フォスフォレッセンス
雨が降る夜の神秘的で儚い邂逅は青白かった。
夜が始まってから終わるまで雨はひたすらに街を濡らし、僕はその中に、青白く光る夢のような彼女を見た。
街をゆく人々の眼には見えない彼女は雨に光りながら呆然と立ち竦んでいたので、僕はそっと近付いて、傘で彼女を雨から遮った。彼女はゆっくりとこちらを振り返るけれど、その青白く光る曖昧な輪郭とパーツは僕の記憶に少しも残ることを許さなかった。
「君は何をしているの?」
「生きているの」
「何処へ行くの?」
「何処へも行けないの」
彼女の足を見ると、光ではっきりとはしていなかったが、素足であることがわかった。この街はガラス質の地面で、素足では怪我をしてしまう。僕は自分の靴を脱いで、彼女に渡した。
「僕は靴下がまだありますから」
彼女は戸惑いながらも、僕の靴を履いた。少しサイズが大きいようで、足を何度かプラプラとさせた。
「今日は冷えます。何処か暖かいところへ行きましょう」
「暖かいところは好きじゃないの」
彼女は首を振った。その度に青白い光が夜の暗い大気に残像を作り出した。僕はその美しさに眼が眩んだけれど、傘だけは離さなかった。
結局、僕らは海辺のカフェテリアに寄って、僕は温かいコーヒーを、彼女は冷たいミルクを手に入れて、その後、近くの四阿に向かった。多少の雨漏りが見られるが、不便はなかった。
「何処から来たんです?」
「海」
「そう、海からですか。それは難儀でしたね」
彼女が頷いた。
四阿は暗いが、彼女の青白い光がライトの代わりを務めている。
「しかし、どうして陸へ?」
「愛しい人を探しに来たの」
「愛しい人、ですか」
「そう。私が生まれて、初めて愛しいと思った人。いつかの時化の日に転覆していた船で助けたあの人のこと。でも、私は彼が陸にいるということしか知らない」
「それは、骨が折れますね。海よりも陸の方が人口がありますから。探すのは容易ではない筈です」
僕は温かなコーヒーを飲んで、海を眺めた。今は真っ黒で、獰猛な気配を漂わせている。押しては返す波ばかりが存在を示しているのだ。
「特徴なんてのはわかりますか? 良ければ、僕が手伝います。こう見えて、僕は職業柄、顔が広いのです」
「職業柄?」
「はい。僕は探偵をしています」
僕は名刺を差し出した。彼女の青白い手がそれを摘まんだ。
「名前が読めないわ」
「そうでしたね。海と陸では言葉が同じでも文字は違うんでしたね。改めて、僕は赤硝剥と申します」
彼女は名前を言ったが、それは海の発音だったので、陸の発音に直すと〈ヴラァフルィキ〉になる。推測だが、その意味は「青い流れ」を示していると思われる。
「では、その探し人の特徴を教えて下さい」
「あの時化の記憶では、彼はうねる黒髪に、うっすらと鬚を生やしていて、背丈は赤硝剥さんよりも少し大きくて、左手の指が六本あって、胸に十字型の傷があるの」
「なるほど。転覆した船の名前などは?」
「確か、レヴィア2号よ」
「わかりました」
「探していただけるのですね?」
「はい。少し心当たりがあります。次、あなたはいつ陸に?」
「ちょうど、一週間後かしら」
「わかりました。それだけあれば充分です」
僕が四阿を離れると、海へ何かが落ちる音が聞こえて、それが〈ヴラァフルィキ〉の飛び込んだ音だとわかった。無駄のない、洗練された着水音だった。振り返ると、やはり、もう青白い光は見えなかった。
僕はすぐに調査を開始した。心当たりならあった。左手が六本指の家系があったのを知っている。それは街の外れ、道路がガラス質から木製に変わった貧民の集うエリアにある、萃爿媒家の特徴である。
しかし、僕はこの捜索の意味はないと知っていた。それは彼女から特徴を聞いた時のことで、彼女は転覆した船が「レヴィア2号」と教えてくれたが、その船はもう二百年前に廃棄され、今は「レヴィア8号」が使用されているのだ。
つまり、彼女の探し人だと思われる、萃爿媒迦片という人物は二百年前に死んでいると思われた。実際、萃爿媒家に訊ねると、その人は百八十七年前に海難事故で死んでいた。
僕は海辺にいた海から来た人に〈ヴラァフルィキ〉について訊ねた。すると、その〈ヴラァフルィキ〉も百七十六年前に自殺していることがわかった。愛しい人に逢えない苦痛が死を選んだ原因だとされている。
僕は伝えるかどうか迷った。
身体を腐らせてまで愛しい人を探す彼女に、その人がもうこの世にはいないということを伝えるべきか。
一週間後、僕はあの四阿で待っていた。また冷たい雨が降っていた。
〈ヴラァフルィキ〉は来なかった。でも、青白い光が何度か波と一緒に流れては帰っていくのを見た。僕はひとり、淡々と調査結果を口にしてから四阿を去った。一瞬、あの青白い燐光が僕の後ろで輝いた気がした。




