守護
小学生の時、学級委員だった私は、いつもある男子生徒の隣の席にさせられた
その子は、一言で表すならいわゆる問題児という存在だった
つまり先生の補助的に、面倒をみるのを手伝わされていた
今思うと、明らかに家庭に問題があるだけで本人は被害者の立場の子どもだった
母子家庭でとてつもないボロアパートに住んでいたその子は、お風呂に入れておらず伸びっぱなしの髪と爪でいつも同じ汚れた服、歯なんか全く磨いてない不潔感の塊で、年の離れた兄がいる影響なのか下ネタばかり口にした
小学校高学年女子の私としては、当然嫌悪感を抱いていた
いろんな事があったが、その子がわかりやすく私に好意を持っていたのがさらに無理だった
私の家は庶民にしては裕福で(当時トイレにウォッシュレット機能がある家は同級生に珍しがられた)クラスで一番成績がよかった私
嫌々ながらもその子の世話もしていたので、尊敬と憧れが好きという気持ちになったのだろう(メタ認知)
思えば人生のピークのモテ期は小学校高学年で、運動神経も優れていた私は学年の男子ほぼ全員に好かれていた…ん?何の話?
自分が認識していないだけで、世の中には過酷な環境に置かれて育つ人間が、たくさん居るということ
私なんかは、かなり恵まれた条件で育った子どもだったと思う(隠れネグレクトだったけど貧困ではなかった)
生まれた時からマイナスのスタート
そりゃあ根性曲がる
周りの人間が当たり前に持っているものが無い
良心的な両親に(ダジャレじゃないよ)、家庭の居場所、温かいご飯やお風呂にベッド…
安定した基盤があって、学校という社会へ通う
それでも学校生活でいろいろあるのに
家庭がめちゃくちゃでは、学校で馴染めないのも当然
大人になって、いろんな人と出会って、どういう生い立ちでこんな思考回路が出来上がったのだろうかと不思議だった
隣の席の男の子のことを思うと理解できる
自分が同じ環境だったら、きっと心は捩れ、世の中を、他人を、穿った目で見る大人になっていたと思う
そして、お金に執着する生き方をしていただろう
有難いことに私は、お金に困ったことが無い
この先夫が亡くなっても困らないと思う
だから綺麗事で生きていられる
守護されている
私には私の使命があり、お金についての学びは今世の人生では必要ないようだ
何が言いたいのか?
育ってきた環境が劣悪で、マイナスからゼロに脱却するまでだけでもたいへんだったとしても
そこから幸せになるには、やはり心を大事にして生きること
お金や社会的成功を手に入れても、真の豊かさはそれだけではないから
どれだけ貧乏でも(程度による)、愛があったなら、きっと心は守られるでしょう?
どれだけお金持ちでも、愛がなければ心は生きた心地がしないでしょう?
自分の心を尊重して
自分を愛して人を愛して世界を愛して
皆が幸せに生きられる世界になるように