10.聖女の嘘
♢♢♢マテオ・ペレスナ♢♢♢
アドリアーナを薔薇園に置き去りにしてしまった。彼女を惚れさせ利用するつもりだったのに、感情のままに行動した自分を猛省している。
しかし、俺は自分と息の合ったダンスを踊って、地下牢でナタリア嬢を拷問した彼女が頭から離れない。俺を睨みつけながらも、求めてやまないような視線。彼女が俺が三年前に目が合ったアドリアーナ。
アドリアーナの中に二つの人格が混在しているような状態と見た方が良い。どうして、そのような状態になったのか調べて見る必要がある。無邪気な天使のようなアドリアーナの方が扱い易いのに、残酷な彼女の方が気になる俺は相当女の趣味が悪かったようだ。
俺が舞踏会会場に戻ると辺りは騒がしくなった。顔を顰めたロランド公爵が近付いてきて俺に耳打ちしてくる。
「アドリアーナはどこに行ったのでしょうか?」
「昨晩は彼女を寝かさず構ってしまったので、休ませているだけだよ」
「⋯⋯そうでしたか。体の弱い娘でお恥ずかしいです」
ロランド公爵は薄笑いを浮かべているが、目は鋭い。本当に白々しい男。昨晩は彼女に命を狙われたと話して、彼の反応を見たいがやめた。今、確たる証拠もない状態で危険過ぎる掛けだ。
この皇宮にどれだけ俺の敵がいるか分からない。長いこと貴族派の首長であったロランド公爵家の当主の彼の味方が多いことは確かだ。
俺は閉会の挨拶を済ませ、早々休む事にした。流石に昨晩一睡もしていないだけあって、今にも寝落ちしそうだ。
早朝、扉の前が騒がしさに目が覚める。まだ、外も薄暗いのに何かあったのだろうか。ベッドサイドの鈴を鳴らし、モスグリーンのガウンを羽織る。取り敢えず顔を洗ったら、状況確認をした方が良いだろう。
突然、慌てたように補佐官のセルソが桃色の髪を振り乱し入ってきた。
「メイドを呼んだつもりだったんだが、ジョブチェンジでもしたのか?」
「皇帝陛下、大変です。アドリアーナ皇后陛下がいなくなりました」
俺の脳裏に『女は貴方にとってモノと変わらないから』と言った切なそうな瞳をした彼女が蘇る。彼女のことも、他の女と変わらず「モノ」と割り切れて利用できればどれだけ良かったか。心も魂も奪われそうになる視線を避けるように、俺は彼女から逃げてばかりだ。
「いつからだ? 何故、直ぐに知らせない!」
「申し訳ございません。温室の外で待機していた騎士達も気絶させられてまして⋯⋯」
俺が彼女を薔薇園に置いてきたところから消息が分からないということだ。あれから、七時間は経過している。
「皇后が消えた事を公にし、ペレスナ帝国中を探し回れ!」
「でも、それでは皇帝陛下の評判に関わります」
「だから秘密裏に俺にも知らせず、探していたとでも? 評判などどうでも良い! アドリアーナを探すことが先決だ!」
何が何だか分からない。ただ、人格が分裂したようなアドリアーナの不安定さを分かっていながら、彼女を一人にした自分が許せない。
♢♢♢アドリアーナ・ペレスナ♢♢♢
薔薇園に取り残されただけで、キサラギスミレは絶望した。お陰で再び私の人格がこの体を支配する事ができた。正直、マテオが何をしたいのか理解できない。聖女の力のあるキサラギスミレを自分に惚れさせて操ろうとしてたかと思えば、彼女を追い詰めた。もう、あの男の考えていることを察しようとする事にも疲れる。
結婚して二年、彼の為に尽くしても彼は私を無視し続けた挙句処刑。思い起こしても酷い結婚生活。私ができる一番の復讐は彼と離婚する事なのかもしれない。回帰前は私の事務処理能力を利用し、今度は聖女の力。彼は人を利用することしか考えない心を持たない男。そんな男の考えなど、こちらも無視して離れた方が良い。
私は実家に監禁されている母ドミティラを助け、この地を離れる事にした。
温室の前に待機している二名の騎士を気絶させる。
私は馬を拝借し、実家ロランド公爵家に急いだ。
高い塀に囲まれたロランド公爵邸。母も皇宮に嫁ぐ前の私と同様に、ここに監禁されている。母は世界一裕福とされるガルシアン王国の王女だった。
女慣れした父の毒牙にかかり嫁いだ世間知らずのお姫様は、後継ぎと利用価値のある娘を産むと同時に監禁。
母が自分の地位や情報目当てに父が近づいて来たと気がついた時には、時既に遅し。ガルシアン王国の機密情報を流すように父から強要されるも、気高い母は口を閉ざす。「妻として夫に尽くせ、立場を弁えろ」と父は何度も母に怒号を浴びせた。私が十二歳の時、母は意を決して私を連れてロランド公爵邸からの脱出を試みた。しかし、脱出は失敗。罰とばかりに母は顔に熱湯を掛けられ火傷を負わされて、評判の美貌を失い母は外に出られなくなった。
ロランド公爵邸の入り口に私が現れると、門番をしている四人の騎士達が動揺した顔を見せる。
「退きなさい。命令よ」
父も兄も皇宮に行っている今、彼らの指示でしか動けない門番など意味をなさない。
慌てたように道を開けた騎士の一人が、慌てて馬に跨り皇宮の方へ向かった。
恐らく昨日結婚式をして皇宮にいるはずの私がここにいるのを父に報告しに行ったのだろう。
(時間がない早くしないと⋯⋯)
「お母様!」
私は二階の母の部屋に急ぐ。すれ違う使用人達が驚いたように目を見開いている。
母の部屋の扉を開けると、ベッドに横たわる母ドミティラの横に祈るような姿勢で跪く聖女ルチアナがいた。
母の顔は目を瞑っていて寝ているようだが、顔の左半分爛れていた火傷の跡が消えている。
美しい艶やかだった金髪は、気がつけば艶もなく白髪だらけ。美貌の王女と有名だった母が心労により老婆のような姿で、人生の幕を閉じている。
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