恵獣との生活
グラディスとグスタフの世話をすることになって、まずしなければならないのは彼女らの寝床の確保だった。
食料については森の中に連れていけばなんとかなるし、世話に必要なブラシなどの道具も皆から借りることが出来る。
だけども寝床はしっかりと用意しなければならず……それは一朝一夕で出来るものではなかった。
狩りも家事もせずにそれだけに集中できたなら2、3日もあれば作れたのかもしれないけども、狩りをしなければならないというか、期待されている立場ではそれも難しく……とりあえず村の職人、大工のような仕事をしている人に寝床の準備を依頼することにした。
依頼するとなるとお礼が必要になるし、忙しい人なのでそれなりに待たされることになってしまうが……他に手がないのだから仕方ない、寝床が出来上がるまでグラディス達には俺のコタで寝てもらうことにしよう。
「……という訳で俺のコタで寝泊まりしてもらうことになるけど、問題ないかな?」
夕食を済ませて職人への依頼を済ませて、自分のコタへと戻る道すがら、そう声を上げると隣を歩いていたグラディアスとグスタフが声を返してくる。
「ぐぐぅー!」
「ぐー」
声の後に大きく頷き、問題ないと示してきて……それから俺の脇腹を鼻でぐいぐいと押してくる。
それはある物が欲しい時に恵獣がしてくる行動だそうで、俺は恵獣の世話が得意な家長から受け取ったあるものを上着のポケットから取り出す。
それは小さく砕いた岩塩だ、恵獣の好物で体を作るために欠かせないもので……それを一つ摘み上げると、まずは子供からだとグラディスに促されたグスタフがぱくりと口に含む。
それから岩塩を口の中で転がして……目を細めてなんとも美味しそうに堪能し始める。
それを見てからもう一つつまみ上げグラディスに食べさせ……グラディスもまた目を細めて嬉しそうにする。
それから二頭揃ってもっとくれ、もっとくれと俺の脇腹をせっついてきて……俺は苦笑しながら、
「コタに戻ってからな」
と、そう言って足を早める。
すると二頭はもっとよこせと俺の両脇腹に鼻やら角やらをゴリゴリと押し当ててきて……俺はそれから逃げるように自分のコタへと駆け込む。
そうしたならコタの隅の荷物をどかしてスペースを作り、予備の毛皮でもって二頭のための寝床を用意してやって……それから木皿を二つ用意し、その上に岩塩のかけらを何個か乗せて寝床の側に置いてやる。
するとグラディスとグスタフはコタの入り口の毛皮でよく蹄を拭いてから中に入ってきて、俺が用意した寝床にゆっくりと体を下ろし、それから木皿を自分達の食べやすい位置へと鼻で押して移動させて……体を下ろしながらゆっくりと岩塩を堪能し始める。
「食事は明日の早朝、狩りの前に連れていくからそれまでは岩塩で我慢してくれよ」
そんな二頭にそう声をかけながら銃の手入れを始めると、グラディス達が羨ましくなったのか、シェフィが俺の目の前にやってきてその小さな手を差し出してくる。
何かくれ、そう言いたげなその手を見て小さなため息を吐き出した俺は、調味料を入れておく壺へと手を伸ばし、中に入れておいた黒糖を一粒シェフィに手渡す。
するとシェフィは満足そうな笑みを浮かべ、コタの中にどこからか持ってきたらしい小さな毛皮を敷いて自分の居場所を作り出し、そこに腰を下ろして黒糖を少しずつ齧り食べていく。
シェフィは基本的になんでも食べる事ができて……食事を採らなくても死ぬことはない。
精霊は皆そういうものであるらしく、食事は完全な娯楽として行っているらしい。
完全な娯楽だからか味には厳しく、いつでも美味しいものを求めているのだけど……甘味に関してはハードルが低くなるというか、甘ければそれで許せてしまうらしい。
なんとも良い笑顔で甘味を楽しむシェフィをじぃっと見やってから改めてグラディス達に視線をやると、グラディス達はゆっくりゆっくり、惜しむかのように岩塩の欠片を舐めていた。
そんな風に岩塩が大好きな恵獣は冬の間は雪の下に埋もれている苔を主食としているんだそうだ。
前世の知識からの思い込みで乾燥させた牧草を食べさせるものとばかり考えていたのだが、どうも乾燥させた牧草を食べさせるとお腹を壊してしまうらしい。
雪の下の苔のようにしっとりと水分を含んでいることが重要で……冬が終わって春夏になったとしても水分の多い草や苔ばかりを選んで食べ続けるんだそうだ。
そういった草を保存しておくことは難しく、コタや村での食事はほぼ不可能で……明日からは毎朝毎晩、グラディス達の食事のために村の外へと出かけることになる。
そうやって出かけて狩りもして……かなり忙しくなるがその価値はあって、ミルクに毛にと恵獣は様々な恵みをもたらしてくれる。
幸いというかなんというか、グラディスは子連れの母親……ミルクが出る状態な上にグスタフは乳離れをしていて……しっかりと世話をしてやれば毎日かなりの量のミルクや乳製品にありつけることが出来る。
恵獣のミルクはとても美味しく栄養豊富で、そのままでもチーズやバターにしても美味しく楽しむことが出来る。
特にチーズ作りにはありがたいミルクとなっていて、普通なら酵素などが必要なチーズ作りが恵獣のミルクの場合はまさかのまさか、そこらに生えている木の樹液で作る事が出来てしまい……それでいて他のチーズよりも美味しいという、とんでもない代物なのである。
樹液を入れる関係で木のすっとした匂いとちょっとした甘さが入り込んでしまうが、それもまた良いアクセントになっていて、肉料理との相性は最高となっている。
チーズやバター作りに欠かせない塩も今ならいくらでも手に入るし……グラディスのミルクが出なくなるまでは、かなりの量のチーズとバターを作ることが出来そうだ。
毛に関しては……正直刈り込むのも毛で糸を撚るのも大の苦手で、得意とする女性の誰かに頼んでしまうのが良いだろうなぁ。
角は生え変わりの時期に落ちたのをもらって加工品や薬にし、蹄も……まぁ、削った際に出た削りカスなんかを集めて誰かに押し付けるなり売りつけるなりしたらそれなりの稼ぎとなるはずだ。
それだけの稼ぎになるのだから多少大変でも世話をする価値はあり……明日は朝から忙しくなりそうだ。
と、そんなことを考えながら銃の手入れを終えたならしっかりとしまい……それからコップと歯ブラシを手にし、コップにたっぷりと水を入れてから歯磨きをすべくコタの外に出る。
こんなところで虫歯になったら大惨事だ……シェフィなら不思議な力で治してくれそうだけど、それでも物凄いポイントを要求されるだろうし、しっかりと磨いておく。
磨いたなら村の外れにある厠……トイレへと向かい、済ませることを済ませたならコタに戻って手とコップと歯ブラシを洗う。
洗ったならコップを柱にかけて干し、それから寝ている間に凍ってしまうだろう水差しの水を外に捨てて……それからコタの中央にある竈へと薪を追加しておく。
それから寝床に移動して深呼吸をし……自分の体調に問題ないかをしっかりと確かめる。
問題がありそうなら酒や香辛料などを食べて体を温める必要があるからだけども……うん、今夜は美味い肉をいっぱい食べたし運動もしたしで全く問題ないようだ。
程よい疲れがたまっていて心地よく眠れそうで……寝床の毛皮を手に取り体を包んでいると、グラディスとグスタフが自分達の寝床からこちらを見やって、
「ぐぐ~」
「ぐー」
と、声を上げてくる。
続いて用意してやった、小さな木箱で作った寝床に入り込んだシェフィも『おやすみー』と声をかけてきて……俺はそんな皆に「おやすみ」と返してからゆっくりと毛皮の中に埋もれて……そうして夢の世界へと旅立つのだった。
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