表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霊笛  作者: 野中
霊笛・幕間2
71/72

幕間

「貴、様ぁ!!」


夜闇に、怒号が跳ね上がる。

それも当然、オレはとっくに用心棒を十人以上殺していた。

もう、生きて帰れやしない。それでいい。帰る場所なんて、もうないし。


片手に携えてるのは、銛。


持ってきたが、あんまり役に立ってなかった。

素手で、案外簡単に、人間は殺せる。

目を潰し。

骨を砕き。

喉を叩き潰し。



頭を打ち割れば、――――そぉら。



周囲に乱立する刀剣を視線で横凪ぎに一瞥、オレは地を蹴った。

血が煮えたぎっている。全身が、燃えるように熱い。

ああ、これだ。

これが、生きてるってことだ。

皮肉なもんだ。


死にに来て、ようやく生きてるって実感できるなんてな!


オレは無言で、砂浜を滑るように駆け、―――――銛を、おおきく振り回す。

がら空きになったオレの胴に、刃がいくつか埋まったが、構うものか、まだ動ける。

刀が折れる。肉が削げる。奴隷商に、護衛として雇われたならず者たちの。

けど標的は、こいつらじゃない。




商人だ。




いつも、奴隷たちに担がれた輿の上で、笑ってオレたちを見下ろしていた―――――あの!

うまれて初めて踏んだ本土の土を蹴立てながら、オレは吠えた。

「出て来い、奴隷商―――――豚野郎!!」


この先だ。

浜を上がれば目と鼻の先にある、立派な建物。

浜と海をはるかに見渡せるあの屋敷で、今、南の商人たちが会合を行っているはずだ。

本土で何があったか知らないが、南方商人たちは、今いっきに数を減らしている。


いや、末端の商人たちは何事もなくいつも通りの顔で、商売を続けていたが、…まとめ役がいないのだ。

南方商人のてっぺんたる総取締役をはじめ、新たな取締役たちが、本日の会合にて任命される。


その会合に、オレの標的の奴隷商も参加していた。

確認したから、間違いない。用心深いヤツは、自宅の場所すら公にしていなかった。なんのツテもないオレじゃ、調べようもない。時間もかかる。だが、今日、この時なら。



間違いなくヤツは、―――――いる!



始末しなければ。


あのゴミの処理をしなければ。


オレは、死んでも死にきれない。


豚みたいに肥えた奴隷商。ヤツは。

―――――南方の群島。

それぞれの集落を狩場と称し、人狩りと銘打って定期的に人間を狩りにやってきた。

捕まれば最後、奴隷として売り飛ばされる。

いや、五体満足で捕まるほうがまだましだったろう。


『手違い』で殺されるヤツだって、多かった。


最終的に諦め、自ら売るものを選出し、差し出した集落も多かったって話だ。

ただし、あの奴隷商は狩りを楽しんでた。よって、差し出されるものは突っぱね、こう言った。




―――――逃げ惑え。




訴え出ればよかった、か?

どこにだ。

第一、群島の集落はどこも貧しく、まともな船一艘すらなかったんだ。


その理由が、領主からの重い課税にある。


本土へ行くには、泳ぐしかない。もしくは、定期的にやってくる領主や商人の船で密航するか。

どっちにしろ、命懸けだ。

今回、オレは密航を選んだ。目の前に船があったんだ。運が良かった。


見つからなかったのかって? …どうかな。浜に下りた時には、もう血塗れだったとだけ言っておく。


本土と群島の間には複雑な潮流があって、まず素人じゃまともに渡れない。漁師なんてものが本土にしかいないのも、そのせいだ。人間の知恵じゃ、誰もこの潮流を読み切れない。

記録を取り続ける余裕もなかった。


だから、もし。


開墾の関係で、別の島へ領主の船で移動させられたら、それきり、相手とは二度と会えなくなる。

それが、オレたち群島の民の日常だ。


知ってて、奴隷商は群島に目を付けた。

どんな非道を行っても、誰も訴え出ない、権力の庇護がない野放しの土地に。

けどこの数日で、いっきに様相が変わった。


奴隷の売買を自粛するお達しが、上から下ったそうだ。


要するに。

南方の奴隷売買は、何の規約もなく手つかずで太古からの慣習として放っておかれたが、この時になって、監視の目が入ったわけだ。


ここからが――――――地獄だった。


解放された? そんなわけがない。…いいや? 確かにある意味、解放だったかもな。

上に事態の発覚を恐れた奴隷商は―――――非道を行った自覚はあるんだろう―――――オレたちに、大量の油を渡して命令した。

これを頭からかぶって、火をつけろ。今夜までに。

…それから目の前で起こった事態に、オレは悟った。

ああ。




―――――いつの間にかみんな、心まで奴隷になっちまってたんだな。




それにしても、

「じゃ、ま、だっ!」

つい、吠える。耳を斬られた。気にも留めない。


首筋を伝うぬるつきを拭いもせず、駆ける勢いのままに、銛を投擲。慌てて避けた一人の襟首をつかむ。


完全に意表をついて、鼻柱に頭突きを叩きこんだ。

砕かれた拍子に目が回った相手の身体を盾に、凶器が降る中、突き進む。体重がないもののように身軽に、猛然と。



ヤツがしたことを、何かに訴え出ようとか。



この境遇から助けてほしいとか。


そんなこと、欠片も思っていない。

ただ。




―――――ころしてやりたい。

ひねりつぶしたい。

なぐりとばしたい。

けとばしたい。


だんだんとちっぽけになっていく願いに、自分の本音が見えてくる。

そうか、つまりオレは。


ほんの、少しだとしても。






オレたちを踏みにじってきた連中に、『痛み』ってものを、思い知らせたい!






立ち塞がる用心棒たちは障害物に過ぎなかった。


背を針山と化し、絶命した肉体を放り出す。同時に、横へ低くした身を投げ出せば、暗がりでオレの動きを追いかねたか、盾の役割を終えた死体に用心棒たちが殺到―――――それらを潜り抜ける拍子に、小刀を一振り、奪えた。


きっとなまくら。だが何を構う?


心臓が、限界を訴え、跳ねている。まだだ。まだ、動け。

駆ける足が、ようやく浜を抜けた。


目的の場所へ、ひた走る。その、建物の前で。

複数の人間が、言い争っていた。

揺れる提灯の明かりの中で、確かに見えた、…ヤツが、いる!

歓喜とも憎悪ともつかない咆哮が、腹の底から放たれた。弾かれたように全員が、こちらを見る。


いいぞ、そこにいろ。



すぐに、引導を渡して――――――、


「…ぁ?」



ひきつれた笑いで唇をゆがめた刹那、オレはその場にもんどりうって倒れこんだ。

「―――――ぐ、あっ」

獣じみたうめきを上げるなり、気づく。


ない。足が。片方。膝から、下。これ、では。

駆けることが、できない。



なら。



骨伝いに脳天を突き上げる痛みをよそに、オレは両腕で這い出した。


そこだ、すぐそこに、いるんだ。

這いつくばった格好で、それでも射殺さんばかりに睨みつければ、竦んでいた奴隷商は勝ち誇った笑みを浮かべ、

「さっさと始末しろ、なんだ、あの薄汚い―――――」


「なんじゃ、始末するのか」


浮ついたようなその声は、倒れこんだオレの身体の上から聴こえた気がする。女。余裕に満ちた響きは、不思議とオレの怒りを慰撫した。そのくせ、

「勿体ないの、ならわたしがもらおうか」


妙な傍若無人さがある。


「そんな悠長な話してる場合じゃないだろ、柘榴さん」

建物の前にいた商人たちの間から、一人の娘が飛び出して来た。高い位置で結っている長くて癖のある赤茶の髪が、動きに合わせて元気に踊る。


「すれ違いざまに片足斬り飛ばすなんて、一体どんな武器を隠し持ってんだか…たとえ凜さんの知り合いでも、見過ごせるものじゃないよ。それに」

誰かが彼女に、取締役と声をかけた。緊張を制すように娘は片手をあげ、

「そいつ、早く止血しないと死んじまうよ。足どころか、全身…ひどいね」


「おや、生かすのかえ」

楽し気な女の声に、娘は不貞腐れた態度で応じる。

「新たな門出に、これ以上の人死にはごめんだってだけだよ」


人死に。


まっとうな言い草に、逆にオレは笑えてきた。

「はっは、ははは、…あはははははははははっ!!」

ぜんぶを殴りつける勢いで、笑う、嘲笑う。


「そうだな、斬られて死ぬ方がまだ人間らしいよなあ!」


怯む気配を感じたが、止まらない。目の端に、涙がにじんだ。

「なのに斬り捨てる労力も惜しいってんで、そこの豚野郎は惜しげもなく大量の油を配って、集落の皆に、こう言ったんだ…これを頭から被って、火をつけて死ねってよ」

遠くでわめいているのは、奴隷商の声だ。

すぐそばで立ち止まった娘の雰囲気が厳しくなる。彼女が何かを言おうと口を開くなり、



「もう手遅れじゃ」



つまらなそうに柘榴と呼ばれた女が言った。

「群島の集落に住むほとんどが、言うなりになった。終わったのじゃ」


「知って…いや、止めようは、なかったのかい」

苦渋に満ちた娘の問いかけに、オレの喉から諦めきった声がこぼれる。



「ねえよ」



奴隷の狩場だった群島において、我を押し通すオレは鼻つまみ者だった。そのせいで、家族も肩身の狭い思いをした。

ああ、そうだ、最期まで。

「オレにも油を渡して、死ねと言うような連中だぜ?」



飼い慣らされていた。全員、思考を止めていた。


なにより、どれだけ酷い飼い主でも、見放されたら世界は終わりだと信じ込んでいた。



「連中、命令こそが正義だと言ったんだ。いつも命令に背くオレが、オレこそが、悪だと!」

奴隷商だけじゃない。状況全部が、オレは憎かった。

オレを含めた皆の弱さがかなしくて、でもどうしようもなくて、いつも怒っていた。

いや、悲しみと向き合うのが痛くて、怒りに逃げていた。



―――――…結果が。



もっと、話せばよかったか。通じなくても。いつか、と信じて。…いいや。

オレには、信じられない。いつか、なんて。きっと、いつになっても、来ない。


今しかない。…今、しか!

全力を振り絞り、跳ね起きる。姿勢も整わないまま、小刀を残る全力で投擲。


息を呑んだ女が、はじめて焦った声を上げた。誰かの名を呼ぶ。



「凜!」



直後、背中を踏みつけにされる。声もなく、オレは地に突っ伏した。

間違った相手に切っ先が向かったのか。いや、間違いなく、軌道は商人に向かったはず。

では。


…誰かが、庇った?



まるで意味が分からない。



オレたちが痛めつけられ、放置され続けているのに、…ヤツは庇われるのか。


どんな結果になったのか。

すぐ、女が安堵の息をこぼす。


「おう、よう守ったな、玄丸。して、蛍よ」

何事もなかったかのような女の声に、何も変わらなかったのだと実感して、オレは奥歯を食いしばった。拘束されなくても、もうオレに力は残っていない。


どうやら、終わりは近いらしい。


「膿は最後まで、きれいさっぱり、血ですすごうではないか。協力しよう。代わりに」

踏みつけられた背骨が、ぎしり、嫌な音を立てた。



「コレをくれ」



「…それこそ、奴隷売買じゃないんだからさ、柘榴さん」

娘が呆れたように応じる。

「そこらへんは、本人の意思次第だよ」

「そうか、そうか、…らしいぞ、小僧。そうだ、面白いことを教えてやろう」

耳を塞ぎたい衝動に駆られた。どうせこの女、ろくなことは言うまい。

ただ、それは負けのような気がしたし、もっと正直に言えば、…身体を動かす力は残っていなかった。


諦めたオレの耳元で、やさしげに女は囁く。




「わたしの母は、奴隷に殺された」


―――――…それは。




今までのオレの環境からすれば、想像を絶した言葉に、一瞬思考のいっさいが吹っ飛んだ。

女は、からからと笑って離れる。


「その命、投げ出すくらいなら、わたしがもらおう。飼ってやるぞ、飽きるまではな」

たちまち、視界が真っ赤に染まった。

飼うだの、飼われるだの。

もう、たくさんだ。


なのにもう、反論もできない。意識が、闇に沈んでいく。


あのときのようだ、と他人事みたいに思う。





小さな頃、やってきた嵐にさらわれ、海に投げ出された。あのときと、同じだ。





身体は動く。思考もある。どうやら、コレがオレだ。

でも生きてるってのはコレかどうかは、オレには分からなくて。

いのちを奪おうとする波に、抵抗も億劫で、オレはそのまま沈んでいった。


苦痛も、反射のあがきも、他人事みたいに感じながら。

ただし、あのときは。

目が覚めると嵐はやんでいて、オレはおおきな島の上にいた。

いや実際には、そこは大きな亀の背中だった。


あとから思えば、あの亀は、人外ってヤツで。


薄汚れたガキを島に送り届けたおおきな亀は、大空みたいに真っ青な目でオレを見つめて、満足そうに海へ帰っていった。

あれが、はじめてだった。




オレを、このちっぽけな命を、惜しまれたのは。大切に、守られたのは。


…はじめて、だった。




世の中、まったく、分からない。


人間すべてがそっぽを向いたのに。


たった一体の人外が、オレを助けたのだ。


―――――ほう、不思議な男じゃのう。

遠くから、楽しげな声。


―――――人間でありながら、人外を尊敬するか。


声は、からかうようでもあり、慰めるようでもあり。

虚勢を張るのも、疲れてしまった。


人間は弱くて、オレこそが、こんなにも弱くて、だから恐怖を抱かずにいられなくて、敵対してしまう。

己を守るために。けど。


敵になるのも、敵を作るのも、もう嫌なんだ。


強くなりたい。簡単に、虐げられない、なにより、虐げない、強さが欲しい。

…優しくありたい。いいや。一番の、願いは。


自然、全身の力を振り絞り、気づけばオレは、その言葉を心の底から告げていた。




やさしく、したい。だれかに。なにかに。すべてに。




拒絶され続けたけれど。

正しいやり方すら、分からないけれど。


かなうなら。

―――――あの、人外のように。




そう、人外で、あったなら。…もしかすると。




―――――恐怖は、やさしさすら跳ねのける、か。因果なもの。

よかろうよ、と告げた口調は、どこか冷たく、だが柔らかだった。


―――――方法があるとすれば、人外になるか、人間。


少なくとも、オレに、それに対する抵抗感は、ひとつもなかった。

―――――あの、自身すら滅ぼしかねない苛烈さが、やさしさの裏返しだとすれば、その深みはいかほどか。…ふむ、やはり、そなたは惜しい。

楽し気な呟きに対して、オレは―――――。








「奴隷制の廃止?」




不意に、遠慮がちでおとなしげな声が耳に届いた。


「…それが、偽りの報告を行った御曹司おふたりへの、次代さまのご提案、ですか」

「然り。その努力によって、大皇家を欺こうとした大罪を見逃す、とな。千華姫を差し出すだけでは足りぬ、と…当然じゃな、それだけでは己の懐は痛まぬ」


応じたのは、あの、女の声だ。


オレを飼う、とほざいた、あの。

だが、今は不思議と怒りがわかない。燃え尽きた、灰みたいに、気分が虚ろだ。


「とはいえ、当然じゃが、いきなり結果がでるわけもない。その程度、政に関わるならば当然承知じゃろう。まずはそれぞれの立場の意識改革、働き口の確保、細々とした処理は多い」


運が良ければ一代で為せるかもしれないが、最悪、何代かけてでも難しいかもしれない。なにしろ、ずっと続いて来た歴史だ。何が何でも廃止しなければならない、その気概と慎重さを持ち続けること自体、難しい話でもある。


「奴隷商への今回の通達もその一環じゃが…結果、暴露されたものと言えば…酷い話よの」


オレには、何を話しているのかは理解できない。

どうやら、雲の上で何かが決定したようだ、という感覚だけがある。

ひそり、とおとなしげな声が尋ねた。

「誰も、逆らわなかったのですか。死ね、と言われて」


「そもそもが、領主たちから牙を抜かれておった。権力者が都合のいい労働力を手に入れるため、代々保たれてきた教育こそが、そのような精神を作ったのじゃ」

「それは…」

柘榴の断言に、相手は何かを言いさし、小さく息を吐く。


「そう、ですね。諾、と呑む以外の術が分からない、…その気持ちも、分からないでもありませんが…かなしい話です」

なぜだろう、彼女の声には、上面だけではない重みがあった。

「あの商人は、どのように裁かれますか」


「ふふふ、凜、そなたはほんに残酷じゃ」

柘榴の声が、そのときはじめて、ぞっとしたものを含む。

「確かめたが、南方商人の罰は厳しいのじゃな? それこそ、あの場で死んでいたほうが楽だったという目に遭うぞ、あの男。だからこそ、庇って、生かしたのじゃな、最高じゃ」

手を叩いて喜ぶ柘榴に、戸惑いの空気が返った。そこに気付いた様子もなく、


「ところでの、凛」

突然、何やら柘榴が、もう遊びに行っていいかと尋ねる童のようにそわそわとした声を上げる。

「まだ目覚めぬのじゃが、本当に平気なのかの? いや、そなたの霊笛の腕前を疑うわけではないぞ」


「そうですね…もう大丈夫かと思いますが…ああ、ほら」

オレの瞼が持ち上がった。その動きで、思い出す。

そう言えば、オレには身体があったのだ。


朦朧と鈍い思考に苛立ちながら、何度か瞬きを繰り返していると、




「どうじゃ、身体はきつぅないか」




どうやら横になっているらしいオレの顔を、満面に笑みを浮かべた女が覗き込んでくる。

豊かな黒髪が、さらりと顔の横に垂れ落ちてきた。

無遠慮な至近距離で、赤い唇が弧を描く。


反射的に跳ねのけようと、して。

…息を呑んだ。



―――――女がまとう匂い立つような華、そして猛烈な生命力に、オレは。



呆気にとられた。


見惚れる、とは、こういう感覚だろうか。

特にその、熟れた実のように真っ赤な双眸がいけない。





―――――こんなにきれいな生き物を見たのは、うまれてはじめてだった。





固まっていると、次第に心配がその顔を覆っていく。

「のう、凛。喋らんのだが」

おろおろと視線が逸れたその隙に、慌てて女を向こうへ押しやり、起き上がった。


敵を警戒する態度で、できるだけ距離を取る、――――つもりが、背にしたそこがもう壁だ。



「だ、誰だ」



聞くなり、相手が意地悪気な表情を浮かべる。なぜか、胸を張って、一言。

「柘榴じゃ」

あ、この女が、と思うと同時に、名を聞きたいわけじゃない、と妙に狼狽えてしまう。

そのときになって、ようやく。

柘榴の額に、目がいった。

そこに、見えたのは。


「…角…?」


鬼? いや、しかし。こんな元気いっぱいの鬼がいるものだろうか。


オレの戸惑いに、悪戯に笑って、柘榴は、

「おう、つれないではないか。早、見忘れたと言うかえ」


オレを視線で射抜く、真紅の瞳。その奥に、炎の幻を見た。

炎、―――――火の、鳥。

たちまち、記憶が身体の奥から噴き出した。




―――――方法があるとすれば、人外になるか、人間。




この女だ。夢の中で語り掛けてきた声。この、女が、…あの。






灼熱をまとう、巨大な存在。






「柘榴、あまり、強い刺激を与えないように」

不意に大人しげな声がして、柘榴の横から、湯飲みが乗った盆が差し出された。


「…今、あなたの意識は」

しずかな声に、そちらへ顔を向けると、



「豊音…霊笛の旋律で、無理に一つに束ねている状態です。すぐ落ち着くとは思いますが、ご用心を」



囁くように気遣う声をかけてきた、娘は。

―――――柘榴と負けず劣らずの、美貌。


これほど白くてきめ細かな肌など、はじめて見た。

柘榴は艶やかで、この娘は透き通るようだ。



どちらにせよ、常軌を逸した美。



壁に背を張りつかせ、あまりの眩しさに、オレの全身に冷や汗がにじむ。

「あ、あんたら…二人とも人外か?」

にんまりした柘榴を制す速さで、娘。


「私は人間です。さ、お水をどうぞ」


淡々と、無表情に告げる娘に幾分、正気が戻ったオレは、喉の渇きに気付いた。

礼を言って湯飲みを受け取れば、安堵したか、娘の肩から力が抜ける。

それにしても、彼女は先ほど、妙なことを言った。


水をいっきに腹へ入れ、慎重に二人を見比べながら尋ねる。



「オレの意識を、ひとつに束ねた、って言ったか」


薪を束ねる、というのとはおそらくまったく違う話だ。



胡乱なオレに、ひとつも動じず、娘はしずかに頷いた。

「柘榴があなたの細胞をいきなり一から変えてしまったので」

ちらり、彼女は柘榴を一度見遣る。柘榴は悪びれず、肩を竦めた。

「意識の方がついていけず…あなたは一度、ばらばらになってしまったのですよ。無事、目覚めてよかった」


…ばらばら…。


信じ難いことを言った娘は、平気な所作で、固まったオレから湯飲みを取り上げ、視界から消えた。

「そんなわけでの」

童じみた笑みを浮かべ、柘榴が高らかに宣言する。



「そなたは今日から、望み通り、人外じゃ。めでたいのぅ!」


―――――…は?



「生きた人間を変えたのは初めてじゃからな、凜に頼ってしまった。なに、すぐ落ち着くじゃろう。今も安定に向かっておる」


「では、柘榴、私は行きますが」


すぐ戻ってきた娘が、平然と声をかけてくる。

…違和感があると思ったら、この娘、ずっと無表情なのだ。


「慌ただしいのう、もっとゆっくりすればよいのに」

構わず、柘榴は名残を惜しむ声で言う。

「そうしたいのですが…、出立の準備がありますから」


「人間は不便じゃの、人外ならば脈動を渡ればすぐじゃのに」

「旅には旅の良さがありますよ」

唇を尖らせた柘榴に柔らかく返し、娘がオレに目を向けてきた。


視線、ひとつに、…威圧があるわけではない。だが妙に鮮やかで、無視できなかった。

身構えるオレに、娘は訥々とした物言いで告げる。



「足が戻って、よかったですね」



言われて、気づいた。

見下ろせば、確かに斬り飛ばされたはずの片足が、当たり前の様子でそこにあった。驚いて言葉もないオレに。


「そう言えば、…申し遅れました、私は凜と申します。あなたは?」

丁寧な名乗りと問いかけを、無視もできず、オレは渋々応じた。



「…とうや。灯也、だ」



凜はひとつ頷き、

「では、柘榴、灯也」

その場で深く頭を下げた。

「機会があれば、また」

言って、凛はすんなり、部屋を出て行ていく。柘榴も、軽く手を振っただけだ。


「また、の」

二人がどういう存在で、どういう関係かは分からない。

ただ、『また会おう』、その言葉を思わぬほど簡単に告げて別れる様子に、不思議なものを感じながら、オレは俯く。


自身が人外になったなど、冗談としか思えないが。


「オレは、罰されるのか」

「それはないのう。死者は罰せんじゃろ」

聞き捨てならない言葉に、顔を上げる。目があえば、柘榴は嬉しそうに笑った。

「ほれほれ、聞きたいことがあるなら、なんでも聞くとよいぞ」

態度に壁を作らない女だ。それはいいが、近い。


「…オレは、死んだことになっているのか」


「というか、死んだのじゃ。一度、心臓が止まってのぉ。あの出血量じゃ、脆い人間ではひとたまりもない」


咄嗟に、胸に手をやった。ドクン、脈うつ。掌に返った鼓動に安堵するものの、―――――何かがおかしいことに気付いた。

やたら…遅い。

「土地などの継承を通じず、単体で人間から人外に変わったものは不死人となるが、そなたの場合、受けた力がわたしのものじゃからな。不死人とはいえ、炎の質を多分に持つ。以後何に変化するか読めん。ふむ」


…柘榴が先ほどから楽しげなのは、つまり。



「楽しみじゃな、灯也。どうせなら、面白いものに変わって見せよ」









―――――こんなところ、出てってやる。









オレの決意も行動もすぐだった。


まさか、この柘榴が人外の王の一柱で。

これから、互いに滅びるまでの長い付き合いになる、とは。






当時はまだ、想像の外にあった。





三部では抑え気味だった柘榴に気儘にさせたかったって話です。

読んでくださった方、ありがとうございました~。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ