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騎士の時代が終わったとしても

 

 騎士の時代は魔女の登場によって終わりを告げた。


 例えばたった一滴の水を軍勢を薙ぎ払う津波に増幅したり。


 例えば広範囲の酸素濃度を減少させて敵国の人間を陸にいながら窒息させたり。


 例えば重力を増幅して大国の首都を押し潰して地図上から消し去ったり。


 剣や槍、弓矢や火縄銃を持ち出したところで抗いようがない超常現象を引き起こす魔女が現れたことで大陸のパワーバランスは騎士の数よりもどれだけ魔女を保有しているかで決するようになった。


 それだけ魔女のみが使える超常現象──魔法は人間の限界を超えているのだ。


「アラディア=ヘロディーナ公爵令嬢! 貴様との婚約を破棄させてもらう!!」


 高位の貴族が集まるパーティーでのことだ。

 腰まで伸びた金髪に碧眼、十六歳とは思えないほどに麗しい公爵令嬢に対して放たれた第三王子のその宣言はまさしく愚を極めたものだった。


 国内でも王家に次ぐヘロディーナ公爵家の令嬢との婚約を破棄したところで不利益しかない。


 ゆえにこの婚約破棄は王家の総意ではなく第三王子の独断だろう。この宣言はどう考えても愚行であり、遅からず周囲から握り潰される……はずだった。


 少し前までならば間違いなくそうなっていただろうが、国内において今の第三王子の決定に楯突くことができる者はいない。



 第三王子の後ろに立つ真っ赤なマントを羽織ったとんがり帽子の小さな女の子──すなわち魔女を第三王子が使役しているからだ。



 半年前、これまで国王が所有していた魔女が失われた。それによってこの国に所属する魔女が一人もいない状態が続いていた。


 周辺国家からは侮られ、搾取され、このままでは国そのものが消滅する可能性もあった。


 そんな時に第三王子が魔女との契約に成功したのだ。

 絶対的な力を持つ魔女に対してどんな命令でも聞かせられる支配の契約を、だ。


 ──魔女にどんな命令でも聞かせられる契約、なんてものがどうして存在するのかはわからない。生物的に劣っている人間に対する神の慈悲なのか、他に理由があるのか。どうであれそういう契約は存在する。


 一人の人間が魔女を支配可能なその契約はまだ誰とも契約を結んでいない魔女であれば自らの意思で契約主を選ぶことができる。だが一度誰かと契約した場合、その誰かから別の誰かへと魔女の同意なく契約を移譲することもできるのだ。


 それだけのデメリットはあるが、魔女の魔法は契約主がいなければ極端に減衰し、時代を変えるほどの力は発揮できない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 つまり自由の代わりに自身の力を制限するか、隷属の代わりに時代を変えるほどの力を解放するかを天秤にかけて片方を選んだ魔女が人間の社会で頭角を現しているのが現状だ。


 そのため今の時代では国のトップである王が所有する魔女との契約を次の王に移譲することで『支配者の力』を受け継いでいく形にするのが基本である。そうしなければ魔女を支配する契約主が反論を起こせば国なんていくらでも乗っ取り放題なのだから。


 だというのに、今の時代の基本として支配階層の頂点が手にするべき魔女の支配権を国王ではなく第三王子が手に入れた。それによってこの国のパワーバランスは大きく崩れたのだ。


 周辺国家と同じ土俵に立つために必要な魔女という兵器を自由に振りかざすことができる第三王子は実質的なこの国の覇者であった。


 どんな愚行だって受け入れるしかない。

 そうしないと待っているのは魔女というどうしようもない戦力による殺戮だ。逆らえば逆らった数だけ死者が増えるに決まっている。


「なぜ俺様が貴様との婚約を破棄するのか。それは貴様が俺様の婚約者という立場を利用して得た我が国の機密情報を他国に流すような売国奴だからだ!!」


 だから証拠も何もない明らかな冤罪を高らかに垂れ流す第三王子を誰も止められない。


 魔女という圧倒的な暴威でゴリ押ししたのではなくあくまでもアラディアの過失による婚約破棄なのだと取り繕うくらいには外面を気にしているのか。それとも単にアラディアを徹底的に貶めたいのか。


 優秀なアラディアと常に比べられてきたこれまでの鬱憤を晴らすように長々とした言葉が続く。


 一通り語り終えてから、自分の優位性に酔ったように第三王子は言う。


「──我が国を害する犯罪者に生きる価値はない。よって貴様はこの場で俺様直々に処刑してやるよ!!」


 その宣言にアラディアは抗うことはできなかった。

 ここで逆らって(魔女を支配下に置いている)第三王子の機嫌を損ねれば被害は無尽蔵に広がっていくかもしれない。アラディアの態度が気に食わないからと八つ当たりでヘロディーナ公爵家や公爵家が管理する領地の領民にさえもその矛先が向くことだってあり得るだろう。


 それだけは絶対に駄目だ。


 だから。

 だから。

 だから。



「ハッ! これまた舐め腐ったことしやがってくれてますね」



 アラディアを庇うように前に出る男が一人。

 それは今や『終わった』時代の象徴、すなわち騎士であった。


「何やらべちゃくちゃとつまらねえことをほざきやがってくれてましたが、他国への機密情報の流出とやらの証拠はどこにあるので? まさかテメェの戯言だけで決めつけてヘロディーナ公爵令嬢を処刑しようってんじゃねえでしょーね?」


 鮮やかな黒髪を靡かせる一見すれば舞台男優のように優美な彼は丁寧に話したいのか嘲りたいのかわからない言葉遣いで第三王子に言葉を投げかけていく。


 普段の鎧や剣を脱ぎ捨ててパーティーに合わせた黒の正装を纏ったその男。


 騎士アーサー=バルフォンス。

 代々有能な騎士を輩出してきたバルフォンス子爵家の次男にして物心ついた頃からずっと一緒だったあの男であれば相手が王族であっても魔女が後ろに控えていようとも生き方を変えるはずがないからだ。


「きっ貴様!! 何が言いたい!?」


「いやなに、処刑だなんだ騒ぎやがるってんならせめてきちんと第三者が調べて誰もが納得する証拠を用意しろってだけですよ。まあ、どうせテメェのくだらねえ嘘だってのが発覚するだけでしょーけど」


「ッ!!」


「……テメェがゴリ押しするのが婚約破棄だけなら俺だってわざわざ首を突っ込んだりはしなかった。だけどヘロディーナ公爵令嬢を殺すってんなら話は別だ。騎士として理不尽に傷つけられている淑女を守らせてもらうぞ」


 どこまでいってもアーサー=バルフォンスは騎士だ。昔からアラディアが尊敬する男は何も変わっていない。


 だからこそ、アラディアはこう言うしかなかった。


「わたくしは、他国に機密情報を流出しました……」


「はぁっ!? 何を馬鹿なこと言い出してやがるんだ!?」


 驚き振り返ったアーサーをアラディアは表情を変えずに見つめた。その内の感情は見せずに。隠せていると信じて。


「ですから、貴方が命を賭ける必要はどこにもないのですよ」


 巻き込めない。死んでほしくない。

 これだけのことができる昔からの付き合いの男だからこそ、こんなにも真っ直ぐな騎士だからこそ、第三王子を──その後ろに控える魔女という圧倒的な暴威を敵に回してほしくない。


 どれだけアーサーが理想の騎士のような生き様を貫こうとも、魔女は問答無用で殺す。


 剣ではどう足掻いても魔法には敵わない。

 とっくに騎士の時代は終わったのだから。


「は、はははっ! 聞いたか!? 自白だ、これ以上の証拠もどこにもないだろう!? さあ、処刑だ。忌々しいアラディアをこの手で殺して──」


「決闘だ」


 一言だった。

 ゲラゲラと笑う第三王子に騎士は真っ向から挑みかかるように告げる。


「テメェが勝てば好きにすりゃあいい。だが俺が勝てばアラディアが機密情報を流出したかどうか中立の連中に調べてもらう。ああ、決闘だがもちろんテメェは魔女を代理に立てやがっていいぞ。どうせ一人じゃ怖くて喧嘩もできねえおぼっちゃまだもんな? テメェよりも小せえ女の子にぼくちんが戦うなんて無理だよう助けてえーって泣きつけばいいさ」


「き、貴様ァ……ッ! 所詮は王家の所有物にして消耗品でしかない騎士ごときが王族たる俺様に対してそれほどの発言をして無事で済むと思うなよ!? 今更許しを乞うても遅いからなあ!!」


「そう吠えるなよ、おぼっちゃま。テメェ自身が小せえのが透けて見えるぞ」


「……っっっ!! 殺す、絶対に殺してやるう!!」


 アーサーの声音はあまりにも軽かった。

 騎士の時代を終わらせた魔女と一対一で殺し合う。そんなことをすればどうなるか火を見るよりも明らかだというのにだ。


「な、にを……アーサーっ。何を言っているのですか!?」


「それはこっちの台詞だ。なあ、アラディア」


 まだ幼かった頃のように互いの名前が口から出る。それほどに素を出して、アーサーはこう続けた。


「つまらねえ嘘ついてまで俺を守ろうとするんじゃねえ。命をかけて誰かを守るのは騎士の役目なんだし、何よりちったあ俺のことを信じやがれ」



 ーーー☆ーーー



 思えば昔からアーサーはこうと決めたらどんな障害があろうとも真っ直ぐに突き進む男だった。



『ちく、しょう……やっぱ強えなあ』


『ばかっ。騎士団長に喧嘩を売るとか本当アーサーはばかなんですから!!』


 代々有能な騎士を輩出してきたバルフォンス子爵家の人間という立場を使ってまだ騎士になってもいないのに半ば強引に騎士団の訓練に混ざり、そのまま騎士団長に喧嘩を売ったり(そこで周囲がざわついていたのは騎士団長とも対等に斬り結んでいた幼い頃のアーサーの力量が驚くべきものだったからか)。


『次こそは! 俺が勝つ!! いずれは俺が騎士団長になってやるんだからなあ!!』


『メイドさんから泣きつかれた通りですね。このばかっ。いくらなんでも三日三晩休みなく剣を振るうのはやり過ぎです!!』


 誰かに負けたらそれこそ寝る間も惜しまず一日どころか放っておいたらいつまでも訓練を続けていたり(他の誰が声をかけても無視するというか認識すらしていないが、アラディアが止めればどうにか聞き分けてくれる……時もある)。


『あ、プラチナアゲハだ』


『え、どこですか?』


『ほら、あそこ』


『全然見えないのですけれど』


『そうか?』


 アーサーは普通の人間の何倍も目が良かった。いいや目だけでなく身体能力からして常人が比較にもならないほどにぶっ飛んでいるのだが(馬車に轢かれそうになっている子供を助けた代わりに自分が轢かれても無傷なのは絶対におかしいとアラディアは今でもそう思っている)。


『今はもう魔女の時代なのかもしれない。騎士なんていてもいなくてもどうでもいい存在なのかもしれない。だとしても俺は騎士として生きると誓った! どれだけ時代遅れでも俺は絶対に騎士になるんだ!!』


『そうですか』


『ハッ。珍しく馬鹿だって言わないんだな』


『言うものですか』


『そうか。……そうか』


 アーサー=バルフォンスは騎士だ。

 時代がどう変わろうとも彼の本質は絶対に変わらない。



 そんなアーサーとアラディアは昔からずっと一緒だった。

 この幼い頃の記憶がアラディアにとって一番の宝物だった。



 成長していくにつれてお互いに自身の立場を自覚するようになった。まだ第三王子が魔女と契約できていない時にアラディアとの婚約が決まってからアーサーが『ヘロディーナ公爵令嬢』とどこか一線を引いたのも決して間違いではなく当然のことだ。


 そのことを寂しいと感じてはいけない。

 家のために生きることは当然のことだ。


 そうやって貴族としての義務だからと目を逸らしてきた。


 だけど、第三王子との婚約が決まった時になりふり構わずに拒絶したら何かが変わっていたのか。


 アーサーのことを魔女との決闘というどうしようもない死地に引き摺り落とすこともなかったのだろうか。



 ーーー☆ーーー



 通常の決闘であれば立会人を用意したり、然るべき手順に則って行われるものだ。


 だけど今回は違った。

 第三王子とアーサー、双方が今すぐに目の前の相手を叩き潰す気だったからだ。


 日や場所を改めることなく、伝統に則った決闘の手順なんて無視して、その日その場で、つまり未だテーブルに料理が並べられているパーティー会場で決闘を始めようとしていた。


 パーティー参加者や第三王子の護衛まで逃げ出した会場内で黒の正装姿のアーサーはもちろん剣なんて身につけていない。剣の代わりにテーブルに乗せられた肉料理を切るためのナイフを手に取る。


 くるくると手で回して、一つ頷く。


「これくらいがちょうどいいか」


「ばかばかっ。魔女相手にそんなちっぽけな刃物で何ができるというのですか!? アーサーっ、考え直してください!! わたくしは大丈夫ですからっ」


「ハッ。何が大丈夫なんだか。いいこと教えてやるよ、アラディア。本当に大丈夫な奴はそんな顔はしねえんだ」


「え……?」


「なんだ、気づいてなかったのか? まあそこらの有象無象なら騙せたかもだが、どれだけ長い付き合いだと思ってやがる。本当は助けてほしいんだろ? だったら素直にそう言えばいいだろうに、変にごちゃごちゃ考えて嘘の自白までしやがって。騎士以前に男は女に頼られればそれだけで嬉しいんだから変に遠慮するな」


 隠せていたと思っていた。

 そんなわけがなかった。


 他の誰でも騙せても、アーサーのことを騙せるわけがない。


 だってもしも逆の立場ならばアーサーの嘘なんてアラディアは一目で見抜けるのだから。


「だっ、て……相手は魔女ですよ!? 勝てるわけないでしょうが!!」


「まあ、確かに騎士の時代はとっくに終わっているしな。これからは魔女の時代で、今更剣を振りかざしたところでできることはたかが知れているかもな」


「だったら!!」


「それでも」


 アーサー=バルフォンスは揺るがない。

 昔からの付き合いの男はこんな絶望的な状況でも笑みさえ浮かべていた。


「淑女のために戦う騎士は無敵なんだ」


 だから、と。

 アーサーは言う。


「アラディアにだけは信じてほしいな。時代がどうなろうが、騎士は騎士なんだと」


「……ばか」


 ああ、この男はどこまでいっても騎士なのだ。

 救いようがない馬鹿なのだ。


 ならばアラディアはこう言うしかなかった。


「絶対に勝ってくださいよね、この大馬鹿があ!!」


「おう!!」


 決闘が始まる。

 たった一人でも一国の騎士団よりも強大だからこそ一つの時代を終わらせた魔女との無謀極まる決闘が。



 ーーー☆ーーー



 真っ赤なマントを羽織ったとんがり帽子の小さな女の子──魔女モルガン=F=ダームデュラックは手が隠れるほどに長い袖を揺らしながら無謀なことはやめろと言わんばかりの目でアーサーを見据えていた。


 騎士だかなんだか知らないが、最近ようやく火縄銃や爆弾を使うようになった程度の人類が魔女に勝てるわけがない。


 ましてや鉄の塊に己の全てを託す騎士など魔法一発で木っ端微塵なのだ。


「貴方様は知らないようだから教えるけど、魔女はわざわざ人間を一つずつ潰すような真似はしない。敵の人間が砦に詰まっていればそれが千だろうが万だろうが砦ごと粉砕するのが常識。もちろん私の魔法もまた砦程度なら一撃で破壊できる。その上で、まだ、無謀な決闘を挑むと?」


「おいおい、俺とアラディアの会話を聞いてなかったのか? そういう問答はもう終わっている」


「そう」


 後ろで第三王子が『さっさとその騎士をぶっ潰せえ』と()()を飛ばす。


 気に食わない。

 それでも契約は絶対だ。

 今の魔女モルガン=F=ダームデュラックは第三王子からの命令に逆らうことはできない。


「それは残念」


 呟き、そして小さなその手が横に振るわれた。手を隠すほどに長い袖が揺れて、アーサーの髪が微かになびく。


「バースト」



 直後、凄まじい爆音が炸裂した。

 今の今までアーサーが立っていた場所に突如としてありったけの火薬を詰め込んだ樽を爆発させたような衝撃が炸裂したのだ。



 これで終わり。

 普段使っている剣どころかチャチなナイフという『力』しか持っていない男が魔法に抗うことなどできない。


 だから。

 しかし。


「ごっばっ、ぶふがはっ。こ、こりゃあ……きっついなあ」


 声が聞こえた。

 爆撃地点から離れたところに倒れる男の声が。


「どうして喋れるの?」


「どうしても何も、直撃は避けたからだ。まあ余波にぶっ飛ばされてご覧の有り様だがな」


「そんな柔な威力じゃなかったと思うんだけど。貴方様、頑丈ね」


 口から血の塊を吐き出しながらもアーサーはゆっくりと立ち上がる。顔を真っ青にして駆け寄ろうとしたアラディアを手で制しながら、ゆっくりと、それでも確かに立ち上がったのだ。


「騎士としては情けない限りだが、こいつが決闘だとしても正々堂々と勝負はしない。騎士としてのプライドよりも何よりも俺はアラディアを救いたいからな」


「何でもいいけど、そう何度も避けられるの? いいやもしも避けられたとしても余波だけでも私の魔法は貴方様を削り潰すことができる」


「……、かもな」


「それでも、まだ、闘うと?」


「ハッ! 随分と優しいじゃねえか。だけど悪いな。俺は騎士なんだ」


「そう」


 呟き、そして。


「本当に残念」



 直後に魔女はその手を振った。

 ぶかぶかの袖を靡かせて、そして──



 ーーー☆ーーー



 アーサーの身体能力は常人のそれよりも遥かに高い。

 その中でも視力は飛び抜けている。


 つまり。

 だから。



 魔女がその腕を振るったその瞬間、アーサーは近くにあったワイン瓶に手を伸ばした。その中身をばら撒く。目の前の『何か』に向けて、だ。



「……ッッッ!?」


 魔女の顔が強張る。

 それからいつまで待っても爆発は起きなかった。


「魔法の基本は元となる何かを増減することだと言われている。それを考えりゃあ『タネ』はわかるってもんだ」


 アーサーは未だに生きてその口を動かすことができる。


「まず一発目の爆発の前に微かに風を感じた。お前の小さな腕を動かした程度じゃ俺まで届くほどの風は生み出せねえ。つまりあれも魔法だったんだ。風の増幅。まあこれに関しちゃあ大した増幅はできねえんだろうが。あくまでサブ、メインをぶつけるための補助としての力しかねえってわけだ」


 つまり。

 つまり。

 つまり。



「火薬の爆発の増幅、それがお前のメインの魔法だ。風の魔法で飛ばした極小の火薬を起爆させてその威力を増幅していたんだろ」



「どう、して」


「わかったかって? なに、俺は目が良くてな。お前の袖から黒い粒が撒き散らされたのが見えた。後はまあ結果から推察できる」


 アーサーは一歩前に踏み出す。

 普通の人間なら視認することも難しい極小の火薬という元手が見えたならば封殺する方法はある。例えばワインをぶつけて湿らせることで火薬が起爆しないように、などだ。


 砦さえも破壊可能なほどに爆発の威力を増幅する爆撃魔法を使おうにも、そもそも増幅するための爆発がなければ何も起こせないのだから。


「ああ、そうだ。起爆に関しても風の操作で極小の火薬を擦り合わせるなりして刺激を加えていたんだろうな。あるいは他に起爆専用のサブの魔法があるのか」


 アーサーは笑う。

 笑って踏み込む。


 その間にも魔女は腕を振り回し、極小の火薬を撒き散らし、風で操作して、どうにかアーサーに爆撃魔法を叩き込もうとするが、どうしても届かない。


 あるいは飛び跳ねて距離をとり、あるいは上着を振り回し風を生み出して火薬自体を弾き飛ばし、あるいはテーブルを蹴り飛ばしてその上に並べられていた料理を撒き散らすことで宙を舞う火薬を絡めとって床に落としてと、そうした行為を複数組み合わせることでアーサーは危険域を掻い潜って魔女に肉薄する。


「はっきり言ってこれが戦争ならどうしようもなかった。遠距離から一方的に爆撃されるなり、極小の火薬を行軍のルートを全部潰すように配置したりされたらたまったもんじゃねえし、何よりテメェの魔法は手加減しなけりゃあ砦さえも吹っ飛ばすほどに強力ってのは嘘じゃねえんだろ。だったら本来なら最大火力で粉砕されて終わりだった。()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 決闘。

 パーティー会場での一対一で向き合っての殺し合い。


 普通にやり合えば時代そのものを変えた魔女の暴威は呆気なく一人の騎士をすり潰していたかもしれないが、最初の最初からある程度距離を詰めていれば術者本人も巻き込むために本気は出せない。


 それならばアーサーが実践してみせたように対処法はいくらでもある。


 今この瞬間だけの限定的条件であれば騎士の刃は時代を変えた魔女にだって届く!!


「真っ向勝負から逃げた騎士の風上にも置けねえ卑怯者だろうとも、それでも! 俺は何がなんでもアラディアを救う!! だから!!」


 魔女の懐に踏み込む。

 ナイフを強く強く握りしめる。


「まずはお前を倒させてもらうぞ!!!!」


 銀の一閃が舞う。

 斬り裂かれ、鮮血を噴き出し、魔女が倒れる。


 最後の最後まで命乞いも何もなかった。

 仕方がないと言いたげに刃を受け入れた。


 そのことに思うところはあったが、アーサーは切り替えるように視線を動かす。


 まだ終わっていない。

 そもそも魔女はあくまで代理。この決闘はアーサーと第三王子とが決着をつけるためのものなのだから。


「これでテメェを特別にしていたもんはなくなった。それがどういうことか、ちょっとは考えたほうがいいんじゃねえか?」


「な、ななっ、なんっで、魔女、なんで魔女がただの騎士に負けて、なんで!?」


「なあ、まだ気づきやがらねえのか?」


「何が!?」


「テメェを守る魔女という特別はもういない。そしてこの場には俺とアラディア、そしてテメェしかいない。……ここでテメェを殺そうとしても、誰もテメェを守ってくれないんだ」


 唖然と口を開いて。

 そして第三王子は今更ながらに尻餅をついて意味もなく両手を振り回していた。


「な、なな、なななななあ!?」


「変に生かして報復されても面倒だからな。殺せる時に殺しておくってのは常識だろ?」


「ふっふじゃけっ、ふざけるな!! 俺様は王族だぞ、それを殺すなど……ッ!!」


「できないとでも? テメェの目の前にいるのは一人の女のために魔女を殺した男だ。今更王族を殺すことに躊躇するわけねえだろ」


「ひっひぃ、ひいいい!?」


 突きつける。

 その喉元にナイフを突きつけて、アーサーは冷たく言い放つ。


「なんだ、人のことを殺そうとしておいて自分が殺される覚悟もなかったのか」


「はっはひっ、ひひっ」


「だったら魔女との契約を俺に渡せ。そうすれば殺さないでおいてやる」


「な、なんで死んだ魔女との契約なんて……」


「魔女と契約を結んだら契約主の体表にはそのことを示す紋様が浮かぶ。魔女が死んでも契約さえ結んだままなら契約主の体表には紋様が残るんだ。それさえあれば、魔女がすでに死んでいることを知らない連中を魔女の威光で顎で使えるからな。そんな便利なもん、手に入れておいて損はないだろ」


 ()()()()()、とアラディアなら評価する内容だが、魔女の暴威を利用して好き勝手しようとしていた第三王子が疑問に思うわけもなかった。


 ぐいっとナイフの冷たい刃が押しつけられて第三王子の喉を薄く裂く。


 それだけで第三王子の目は恐怖に極限まで見開かれた。


「渡して生き残るか、渡さずに死ぬのか。さっさと選びやがれ」


「渡します、死んだ役立たずとの契約なんか渡しますから殺さないでくださいぃいいい!!」


 魔女にどんな命令でも聞かせられる契約。

 時代を変えた暴威の塊である魔女をたった一人の人間だけが支配可能な手綱である。


 誰とも契約をしていない魔女は自らの意思で契約主を選ぶことができるが、一度誰かと契約した場合、その誰かから別の誰かへと魔女の同意なく契約を移譲することができる。


 そうして魔女モルガン=F=ダームデュラックとの契約を第三王子から奪ったアーサーはナイフを首元からどかして、その代わりに逆の拳を握りしめた。


「まあ、俺『は』殺さないってだけだがな。魔女を失ってもなお生かしてもらえるだけの価値がテメェにあることを祈りやがれ」


「なにを……ぶべばふべばあ!?」


 殺さないとは言ったが、これだけのことをされて無罪放免など許さない。命乞いに歪んだその顔面にアーサーは鼻の骨が砕けるほど強く拳を叩き込んだ。



 ーーー☆ーーー



 一週間後、アーサーとアラディアはある村に足を運んでいた。


 そこは第三王子と契約するまで魔女が住んでいた村だった。


「まさかこんな普通の村に魔女が住んでいたとはな。てっきり誰にも見つけられない神秘に満ちた魔女の集落みたいなものがあるんだと思っていたが」


「魔女にどれだけ人とは違った力があっても、それ以外は普通の女の子ということでしょう」


 彼らの視線の先では同年代の友達たちに抱きつかれて嬉し涙を浮かべている女の子がいた。


 魔女モルガン=F=ダームデュラック。

 アーサーに斬り殺されたはずの彼女は年頃の女の子のように喜びの感情をあらわにしていた。


 ──アーサーは確かに魔女モルガンを斬った。

 そうして決闘に勝利したわけだが、あの時アーサーはあえて派手に出血させながらも急所だけは外すように斬撃を放っていたのだ。


 どんな経緯であれ魔女を殺したとなれば国にとって大きな損失となる。アーサーは元より結果的に騒動の原因になったアラディアにも相応の責任追及があるのは確実だ。だから魔女モルガンを殺さずに場を収める必要があった。それでいて第三王子からモルガンを縛る契約を奪っておかなければ後々面倒なことになる。


 だからこそアーサーは急所は外しながらも死んだのではと思うほどに派手に出血するようモルガンを斬ったり、()()()()()建前を並べて魔女との契約を移譲するよう迫ったのだ。


 もしも顎を蹴るなりしてモルガンを気絶させて決着をつけていたならば第三王子は『もしかしたら魔女が目覚めて逆転できるかも』と希望を捨てきれず、最後まで魔女との契約を移譲しなかったかもしれない。だがモルガンが死んだと思わせられれば多少疑問に思っても殺されるよりはと契約を移譲する可能性は高くなる。


 そうしてアーサーは魔女モルガンとの契約を第三王子から奪うことに成功したのだ。


「友達のために我が身を差し出した、か」


 モルガンから話を聞くに、この小さな村で自然に囲まれながら静かに暮らしていた彼女はある日友達を守るために(契約主がいないために本来の力は発揮できていなかった)魔法で魔物を追い払った。それを通りすがりの人間に見られていて、巡り巡ってそのことを知った第三王子に逆らえば村の友達たちを殺すと脅されて仕方なく契約を結んだらしい。


 爆撃魔法で刺客を殺すことはできるかもしれない。

 だけど友達を人質にでもとられればそれで終わりだ。なまじ火力が高すぎるために人質ごと殺すことはできても救い出すことは難しい。


 それがわかっていたから魔女モルガンはその身を捧げたのだ。


「ったく。正々堂々と決闘もできない俺なんかよりもよっぽど騎士じゃねえか」


「アーサーだってあれだけ不利な状況でもモルガンさんを殺さずに終わらせたではありませんか。騎士らしかったと思いますよ」


「あんなの打算ありきの行動だ。そうしないといずれ詰むのがわかっていたからな。純度がまったく足りないから半端なことしかできなかったんだ」


「……よく言いますわね。例え魔女を殺しても許されるような状況であったとしてもアーサーは絶対に殺さずに決着をつけていたくせに」


 魔女との決闘だというのに使い慣れた剣を取りに行くそぶりも見せずに比較的殺傷性能の低いナイフを選んだこと。


 それに何より『()()()お前を倒させてもらうぞ!!!!』とアーサーは確かにそう言っていた。そんなの後できちんとモルガンのことも救うと言っていたようなものだ。それくらいは長い付き合いのアラディアにはよくわかっていた。


 魔女との戦闘で『手加減』を選ぶ。

 そうすることによって自分が殺される可能性が跳ね上がろうともアーサーは迷いなくその道を選んだ。


 世界中の人間がモルガンを殺すことを選ぶような状況でも、アーサー=バルフォンスは絶対にそんなことはしない。


 モルガンが命令に従うしかない立場だったのもそうだが、何より第三王子の支配下にありながらもギリギリまでアーサーを殺さないように努力していた心優しき女の子は騎士にとって敵ではなく守るべき対象なのだ。


 ……そんな対象を、他に方法がなかったとはいえ傷つけてしまったことをアーサーは後悔しているのだろう。


 騎士と魔女。

 時代を隔てる力の差がありながら、そんなの関係ないと即答できるのがアーサーだからだ。


「ねえアーサー。助けてくれてありがとうございます」


 だから下手な慰めはしない。

 ここにその手で救われた女がいるのだと示すことでアーサーの努力は無駄じゃなかったと教えるのがアラディアにできることだから。


「アラディア……。ああ、どういたしまして」


 小さく。

 だけど確かに笑ってくれたアーサーを見て、どうしようもなく赤くなった顔を隠すようにアラディアは顔を逸らすのだった。



 ーーー☆ーーー



 あれから第三王子は病死したと公式な発表があった。

 持病なんて何もなかった男がいきなり病死したということは、つまり彼に魔女を支配していた以外の価値はなかったのだろう。


 魔女モルガン=F=ダームデュラックは村で友達に囲まれて元気に過ごしている。第三王子の時と似たような手段で馬鹿な連中がモルガンに手出しできないよう契約自体はアーサーが保持しているが、彼はモルガンに何かしら強要するつもりは一切ない。


 国から魔女モルガンに対して何かしら要請されるかもしれないが、それだって従うかどうかは彼女の意思に任せるつもりだ。それによって不利益を被ろうとも騎士が無辜の民に戦いを強要するなど論外だとアーサーは即答するだろう。


 それはそれとして、だ。

 現在アーサー=バルフォンスの価値は急上昇している。

 騎士団の中では有能だと有名なバルフォンス家とはいえ所詮は子爵家。その次男の立場はこれまでそこまで高くなかった。


 だが、彼は決闘において魔女を倒した。

 その結果だけが広がってアーサー=バルフォンスは魔女に匹敵、いいや凌駕する戦力の持ち主……ということになっている。


 それを抜きにしても国内に唯一存在する魔女と契約を結んでいるというだけでも莫大な価値がある。


 それこそ公爵家だろうとも喉から手が出るほどに欲しがる人間なのだ。



「今なら俺たち結婚できるんじゃねえか?」


「……はい?」



 サラリとしたものだった。

 婚約破棄から始まった一連の騒動が落ち着いて、ようやく一息つけるといったところでヘロディーナ公爵家に足を運んだアーサーはアラディアに向けて開口一番そんなことを言ったのだ。


「どうしていきなりそんなことを言い出したのですか?」


「いきなりも何も、昔から俺はアラディアと結婚するために頑張ってきたんだぞ」


 初耳だった。

 アーサーは一度だって好意を口にしたことはなかったはずだ。


「騎士になるってのは確かに俺の夢だが、これまでがむしゃらに頑張ってきたのは騎士団長にでもなって公爵家が欲しがる人間になればアラディアと結婚できると思っていたからだ」


『次こそは! 俺が勝つ!! いずれは俺が騎士団長になってやるんだからなあ!!』とは幼い頃のアーサーの言葉だったか。


 昔から彼は高みを目指していた。

 アラディア=ヘロディーナ公爵令嬢の隣に立つに相応しい男になるために。


「でしたらわたくしのことをヘロディーナ公爵令嬢と呼んで距離をとったのはなんだったのですか?」


「あの時の俺には第三王子以上の価値はなかったからな。あんな奴とアラディアが婚約するのは本当に嫌だったが、あの時の俺が何を言っても婚約を阻止できないのはわかりきっていた。下手にそんな婚約はやめてくれと首を突っ込んでも公爵家からの印象が悪くなるだけなら分をわきまえて大人しくしているほうが得だろ?」


 それに、とアーサーは一度区切ってから、


「あの野郎なら何かやらかすのは時間の問題なのは明らかだった。だったらその時にアラディアとの婚約を破棄できるようもっていくほうがいい。ついでにどうにかして俺の立場も上げておけばアラディアと結婚できる……なーんて考えてはいたが、まさか第三王子が魔女との契約を成功させてそのことを盾にアラディアを殺そうとするとは考えてもいなかったがな。まあ結果良ければ全て良しってな!」


「そんな……そんなことを考えていたとは……今まで一度だって聞いていません」


「そりゃあ言ってなかったからな」


 卑怯だ。

 いつも深く考えずに自分がそうしたいからと突っ走る男がまさか自分と結婚するために昔から色々と考えていただなんて。


 余計な時には真っ向から突っ込むのが騎士としての礼儀だと言わんばかりに考えなしに動くくせに。


『ヘロディーナ公爵令嬢』だなんて言って距離をとって、ああもう昔のようにはいられないんだと思い知らしたのはアーサーのくせに。


「それで、なんだ」


 こんなの。

 こんな卑怯で、らしくなくて、だけどそれくらい絶対に譲れないことだからこそ必死になって求めてくれていたのだということはもちろんわかっていて、だから、だから!!



「俺と結婚してくれるか?」


「もちろんですよ、このばかあ!!」



 感情のままに飛びついたアラディアをアーサーは受け止めてくれた。


 これからも平穏無事とはいかないかもしれない。

 魔女モルガン=F=ダームデュラックとアーサーが契約を結んでいることやアーサーが騎士でありながら魔女を倒したことで利用価値が跳ね上がっていることで騒動に巻き込まれるのは確実だ。


 そうでなくても魔女が立ち塞がろうともアラディアのために戦うような男と一緒になれば大変なのは間違いない。


 それでもアラディアはアーサーと結婚することに迷いはなかった。


 一度は貴族の義務だと目を逸らした恋心だが、一度手に入れてしまったならば手放すだなんて絶対に考えられない。


 この幸せを邪魔するものがあれば、その時はアーサーと共に立ち向かうまでだ。

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