悪役令嬢の華麗なる策略? ~断罪失敗王子を愛し続ける悪役令嬢~
「アナスタシア様。 アールグレイをお持ちしました」
私は本を読む手を止めて声の主に目をやる。
何度見ても飽きることのない美しく整った顔立ち、光輝く金糸の髪、そして王族特有の金色の瞳。
この見目麗しい美少年レオン・キャベンディッシュは、このキャベンディッシュ王国の元王太子殿下であり、今は私専属の執事兼婚約者である。
そう、彼は私、アナスタシア・テレーズを事実無根の罪で断罪した罰により、王位継承権を剥奪された可哀そうな王子様。
「レオン。 前みたいに話してくれて構わないのよ」
「それはご命令ですか?」
「……いいえ」
私はそっと彼に手を差し出す。
彼は跪きその手の甲にキスをする。
これは私とレオン2人だけの、特別なルール。
これは彼も望んだ結末だったはずなのに。
私は彼と彼の望みを手に入れたはずなのに……
近くにいればいるほどに、私とレオンの心の距離は遠くなっているような気がしてならなかった。
◇◇◇◇◇
私は本気でレオンを愛していた。
幼いころから私はテレーズ公爵家、彼は王家、それぞれの重圧に耐えながらお互いを支えあって生きてきた。
私が義母に虐待を受けていた時も、何も言わずとも彼は私のことを助けてくれた。
彼は名実ともに私の王子様であった。
だから自身が転生者だと気づきこの先の自身の破滅の未来を知ったとき、彼の未来ごと一緒に変えたいと思った。
彼の望んだ、誰にも縛られずに自由に暮らしたいという願いを。
私は彼と彼の望みを手に入れるべく、陛下にもし万が一レオンと婚約破棄になってしまった場合は、隣国の王子と結婚する手筈を整えたことを報告。
裏王家と呼ばれるテレーズ公爵家を失うことは、キャベンディッシュ王国の終わりを示すからだ。
陛下は私の思惑通り動いてくれた。
私は婚約破棄宣言を返り討ちにしてレオンの全てを手に入れることができた。
心以外は。
あれ以来私の下で働くレオンに、私の好きだったあの頃のキラキラ輝く少年の面影はない。
彼は未だにあの男爵令嬢、メイのことが好きなのだろうか。
やっと手に入れることができると思ったのに。
私はあなたの望みを叶えてあげたかっただけなのに。
こんなに近くにいるのに、心が遠くて苦しい。
それだけ私にとってレオンは大切な存在で、性悪女といわれようとも、婚約破棄をされそうになっても、あの時私を救い出してくれた笑顔が忘れられないのだった。
◇◇◇◇◇
「アナスタシア、君を迎えに来たよ」
突然屋敷に訪問してきたかと思えば、突拍子もないことを両手に収まりきらないほどのバラの花束を差し出しながらそう告げる少年。
「迎えられるようなことはなくてよ」
「つれないなあ。 君と結婚しに来たんだよ」
飄々とそう告げる彼の名はヴェンティ・カッティロイン。
隣国の王子様であり、私がもしレオンに婚約破棄された際に結婚すると約束をした人である。
「私婚約破棄されてないわよ」
「知っているよ。 でもされそうになったんだろ?」
全て見透かしているかのようなそのエメラルドグリーンの瞳。
私は自分の気持ちを悟られないよう視線をそらす。
「いいの。 今は彼を手に入れることができたのだから」
「じゃあどうしてまだ結婚しないんだい?」
「そ、それは……」
確かに本来であればとっくに結婚していてもおかしくない時期であった。
レオンも結婚することを受け入れている。
もとより断れる立場にいないが。
どうしてなんて、私が知りたい。
「僕なら君をそんな悲しい瞳にはさせない」
そう言って彼は跪き私の手の甲にキスをしようとする。
が、私は反射的にその手を振り払う。
「ヴェンティ、私本当にあなたには感謝しているの。 あなたがいなければ彼を手に入れることはできなかった。 約束通りあなたの国の輸出税率も調整するし、ほかにも協力は惜しまないつもりよ。 だから……」
「アナスタシア。 僕が本当に自分の国のためだけに君のそのむちゃくちゃな要求を受け入れたとでも?」
ヴェンティは振り払われた手を悲しそうに摩りながら私を再度見据える。
そんなの、知っている。
ヴェンティが私のことを好きだなんてことは。
知っていて、私はその気持ちを利用した。
私はレオンのためならなんだってする。
そう――悪役令嬢なのだ。
「ごめんなさい……」
「いいさ。 僕もわかっていて利用されているんだ。 また来るよ」
海のようにキラキラと輝く青い髪をなびかせ彼は去っていく。
つい、彼の手を跳ね除けてしまった。
彼の恋心を利用すると決めたときから、私は心を無にすると決めたはずだったのに。
それでも、その行為をレオン以外にされたくないと思ってしまった。
これは私にとっては大切な思い出の一部。
レオンが私を義母の魔の手から救ってくれたときにしてくれた、特別なもの。
でもそれは私にとって特別なものであって、レオンにとってはそうではない。
いつまで私は昔の思い出に縋っているのだろう。
いつまで私は過去に閉じ込められ続けるのだろう。
◇◇◇◇◇
早朝、私は足音を立てないよう細心の注意を払いながらいつものように中庭をのぞき込む。
「今日も、いた……」
爽やかな朝の陽ざしの中、ビュンビュンと風を切る音が聞こえる。
その音の中心には剣を素振りし続けるレオンの姿があった。
私がこの家に連れてきてからというもの、毎日欠かさず彼は始業前にここで修練を続けている。
王位という重圧に縛られることはないはずなのに。
本当は自由なんて望んでいなかったのではないか、そう思わずにはいられない。
「……キャッ!」
目の前を大きな虫が飛び、びっくりした拍子に声が漏れてしまう。
慌てて手で口を塞ぐも驚いてこっちを見たレオンとがっつり目があってしまう。
「あ、いや、たまたま通りかかったら何か音が聞こえて……」
「……そうですか」
言い訳する必要なんてないのに、なぜだか後ろめたい気持ちが先行して咄嗟に言い訳が出る。
私の姿を認識したレオンは身なりを整え、その場から立ち去ろうとする。
「ど、どうしてまだ剣を続けるの? もうあなたは自由なのよ!」
気づけばそう声をかけてしまっていた。
しまったと思ってももう遅い。
レオンはゆっくりと振り返り、苦虫を噛み潰したような表情をする。
「いつか、自分で取り返す予定ですので」
そう小さく呟いたレオンはその場から静かに立ち去る。
何を?
なんて聞くまでもなかった。
薄々気づいていたのに、ずっと気づかないフリをして逃げていた。
そう、私だけが過去に囚われていたのだ。
もうこんな茶番は……止めにしなきゃいけないんだ。
◇◇◇◇◇
「レオン。 私が義母に虐待を受けていたことは覚えているかしら」
「な、なぜ急に?」
いつものように私の髪を梳いていたレオンは、突然昔話を始めた私を不審に思いその手を止める。
「私ね、あの時レオンが助けてくれて本当に嬉しかったの。 誰にも言えなかったのにそれに気づいてくれたあなたのこと、本当に王子様だと思ったわ」
「一体なんなのですか」
訝しげにこちらを見るレオンと鏡越しに目が合った。
久しぶりに彼の目をちゃんと見たような気がした。
「レオン、あなたとの婚約を破棄します」
だから私のその言葉に目を丸くするレオンの姿を、しっかりと目に焼き付けることができたのだった。
「な、なにを……!」
「陛下に言ってあなたの王位継承権は戻してもらったし、結婚はしなくても引き続きテレーズ公爵家は王家を支援する。 全て元通りよ」
「そんなことできるはずが……」
私はサッと立ち上がりレオンが持っていた櫛をその手から奪う。
そしてにっこりと精一杯の笑みを作り上げる。
「執事も解雇よ。 今すぐでていって」
「アナスタシア! どうしてだ!?」
「いいから出て行って!」
私の叫び声を聞いたほかの使用人達が慌てて部屋に慌てて入ってくる。
私はその使用人達にレオンを追い出すよう命令する。
「アナスタシア! なぜだ! 話をさせてくれ!」
廊下からそんな叫ぶ声が聞こえたが、聞こえないフリをして私は扉を閉める。
終わった、何もかも……
室内なのにパタパタと床に水滴が落ち、初めて自身が泣いていることに気づく。
「さよなら私の愛しい人」
届かない声と想いはこの部屋に反響することもなく消えていくのであった。
◇◇◇◇◇
「酷い顔」
「ほっといてよ」
「ほっとけないよ」
一晩中泣き続けた次の日、不運にもヴェンティが屋敷にやってきてしまった。
誰にも会いたくないといったのに、何を察したのかズケズケと私の部屋まで来てしまうこの男。
「結局、終わらせたんだ」
「私が耐えられなくなってしまったの。 自分で望んだくせに、ほんと勝手よね」
「勝手じゃないよ」
ベッドで蹲る私の横に座ってヴェンティは優しい声をかける。
この男はいつもそう。
私が何を言ったって否定をしない。
いつだって肯定の言葉をかけてくるんだ。
「私は悪役令嬢よ。 今度はあなたの優しさを利用している」
「じゃあ僕は悪役王子か? こうしてアナスタシアの弱みにつけ込むチャンスを窺っている」
泣き腫らした顔をあげヴェンティと目を合わせる。
ヴェンティは私に触れることもなく、何か聞いてくる訳でもなく、ただ私を泣きそうな顔で見つめるだけであった。
「もう、どうしてあなたが泣きそうなのよ……」
「悔しいのさ。 あんなやつに勝てない自分がね」
ヴェンティは優しい。
こんなにも私のことを思って大切にしてくれる人はほかにはいないのかもしれない。
でも、それでも、私は。
「私の世界はずっと、彼だけだったの」
「うん」
「それはこれから先も、きっと、ずっと」
「うん」
「だから、だから……」
「アナスタシア。 君は悪役令嬢じゃないよ。 君は嘘でも僕を好きだと言えない。 利用しきることなんてできないんだから」
そう言ってヴェンティは静かに立ち上がり部屋の外へと一歩を踏み出す。
「これからも僕を利用して。 友達として」
こちらを振り返り、ヴェンティは消え入りそうな声でそう告げる。
エメラルドグリーンの瞳から零れ落ちた宝石は絨毯のシミとなり静かに消えていく。
私はその背中に何も言うことができなかった。
◇◇◇◇◇
僕、ヴェンティ・カッティロインはレオン・キャベンディッシュのことが大嫌いであった。
同じ王子としてライバルであると共に、永遠に勝つことのできない恋敵であるからだ。
アナスタシアの心の中にはいつもレオンがいた。
レオンがいる限り彼女の眼中に僕が入ることはなかった。
そしてそれはレオンも同じであった、はずだった。
レオンはいつの間にか現れた男爵令嬢とやらに肩入れをし、アナスタシアを傷つけた。
それなのに、いつまでも彼女の心から出ていかないレオンが本当に許せない。
そしてそんなやつに何をしたとしても勝てない自分が一番許せなかった。
「レオン、お前はなぜアナスタシアを大切にしなかった。 彼女は君が望んだ自由を与えてくれたんじゃないのか」
だから僕自身が納得できる理由が知りたくて、わざわざレオンを訪ねそう話を切り出した。
「……王子様じゃない俺に、価値などないんだ」
「は?」
「昔、言われたんだ。 彼女をテレーズ夫人から助け出したときに。 ずっと私の王子様でいてほしいと」
返ってきた答えは予想だにしないものであった。
いつも憎たらしいほどのすまし顔のレオンが、瞳を潤ませ苦しそうな表情をしていることに僕は呆気にとられる。
「俺はアナスタシアに酷いことをしてしまった。 だから俺は自分で王子様を取り返して、アナスタシアに再度好きになってもらえるようにって……それなのに……」
俯きながら静かに言葉を紡ぐその姿は嘘を言っているようには見えなかった。
その姿は本当にアナスタシアのことを大切にしていた、僕の大嫌いなレオンの姿そのものであった。
このままにしておけば二人はきっと一生通じ合うことなどないのかもしれない。
どんなに嫌でもテレーズ家には世継ぎが必要だし、アナスタシアはいつかは誰かと結婚せざるを得ないだろう。
そうなれば隣国との繋がり強化として、この僕に縁談の話が来る可能性は極めて高い。
このままにすれば千載一遇のチャンスであることは明白であった。
でも……
「僕、アナスタシアに結婚を申し込んできたよ」
気づけばレオンを焚きつけていた。
アナスタシアの泣き腫らした顔が脳裏から離れなかった。
彼女を笑顔にできるのは僕じゃない。
悔しいけどレオン、お前しかいないんだ。
◇◇◇◇◇
「アナスタシア! ヴェンティと結婚するのか!?」
それは突然の来訪であった。
「いきなりレディーの部屋に入ってくるなんて非常識にもほどがありませんか、王太子殿下」
使用人の制止を振り切り、息を切らして部屋に入ってきたのはレオンであった。
久しぶりに会う彼もやはり見目麗しく、ドキドキと高鳴ってしまう鼓動を悟られないよう、私は口調穏やかにそう告げる。
「そんなことはどうでもいい、どうなんだ!」
「どうでもいいとはなんですの! 出て行って……」
「アン!」
久しぶりに愛称を呼ばれたことに驚き、私は叫ぶ声が尻すぼみになる。
「アン、もう手遅れなのか……?」
そう言ってレオンはそっと私の頬触れる。
久しぶりに触れたレオンの手はひんやりと冷たく、その温度にドキリと心臓が跳ねた。
「な、なにを今更……」
「どうすれば、もう一度好きになってもらえるんだ……」
彼が何を言っているのか、私には理解ができなかった。
もう一度好きになる?
私が、レオンのことを?
性悪女と言われた時も、婚約破棄を叩きつけられた時も、一度たりともあなたのことを嫌いになったことなどない私が、もう一度好きになるとはどういうことか。
「……おっしゃっている意味がわかりません」
「どうしたら、俺はもう一度アンの王子様になれる?」
さっきまで冷たかったはずのレオンの手が熱い。
いや、私の頬が熱いのか?
これは聞き間違いなの?
それとも都合のいい夢?
「お、王位継承権は戻ったでしょう?」
「アン」
「そ、それとも何か……」
「アン」
反対の頬もレオンに掴まれ、逸らした視線をまっすぐ戻される。
王族特有の金色の瞳がキラキラと、まるで闇を照らす光のように輝いている。
「嫌いだったら、殴っていいから」
「え」
ゆっくりとその端正な顔が近づいてきて、距離がなくなる。
突然の出来事に私は何が起きたのか理解することもできず、ただ茫然とその温度を噛みしめるだけで精一杯であった。
いつまでそうしていたのかはわからない。
ほんの一瞬であったような気もするし、かなり長い時間そうしていたような気もする。
気づけばまたレオンとの間に少しの距離が生まれていた。
「な、なにを……」
我に返った私はおそらく顔を真っ赤にしながら、慌てて口元を塞ぐ。
その手をレオンはとり、自ら跪きその手の甲にキスをする。
「全部許してもらえるとは思っていない。 それに結局は君に返されたに過ぎない継承権だ。 それでも俺はアンの王子様になれるよう努力し続けたい。 だから、俺の元に帰ってきてくれないだろうか」
そこには私が好きだった、あの頃のレオンがいた。
第一王子として恥じないよう懸命に努力し続ける、キラキラとした、そんな彼が。
「これが私の華麗なる策略ですわ……」
涙が零れてしまわないよう精一杯の見栄を張る悪役令嬢が、幸せになるのはそのすぐ後のことであった。
ご覧いただきありがとうございました。
この話の前説のようなお話
王子視点
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