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02 最初の恋

 最初の恋も無理目な恋だったに違いない。

 (はか)られたものだ。


 気づいたら、恋に落ちていた。

 だが、それは奇跡としか言いようのない、あり得ない恋に過ぎない。


 ジェニファー・メッツロイトンとヴィーラのアンドレア皇太子の人生が交錯することなどあり得ないのだから。


 最初の恋の経緯はこうだ。

 5年前、雪の中で派手に転んでドヴォラリティー伯爵のお屋敷の前で雪にまみれて途方に暮れていた私は、通りかかった馬車に助けられた。偶然、通りかかったブレッチダービー公爵、ヒュームデヴォン伯爵の馬車に拾われたのだ。


 その数日後のこと。私は贅沢なお屋敷の一室に案内されていた。


 その日は夕暮れが美しい日だった。街には雪の帽子をかぶった家々が立ち並び、空にはピンク色の夕日が広がっていた。 


「始めますよ」


 ブレッチダービー公爵、ヒュームデヴォン伯爵は固唾を飲んでじっと成り行きを見守っていた。


 彼らは一言も言葉を発しなかった。


 高価なガス湯沸かし器から温かい湯が出ていて、あたりには湯気がうっすらと漂っていた。金と大理石で飾られた浴室の奥には、立派な湯船が設置されていて、湯がたっぷりと張られている。遠くでは通りを走る馬車の蹄の音が聞こえてくるだけで、人の声までは聞こえなかった。


 私は助けを求めて辺りを見渡したが、隣の部屋からは暖炉の薪がはぜる音がしているだけで、他の人の気配がしない。


 人ばらいをしたのだろう。私を案内してくれたメイドも、どこか遠くの部屋に追いやられているのかもしれない。


 夕暮れの街並みの中で、ジェニファー・メッツロイトンというしがない18歳の没落令嬢を助けてくれそうな人は、この大きな屋敷の中にはいなそうだ。


「で、ジェニファー。君は承諾するんだね?」


 私の目の前には一人の紳士がいた。


 豊かなブラウンの髪の毛をきっちりとセットし、メガネの奥の瞳を怪しく煌めかせた彼は、高価な宝石入り懐中時計をチラッと見た。懐中時計の宝石がライトを反射しキラリと光った。


 紳士然とした彼は、マルキューノ博士だ。彼の眼差しは私の心の中を見透かしてしまいそうだった。


 私は震えが止まらなくなった。

 私は小さくうなずいてしまった。



「脱いで」


 マルキューノ博士は私に言った。

 私は絶対絶命だった。


 震える思いでドレスを脱いでいく。


 私の白い肌があらわになったその時、博士が医師がやるように私を観察した。


 私は両手でなんとか体を隠そうとして周りを見渡したが、部屋の扉は閉められていて、やはり逃げ場はない。


「うむ、非常にいいと思う」


 男性陣がうなずく。公爵も伯爵も、マルキュール博士を促した。


「これ以上はお許しください……」


 私は懇願した。

 しかし、少しの間だけ、男性たちは震える私の体を見つめた。私は身悶えるしかない。


 ほんの少しの間だ。

 永遠にも感じた。


 私が悪夢として繰り返し見ることになる瞬間だ。


 医師としての診察だったのかもしれないが、アンドレア皇太子の愛人を選ぶための確認だったのだ。


 博士はよくわきまえてもいた。大切な体には指一本触れなかった。


 私は悔しかった。

 あまりの屈辱に身を震わせた。

 他の方が同室しているのが嫌だ。


 しかし、結局はひたすら家のために耐えた。最後は暖かい湯に浸かり、3人の男性たちは出て行った。開放された。


 これは間違いだった。

 私はこのような事に手を染めてはならない。

 でも、この時の私は悪事に加担したのだ。


「君に決めたよ。ジェニファー、君が皇太子の愛しい女になるのだ。我々は君に全てを賭ける。失敗は許されないからね?」


 私の目から涙が溢れた。


 私はアンドレア皇太子の愛人になるべく、選ばれた令嬢だったのだ。


***


 5年前、雪の中で派手に転んだ私は、通りかかった馬車に助けられた。ドヴォラリティー伯爵のお屋敷の前で雪にまみれて途方に暮れていた私は、マルキューノ博士とヒュームデヴォン伯爵の乗った馬車に偶然拾われたのだが、その時、彼らは私を見るなり顔を見合わせていた。馬車の中で私は彼らに丁重に扱われた。


 しかし、彼らには企みがあったのだ。


 私が没落令嬢だと彼らは知って、私が断れない頼みを持ちかけた。お家の窮状を助ける代わりに、アンドレア皇太子の愛人になれという仕事だ。


 当時、ブレッチダービー公爵、ヒュームデヴォン伯爵、マルキューノ博士だけがこの計画を知っていたはずだった。メッツロイトン男爵家の私の家族ですら知らないことだ。


 しかし、一つだけ。

 彼らの計画に狂いが生じた。

 アンドレア皇太子と恋に落ちるはずの私は、愛人ではなく正妻の座におさまってしまった。



 それは、ブレッチダービー公爵、ヒュームデヴォン伯爵、マルキューノ博士も、当の私にも、予想もつかないことだった。私はアンドレア皇太子と恋に落ちて正式に結婚した。あろうことか、ヴィーラの皇太子妃になってしまった。


 あれよあれよという間に子供を3人ももうけた。予想に反して男子3人だ。


 つまりだ。

 当初の計画では、私は悪役令嬢の立場に過ぎない。皇太子の婚約者である令嬢から皇太子を奪う役目でしかない。


 私は愛人止まりに過ぎないはずだったのだから。


 当時は、クイーンズマディーノモベリー公爵の姪が皇太子の婚約者だった。彼女の名前は……パトリシアだ。ブロンドで品の良い艶めかしさを振りまく彼女は美しくて非の打ち所のない19歳の令嬢だった。しかも魔力すら持っていた。


 婚約者であるパトリシアからアンドレア皇太子を奪った私は、5年後にはパトリシアに皇太子を奪い返された。皇太子はパトリシアに入れ込み、子持ちの私に別れを告げて、宮殿から3人の子供と私を追い出した。


 私と3人の子供の命を奪った犯人は、パトリシアかどうかは結局分からない。その時も奇妙な煙が使われたのだが、それもまだ謎のままだ。




***


「これが最初の恋の顛末なのよ」


 私は暖炉の火を見つめながら、ドヴォラリティー伯爵に話した。彼の豊かな茶色い髪の毛と、穏やかで理知的な輝きを宿すブラウンの瞳が、暖炉の炎に照らされて不思議な魅力をまとっていた。


 彼の表情を注意深く観察しても、彼の心のうちは私には読めなかった。彼は無言で私の話に聞き入っていた。




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