サウナで
知識としては知っている、村のサウナは混浴であるということを。
基本的にはタオルも持ち込まず、何かを着たりもせず、男女ともに全裸で入って、普通に談笑をしたりするということを。
確か前の世界の北欧の方だかもそんな感じで……そういう文化だと理解はしているのだけど、いざそれを目の前にするとどうしても反応に困ってしまう。
「……あ、あの、座りませんか?」
硬直しながらあれこれと考えていた俺にアーリヒがそう言ってきて……俺は化け物と出会った時よりも混乱しながら、ドアを閉じ足を進め……アーリヒに促されるままアーリヒの隣の席に腰を下ろす。
前世と合わせるとそろそろ五十路過ぎ、今更女性の裸でドギマギしたりはしないものと思っていたのだが……いざ目の前にするとどうしようもない、二人っきりというのがどうしようもない、せめてシェフィが居てくれたら気が紛れるのに、今日に限ってシェフィはサウナに入らないと言う……いや、あいつ最初からこうなると知っていたな? 気付いていたな?
だからあえてサウナに入らず、俺達を二人きりにしたんだな、あのふんわり毛玉め……。
いやしかし、今更裸くらいで動揺するとは、中学生じゃあるまいし……。
冷静にさえなれば大丈夫、問題ないはずだとそう考えて深呼吸をして……それからこちらに視線を向け続けているアーリヒの方へと視線をやる。
うん、無理だ。アーリヒはスタイルが良すぎる、身長は高いし鍛えているからかスラっとしているし出ているところは出ているし。本当にモデル並……というか、モデル以上なんじゃないだろうか。
毎日サウナに入っているからか肌もツヤツヤで、シミ一つなくて……肌だけでも目を奪われてしまうというのにまさかの全裸で。
普段はすっと下ろしている髪をしっかりと編み上げているのも印象的で……なんというか、足の先から頭の先までじっくりと見ていたくなってしまう。
流石にしないけど、この距離でそんなことしたらあっさりと相手にバレてしまうので我慢するけども、それでもそんな欲求が湧いて出てくる程にアーリヒは魅力的だった。
普段は隙のない分厚い服を着込んでいるというのも、俺の下心に拍車をかけているのだろう。
いやいや、駄目だ駄目だ、ここはサウナで混浴が当たり前の公共の場で……我慢をしなければ、堪えなければ、常に紳士でいなければ。
そんなことを考えてどうにか心を落ち着かせていると、それを待っていたかのようにアーリヒが声をかけてくる。
「ヴィトー……その小瓶はなんですか?」
その声はなんというか、いつものアーリヒの声ではなかった、緩んでいるというか柔らかくなっているというか……なんだってそう、追い打ちをかけてくるのか。
「ああ、これはロウリュ用の……えぇっと、早速使ってみますね」
なんてことを言って立ち上がり、ヒーターの側へと移動し、瓶の蓋を引き抜いたらサウナストーンにそれをかけ……ジュワァァァっと音がして湯気が上がって、爽やかで柔らかで、今すぐにレモンを食べたくなってしまうような、たまらない香りがサウナの中に立ち込める。
「レモンと言う果物の香りのする水です。
……こうしてロウリュするのに良いかなって精霊の工房で作ってもらったんですよ」
なんてことを言いながら振り返って席に戻ろうとすると、目を細めて香りを堪能していたアーリヒが、なんとも言えない熱視線をこちらに送ってくる。
なんですか、その視線は、どんな意図のものなんですか。
そんな言葉を投げかけたくなるが……勇気が出ず、なんとも情けない有様で席に戻り、腰を下ろすと、アーリヒが先程よりも柔らかい声をかけてくる。
「わざわざ精霊の工房を使ってまで用意してくれたんですね……ヴィトーの気遣い、とても嬉しいです」
あ、そういうことになるのか、完全に思いつきで……気分転換のために作ったものだけど、そうなっちゃうのか。
昨日あんなことがあったし、たまには自分のためだけに精霊の工房を使ってみるのも良いかな、なんてことを考えてのことだったんだけど……アーリヒのためってことになっちゃうのか。
「……いえ、楽しんでいただけたならそれで……」
そんな言葉を返すので精一杯だった、とても嬉しそうにしているアーリヒにまさかあなたのためじゃなく自分のためです、なんてことは言えず、小さな罪悪感を覚えてしまう。
そうして俯く俺のことをどう思ったのか、微笑みながらアーリヒは弾む声をかけてくる。
「ヴィトーには本当に感謝しているんですよ、カンポウヤクのこともそうですが、黒糖や塩、狩りのことだってとてもとても、これ以上なく感謝しているんですよ?
特にあなた達が出会ったという化け物……魔獣の王で魔王とでも呼びますか。
魔王を退治できたのもあなたのおかげで……あなたと精霊様の助力がなければどれだけの被害が出ていたことか。
多くの狩人を失い、村を維持できなくなって、この地を去ることになっていたかもしれません。
私も村を崩壊させた長として責任をとることになっていたでしょうし……今こうして村が在り続けられるのは、精霊様とヴィトーのおかげなんですよ。
感謝していますし尊敬もしていますし……魂を取り戻してからのヴィトーはとても格好良いとも思います。
力にあふれて輝いていて……魅力的で、賢く様々な方法で私達を助けてくれるところも、とても素敵だと思います」
その言葉を受けて俺は、これは真剣にしっかりと返さなければいけない話だなと覚悟を決めて、真っ直ぐにアーリヒを見やりながら言葉を返す。
「いえ……俺もこの村と皆に感謝していますし、アーリヒにも感謝していますし……今まで世話になったお礼をしたようなものと思っていますから、そこまで気にしないでください。
村が今も在るのは俺達がどうこうよりもアーリヒのおかげ、アーリヒが頑張ってきた結果だと思いますし……そんなアーリヒの力になりたいと思って頑張っているところもありますし……同じ村で暮らす者としてお互い様、なんだと思います」
「……そう……ですか。
ところでヴィトー、あなたは私にだけ丁寧な言葉遣いになりますよね? ユーラ達にはそうではないのに……少し距離を感じますね」
そう言ってアーリヒは不満そうに頬を膨らませる。
言葉遣いというか言葉選びというか、前世で言うところの敬語のような喋り方をしているって意味なら、俺よりも誰よりもアーリヒがそうなのだけど……まぁ、アーリヒは誰にでもそういう言葉遣いだから問題ないということなのだろう。
俺はと言うとアーリヒや家長達など、明確に立場が上の人だけに丁寧な喋り方をするようにしていて……どうやらそれがご不満であるようだ。
「分かったよ、アーリヒ、これからは出来るだけいつもの言葉遣いで話すようにするよ」
本人が良いと言うのなら無理をして丁寧に喋る必要もない、そういう訳で俺がそう言うとアーリヒはなんとも満足そうににっこりと微笑み……それから何か思案するような顔をし、何か言いにくいことでもあるのか言葉を口にしようとして飲み込んでを何度か繰り返し……それから意を決したように話しかけてくる。
「ヴィトーは知っていますか? 出産はサウナでするんですよ」
え? うん? いやまぁ、知っているけど……知っているけど何故今その話題?
「う、うん、知っているけど……というか、今までに何度か、掃除とか薪集めを手伝ったこともあるけど……?」
誰かが産気付いた場合、まずサウナを綺麗に掃除し、それからこれでもかと熱して、かなりの高温にする。
そうやって穢れを払ったらゆっくりと温度を下げていって、体温程度……妊婦さんにとって寒くも暑くもない温度まで下げたら、その状態のサウナに妊婦さんと産婆さんだけが入り、出産が行われる。
科学的な知識があるとサウナ全体を高温で消毒をして出来るだけ変な菌がいないようにした上で、妊婦さんが体温を失わないようにもしていることが分かって、中々合理的なんだなと驚いたりもする話なんだけども……それが一体どうしたのだろうか?
「出産にも使われ、狩りのあとに穢れを落とすサウナは聖なる場所とされていて……出産に絡んで結婚や恋愛のための良い力を与えてくれる場だともされています。
……今の私達にもきっと、良い力が与えられているのでしょうね」
……あ、なるほど、うん、分かった分かった、アーリヒが何が言いたいのかよく分かった、さっきからずっと俺に何を伝えようとしているのか、今はっきりと分かった。
俺は今の今までサウナは混浴の場で公共の場だと考えていたけれど、同時に出産や恋愛、結婚にまつわる場でもあると、そういうことか。
恐らくは年頃の男女二人で入った場合にそうなる感じで……つまりは今ここはデートスポットみたいな場所になっているのだろう。
そりゃまぁ……年頃の男女二人で裸で向き合えば嫌でもそうなるんだろうけど、随分と過激なデートスポットもあったもんだなぁ……。
……あ、そうか、俺はそんなデートスポットにわざわざ貴重なポイントを使ってレモン水を持ってきた訳か。
デートを楽しめるように、二人の雰囲気が良いものになるように……結構なお金を使って演出した、みたいな感じな訳か。
つまりアーリヒから見ると、サウナに入った時点から俺が積極的にアピールしていたってことになる訳で……はいはい、うん、完全に理解しましたよ。
つまり俺は自分で自分を、無意識的にそう言う状況に追い込んでいた訳か。
……墓穴を掘った……と思うのはアーリヒに失礼だな。
アーリヒとそう言う関係になれるというのは悪くない……というか嬉しいし、アーリヒのことは魅力的で素敵な女性だと思うし……うん、凄く良いことだと思う。
良いことだとは思うんだけど、想定外というか想像もしていなかったというか、もっと普通のデートもしてみたかったなぁ。
……結局はあの時、アーリヒにサウナに行こうと言われてそれを承諾した時点で話は決まっていたんだろうなぁ。
それなら一緒に行こうとか、一緒に入ろうとかそう言って欲しかったものだけど、アーリヒだって緊張していたんだろうし、恥ずかしかったんだろうし……仕方のないことなのかもしれない。
きっかけは無意識のことだったかもしれないけども、ここまで状況が整ってしまったのなら一人の男として覚悟を決めるべきなのだろう。
「……サウナに良い力をもらったアーリヒとなら、愛に溢れた良い家庭を築けるんだろうね」
覚悟を決めてのセリフがこれかと自分でも思わないでもないけど、こういう時は恥ずかしがっては駄目だ、思ったままを言葉にすべきだ、躊躇すべきではないはずだ。
サウナのせいでもう顔は真っ赤だし、心臓はバクバクだし、このままじゃぁのぼせるんじゃないかと、そんなことを考え始めた時、アーリヒが本当に嬉しそうに微笑みながら、
「……う、うん、私は結構前からそう思っていたんですよ?」
と、一言そう言ってくれて……それから俺の手を握ってくる。
「あー……うん、今考えると確かにそんな感じだよね、色々会話するようになったし、お世話もしてもらったし……俺は……うん、アーリヒに憧れてはいたかな。
アーリヒみたいな美人は……前世を含めて初めて会ったというか、アーリヒだけだったし……」
俺がそう言うとアーリヒは俺の手を力強く握って、握った手を持ち上げて……それから手を引いてきて、何をするのかと驚いていると立ち上がって歩き出して、サウナの外に出て湖に勢いのままに飛び込んで……!
いやもうビックリした、確かにそろそろ水風呂の頃合いだったけどいきなりそんなことになるとは思っていなかった。
驚きすぎるわ、一気に冷えるわで心臓がひっくり返りそうになったけど、シェフィが遠くから守ってくれているのか特に体に異常が起きることはない。
そうしてアーリヒと手を繋いだまま、見つめ合ったままの水風呂を堪能し、それからまたもアーリヒに手を引かれる形で瞑想室へと向かい、まさか手を繋いだまま瞑想でもするのかと、そんなことを考えていると……精霊の工房で勝手に作ったのか、それとも前から用意していたのか、白いガウンのような服を持ったシェフィが瞑想室の中にプカプカと浮かんでいて、それをアーリヒに手渡しながら弾む声を投げかけてくる。
『うんうん、おめでとう、おめでとう、二人共お幸せにね!
……ただまぁ、これ以上の裸の付き合いはしっかりと婚約してからっていうか、ヴィトーには刺激が強そうだから、ガウンを着て瞑想しよっか。
……ドキドキしすぎて限界だったもんね、ヴィトーの心臓』
『おいこら! この白精霊!! せっかく良い雰囲気だったのに入り込むなよ!? このオラでも加護は次回に回すかって、空気読んでたってのに!?
っていうか別に良いだろ、お互いに好きなら色々やっちまってもよぉ!!』
更にはドラーまでがそんなことを言ってきて……俺はもう何も言えなくなってしまう。
本当に言葉もない、さっきプロポーズのような言葉を口にした時よりも恥ずかしい。
普通ここでそんな暴露するか? とか、ドラーはドラーで何を言っているんだと、そんなことを思ってしまうけども……確かにあのままだったら色々な感情が暴走してしまいそうだったし、アーリヒのことを思えば、こうやって邪魔が入ってしまった方が良かったのかもしれない。
色々不満はあるけど、思うところはあるけど、この後コタに戻ったら絶対にシェフィに猛抗議するけども、今は飲み込んでおこう。
ガウンのような服は俺の分も用意してあったようで、タオルで水気を吹いてからそれを身にまとい……椅子に腰掛けゆっくりと息を吐き、ととのいの態勢に入る。
こんな精神状態でととのえるのかと疑問だったけど、問題なくというかなんというか、いつもの感覚がやってきて……ただヴィトーは現れない。
現れないというか現れる必要がないというか……どうやら俺とヴィトーの境目みたいなものが無くなりつつあるようだ。
俺の言葉はヴィトーの言葉で、ヴィトーの想いは俺の想いで……ようやく心の整理がついてきたというところだろうか。
これからはヴィトーとして、一人の人間としてこの村で新しい人生を送っていく訳で……前世とは何もかもが違う人生になりそうだけど、これはこれで悪くない……いや、かなり良いもんだと思うことが出来る。
魔王のことと言い、アーリヒとの関係のことと言い、課題は多いけれど……それでも迷いはなく、真っ直ぐに未来へ向かっていこうと思うことが出来る。
そうしてしっかりとととのった俺は……いつの間にか真っ黒になったらしい俺の髪を気にして撫でてくるアーリヒと一緒に脱衣所へと向かい、シェフィ達に見張られながらの談笑をしつつ、身支度を整えるのだった。
お読みいただきありがとうございました。






