ませたように対外的にされているが、実は俺たちは拳(?)を交わしただけ。ずっと彼女を手に入れたくて皇帝になったのに、手のひらからすり抜けてしまった。
「エクトル・ゲラはハーレムを持っているような男です。アドリアーナは、もっと皇帝陛下を満足させるような女になるよう手解きを受けてくるつもりなのでしょう。私はアドリアーナを陛下の役に立つような女にと育てて来ました」
ロランド公爵の言葉に寒気がする。
⋯⋯アドリアーナが他の男に抱かれる?
そもそも夫になった俺でさえ彼女と契りあってはいない。
ただ、拳を交わし、蹴られ、闘っただけ。俺も分かっている。アドリアーナがあの夜、手を抜いていた事くらい。俺は自分を殺す気はない彼女の闘い方に愛情を感じていた。
「帝国法は問題があるな。皇族なら愛人が持てるだなんて改正すべきだ」
俺は頭を抱えた。俺は愛人なんて欲しいと思った事もないし、アドリアーナにも俺だけを見ていて欲しい。俺自身、妾の子として肩身の狭い思いをしてきた。
「確かに女の皇族は愛人を持てないようにした方が良いですな。妊娠の問題もありますし」
一瞬、アドリアーナが他の男の子を産むという恐ろしい想像が脳裏に過ぎる。俺はアドリアーナ失踪の件に関して、ロランド公爵が批判をのらりくらりと交わしている事に流石に腹が立ってきた。
「そなたの妻ドミティア・ペレスナはガルシアン王国では美貌の王女と絶大な人気あった女性だ。彼女を通してガルシアン王国に花嫁強奪を抗議すれば良いではないか。このままではペレスナ帝国は国婚を挙げて直ぐ皇后を奪われた情けない国だと笑われる」
婚礼の行事が続いていたのに、隣に一緒に出席するはずのアドリアーナがいない。各国の要人も俺に気を遣いながら、裏では笑っている。花嫁に逃げられた皇帝などペレスナ帝国七百年の歴史で俺が初めてだ。おそらく帝国の歴史書に珍事として載せられるだろう。
「ドミティラは体調が悪く外に出られる状態にありません」
「ロランド公爵⋯⋯実はダニエル・ガルシアン国王からも抗議があった。姉を祖国で療養させたいとの申し出を断ったそうだな」
ダニエル・ガルシアン国王はアドリアーナの伯父に当たり結婚式に招待していた。婚礼の行事や各国の交流会が終わったのに、彼は未だエメラルド宮に滞在している。姉に会わせてもらえるまで居座るつもりなのかもしれない。
さっさと他の列席者と交流などせず国に戻ったエクトル・ゲラ。仕事のついでに結婚式に出席したのかと冷めた目で見ていたが、花嫁を唆し連れ出すとんでもない男。
「皇帝陛下、勘違いなさらないでください。アドリアーナは、依然、陛下のモノ。女の移り気な感情など取るに足りません。嫁いだからには女は夫のモノであります。私は一国の国王とはいえ、姉離れできていない男の話を聞く気もございません」
ロランド公爵の言葉に今まで違和感を覚える事は何度もあった。しかし、自分の娘を「女」と言って切り捨てるような物言いには吐き気がする。
扉のノック音と共に補佐官が現れる。
「ルチアナという聖女を名乗る方がマテオ皇帝陛下に合わせるようにと来ております」
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