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ファブリカの黒

真っ黒な秘密は黒いままに。それが最善。

 私がこれを語るのは人生で最後になるだろう。いや、一度たりとも話したことすらないのだが。何しろ、この話は私の人生最大の汚点で、時効などない代物だからである。現状、これを知っているのは、今のところ生きている私と、あの日、黴臭い部屋にいた、もう既に他界したあいつと、これを読んでいる君だけだ。

 これを見つけたということは、君は相当な変人か、気分を害したらあれだが、人に言えないような趣味、或いはそれを生業にしているのかと疑ってしまう。実際、異常な場所にあっただろう? 隠す場所はいくつか考えて、あいつと相談した結果、ここにしたのだ。あいつはあの日の私以外唯一の目撃者だ。だからこそ、早くに癌なんぞに罹って死んだのかもしれないと私は思っている。

 では、そろそろ語ろう。あの日、それはやけに酸い雨が降っていた、季節は五月の終わり、ちょうど、新緑豊かな頃だった。中庭には焦げた茶色の小瓶がいくつも転がっていた筈だが、それは私たちの実験の産物だったりするが、誰か気付いただろうか。

 私とあいつは四号棟の三階、白い髭を生やした樫の古木のような教授が愛した角の部屋で遅めの昼食を取っていた。教授は三月に雪解けの川で行方を晦ませ、五月の、つまりは、あの日の数日前に漸く亡骸が見つかったのだ。私たちは風変わりで血縁のいない教授と親しかったので、その遺品の管理を許された。遺品を漁るのに思ったより時間が掛かり、前述のように昼食を取ったのは遅く、既に午後五時を越えていた。もう早めの夕食とも言えただろう。

 食事が終わり、私たちは遺品の整理に戻った。そして、あるものが発見されたことで、私とあいつは恍惚とした表情にならざるを得なかった。それは、黒い黒い表紙の本で、かなり年季が入っていた。タイトルは雑な文字で「ファブリカ」とあった。ファブリカというのはアンドレアス・ヴェサリウスという十六世紀の医者の作品であることが知られているが、教授の遺品であるファブリカは、ヴェサリウスからタイトルを借りただけで、レプリカとかではなかった。特徴的なのは皮で、私とあいつの推測では人皮による装丁だと思われた。

 ファブリカの中を見て、私たちはさらに恐るべき表情になった。少なくとも、あいつの顔は恍惚とした可愛げのあるものではなく、既に残忍で、欲望を滴らせるものになっていた。

 実のところ、私とあいつが教授と親しくして、遺品整理を任されるまでになったのは、このファブリカを手に入れるためだったのだ。

 ファブリカの名前は隠されていたが、学園の何処かに人に知られてはいけない研究を纏めたものがあると、入学当初から真しやかに聞かされてきたのだ。それは十年以上前から続く伝統の話で、この学園に入った者なら一度以上は聞くことになる話なのだ。

 私とあいつが伝説の持ち主を白い髭の教授だと断定したのは、教授が贔屓にしていた女学生からである。女学生は容姿こそ抜群だったが、頭が抜群に悪く、特に教授が担当していた解剖学については、自身を売らねばならないほど不得手だったらしい。そんな女学生が風変わりな教授に近付いていたのは誰しもが知る話で、私とあいつはレポートやテストの解答を引き換えに、女学生に教授の秘密を探るように頼んだ。そもそも、最初から教授のことは疑っていた。解剖学の担当だからという安易なものではあったが、結局、このバカらしい予想は的中したのだった。

 そして、教授が死ぬのを待っていた。これに関しては多くを語ることはしない。少なくとも私は知らないからだ。

 ファブリカは教授のデスクの引き出しに普通にあった。拍子抜けしたものである。だが、伝説の輝きにはふたりとも眼を煌めかせずにはいられなかった。その中に記載されていたのは、簡潔に言えば、人体を用いた家具の作り方であった。エド・ゲインやイルゼ・コッホなどの先駆者たちの存在が頭を過ったものだ。

 私とあいつは遺品整理そっち退けで、四階の湿気に満ちた黴臭い、かつては実験室として使われていた部屋に向かった。その部屋には埃がうっすら積もっていたが、足跡があった。その足跡は私とあいつのもので、足跡の先にある劣化の兆候が著しい寝台には、教授に自らを売った容姿だけの女学生が猿轡をかませられて寝かされていた。

 もうわかるだろうが、私とあいつは、ファブリカの手順に従って、新たな作品を作ろうとしたのである。材料は女学生一体で、目標は教授の部屋の椅子を作ることだった。何しろ、教授の椅子は劣化が酷かったのだ。

 さて、私は既に事切れた身体を解体するだけだと思っていたが、何と女学生は生きていたのだ。サディスティックなあいつが敢えて生かしたままにしていたのである。正常で寛大な私が、苦しむことのないように殺せと言ったにも関わらずである。

 逃げようとする女学生を押さえて、まずあいつが拳で腹部を殴り付けた。整った顔が苦悶の表情に歪んだ。その表情があいつの好奇の心を擽ったのか、私が見ている前であいつは女学生を殴る蹴る、挙げ句の果てには胸ポケットに挿していたボールペンで彼女に穴を開け始めた。

 私はこの時点で少しずつ積極性が削がれていた。私には婦女を虐める趣味はないのだから。

 あいつの雨のような暴力に当てられること十分、哀れな女学生は誰が見てもわかるような死んだ身体に成り果てた。悍ましいことに、その歯は殆どが折られ、首は如何せん奇妙な方向に曲がり、(はだ)けた胸部にはいくつもの小さな穴が確認できた。

 確かに死体になった彼女を確認して、私とあいつは作業に移った。人間を捌くのは魚を捌くのとは次元が違うと理解したのはこの時であった。何とも加工のし難い、びよびよした皮膚、吐き気を催す腥い血と臓物、素手ではどうにもならなかった骨など、私たちは苦戦しながら、十五時間掛けて、目標の椅子を作り上げた。

 凄惨な地獄めいた部屋で朝の光を受けていた私たちの作品は、非常に不格好ながら、命の重さを感じさせる良いものとなった。最後に幾度もの実験を重ねて合成したオリジナルの防腐剤を打って終わった。臓物はあいつが処理すると言って持ち帰った。

 さて、感覚の死んでいた私が、犯した事態の重さに気付いたのは、卒業してからだった。行方不明になった女学生の話は、ファブリカ以上に学園でのマストなものとなった。そして、私とあいつが卒業した年の、ちょうど、卒業式の翌日に、故教授の部屋で気狂いの品が発見されたという話を聞かされた。その椅子は検査を経て、消えた女学生の身体で作られていると判明し、全国的なニュースにもなった。

 私は早くに逃げ出し、遠い遠い国で働くことにした。あいつは麻痺したままだったので、国に留まって、すぐに好奇の眼や白い眼に曝され、次第に壊れていき、病を得て死んだ。

 異国に逃げた私とて、心労は恐ろしいほどのもので、まだ四十二歳だが、頭髪は白く、顔には齢八十の老人の如き皺が刻み込まれている。そして、私も病に魅入られてしまった。だから、死ぬ前に追加の文、つまり、これを書き足したファブリカを隠しに来たのである。

 君がどんな人間か知らないが、もし正常であるならば、本を閉じ、何も見なかったことにして帰るがいい。無駄かもしれないが、君がこの本に新たな回想を書かないようにということだけを祈る。

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