再啓、人生は何処ですか?
手短に言いましょう。
私は「人生とは何か、また、それは何処にあるのか」というテーマについて思索の腕を伸ばしてきたわけですが、遂に行き過ぎた混乱に陥り、それがまったく不明瞭になったのです。
私は堕落したのでしょうか? 否、私はそうは思いません。ただ、私が思うだけで、外の眼から見たら酷く落ちぶれている可能性もあるでしょう。しかし、堕落したのでは、不明瞭になったままにするのではないでしょうか。私は明瞭に戻ることを望んでいる点でまだ底にまで落ちきってはいないと思うのです。
原因について考察するならば……果たして何でしょうか。これに関してすっぱりと理解する方が難しいのは言うまでもないでしょう。刹那に答えが出せたなら、それはまったくもって混乱はしていないのです。
考察の1を述べるなら、それは生活の変化でしょうか。私は元来、夢と現実の狭間、男と女の狭間、有と無の狭間にありたいと望み、そのように生きてきたわけです。そして、今、私はその望みに少しずつ近付けているわけです。だから、その変化が私の人生の在り方に変化を齎したのではないでしょうか。
しかし、それでも私が人生の在り方について見失うことがあるでしょうか。私は常日頃から人生とは何ぞやと空中に文字を書いていたわけですから、その価値観に多少の動きがあったとしても、人生自体を見失うなんてことは考え難いと思うのです。
私は人生そのものを失くしたようなのです。
それは暗闇にぼんやり灯っていた灯をそっと息で不注意に消してしまうような、これから先は右も左も上も下も前も後ろも杳として知れない暗鬱の中空で生きることを強いられるような、そんな恐ろしいことです。
考察の2に移るとして、こちらはある程度の確信こそありますが、より曖昧なものとなっていますが、それは愛という一現象による作用ではないでしょうか。
私は碧落の夏に愛を失くし、そうして文字を紡ぐようになりました。つまり、そこでも一度、大きな人生の捉え方の変換、言うならば革命が起きたわけです。私のごちゃ混ぜになった価値観を整理するため、彼女のことをいつまでも忘れないため、私が私であるため、こうして今も駄文を書いているわけです。
しかし、私の愛は蘇りました。それが生まれ変わったのか、温い軟泥からサルベージされたのか、それは私が知ることではありませんが、何れにせよ、私の愛は再び青空の下に夢を見始めたのです。
噫、きっと、そこに私の人生の在り方があったのでしょうが、どうしたことか、今はぼんやりと泥塗れの風船のようになっています。
私の人生の在り方は愛と引き換えに泥に潜り込んでしまったのでしょうか。噫、それは悲しいことです。でも、私には愛が要るのです。私は甘えたがりですから。愛があって私は自我を……果たしてそれはどうでしょうか。ほら、こうして紡ぐ言葉さえ私のまともな意識の干渉がろくにされていないのです。
噫、喉の奥が灼ける味がする。
噫、額が太陽のように熱い。
噫、胸腔は盗まれように軽い。
噫、噫、人生とは何ぞや、愛に奪われたのか、それでも私は幸せなのか、そうだ、そうに違いない、だから、愛してくれ。
手離されたなら、私は、噫。




