11.エクトル・ゲラ
「ルチアナ⋯⋯。お母様が亡くなったのはいつ?」
「⋯⋯アドリアーナ様の結婚式の朝、『もう、娘には迷惑を掛けたくない』と書き置きを残して自害されました」
悲しみを増す怒りが湧き起こる。
ルチアナは平民だが聖女の力を持っている事で、この公爵邸で養われていた。言わば父の息の掛かった女。そんな女に釣られたマテオに呆れていたが、この女も相当性悪。
彼女は過去、私が地下牢に入れられた時に謝罪したい事があると言って一度訪れてきた。謝罪の内容は自分がマテオを好きになってしまった事。
回帰前の彼女は二年も母の死を知りながら黙認。私が母の命を盾に父に脅されていたことも知っていたはずだ。
「もっと、謝ることがあったわよね」
「⋯⋯えっ? せめてもと思い。お顔の火傷と自害された時の刺し傷は治しておきました」
ルチアナはこういう女だ。私は聖女で慈悲深いという顔で、いつも父の拷問を受けた私の傷を治して来た。
外に出られないように顔に火傷を負わされた母の治療は父の命令で敢えてしなかった。美しかった母が毎日のように焼け爛れた己の顔を鏡に映して泣いているのを見ていた彼女。形容しがたい怒りに任せて私はルチアナの頬を思いっきり引っ叩く。
「⋯⋯痛っ、何をなさるのですか?」
頬を抑えて私を非難するような目を向けながら、速攻自分の聖女の力を使い痛みを和らげるルチアナ。
「ルチアナ、ねえ、分からない? 叩かれると痛いの。自分にナイフを突き立てたお母様も痛かったの」
「でも、平民である私にはできる事は限られています」
彼女はこうやって喉を焼かれ、顔を殴られ、爪を剥がされる私を聖女の力で治しては自分はできる事をやっている聖なる女という顔をして来た。
(本当に鬱陶しい)
私は母の机の引き出しから、紙と羽ペンと家紋の印を出す。
「ルチアナ、これを持ってマテオ・ペレスナ皇帝陛下の元に行きなさい」
渡された紙を受け取ったルチアナは首をゆっくりと振る。
「皇帝陛下に私のような平民が会えるはずありません」
「アドリアーナ皇后陛下からの離婚状を持ってきたと言えば会えるわよ」
私の言葉に驚いたようにルチアナが紙をまじまじと見る。
「良かったわね。憧れのマテオ・ペレスナ皇帝陛下に会えるわよ。聖女の力も持っているし、皇帝の女になれるかも」
「私は、そんなこと考えた事もありません」
私はルチアナの言葉に呆れた。私が刺客としての仕事をする気がないと判断した父は回帰前にルチアナをマテオの元へと送った。マテオを陥れる為の父の策だったが、彼女はあっさりとマテオに籠絡された。
「どうかしら、貴方って結構な野心家よ。マテオ皇帝陛下に伝えてくださる? 私は陛下が大嫌いだから、もう二度と会いたくないって」
「そんな事、私には言えません」
そんなはずはない。回帰前、彼女は私の当たりがキツイと散々陰口をマテオに吹き込んでいた。
「ちなみに、ルチアナ。貴方にも二度と会いたくない。じゃあね」
ルチアナは私の怒りを理解していないようで、首を傾げている。彼女は聖女の力が発現して以来、村で持て囃されロランド公爵邸に連れて来られてからも贅沢な生活を送った。私が地下で訓練を受けている最中も、優雅にお茶を飲みながら本を読むような毎日。
同年代の私が傷だらけでも、その傷を治せば自分は聖女。異国から嫁いだ王女が顔に火傷を負わせれ夫に監禁されていても、自分は平民だから何もできない。心底、自分に都合の良い解釈ばかりする嫌な女。是非とも彼女にはマテオと結ばれて欲しい。彼女とマテオが統べるペレスナ帝国を私が潰し、今度は二人を断頭台送りにしてやる。
母の死を知り、再び強く湧き起こる復讐心と共に、私は自分の復讐計画のパートナーをスカウトしに急いだ。
ロランド公爵邸の一階が騒がしい。父がもう帰宅したのだろう。私は慌てて二階の窓から飛び降り、馬に跨り出口に急ぐ。
出口を三人の騎士が塞ぐ。私が皇后になっても、彼らの主は父メルチョル・ロランド。
「退きなさい!」
退くつもりのない三人の騎士は、私がこの邸宅の地下でどんな訓練を受けてきたか知らない。病弱な女など牽制するだけで止められると思っているのだろう。
誰が病弱?
私は至って健康で、十年以上世界一の殺し屋と言われる師匠の特訓を受けてきた女。
私は最恐の暗殺術を身につけ、復讐心に取り憑かれた危険な悪魔だ。
「アドリアーナ様、止まってください。ここを通す訳には行きません」
私が地下で十年以上受けた訓練は、この体こそを槍や剣のように使う異国の暗殺術。私を傷つけるつもりのない騎士の引き留めなど、何の意味もなさない。私は片手で手綱を束ねるように持つと、逆立ちして回し蹴りし三人の騎士を蹴散らした。
門の前に倒れ込む騎士達を尻目に馬を只管に走らせる。
「致命傷になったらごめんなさいね。急いでて手加減を忘れてしまったわ」
早朝、ペレスナ港を出発するガルシアン王国行きの船の主、世界一の大富豪エクトル・ゲラ伯爵に会いに行かなければならない。
猛スピードで馬を走らせたが、船が離岸したばかりのところだった。
私は思いっきり消波固ブロッグを蹴って、船に手を伸ばす。
(と、届かない)
腹に力を入れて空中で体を宙返りさせ、何とか距離を縮めギリギリ船の右舷を掴めた。船をよじ登ろうとした時に、誰かに右腕を掴まれる。顔を上げるとアクアマリンの透き通る瞳と目が合った。
「エクトル・ゲラ伯爵!」
私の言葉にニコッと笑った彼は私を引き上げ船に乗せる。朝日に照らされる彼のプラチナブロンドの髪がキラキラ光った。
彼はガルシアン王国のエクトル・ゲラ伯爵。
彼に恋しない女はいないと聞いていたが、確かにその辺の女性より美しく気品に溢れている。一代で富を築き、伯爵まで上り詰め、世界一の大富豪となったやり手の男。
私を引き寄せた彼は耳元で低い声で囁く。
「先日、マテオ皇帝陛下とご結婚したアドリアーナ皇后のそっくりさんですか? 僕の部屋はベッドが余分にあるのでご一緒します?」
「へっ? あ、あのお部屋でお話し聞いて頂けると嬉しいですわ」
余裕を見せつけて彼とパートナーシップを結ぼうと思っていた私は先制攻撃を喰らっていた。
エクトルは女性を蕩けさせるような男と聞いていたが、真実だったようだ。何だか腰にくる低い声を聞いているだけで、頭がボーっとしてくる。しかし、馬鹿になっている場合ではない。利用されるのではなく、私がこの男を利用しなければならないのだ。
サッと出された手に私はそっと指先を乗せる。
「その美しさは少し目を引き過ぎます。失礼しますね」
エクトルは着ている真っ白な上質なジャケットを脱ぐと、私の頭から被せた。彼は私が本物のアドリアーナ・ペレスナだと気が付いているようだ。
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