ナンパ
コタの前でグラディスとグスタフに丁寧なブラッシングをして……ブラッシングが終わったなら食事ついでの散歩に向かう。
冬は限られた餌場しかないこの辺りだけども、春になればどこでも餌を食べることが出来て……今日はグラディス好みの餌場を巡ることになる。
未だ残る雪解け水でぬかるんだ……湿地帯というか泥炭地というか、そんな場所を歩いていって……途中、樹の皮を角で剥いだりしながらゆったり歩いていく。
『今年は瘴気がすっきり消えたから、恵獣達も嬉しいんだろうねぇ。
散歩が楽しそうっていうか、何してもどこ見ても気分が良いんだろうね』
するとそんなグラディスの頭の上に座って、ロデオ気分といった感じで体を揺らすシェフィがそんな声を上げる。
するとグラディスが「グゥ~」と声を上げ、その通りだと言わんばかりに目を細める。
そうしながら移動をし、良い餌場を見つけたのかグスタフが食事を開始し……美味しそうに口いっぱいに苔や樹皮を食む我が子を見やったグラディスは、鼻をくんと上げて首をしなやかに伸ばして、誇らしげなポーズ? を取る。
するとそんなグラディスを見ようとしてなのか、何頭かの恵獣が木々の陰から姿を見せる。
距離を取ってこっそりと、ただ見つめているだけで何かをしようとはしてこない。
『グラディスはヴィトーと一緒に魔王とかと戦った英雄だから、余計な邪魔をしたくないって感じじゃないかな。
それか恐れ多いとか……見惚れてるとか? 流石に恵獣の機微まではボクにも分からないけどね』
「……なるほど?
確かにグラディスは、色々頑張ってくれたし、活躍していたもんねぇ。
恵獣達から見ると瘴気がない今の環境はグラディスのおかげって訳だ」
シェフィの言葉に俺がそう返すと、グラディスはより一層嬉しそうに首を伸ばし……それから食事を始める。
そうやってグラディス達がある程度食事を進めた所で、ずっと様子を見ていたうちの一頭の恵獣がそっと近付いてくる。
グラディスと比べるとそこまで大きくはないが、おそらく成獣で……表情を見るに恐らくオス。
恵獣はオスメス関係なく角が生えるから、判断し辛いのだけど……どこか勇ましく見える表情はオスのように思える。
そしてある程度まで近付いてきた瞬間、食事を止めたグラディスが激しく角を振るう。
頭の上のシェフィにお構い無しでかなりの勢いで。
振り回されながらも上手く乗りこなすシェフィがキャッキャッと喜ぶ中、グラディスはそのオスに睨みを効かせて……聞いたことのないような低い唸り声を上げてオスを威嚇する。
邪魔になっては悪いかと数歩後ずさって距離を取っていると、同じく邪魔にならないようにと離脱したシェフィがこちらへとやってきて……俺はグラディス達の様子をしっかり見やりながら口を開く。
「……ナンパ失敗?」
『まぁ、そんな感じだね。
ただ今のは普通のナンパとは言い難いかな……ほら、グラディスは今子育て中でしょ?
そこにちょっかいかけるっていうのは、今の子育てを止めて……つまりグスタフを捨てて自分とくっつけみたいなことをアピールしたってことになる訳で、それでグラディスは怒ったんだろうね。
前足をグスタフの前に置いて守ってるし……あの若い子、モテたいなら空気読まないとダメだよねぇ』
それは……怒って当然のことだろうなぁ。
確かライオンとかクマとかも自分の遺伝子を残すために子育て中の子供を殺したりするんだったか……あの若いオスはそれに近いことをしようとした訳か。
皆が敬愛している英雄たるグラディスとその子供に、そんな真似をするというのは……空気読めないというレベルじゃないような気もするが……。
そんなことを考えて木陰の他の恵獣達を見やると、他の恵獣達もグラディスと同じような……怒りの感情がにじみ出ている表情でもって、そのオスを見つめている。
『……んー、すぐに謝れば良いのになぁ。
混乱しているのかあのオス、何もせずにぼーっとしちゃって、ちょっと良くないね』
と、解説者のシェフィさん。
唸るグラディスに対しそのオスは、頭を少し下げて申し訳無さそうにしてはいるが、後退する訳でもなく声を上げる訳でもなく、硬直してしまっていて……空気がどんどん険悪になっていく。
……そして、何があったか我慢の限界が来たか、それともグスタフの食事が一段落したからか、グラディスが大きく前足を振り上げる。
それを受けてグスタフはさっと駆け出し俺の方へと駆けてきて……そんなグスタフを守るために抱き上げるために、俺が手を伸ばしていると、グラディスは振り上げた前足を地面に叩きつけると同時にオスの方へと突き進み、角を力強く振り上げ、オスの角を強く弾く。
オスはまさかそう来るとは思っていなかったのか、対処が遅れて衝撃を受け流すことが出来ず、思いっきり角をかち上げられてしまうことになり、そして嫌な音が……なんとも鈍い破壊音が響き渡る。
『あ、折れた』
「折れたね、角」
シェフィと俺がそんな声を上げる中、折られたオスの角の破片が周囲に飛び散る。
……薬にもなる角がああなってしまうのは、少しもったいない気もする。
『まぁ、時期が来たら生え変わるから大丈夫だよ、プライドはボロボロだろうけど』
「そう言えばそうだっけ……グラディス達も生え変わるの?」
『恵獣の角はある程度コントロール出来るからどうだろうね、傷とか問題がないならそのままかもね。
角の生え変わりって、それなりにリスクのあることでさ……あれだけ大きくて立派な角を新しく作る訳だから、相応の体力を使うっていうのもそうなんだけど、下手な生え方しちゃうと病気になったり怪我しちゃったりで、命にも関わるんだよね。
生え変わりのときに変に角をぶつけて変形させちゃって、自分の体に刺さるような形になっちゃったとか、食事の邪魔になっちゃったとかで死んじゃう子もいるんだよ。
誰か世話をしてくれる人がいれば、そんなことにはならないんだけど、野生は大変だよね』
「なるほどなぁ……あ、オスくんは失意のまま退場するみたいだね。
……生え変わりに無事成功することを願うのみかなぁ」
俺とシェフィがそんな会話をする中、オスはトボトボと立ち去っていって……それを見送った俺は、抱きかかえていたグスタフをそっと下ろしてやって……それから始まる母子の交流をしばらくの間、静かに見守るのだった。
お読みいただきありがとうございました。
次回、一段落の予定です






