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春の谷間


 この辺りで春になると膨大な量の雪解け水が流れ始める。


 一日の降雪量はそこまでではないけども、冬が長く気温が上がらず、とにかく降り積もり続けるために、それが溶け出した時の水の量は圧倒的だ。


 地面という地面がぬかるむし、雪の下で春を待っていた植物達は一斉に活性化するし……そして流れる雪解け水が、流れに流れて地面を削り、谷を更に深いものとしていく。


 北に向かい、いつかに見た大谷へと足を運ぶと、そのことを強く実感出来る。


 日本で見た谷とは比べ物にならない深さで、左右の山は大きく削られていて……その斜面の角度は人が立つのが難しいレベルとなっている。


 真っ白な雪に覆われていた時は、その谷の深さがよく分からなかったが、雪が溶けて緑に色付くと、その凄まじさをまざまざと見せつけられる形となる。


 深い谷底には大河が出来上がり、どんどんどんどん流れていって、そして左右の山には多種多様な草花が生えて、それを食む動物達がやってきて。


 草と飲水に困らない上に、急傾斜となっているからか肉食獣に襲われることも少なく、断崖絶壁にいるヤギのような感じで、様々な草食動物達が駆け回っていて……生命の息吹きをこれでもかと感じ取ることが出来る。


 その光景はまさに圧巻、ほんっとうに前世では見られなかった光景で……それをただ見ているだけでも何時間でも過ごせそうなくらいに絶景だった。


「ちなみに谷底の川の水は透明だけど汚ねぇから、何があっても飲むなよ」


「動物達の糞尿がたまっている上に、これからどんどん流れが緩くなっていくッスからねぇ……淀んであっという間に透明じゃなくなって、しばらくすると虫が一気に湧き出すッスよ」


 そんな光景に見入っている俺に、水を指してくるユーラとサープ。


 その言葉は間違ってはいないのだろうけど、何も今そんなことを言わなくても……なんてことを思ってしまう。


 まぁ、二人にとっては毎年のように見る見慣れた光景なのだろう。


 俺……ヴィトーにとってもそれは同じではあるのだけど、元日本人の精神が影響してか、感動が冷めることはない。


 草は正直よく分からないが、花に関しては初めて見るものも多く……俺の隣に立っているグラディスとグスタフが、そんな花々を見てそわそわとしている。


『うんうん、ヴィトーにとっては良い光景だよねぇ。

 そしてグラディス達にとっては美味しそうな光景だよねぇ。

 ということでヴィトー、恵獣達を放し飼いにしてあげると良いよ、今の時期しか食べられないものも多いから、満足いくまで食べさせてあげないとね。

 ……何しろこの辺りにはもう魔獣がいないんだから、浄化が済んだ安全な地域なんだから、恵獣にとって最高の……これ以上ない餌場なんだから』


 そして頭の上のシェフィがそう言ってきて……俺が合図を出すとグラディスを先頭に恵獣達が谷へと向かって駆けていく。


 人間ではまず駆け下りることが出来ないような壁を跳ね下り、駆け下り……あっという間に小さくなって、周囲に何もいない空間を見つけたならそこでもって食事を始める。


 その食事は一時間か二時間は続くものらしく、ユーラ達は休憩のための準備を始める。


 と、言っても移動用テントのラーボは建てない、ただ敷物を敷いてクッションを置いてそれで終わり。


 春は寒さや雪を避ける必要がない、爽やかな風が吹き続け、その風が常に暖かさを送り込んでくれるので、ただただ敷物の上に座ってそれを楽しむつもりのようだ。


 そして敷物はユーラとサープ、それぞれ一枚敷いた上でクッション二つを並べて置いていて……これからやってくる女性陣のための準備となっている。


 もちろん俺もアーリヒのために休憩のための場を作り始め……それが終わったなら念の為虫よけの香を焚く。


 もちろんユーラとサープも香を炊き始め……辺り一体を懐かしい香りが包み込む。


 うぅん、夏の香り、夏休みの香り、日本の夏って感じだ。


 工房に頼んで全く同じ物を作ってもらったからそれも当然なのだけど、光景とのギャップで軽いめまいを起こしてしまうくらいだ。


 しかしその効果はお墨付き、こんな開けた空間で使うにはアレだけども、これからの季節、コタやラーボで活躍してくれることは確実だ。


 そう言えばシャミ・ノーマの中には今を春ではなく夏と考える人もいるそうだ。


 夏と冬を交互に繰り返すのがこの辺りの季節、春と秋の概念はもちろん知っているが、それは他所にしかない季節と考えているらしい。


 呼ぼうと思えば気温が上がりきるまでの間、今を春と呼んで気温が上がりきったら夏、気温が下がり始めて草花が枯れてきたら秋とすることも出来るのだけど……他の国ほど気温が上下しないので、二つの季節で分けてしまうほうがしっくり来るらしい。


 なんてことを考えていると、後方から誰かの気配がやってくる。

 

 アーリヒ達が来たかな? と、振り返るとドラーとウィニア、それと地面を這い進むグオラの姿がある。


『大体終わったみたいだぜー』


『グオラ、頑張ってたよ』


「ジュィ~~~!」


 ドラー、ウィニア、グオラの順でそう声を上げて、それから3人は俺が敷いた敷物の上にちょこんと座っての休憩を始める。


 春になってからのグオラは、この辺りの土壌改良に勤しんでくれている。


 この辺りはとても寒く、土壌菌やらが少ない場所もあり、植物が土に還らないままになっている所が結構あるらしい。


 植物だけなら良いのだけど、動物の死骸とかゴミとか、そういったものもそのまま残っていることがあり……中には有害なものもあるので、そういったものをグオラが土に還るよう処理してくれているんだそうだ。


「ジュイジィ~~ジュイジィ」


『なんかまたあのバターが埋まってたってよ! 大昔の人は暇だったんだなぁ』


 グオラが声を上げ、ドラーが翻訳をしてくれる。


 あのバターというのは獣の革や内臓に包まれ土の中に埋められたバター……のような塊である。


 シェフィ達の言葉を信じるならそれは数千年前から地面に埋まっているものらしく、恵獣とかではない普通の獣のミルクから作られたものらしい。


 ただし今作られているバターとは全く別物で、味がついていないというか、塩などを使っていないようで……長期間埋められていたこともあって、とてもじゃないが食べられたものじゃないらしい。


 それでも大昔には大事な食料であり……通貨というか財産でもあったようで、それを保存するため、子孫に残すため埋められていたんだそうだ。


 ……が、埋めたのを忘れてしまったのか、それとも埋めたままその一族が滅んでしまったのか、結構な量が土の中に残されていて……そしてそれをグオラは土に還してくれているようだ。


 こういったバターは確か、前世というか地球でも見つかっていたはずだ、そして色々調べた結果、食べることが出来たらしいが……医療が未発達なこちらでそんな無謀な挑戦はすべきではないだろう。


 歴史的、考古学的価値があるのかもしれないが、それより今は土壌優先ということで土に還してもらい……そうやってどんどんとこの辺りの土壌改良が進んでいる。


 これなら地下畑の成果にも期待出来るかもな? なんてことを考えてお疲れ様という気持ちを込めてグオラの背中をガシガシと掻いてやる。


「ジュイ~~~~」


 するとグオラはそんな声を上げて嬉しそうにし……そのまま目を細め寝息を立て始める。


 こんなにすぐ寝入るとは疲れていたのかなと、手の動きをゆっくりと緩めていって……グオラの眠りが深まったのを確認してからそっと手を離す。


 するとその様子を見ていたのか、気配を殺したアーリヒとベアーテ、ビスカがやってきて……それぞれパートナーが敷いた敷物の上に腰を下ろしていく。


 そうして俺達はグラディス達が帰ってくるまでの間、穏やかで暖かくて平和な、春のひとときを存分に堪能するのだった。




お読みいただきありがとうございました。


次回はそれぞれのパートナーとのあれこれです

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