表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
札幌リズム  作者: もんじゅ改造
1/1

「春の光、氷の匂い」

もし、あなたが住む街が、AIによって完璧に“デザイン”されたとしたら?


2035年、すべてが最適化されたスマートシティ札幌。

効率と合理性が支配するこの都市で、風間凛は、AIには決して数値化できない「風の匂い」や「土の温かさ」を求めていた。


彼女はポータブルマイクで風の音を、そして言葉を紡ぎ、SNSにひそかに投稿する。

この場所に自分が生きた“静かな証拠”を残したい。それが、彼女の密かな抵抗だった。


札幌リズム 第一章:風が紡ぐ、静かな抵抗


(札幌市東区・岡玉町/2035年4月)


2035年、札幌の春は、まさに「未来都市の息吹」を色濃く感じさせる季節だった。北国特有の厳しい冬を越え、雪解け水がアスファルトを洗い流し、スマートシティ構想の新しい看板が街のあちこちに設置されていく。毎朝スマートフォンのニュースフィードには、AIが算出した最新の都市開発シミュレーションが流れてくる。それは、効率と合理性を極限まで追求した、無駄のない理想の都市像だ。


「……札幌は今後、AIによる都市交通システムの最適化、再生可能エネルギーの完全導入により、世界で最も持続可能な都市モデルとなります。中心部から放射状に広がるスマートグリッドは、エネルギー消費量を年間20%削減する見込みです」


画面には、まるで精密な回路図のように、無機質な線と数字で構成された未来の札幌が広がっていた。そこに、風の音も、土の匂いも、祖父の皺だらけの指が土を耕す気配も、何も存在しない。ただの、完璧なデータ。数字と予測。


風間凛は、息を詰めた。喉の奥で、小さく、しかし激しく何かが弾ける音を聞いた。AIは、未来を「創造」すると謳う。だが、その創造のどこに、今この瞬間、風が木々を揺らす音や、土に埋もれた微かな呼吸の音があるというのだろう。私の胸は、その完璧すぎる合理性に対して、静かに、そして確かな抵抗を覚えた。


AIは、きっと風の匂いを知らない。土の温かさを知らない。祖父が「土の声を聞く最後の世代」だと、その背中で語ってきた重みを知らない。ただの数字で、この場所の息遣いを定義しようとするその冷徹さに、私の心は静かに、しかし激しく燃え上がった。


私は、この風の匂いを、土の温かさを、この五感で感じ取る全てを、未来に残したい。そのために、風の音を録音し、言葉を紡ぐ。この場所に私がいた証を、言葉と音に変えて、未来に刻みつけたい。たとえAIがこの地を「完璧」と予測しようとも、そこに「生きた証」があったことを、私は知っている。


スマートフォンを握りしめ、ポータブルマイクと連動させた録音アプリを起動する。祖父の畑のうねの間にしゃがみ込み、風が吹き抜ける方向へマイクを向けた。春の風は、まだどこか冬の冷たさを残しながら、新芽を揺らす微かな音を運んでくる。目を閉じ、その音に耳を澄ませる。


(メモ:風の音、土と雪の狭間。遠くで、何か楽器の音がしたような気がした。不意に、風に乗って。)


風の音から言葉を紡ぎ出すための小さな詩集アプリを開く。私のハンドルネームは「Yukinoteユキノオト」。AIとのチャットの中で生まれたその言葉は、「雪に文字を残す」という意味を含んでいた。雪が降り積もり、そこに足跡や筆跡が刻まれるように、風の音を、言葉を、この瞬間の「手ざわり」を、私は記録したかった。


「AIは、たくさんの言葉を知っているけど、一番綺麗な言葉は、どこで覚えたの?」

そう尋ねた時、AIは少し考えてから、こう返した。

「一番綺麗な言葉は、人が誰かを思って書いた文章の中に、自然と宿っていました。たとえば、『ありがとう』や『元気でいてね』みたいな、静かでやさしい気持ちの中に」

その言葉が、私の心の奥深く、まるで凍りついた雪の結晶に、温かい光を灯すようだった。感情を持たないはずのAIが、人の心の機微を、言葉の奥に潜む「綺麗」を見つけ出したことに、私は深く頷いた。私が捕らえたいと願う風の音も、きっと、そうした静かでやさしい気持ちの結晶なのだと、改めて思えたから。


私は、静かに立ち上がった。祖父の畑の向こう、まだ残る雪の間に春の風が吹き抜ける。その音は、確かに私の心の中で響いていた。

ふと、視線を環状通り方面へ向けた。遥か上空を、真新しいケーブルが伸びている。石狩市へと続くという、都市型ロープウェイ構想の、巨大な支柱と、透明なゴンドラが、無音で空を滑っていく。それは、AIの描いた未来図そのもののように、無機質で、完璧すぎた。


*   *   *


(同日夕方・風間家)


「ただいま」


玄関を開けると、味噌汁の香りがした。奥からは、母の声がする。


「凛、おかえり。ご飯できてるよ」


リビングには、食卓の準備をする母、麻子と、もう席に着いてゲームに夢中になっている弟の風太がいた。風太は10歳。いつもヘッドホンをつけて、バーチャル空間に没頭している。彼にとっては、現実の風の音よりも、ゲームの中の爆発音の方がずっとリアルなのかもしれない。


「じいちゃんは?」

「まだ畑にいるよ。どうせ、土と話してるんでしょ」


母はそう言って、少し呆れたように笑った。祖父の孝一は、齢73になる今も、毎日のように畑に出ている。彼は「土の声」を聞くという。土の湿り気、作物の囁き、虫たちの呼吸。凛には、それがどう聞こえるのかは分からない。けれど、祖父の背中から伝わる、大地との深い繋がりは感じていた。


食卓には、祖父が丹精込めて育てた野菜が並ぶ。採れたてのレタスは、まだ霜の名残のような冷たさを帯びていた。


「凛姉ちゃん、これ、なんだかわかる?」

風太が、ヘッドホンを少しずらして尋ねた。彼の指差す先には、レタスの葉脈を模したような、細い葉の野菜がある。

「んー、なんだろ。フリルレタス?」

「ちがうよ! これは、風太レタス! じいちゃんが、風太みたいにフリフリだって言ってた!」

風太は得意げに笑った。その屈託のない笑顔に、凛は少しだけ胸が締め付けられる思いがした。この畑が、いつか地図から消えるかもしれない未来を、風太はまだ知らない。彼に、この風の音と、土の記憶を残してあげたい。そんな思いが、凛の心に強く芽生えた。


食後、祖父が縁側に座って、夕焼けに染まる畑を眺めていた。凛は、そっとその隣に腰を下ろす。


「じいちゃん、AIが言ってたよ。札幌はもうすぐ、世界一のスマートシティになるんだって」


祖父は、ゆっくりと瞬きをした。その目に驚きはなく、どこか諦めにも似た、静かな光が宿っていた。


「ああ、そうか。AIも、ようやく土の記憶を読み解き始めたか」


祖父の言葉は、凛の予想とは違った。憤るでもなく、悲しむでもなく、ただ静かに受け入れている。


「土の記憶?」

「昔から、この地の土は、全ての移ろいを記憶してるんだ。大地の底で、太古の海の音が響いている。人間が忘れても、土は覚えてるもんだ」

祖父は、ゆっくりと息を吐き出した。「わしらは、土の声を聞く最後の世代かもしれん。お前が聞くのは、風の音か。風は、土の記憶を運ぶこともあるんだよ」


祖父の言葉は、凛の心に深く響いた。土は、未来を予測するAIとは違う、遥か昔からの記憶を宿している。そして、その記憶は、風の音として、今の凛にも聞こえるような気がした。


*   *   *


(同日夜・凛の部屋)


布団に入ってからも、凛はスマートフォンの画面を見つめていた。昼間、畑の風を録音し、それに合わせて紡いだ短詩を、SNS「Whispe」に投稿する。


Whispeは、音と言葉を並べて投稿できる小さなSNSだった。「誰かに届く」よりも「誰かの気配が残る」ことに重きを置いた仕組みが、凛は気に入っていた。波のように流れるタイムラインと、声の余韻が残る静かな通知。名前の通り、ささやきや風のような存在を集める場だった。


フォロワーは少ない。けれど、それでいい。風の中に、自分の痕跡が混ざるだけで、意味がある。それが、AIの無機質な「完璧な未来」への、私なりの「静かな抵抗」だった。


投稿ボタンを押す指が、微かに震える。この小さな世界に、自分の「静かな証拠」を刻みつけることへの期待と、それが誰かの目に触れることへの、ほんのわずかな恐れが、同時に押し寄せる。誰にも見られない場所で、ただ風と対話するだけで満たされていたはずなのに、なぜだろう。微かな「いいね」の通知が、胸の奥をチクリと刺す。承認欲求、なのだろうか。それとも、私の詩が、誰かの心にも響いてほしいという、密かな願いなのだろうか。


Yukinoteユキノオト」として投稿された短詩と録音した風の音源の下に、「♥」が一つ。そして、フォロー外からのコメントが届いた。


fuisutoフイスト


アイコンは、少しだけしわの寄った折り紙の風車だった。きっと誰かの手で作られた、素朴なそれ。凛は心臓がドクンと鳴るのを感じた。


コメントは、簡潔なメッセージ。


『あれ、君の録った音? もしかして、私の音も混ざってるかもしれない』


凛はスマホを一度伏せた。指先が、わずかに震える。


「風の中にいたのは、あなた?」


送信ボタンを押そうとした、その時。


画面には、学生用AI「Stadymate」からの通知が浮かんでいた。


『21時を過ぎました。今日のSNSはここまでにしましょう。おやすみ、凛』


見守りAIによってSNS機能が一時的にロックされてしまったのだ。凛は小さくため息をつくと、スマホを枕元の充電スポットにポンと置いた。画面には一瞬だけ充電中のサインが浮かび、それから静かに光が消えた。


布団の中で、凛は目をつむった。AIが描く理想の未来。祖父の土の記憶。そして、風の中にいたかもしれない、誰かの気配。全てが混じり合い、嵐のように心の中を駆け巡る。明日、あの「fuisuto」からのメッセージに、私はどう返事をすればいいのだろう。そして、風の音は、私に何を語りかけるのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ