16.チェックメイト
エクトルの邸宅で暮らして一ヶ月。私は彼を愛人としながらも、寝室は別にしている。私は不倫皇后と叩かれることも覚悟していたが、世論は概ね私に好意的。それは、母がガルシアン王国で作り上げた評判のお陰。
回帰前、一度も訪れる事のなかった母の祖国。そこでは、母は伝説の女神のように崇められていた。美しい母は市井に度々顔を出して、平民とも会話を楽しみ不満を吸い上げたという。エクトルが創立した平民の学校も、母のアイディアだったと彼が教えてくれた。
私は公爵邸で父から恫喝され泣いていた母しか知らない。母は私にいつも「何もしてあげられなくて申し訳ない」と謝っていた。父や兄は私に八つ当たりする事も多く、母はいつも私を必死に庇った。母は強い人だと思っていたが、この国で目にする母の過去は本当に彼女が美しく賢い女性だったと教えてくれる。
今、私は仕事を終えたエクトルとチェスに興じている。彼が私の作ったハンカチで汗を拭く仕草を見せた。
「エクトル、私の作ったハンカチをお使い頂けているのですね」
父の皇権を奪う計画には三つのプランがあった。プランAは私にマテオを暗殺させ、皇后の後見人として権力を振るう計画。プランBはマテオを私の虜にし、私のいう事を聞くマリオネットとして父の傀儡政権にしてしまう計画。プランCは私とマテオの子が生まれた後に、マテオを殺し幼子に皇位を継がせ父が後見人として権力を持つ計画。
私がまず父に従っているフリをしながら、目指したのはマテオが死なないで済むプランB。マテオと信頼関係を作ってから、どのように政から父を排除していくか話し合いたかった。しかしながら、初夜以降見向きもされなかった私には一番難しい計画だったかもしれない。
エクトルの言う通り私達は相性が良い。過ごす時間が長い程、仲が深まっていく。マテオと私はそもそも合っていなかったのだろう。
「一針一針、本当に丁寧に刺すのですね。アドリアーナらしいです。貴方が針を刺すごとに込めた想いが伝わってくる気がします」
妃教育の一環として学んだ刺繍。私はハンカチにゲラ伯爵家の家紋と彼のイニシャルを刺繍した。その刺繍をエクトルが愛おしそうになぞっていて恥ずかしい。
「い、いえ⋯⋯そのような⋯⋯恐縮です」
私は嬉しくて声が震えてしまった。私が努力して来た事が全て無意味だと落ち込んでばかりだった回帰前。私自身が今でもそう思って沈む事があるのに、エクトルが丁寧に私が捨てた想いも拾ってくれる。
エクトルが手を伸ばして私の腕にダイヤモンドのブレスレットを付けてくる。彼は毎日のように私にプレゼントをくれた。大胆にカットされたレッドダイヤモンドを星屑のようなダイヤで囲んだデザインが目新しい。
「このデザインはエクトルの新作ですか? 洗練されていて、ダイヤモンドの輝きが際立つカットです。きっと、これも売れると思います」
私の言葉にエクトルが吹き出す。
「これは僕たちが乗ってきた船に積んでいたダイヤモンドを、アドリアーナをイメージしたデザインでブレスレットにした貴方だけのものですよ。僕の悪い影響を受けて何でも商売に結びつける癖が出てきていませんか? 僕と貴方の関係はもっとロマンチックなものです」
私は思わず、もう一度ブレスレットを見た。見覚えのあるレッドダイヤモンドの輝きに吸い込まれそうになる。
「この真ん中のレッドダイヤモンドはお母様から譲り受けたものですよね?」
エクトルが静かに頷く。私は涙が溢れそうになるのを目に力を入れてこらえた。私がここに来てから、母についての過去の記事を集めて思いを馳せていた事に彼は気がついたのだろう。
ここに来るまで『エクトル・ゲラ』のブランドは彼の名を冠しているだけだと思っていたが服もジュエリーも実際全て彼がデザインしている。今までにない先進的なデザインを次々と生み出して女心を擽る彼。エクトル・ゲラが世界の流行を作り出していると言っても過言ではない。
(これから何が流行るかを知っていたりする?)
その上、エクトルが買ったばかりの鉱山から昨日エメラルドが出た。父から彼が買った小島の海域から真珠が出た件も合わせると一つの疑惑が浮かぶ。
「エクトルは未来を知ってたりしますか?」
私は思わず出た言葉に自分でも驚いた。
⋯⋯未来を知っているのは私の方だ。
私はこれから二年で世界で何が起こるかを知っている。だからと言って、私がエクトルのようにデザイナーや、ビジネスで成功できるとは思えない。
「アドリアーナは未来を知ってるのですか? 貴方の隣に僕がいる未来なら嬉しいです」
エクトルの言葉に胸が熱くなる。彼は本来なら今頃この世にいない。
「エクトルと、この先も一緒にいられたら幸せでしょうね」
彼は才能や運も持ってそうだが、それだけで成功はしない。私も師匠に戦闘センスがあると言われたが、血の滲むような努力をして暗殺術を身につけた。
「そう思ってくれますか?」
「勿論。エクトルは目には見えないものを見る人です。私はずっとそんな人を求めていた気がします」
ハンカチの刺繍を見て刺繍をしている私の姿を想像する。私が母を恋しく思っている気持ちを察して、母の形見の宝石を加工したブレスレットをくれた。私も彼になら、母と私にあった悲惨な出来事を告白できる気がする。
ただ、私はエクトルに対して一つ不満があった。
「チェックメイト⋯⋯エクトル? 私は怒ってますよ」
私の言葉にエクトルが目を丸くする。
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