表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霊笛  作者: 野中
霊笛・第一部
9/72

第三章(2)

起き上がれるようになったのは、その二日後だ。

家事を手伝うと言えば、貴也は大げさなくらい喜んでくれた。

どうやら苦手らしく、目元をそっと袖口で拭う。

「特に食事の用意が苦手で…やはり、向き、不向きと言うものが、先天的にあるのでしょうね。わたしには、その手の才能がからっきしで」

「…ですが、貴也様は人外ですよね?食事は、必要がないのでは?」

指摘すれば、貴也はふっと表情を消した。


思うように起き上がれなかったが、人の出入りがあったことには気付いている。

それが、普通の人間でないことはすぐ分かった。

貴也のことも、初対面のときから人間でないことは、明白だった。

彼は、公、と名乗る人外のようで、一見しただけで、眷族からひどく慕われていることが分かった。

だが、貴也から人外と私に名乗ったわけではない。

言われたくないことだったか、と思ったが、彼は気にしていない、とすぐに微笑んでくれた。


「わたしはそうですが、あの子は人間なので」


月丸のことだ。

彼は、人外の貴也を父と呼んでいるから、人外かと思っていた。

思えば、月丸は不可思議な空気をまとっている。


人間と言われたら人間だが、人外と言われたら、人外のような。


人間なのか、と問い返すことは失礼な気がして、私は当たり障りないことを口にする。

「そうですね、育ち盛りですもの、しっかり食べないと」

言うなり、私のやる気に火がついた。

家事をしているときが、一番落ち着くのだ。

それに、できることがあるというのは、いい。

すっかりその気の私に、

「ありがとうございます。…その、月丸は、養子なんですよ」

貴也は密やかに告げた。

私の疑問は見透かしていたのだろう。


貴也は、ぎこちなく微笑み、

「捨てられた子供を拾って、育てているのです。ここで一人過ごす寂しさを、紛らわせたかったのかもしれません。…次第に、思わぬほど愛しくなって」

遠い目をした。

すぐ、それを押し隠していつものように笑ったが。


なぜか、彼の言葉は懺悔のように、私の耳に響く。


どう言えばいいのか、言葉を失ったとき、

「ここにいたのか、捜したぞ、父上!」

不意に、厨房へ飛び込んできたのは、月丸だ。

拳に掴んだ笛を突き出し、貴也に言う。

「霊笛の練習の続きを、…て、凛っ?い、いたのか…」

いやなところを見つかった、と顔に書いて、月丸は笛を後ろに隠した。

「はい。…では、私は席を外しますね」


「いえ、それには及びませんよ。わたしが、奥の間へ行きましょう。では月丸、練習は、後ほどそこで」

「…お、おう」

暖簾を潜って厨房から出て行く、上機嫌な貴也を見送った月丸は、私を上目遣いに見上げる。どういうわけでか懐いてくれる月丸が、私は愛しい。

微笑んで、身を屈めた。

「笛を嗜まれるのですか、月丸様。いつか私にもお聞かせくださいね」

月丸は、う、と言葉に詰まって俯く。やがて、蚊の鳴くような声で、


「…俺、苦手なんだ。笛。才能、なくてさ」


ため息混じりに言った。

自信がなさそうな口元と落ちた肩に、小さく胸が痛んだ。

そこに、自分と同じ悲しみを見たせいだろう。

私が何も言えないでいるうちに、月丸はキッと唇を引き結んだ。


「でもそれじゃ、だめなんだ。こんなんじゃ、父上の役に立てない。拾われた意味だって、ない」

言葉で自身を鼓舞し、月丸は顔を上げた。


満月色の双眸に、痛々しいほど強い意思と、それにまつわる恐怖と怯えが見える。

私は息を呑む。

彼は、怖がっているのだ。

月丸が、必死に隠そうとする本心を私が感じ取ることができたのは、私も彼と同じ思いを味わったことがあるからかもしれない。


ああ、この子は孤独なのだ。私の中にも、強く共鳴するものがある。


月丸は、貴也に必要とされたがっていた。

そのためにできることなら、なんでもしようと思っている。

だから、重要と思われる、霊笛を奏でる才がないことが、崩れ落ちそうなほど怖いのだ。


上手に吹けなければ、己の存在価値がなくなる、とそこまで自分を追いつめている。

それはおそらく、月丸と貴也に血の繋がりがないせいだろう。


だが、血の繋がりがあったところで。


私は膝をついて、月丸の手を取った。

自分で自分を追いつめている姿が痛ましくて、そこから意識を逸らすように、穏やかに提案してみる。

「うまくできないことは、他の誰かの手を借りてもいいのではないでしょうか」

「…そんなの、弱点みたいでいやだ。格好悪い」

膨れた月丸に、私は微笑む。

「弱点ですか?私には愛嬌に思えますが」


「愛嬌?」

「何もかも完璧な人は、近寄り難いです。誰も必要じゃないのかと、寂しくもなる。でも、何か任せてもらえると嬉しくなります。もちろん、努力を放棄することとは別ですが、頼られると嬉しいです」

諭すというより、感想を口にすれば、月丸は承服し難そうに弱く言った。

「でも」


「月丸様がお悩みなのは、自分の存在理由と、価値について、でしょう?」

しずかに指摘すれば、月丸は、びくん、と震える。

私の手の内から指を引き抜こうとするのを、寸前で押しとどめた。

逃がさずに、訴える。


「それは、誰もが持つ疑問です。だから、月丸様のように、一度でも突き詰めて考えられた方なら、分かるはずです」

「…なにを」


「何かを任せてもらえることで、はじめて居場所が実感できることもある、と」


月丸の顔が、泣き出しそうに歪んだ。そのとき、

「邪魔するよ」

裏口から、下駄の音も高く、誰かが厨房に上がりこんできた。

振り向けば、若い男が目を見張る。

「これはこれは…。へえ、また拾いモンしたって言うから、今度はどんなくだらないものかと思ったら…上玉じゃないの」

じろじろと、視線で全身を舐め回してくるその男に、私は覚えがあった。


八代。


燐光が灯るように、身体の中心から、憎悪が噴き出したが、すぐ、妙なことに気付く。


両目が、ある。

それに、先日より、若く見えた。


よく似た別人なのか?

戸惑った私を庇うように、彼と私の間に小さな背中が割って入った。

「見んなよ、八代。父上に用事があるなら、奥にいる。用を済ませて、さっさと出て行け」

「へーい、へいっと。仰せのままに、若君」

侮りを隠しもせず、八代は酔っ払ったような千鳥足で私たちの横を通り過ぎていく。

すれ違いざま、言った。私に、ではなく、月丸に。


「あの方が大切にしているから立てもするけど、さっさと出て行ってよね、人間風情が」

憎悪の欠片もないのが、逆に怖い。


けれど、月丸の背は小揺るぎもしなかった。

慣れている、と言いたげに。


――――つまり、こういうことか。

月丸は、認められていないのだ。

そこに触れることは、気位の高い彼には痛いことだろう。


私は何も気付かないふりで、立ち上がりながら尋ねた。

「あの方は、八代様、と仰るのですか」

名前も同じとは。

不可思議な一致だが、私が許せない八代は隻眼だ。同一人物ではあり得ない。

考え込む私を、月丸はぎょっと見上げた。おろおろと手を上下して、言う。

「凛は、あ、ああいうのが、好きなのか?」

「え?いえ、好きというか…知り合いに、似ていたものですから」

言えば、月丸は安堵したように霊笛を両手で握り締めた。


「そ、そうか!うん、あの男は、よくないぞ。恋人をとっかえひっかえ…凛だって、浮気者は嫌いだろう。不誠実だ」

「ええ、…イヤですね。誰かが大事な人の身体に触れたのかと思うと、かなしくなります」

苦笑気味に言いながら、ふと、顔が曇る。

史郎のことを、思い出したからだ。


彼が、どのような誠意の見せ方をしたのか。


誠実であるのが一番だが、それも過ぎれば痛みに変わるとあの時思い知らされた。

そう思ったとき、私はいったい、どんな顔をしていたのだろう。

月丸が、ぐいと私の手を引いた。

見下ろせば、月丸は、どこか懸命に笑った。

「凛を泣かせるやつがいたら、俺が許さないから安心しろ!」

そんなことを言われたのははじめてで、私は目を見張る。


私に向けられる言葉には、いつも身構えることが必要で、でも、月丸の言葉には、ひとつもそんな警戒が必要なかった。


だから私は、

「ありがとうございます」

嬉しくてたまらなくなって、月丸を困らせてしまうというのに、少し泣いた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ