パプリカの赤
ぼやけた思い出やって来る。
「巷で話題の低反発枕はいかがかな?」
その声は酷く音が割れていて、三回目のコールで聞き取ることができた。メガホンなんか使わなければいいのに、と思ったけれど、そんなことは言わなかった。というのも、その声を発している男の眼には並々ならぬ殺意が輝いていたからだ。
「いかがかな?」
男の仮面を被っていた。なので、実際のところ、男かどうかよくわからないのだが、サンタの格好をして、立派な白い髭を蓄えているため、便宜的に男としておく。男は「いかがかな?」と繰り返すばかりで、その吐息からは胡椒の香りがした。
男が背負っている大きな袋はサンタのイメージを模したものなのだろうが、その袋の所々に真っ赤な染みができているのを見逃さなかった。すっかり乾いているようだったが、それは血に他ならないだろう。男は不意に袋を下ろすと、中をごそごそと漁って、ねちょっとした黒っぽい液体が掛かった白い物体を出した。その餡掛けのようになった物体は、恐らく男が繰り返している低反発枕なのだろうが、恐ろしいほどにねちょねちょしているので、手を伸ばすのに躊躇した。
「いかがかな? いかがかな?」
男は仮面をカタカタ鳴らしながら言った。きっと、笑っているのだ。
「要らないよ」
そう答えると、男の動きが止まり、顔だけをゆっくりとこちらに動かした。廃棄されたロボットみたいだ。
「何故かな?」
「枕ならもうあるから」
「でも、低反発だが?」
「要らないよ。お気に入りには負ける」
男は後退りした。男でちょうど隠されていた月が露になる。レースカーテンが柔い夜風に靡く。季節外れのサンタが頽れると同時に袋の中から悍ましいほどの鼠が飛び出してきた。どれも枕同様にねちょっとした黒っぽい液体に塗れている。鼠たちは部屋の中をぐるぐると回った後でベランダから飛び降りていった。
男は倒れたまま動かず、その身体からは胡椒の香りがする蒸気が噴出していて、思わず嚔をしてしまった。その際の瞬きの後で男を見ると、見る影もなく縮小していて、それはもう月を塞いでいた殺意のある男ではなく、埃を被って汚なくなったサンタのソフビ人形となっていた。サンタとわかるのは服装からであって、その顔は無惨にも削ぎ落とされていて、酷い拷問の後のようだった。
「汚いなぁ」
そう思いながらも、春の深夜に突然来訪した出来事の確認をすべく、その拷問されたサンタを観察することにした。袋は背負っていないが、その袋は今のところ縮小していない、男が背負っていた袋であると見て間違いはないだろう。次いで、足の裏を確認したが、それを見て眼を疑った。何故なら、自分の名前が書かれていたからだ。筆跡は幼稚だが間違いなく、自分のものである。
記憶にはないが、この悲惨な人形は自分が幼少期に遊んで、棄てたものだというのか。ならば、何故、今更?
ああ、なるほど。今日は4月3日か。小学校入学のため、要らない玩具をたくさん棄てたし、古くなった枕も棄てた。つまり、サンタを筆頭に、その復讐に来たのか。
袋を漁った。別にねちょっとしてはいなかったが、その奥で妙な形状の物体を掴んだ。それを取り出してみると、お飯事で使った赤いパプリカだった。なかなかの作りで、パカッと外すと空洞になっている。
なので、パカッと外したが、真っ先に黒っぽい液体が溢れ出て、その後にメモ用紙が一枚だけ残っているのを見つけた。
「君を忘れない」
そこには、それだけが殴り書きされていた。




