12.最強の女
ペレスナ帝国とガルシアン王国を行き来する船は、週に二回。この航路を開いたのもエクトルで、それにより二国間の貿易は盛んになった。この船も当然、彼の持ち物で、ペレスナ帝国で採れたダイヤモンドを積んでいる。ダイヤモンドはエクトルお抱えの職人達により繊細で美しく加工され世界中に出荷される。
今回彼がこの船に乗っているのは、私の結婚式に先日参加したから。私が着用したジュエリーもウェディングドレスも彼の店でオーダーしたもの。『エクトル・ゲラ』は世界の女性の憧れのブランドでもある。デザインも手掛けている彼は才能に溢れた天が二物を与えた男。
船尾にあるスイートルームには、調度品も洗練されていてセンスが良く気に入った。流石はエクトル・ゲラがプロデュースした船だ。
「こちらも、お気に召すかと思いますよ」
私の心を読んだようにエクトルが誘導した先に合ったものに私は目を丸くした。
「お風呂が外にあるのですか? 確かに開放感はありますが、ここで服を脱ぐのは抵抗がありますわ」
「海の真ん中で誰にも覗かれたりはしませんよ。偶には羽を伸ばしてみては?」
「エクトル様が、覗かないでくれるならば⋯⋯」
「その約束をするのは難しいかもしれません。魅力のある女性の前で理性を保つのは骨が折れます」
エクトルとまともに話すのは初めてだ。しかし、不快にならないように、少しずつ距離を詰められているのが分かった。
最も、先程の少しセクシーな会話は相手が彼のような男ではなければ許されない。彼は自分の魅力を熟知していて、無礼だと私が怒り出さないギリギリのラインを見極め懐に飛び込んでくる。
コミュニケーションスキルがずば抜けている。個の力で成り上がった男は、私がペレスナ帝国の皇后と分かっても全く物怖じしない。
軽快なテンポの会話で楽しい時間を演出し、その美貌で目の前の人間の視線を離さない。私自身、既に彼ともっと話したいと思っている。非常に魅力的な男。
彼をここで失うには惜しい。時を戻る前、この船は原因不明で失踪、おそらく沈没したとされていた。非常にきな臭い水難事故で私は事件なのではないかと疑っていた。彼を失って涙を流す女性は多そうだが、得をする人間もいる。
私は辺りを注意深く観察した。ここはまだペレスナ帝国の領海。陸を離れても、小島は点在している。この辺りの小島は全てロランド公爵家の私有地。
船は最新鋭のもので、高価なダイヤモンドを積んでるが決して積荷は多くない。耐荷重を超えて船が沈没した訳ではなさそうだ。
「何か気になるものでもありましたか?」
「いいえ、実は船に乗るのが初めてなんです」
船に乗るのが初めてどころか、海を見るのも初めて。時を戻る前も、新婚旅行で船旅が予定されていたが、この船の水難事故の一報により中止となった。
振り返りエクトルの方を見た瞬間、風で頭に被っていたジャケットが飛ばされる。
「すみません、私の不注意ですわ。ガルシアン王国に着いたら新しいジャケットをプレゼントさせてください」
「全然、お気になさらないでください。それより、アドリアーナ皇后陛下とこうして会えたのが何よりもプレゼントです。僕は、先日の結婚式で貴方の美しさに目を奪われた男の一人ですよ」
跪き私の手の甲に口付けしてくるエクトル。私は目線を合わせるように自分も屈んだ。
「エクトル・ゲラ。私の愛人になってください」
私の言葉が余程予想外だったのか、私を翻弄していた男が驚きのあまり固まるのを初めて見られた。
「⋯⋯愛人ですか」
今までの親切な態度が嘘だったかのように冷めた目を向けてくるエクトル。「帝国の皇后の愛人」は決して不名誉な称号ではないのに、彼は不快感を露わにしている。ますます彼に惹かれてしまいそうだ。
決して高貴とは言えない出自なのに、彼の気高さはどこからくるのか。
飛び抜けた才能や、商売の才覚に裏付けされた自信のせい?
貴族というより商人のように腰が低いように見せながら、隠していても彼のプライドの高さは伝わって来る。
「最終的にはマテオ・ペレスナ皇帝陛下から、私を略奪してください。私は近々離婚する予定です」
私の言葉を聞くなり、突然エクトルが私を横抱きにしてくる。私は焦って彼の首に抱きついた。
ベッドに降ろされ、両手首を拘束される。緩い拘束が彼の甘さを示しているようだ。
「先日、結婚して、一昨日は熱い初夜を皇帝陛下と過ごしたのではないですか? そんな貴方がなぜ私に目をつけたのか⋯⋯。マテオ・ペレスナ皇帝陛下では物足りなかったですか?」
射抜くような目つきで私を見ながら、私の体のラインを指先でエクトルがなぞってくる。
(私、エクトルの体目当てだと思われてる?)
確かに彼は二十五歳の色気のある大人の男。
もしかしたら、過去に裕福なご婦人方からパトロンになると言われセクハラを受けた経験があるのかもしれない。
「違います! 誤解です。私、マテオ皇帝陛下とは闘っただけです。この身体は男を知りません」
我ながら自分の突拍子もない発言に驚く。回帰前は確かにマテオと熱い初夜を過ごした。しかし、それきり彼は私を避けるような生活を続けた。私にとってはそれがトラウマになっている。私の身体がどこか変だったのか、夜伽は本当に受け身で良かったのか何度も悩んだ。
「アドリアーナ皇后陛下、私を愛人にする事で、貴方様に何かメリットがありますか?」
「エクトル様。私は兎も角、貴方には間違いなくメリットがあります。私の体にはガルシアン王国の王家の血とペレスナ帝国の歴史ある公爵家の血が流れています。そして、私は今、皇帝の女。私を奪えば⋯⋯」
「確かに箔がつきますね」
エクトルが口の端を上げてニヤリと笑う。
私の背に手を回し、彼が私を抱き起こしてくる。私の提案に魅力を感じ始めた証拠。
「それで、アドリアーナ皇后陛下。貴方様には僕を愛人にして何のメリットがあるのですか?」
「私には⋯⋯」
私が口を開いたところで、ガタンと船が揺れ大きな物音がする。
「何事?」
冬場なら氷山にぶつかったりするリスクもあるが、今は初夏。
「海賊? いや、この海域には出ないはずですね」
エクトルの言う通りにだ。海賊は縄張りがあり、エクトルはその縄張りを避けた大回りの航路を開いた。
スイートルームの扉が破壊され、五名の男達が現れた。
「⋯⋯アドリアーナ様?」
「あら、顔馴染みだったのね。ここには何用?」
彼らは父が私の地下の秘密特訓用に使っていたゴロツキ。何度も私に半殺しにされてはルチアナに回復され、また訓練に使われた。一番大柄な男の名前がウゴ。他の男達の名前は忘れた。
ウゴ達五名は、知能が低く戦闘能力に特化していると言われる先住民族ルルイ。褐色の体をしていて、身体中に刺青を入れる事で自分の強さを示そうとする極めて原始的な民族だ。
深く考えず、血を好む彼らは父にとって非常に使いやすい駒。私を痛ぶる楽しみを散々与えて貰って、今回の件も暴れさせて貰える良い機会としか捉えていないのだろう。もっとも、私も回帰前、彼らと同じように父の駒として生涯を終えた愚か者。今度こそ間違った選択はしたくない。
私の暗殺術の特訓が完了したので、父は彼らに別の活用方法を見出していたようだ。この海域はまだペレスナ帝国の領域。周辺の小島はロランド公爵家の私有地。この船を小島に着けて、積荷を拝借し乗客は口封じに殺すつもりだろう。過去のエクトルの船の失踪事件の黒幕は私の父メルチョル・ロランドだったらしい。
「エクトル様。申し訳ございません。私の父方の血筋は腐ってます。ガルシアン王家の血筋にご興味があれば、後で愛人の話を受けてくださいね」
私はエクトルの頬に軽く口付けをする。自分でも大胆なことをしてしまったと思うが、大人な彼に翻弄されっぱなしでは彼を愛人にはできない。
「アドリアーナ皇后陛下いったい何を?」
赤いドレスをビリビリ破く私をエクトルが不思議そうに見ている。
「船に乗り込んでいたこのゴロツキどもを成敗します」
私の言葉に五名のゴロツキがたじろぐ。
「降伏して、私側につくなら許してあげるわ」
私の言葉にゴロツキどもが顔を見合わせると、飛び掛かってきた。
「私の蹴りの味を忘れたようだから、思い出させてあげるわね」
私は両手で柱を掴み、自分の体を槍のように振り回す。
その拍子に二人の男を倒すことができた。
ホッとしたのも束の間、一番の大男であるウゴが私の首を殴りつけようとしてくる。
「危ない」
エクトルの声と共に、私はウゴの肩に乗り彼の頭を蹴り飛ばした。
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