15.彼のハーレム
一週間の船旅を終え、私とエクトルはガルシアン王国の地に立った。私達が船を降りる時には、聴衆は熱狂で私達カップルを出迎えた。バスケットに一杯にした花びらを巻いたフラワーシャワーを浴びせられる。まるで、私とエクトルが結婚したかのようだ。
「海の上にいたのに、私が貴方を愛人にした情報が漏れているのですか?」
「情報を伝達する手段はいくらでもありますから」
「もしかして、カモメですか?」
「ふふっ、策略家のようでいて、物知らぬヒヨドリのような可愛らしさを持ってらっしゃる。本当にどこまで貴方は僕を夢中にさせるのですか?」
私の額に手を当てて口付けをしてきたエクトルを見た周囲が歓声をあげる。号外が配布されていて、私とエクトルが船で抱擁している姿が描かれているのが見えた。
(あそこまで、熱烈には抱擁してないと思うけれど⋯⋯)
「船に同乗していた新聞記者が通信具で新聞社と連絡をとり、僕たちの関係を披露しました。既に僕たちの関係は周知の事実です」
エクトルに耳打ちされた言葉に私はドキッとする。
「なぜ、こんなに歓迎されてるのでしょう?」
「ドミティラ元王女を取り戻したような感覚があるのでしょう。貴方はお母様のに良く似ておられる」
母はガルシアン王国では皆が憧れる美しい王女だった。ガルシアン王国に婚約者がいたのに、ペレスナ帝国の公爵である父と恋に落ちた。つまり、ガルシアン王国にとっては女神のように崇めていた王女が奪われた形。
母はこの国で愛されながら生涯を過ごしたらどんなに幸せだっただろう。一時の恋に惑わされ、相手に真心はなく策略に落ちたと知った時の絶望はどれほどだったか。
私が生まれない未来であっても、母には幸せな人生を送って欲しかった。神はなぜ私にやり直しの機会を与え、母に与えてくれなかったのか。
(そもそも、私が本当にやり直しの機会を得たかは疑問⋯⋯)
私の体はいつ再びキサラギスミレに乗っ取られてもおかしくない。神曰く、既にこの体はキサラギスミレのもの。でも、私はこの体を諦めたくない。私にはやり残した事が星の数より沢山ある。
「背負う必要はありません。ドミティラ様は素晴らしい方でしたが、貴方は貴方ですよ。アドリアーナ」
私の心を察するような言葉をかけて来るエクトル。噂通り、彼に恋に落ちない女などいない気がする。彼のことを知らない回帰前、私の中で男はマテオだけだった。恋に落ちると視野が狭くなる私の悪い癖。既に私の視界と思考の半分はエクトルで埋まっている。今度は恋に溺れず、しっかりとやるべき復讐をお果たしたい。
「エクトルは人生二周目ですか? 流石に悟り過ぎです」
何気なく漏れた私の言葉は明らかにエクトルの時を止めていた。
「アドリアーナ、貴方を嫉妬させる為にハーレムに案内させてください」
明らかに話を逸らされた気がする。しかし、彼が望むように私もその違和感に目を瞑った。
彼の邸宅は想像以上。まさに王宮だ。白い宮殿の壁には細かな彫刻が施してある。広大な敷地内には舞踏会を催せるホールや劇場まである。そこの劇場は彼の私物ではあるが、公演自体はチケットを買うことで誰でも見られる。
劇場で、舞踊や演劇を披露しているのが彼のハーレムにいる女達。
その雇用形態はハーレムだと刺激的に報道されていたが、実のところエクトルが貧しい女達に芸を学ばせ稼ぐ手段を与えたに過ぎない。ゴシップに惑わされず、情報を整理した私が判断したハーレムの実情。
実際は、見てみないと分からない。もしかしたら、エクトルは気になる女には手を出してる可能性もある。
しかしながら、何となくエクトルは女に然程興味がないように見えた。そもそも女に溺れるような男は齢二十五歳で成功などできない。彼はお金を稼ぐのが大好きな男。そして誰よりノブレスオブリージュの精神を持っている人。
敷地内にある劇場は既に大勢の観客が押し寄せていた。
「凄い人気ですね」
「皆、頑張ってますから」
エクトルの横顔は見惚れる程に美しい。彼が惚れなくても、一緒に仕事をする女性は彼に惚れそうだ。胸がチクリと痛む。恋をしている兆候が懐かしくも苦い。
「嫉妬、しそうです」
「本当ですか? 嫉妬で歪んだ貴方の顔もきっと美しいのでしょうね。アドリアーナ」
エクトルが私の頬に手を添えて唇を寄せて来る。まるで操られるように目を瞑ってしまった。彼の前では女は皆私のようになってしまうだろう。
「エクトル様! そちらが、ペレスナ帝国から奪ってきたお噂のアドリアーナ皇后陛下ですね」
「流石エクトル様です。略奪する女のレベルが違う! 結婚式に出席して花嫁を強奪してくるなんて、憧れを通り越して痺れます」
「私たち、アドリアーナ皇后陛下がもっとエクトル様に夢中になるように今日は頑張ろうってみんなで言ってたんです」
非常に砕けたような甲高い女性達の声に私は思わず目を開く。そこには露出度の高い踊り子の衣装を着た私と同じ年くらいの女の子達六名が目を輝かせて立っている。扇情的な衣装に身を包んだ若い女の子を見るのが初めてで、私はまじまじと彼女達を観察してしまった。
「今、良いところだったのに。全く援護射撃ができてませんよ」
エクトルはキスをしそびれたのが残念だったように、私の唇を親指でなぞってきた。
「すみません。エクトル様! 踊りで返します。今日はダンスですが、大丈夫ですか? やんごとなき方の前ではオペラとかの方が良かったのでは?」
若草色の肩までの髪の女の子が言った言葉に、周りの女の子達が眉を下げて不安そうにしている。
「今日はダンスが見られるのですか? 嬉しいです。私、オペラの良さが実はあまり分からないんです。エクトルの大切な貴方達の演技を見させて頂きますね」
私の言葉に、女の子達が目を輝かせて顔を見合わす。敵意剥き出しの貴族令嬢とは違う、私に好意的な彼女達に好感を持った。
「アドリアーナ皇后陛下、エクトル様の方がペレスナ帝国の皇帝よりずっと良い男です。よろしくお願いします」
大人しそうな灰色の髪の子が言った言葉を周りの子達が、不敬だと言って慌てて塞ぐ。私はその和気藹々とした様子を微笑ましく見ていた。
エクトルにエスコートされ、階段を上ったアリーナ席に座る。
「嫉妬はして頂けましたか?」
「貴方の素敵さに嫉妬しました」
私の言葉にエクトルは目を丸くする。彼は女性を人として自立させる手助けをしている。一人で飛び出したい私に足枷をつけて思う通りに動かそうとした父とは真逆の人。
舞台の方を見ると、まだ客席に観客は入れてなくてクライマックスのリハーサル中のようだ。
(もっと近くで見たい!)
「エクトルは客席に座っててください。私は少しこの辺りを回りたいです」
初めての土地で、初めての経験。私の中の冒険心が膨れ上がっている。回帰前、オペラは定期的に鑑賞する機会があったが、踊り子のダンスは初めてだ。
「僕のお供はいらないのですか」
「貴方と一緒にいると目立ってしまうので一人で回りたいのです」
「アドリアーナ、貴方の方がずっと有名人ですよ」
エクトルがクスクス笑うのを背に私は劇場を回り始めた。
私は確かにペレスナ帝国の皇后。長い間監禁され、過去に皇后として過ごした時も閉ざされた皇宮という場所で過ごした。新聞を見ると自分が有名だと気が付くが、私の人生の物語の登場人物はこうも少ないのかと思うばかり。父メルチョル・ロランドとマテオの政権闘争の脇役の捨て駒アドリアーナ。今、私は初めて人間になって世界を冒険している。
どうやら、観客はまだロビーでシャンパンを傾けながら歓談しているようだ。せっかくだから舞台裏を見ようと思って探検していた時だった。
舞台袖に向かう裏の階段で、先程来ていた女の子の内の一人が絡まれている。
「カリース子爵様、お手を離して下さい」
戸惑ったような若草色の髪と瞳をした女の子が男に腕を掴まれていた。
嫌らしい表情を浮かべた私の父より年上だろう髭面の男がニヤリと笑う。
「今晩、この公演が終わったら俺の邸宅に来い。気に入ったら俺の女にしてやる」
私が二人の間に入ろうとした瞬間、私の姿に気がついた女の子はにっこり微笑んだ。
「私はエクトル・ゲラの女ですよ。カリース子爵様、私に手を出せばエクトル様が黙っていません。それに、貴方より私の方が稼いでいるんです」
腰を振って、髪を掻き上げる挑戦的な黄緑色の瞳。
舌打ちをしたカリース子爵は逃げるように去って行った。
「何だか、かっこ良かったわ」
「アドリアーナ皇后陛下! エクトル様は女を幸せにしてくれる方です。エクトル様の女として彼を一緒に支えましょうね」
私は突然、彼女に手を握られて驚いてしまった。とても無礼な行動なのに、怒る気にはなれない。
「私がエクトルの女? エクトルが私の男なのよ」
私の言葉に若草色の髪の女は目を瞬く。
「すみません。アドリアーナ皇后陛下は身分の高い方なのに失礼いたしました」
慌てて手を離した女の子の手を私は再び握り返す。
「私とエクトルは対等って事よ。芸事を身につけていれば、貴方はどこでも闘える。貴方もエクトルに尽くすだけでなく、彼を利用しなさい」
回帰前、死ぬまでは利用し尽くされた人生だった私。マテオの為になりたいと動きながらも、父の操り人形である自分の立場を抜け出せなかった。
しばらく私と目を合わせていた彼女の視線が、少し上に行く。彼女の視線の先にはエクトルがいた。
「エクトル様、ペレスナ帝国の皇后陛下は一筋縄では行かなそうですね」
「ふふっ、だから彼女は魅力的なんだよ。ブランカは早くリハーサルに行きなさい」
「はーい!」
ブランカは階段を駆け降りて行く。エクトルはゆっくりと階段を降りてくると私の前に跪き、手の甲に口付けをした。
「僕とアドリアーナは非常に相性が良いと思いますよ」
エクトルが呟く言葉の返事をするように、私は屈んで彼の頬に唇を寄せた。
私とマテオの離婚は未だ成立していない。
しかしながら、ペレスナ帝国に置いて皇族が愛人を持つことは容認されている。ただ、男尊女卑の傾向が強い帝国において、それは暗に男が妾を持つことが許されるという法律だっただけ。歴史上、ペレスナ帝国の女性皇族が愛人を持ったことはないが、持ったところで誰も咎められない。
女の私が愛人を持っても、許される。
女というだけで、家で虐げられて来た。
自分で決めたのかすら分からない愛する人を想い続けたのに愛されなかった。
「私もエクトルとの相性の良さを感じています。私は皆に見せつけてやりたいのです。私にも自分で好きな人が見つけられるって事を⋯⋯」
エクトルの澄んだ瞳に見つめられると、つい子供っぽい本音を漏らしてしまう。エクトルの財力や能力を復讐に利用したい気持ちもあるが、私は自分で好きな人を見つけたい。父からターゲットとして掲示されたマテオを求め続けて来たけれど、報われなかった。私は報われる恋を見つけたい。
エクトルは柔らかく微笑むと私の唇に彼のそれで触れて来た。きっと、こういうことを繰り返して恋が育っていくのだろう。
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