サープという男 / ユーラという男
――――魔獣の下へと向かいながら サープ
白いマントで全身を包み雪の中に紛れ、息を殺して歩き……そうしてサープは魔獣達の下へと少しずつ 少しずつゆっくりと足を進めていく。
一番槍はサープと決まった。気配を殺しての不意打ちで一体を確実に仕留める……それが出来るのはサープだけだからだ。
生物とは思えない生命力を持つ魔獣を一撃で倒せるかは微妙なところだったが、それでも心臓を一突きに出来さえすれば……と、不安に思う気持ちを押し殺し、マントの中に隠した槍をしっかりと握る。
(……前世の記憶を取り戻したヴィトーは、変わっているようで変わってないんスよねぇ、お人好しで皆のために動けて、何故だか度胸だけは誰よりもあって……記憶がどうあれ魂のあり方は変わらないってことなんスかねぇ)
なんてことを考えながらヴィトーの顔を思い浮かべたサープは、かつての記憶に思いを馳せる。
まだまだ幼い子供の頃、サープは自分のことをひ弱だと思い込み、ひどい劣等感を抱えていた。
あの怪力のユーラが同い年というのもあったが、他の子供達と比べてもひ弱で……荷運びなんかの仕事で息を切らせてしまう有様で……そのことがどうしようもなく辛かったのだ。
このままでは立派な大人の男になれない、狩りに出ることが出来ない、そう考えて思い悩む日々を過ごしていたが……そんなサープを救ってくれたのがヴィトーの言葉だった。
『サープは頭が良いから、頭を使った狩りをしたら良いんだよ、力任せの狩りはユーラ達に任せてさ』
それまでサープはヴィトーのことをよく知らなかった、あまり会話した記憶もない相手だった。
そんな相手にそんなことを言われて、自分の頭が良いなんて思ったこともなかったサープが驚いているとヴィトーは言葉を続けてきた。
『そうやって悩むのも頭が良いからだよ、サープは頭が良いから色々考えすぎちゃうんだよ』
それを受けてサープは年下の子供にそんなことを言われても、なんてことを思ったが、だけどもその言葉には妙な説得力というか力が込められていて……その言葉を信じても良いように思えて、それからすぐにサープは狩りの名人と名高いある老人のコタへと駆けていった。
そして頭が良いと狩りに有利なのか? と、尋ねて「そうだ」と肯定されたならすぐに頭を下げて教えを乞い……それからサープは村中の狩人から様々なことを学ぶことにした。
朝起きてから寝るまでの間、遊ぶのも惜しんで村中を駆け回って。
すると本当に頭の出来が良かったらしいサープは、狩人達の言葉全てを記憶することが出来て、それを自分なりに整理し解釈することが出来て……そうやって作り上げた自分なりの狩りの理論を、村の子供達との追いかけっこなどで試していって……いざ狩りに出たなら、怪力自慢のユーラと同じくらいの成果を上げられる程の狩人となっていた。
そうなれたのは自分の努力のおかげだと思う、惜しむこと無く知恵を与えてくれた村の大人達のおかげだと思う、だけども何よりきっかけをくれたヴィトーには感謝をしていて……今も変わらない様子を見せ続ける彼のためにと思うと、槍を持つ手に力が入る。
だけども焦りはしない、雑に動きはしない、冷静に静かに気配も息も音も殺しながら足を進めていって……そうして魔獣独特の臭さが嗅ぎ取れるくらいの距離まで近付いた時にサープはあることに気付く。
(一箇所にいたはずなのに匂いが少しだけバラけてる……?
村を襲うために動き始めた……にしては距離が近いッスね……? 自分達に気付いて、戦いやすいように間合いを取っている……とかッスかね?
……それともなんとなく野生の勘で危険を感じて動き始めたってとこッスかねぇ?
なんにせよバラけてくれたなら奇襲がしやすくてありがたいッスねぇ)
そんなことを考えながらサープは目を見開き、耳をそばだて、鼻まで大きく開いてゆっくりと呼吸をして……肌にまで意識を向けて全身でもってありとあらゆる情報を手に入れようとする。
魔獣はまだ視界に入ってこない、だが雪を踏む音は確かにしていて臭さもだんだんと近付いている、肌がピリピリとした何かを感じてこわばって鳥肌となって……その感覚を信じてサープはゆっくりと、木の陰などに身を隠しながら移動をしていく。
見えてから動き始めたのでは遅い、こちらが見えるということはつまりあちらからも見えるということだからだ。
だから事前に動いて相手の背後へと回り込んで……こちらだけが相手を視認出来るという状況をどうにか作り出そうとする。
言葉に出来ない感覚と経験と、溜め込んだ知識を総動員して……そしてそれらを扱う自分のことを信じてやって。
不安に思ったら負けだ、迷ったら負けだ、相手の姿が見えなくとも心の目で見るくらいでないと魔獣狩りは出来ないんだ。
そう自分に言い聞かせながらサープが足を進めていると……視界の先に広がって陣取っている三体の魔獣の姿を発見し、そのうちの一体の背中を捉えることに成功する。
上手くいった、背後を取れた、魔獣達は周囲を警戒しているようだが、こちらに振り向くような様子は一切ない。
そうやって手に入れた大チャンスに逸りそうになるサープだったが、すぐにそんな自分を心の中で強く叱責して、静かに歯噛みして……それから周囲をよく観察する。
獲物を狩る瞬間、攻撃をしようとする瞬間はどうしても無防備になってしまうものだ。
だからこそ周囲の観察が大事で、奇襲しようとしている自分が奇襲される可能性を消しておくことは絶対に必要なことで……またも目、鼻、耳、肌で情報を集めたサープは、この様子なら大丈夫だとの確信を得た上で、獲物の背後へと近付いていく。
マントの中で槍を持ち、両手でしっかり構えて……穂先だけをマントから出して、しっかりと心臓を狙いすまして。
この魔獣は何度か狩ったことがあるし、解体を手伝ったこともある、位置の把握は完璧だ、背後からの奇襲ならば外すことはない。
骨の位置も完璧に覚えている、解体中どこからどう刺すべきかと何度も何度も考えてきた。
これならば絶対にトドメを刺せるだろうと、そう確信を得たサープは……魔獣の背後、確実に心臓を貫けるという位置まで近付いてから、今まで殺していた全てを解放し、全力での突きを魔獣に向けて放つのだった。
――――その時を待ちながら ユーラ
腕を組み足を大きく開き、どんと構えながら体を震わせることで温め、全身から湯気を上げて。
これから難しい狩りをするという時、大事な狩りをするという時、決まってユーラはそうやって狩りに対する想いを整えていた。
ユーラは生まれた時から体が大きかった、他の子供よりも特別に食欲旺盛だった、だけども母親や姉達は嫌な顔をせず腹いっぱいになるまで食べさせてくれた。
皆を守れるように、魔獣を狩れるように、その大きな体は精霊様が与えてくれて恵獣様が育ててくれたものだから、相応しい使い方が出来る大人になるようにと願いながら母と姉達は自分に食料を譲ってくれていて……それでいて恩義せがましいことを言うことは一度もなかった。
ユーラにもそう出来るのかというと恐らくは出来ないだろう、そこまで我慢強くもなければ賢くもなく……いつでも食欲に負けてしまっているのがユーラだからだ。
だからこそユーラは母と姉達を尊敬する。
母達を尊敬すればする程、自分にしか出来ないことをやらなければと勇気が湧いてくるし……その笑顔をためならと魔獣を前にしても恐怖に負けることはないし……母達が得意としている料理のおかげで、いつでも満腹となっている腹の奥底からは、鉄板さえ捻じ曲げられそうな力が湧いてくる。
その上、今ユーラは精霊様の愛し子であるヴィトーを守るという立場にある。
ヴィトーという村の仲間を守れるというだけでも誇らしいのに、その上あの精霊様の子供ときた。
正直なところユーラは精霊がどういった存在なのか、どんな力を持っているのか、どうして皆に信仰されているのか……その辺りのことをよく分かっていなかったのだが、母と姉達が信仰しているからという理由だけで信仰していて……その子供を守るのはユーラにとって当然のことだった。
そんな想いだけでなく狩りをしたら思う存分肉が食べられるということと、狩りそれ自体がユーラにとってとても楽しいことであることと……村の女性達によく思われるかもしれないということも関係してかユーラはいつにないやる気に満ちていた。
(そろそろサープが相手の背中を取るか? それから一撃入れて……この匂いは恐らく一撃じゃぁ死なねぇだろうな。
だけどもサープならそこからの追撃で倒せるだろう、そんくらいの相手だ、他の二体だって問題ねぇ、オレ様とヴィトーなら余裕で勝てる……はずだ)
胸中でそう呟いたユーラは自分の後方、少し離れたところで武器の手入れをしているヴィトーのことをチラリと見やる。
ユーラ自身にもどうしてそうなるのかは分からないし説明もできないのだが、ユーラの鼻の『勘』はよく当たる。
他の誰も嗅ぎ取れないような……犬でさえ気付けないようなほんの僅かの匂いを、何かをふとした瞬間に嗅ぎ取ることが出来、直後こうに違いないという考えが頭の中を駆け巡り……それがよく当たる。
魔獣が現れた時、魔獣が奇襲なんかを仕掛けようとしている時、誰かが死んだ時、誰かに良いことがあった時、嵐が来る時……大好物の煮込み料理を母親が作ってくれている時。
ユーラが嗅ぎ取りたいと思ったことを嗅ぎ取れる訳ではないし、理屈が説明出来ないものだから誰かに信じてくれと言うことも出来ないと不便な部分もあるのだが……それでもこの勘が外れたことは一度もなく、ユーラは心底から頼りにしていた。
(……まぁ、じいちゃんが死んだ時にはなんにも嗅ぎ取れなかったし、沼地の連中と揉めた時にもその悪意に気付けなかったし……役に立たねぇ時は立たねぇんだがなぁ……。
それでも今日のは間違いねぇ、良い狩りになるってそんな匂いがするからな。
……それにしてもヴィトーから毎日のように漂ってくるあの匂い……最初は精霊様の匂いかと思ったが、精霊様と別行動している時でもヴィトーから漂ってくるんだよな。
こいつと組んでいれば間違いねぇって匂い、俺様がやばい時に助けてくれるって匂い……なんだか知らねぇが、頼りになる大人の匂いもしてきて、安心して背中を任せられるんだよなぁ。
まるで頼りになる年上の狩人みたいな……ああ、そういやヴィトーは一度死んでるんだったか? ってことは……もしかしてすげぇ年上なのか?)
そう考えてユーラは首を傾げて……しかし肉体は若い訳だし、村の皆だって年下として扱っている訳だし……たとえば40歳で死んで赤ん坊に生まれ変わったとして、それを赤ん坊扱いせずに世話もしてやらないというのは間違っているだろうと、そんなことを考える。
(ってことはー……ヴィトーは年下で年下扱いで良いってことだよな? うん、間違いねぇ間違いねぇ、勘もそう言ってやがる)
更にそんなことを胸中で呟いたユーラはヴィトーに向けて年上の自分が守ってやるから安心しておけと、そんな笑みを送り……それから両腕の筋肉を分厚い冬服の上からでも分かる程に盛り上げて雪に突き立てておいた槍を掴み上げ、そろそろサープがおっ始めるはずだといつもの勘からの確信を得て構え……それからどこかにいるはずの魔獣を隠すように生え揃う木々へと視線をやる。
この辺りの木々はこんな風には生えず、間隔を広く取って風通しよく生えるものだが……そのことをユーラが疑問に思うのは一瞬のことで、それも狩りを前にした興奮にかき消されてしまう。
そうしてユーラは槍を構えながら大きく一歩を踏み出し、雪を蹴散らしながら踏みしめ……前方から魔獣の怒号のような悲鳴が聞こえてきたのを受けて、一気に駆け出すのだった。
お読みいただきありがとうございました。