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カウントレスメモリー

多層の記憶の中で君こそが最も美しい。

 同じクラスの黒埜真幾(くろの まき)に恋をしている。

 きっと僕だけではないだろう。

 黒埜は透き通るような肌に、心底を見透かすような青みがかった眼、そして、カラスアゲハのように美麗な長い黒髪の簡単な言葉で言うなら美少女だ。性格は寡黙な部類で、クラス内では男子女子の誰とも関わりのない、ヒエラルキーから離脱した存在だ。

 僕は彼女を初めて見た時、胸に宇宙が生まれたように思った。それくらいのエネルギーが一瞬で生成され、僕を生かす源となった。学校なんて彼女を見たいがために行くようなものだ。

 勉強や運動についても、彼女の右に出るものはいなかった。しかし、部活の類いには入っていないようだ。生徒会からも何度か声を掛けられているが、断っている。

 彼女は学校が終われば、さっさと帰宅してしまう。だから、彼女と親しくなれる機会なんて殆ど見出だせなかった。

 あまりに完璧な彼女は、陰で「機械人形説」が真しやかに囁かれていた。確かに、人間味が薄いので、そう思えてしまうのも仕方がない。

 しかし、完璧とは得てしてそういうものだ。

 完璧ではない僕らが、完璧である彼女を異質なものとして扱ってしまうのは不思議なことではない。決して手が届かないとわかっているからだ。けれど、僕は諦めはしなかった。

 クラスの男子は彼女に対して半ば諦め気味だった。

 というのも、どんなアプローチも一方通行になるからだ。

 僕としてはライバルが減るのはありがたかった。

 ある日、僕は放課後に彼女を見た。珍しく遅くまでいたようだが、どうやら、進路指導室にいたらしい。推薦やら何やらの話だろう。

 僕はふと思い立って、彼女の帰路を辿ってみることにした。何てことはない。好奇心である。ある意味では純情だと思う。

 彼女は普段から歩いて帰っている。僕は自転車通学だが、自転車を駐輪場に置いたままで彼女の後を追った。

 黒埜の歩調は溺れるほどに美しく、乱れのない、宇宙の歴史上で最も完璧なものだと言えた。歩く度に彼女の長く若干の青が入った黒髪がふんわりと上下する。思わず、僕は意識を失うところだった。あれは一種の毒で、心臓に悪いほどに美しい。

 彼女のスピードは一切落ちず、坂道になっても関係なかった。

 僕の方は疲れが出始めたが、純然たる欲のために身体は疲労の兆候を無視して動いてくれた。

 道は段々と山道になってきて、一層、疲れが増したが、身体はしっかりと動いてくれる。それにしても、黒埜のスピードは落ちない。

 しかし、彼女はこんな山に住んでいるのだろうか。

 俄然、好奇心は強まった。

 辺りはすっかり陽が落ちて、魔のものが出てきそうな雰囲気に満ちていた。遠くからうっすらと聞こえる水の落ちる音や鳥が飛び立って葉にぶつかる音さえ、不気味さを演出していた。もしも、黒埜がいなかったら、僕は絶対に引き返していただろう。

 やがて、森の中に赤い屋根の粗末な建物が見えてきた。黒埜はその建物の扉の中に消えていった。

 これが、黒埜の家なのだろうか。

 僕は制御不能の好奇心を携えて建物に近付いた。用途のわからない道具がたくさん置いてあった。妙に白くしなやかな細いパーツや、エメラルド色の液体が入ったガラスの容器などだ。

 耳を澄ませば、中からカタカタと音がする。

 何となく、鶴の恩返しの老人の気分になった。

 僕は意を決して開けることにした。

 扉は思った以上にスムーズに開いた。カタカタという音は依然として続いている。そして、すぐに眼に入ったのは、部屋の中央で正座している黒埜の姿だった。

 僕は駆け寄ろうとしたが、誰かに肩を掴まれた。心臓がドクンと大きく跳ねたのがわかった。

「見ちゃったね?」

「え?」

 低い男の声がして、その人が指を向けた方を見ると、黒埜の背中にはいくつものチューブが伸びていた。彼女はゆっくりとこちらを向いて、機械的に口を開き、人間的に「こんばんは」と言った。

「よくできてるだろう? 最高傑作なんだ」

「よくできてる? 彼女は……」

「オートマタだよ。とても人間らしいだろう? 十九世紀のものとはクオリティの差が歴然だ」

 僕は細かく震え出した。得体の知れない深淵に呑まれそうだ。

「しっかしねぇ……」

 男は僕から手を離して顎を掻いた。

「君にこの話をするのは二十四回目なんだけどね。よくもまぁ、懲りずに来るもんだね。こんな山奥までさ」

「え……?」

「見られたからには仕方ない。記憶はまた消させてもらうよ。これも二十四回目だ。もういい加減、懲りて欲しいな」

 男が僕の身体を押さえつける。

 黒埜が静かに立ち上がり寄って来る。

 彼女は右手の小指を外した。

 注射針が見える。

 彼女が蹲って、僕の顔に、その美しい顔を寄せる。僕はこの状況でさえ、幸福だと思えてしまっている。

 注射針が首に当てられる。

 ひんやりしていた。

 一瞬の痛み。そして、注入される何か。

「終わり」と彼女の声。意識は朦朧として、夢か現かさえ判然としない。最後に見えたのは、彼女が頭を外して、それを丁寧に磨いている姿だった。それですら美しいと思った。

 僕は駐輪場にいた。空はすっかり暗い。

 明日も黒埜に会えると思うと今からわくわくする。

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