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霊笛  作者: 野中
霊笛・第三部
70/72

終章

「では、ゆるりとお寛ぎを」


廊下に出た真緒が、その場で部屋に向き直り、膝をつく。振り向けば、きちんとしつけの行き届いた姿勢で正座する姿が見えた。真っ直ぐに、私を見てくる。


いつも、どこか、容赦のない刃の切っ先じみた人だ。

私は彼女に身体ごと向き直り、

「ありがとう」

案内と護衛の礼を言う。真緒は、深く頭を垂れた。


「すみませんが、私は少し、休ませて頂きますね」


その姿に、一人にさせてくれ、と言外に告げる。

正直言えば、ゆっくり休むなど性に合わない。動いているほうが、気が楽だ。第一、他に立ち働いているものがいるのに、一人だけ、ともなれば落ち着かない。

それでも、彼らと同道させてもらう以上は受け入れねばならない状態だった。


「承知しました」

真緒は目を伏し、音もなく障子を閉ざす。

足音はしないが、気配が遠ざかっていくのに、私は肩から力を抜いた。


…久しぶりに、一人だ。静寂に、ホッとする。


輿での移動で凝り固まった関節を延ばすべく、立ち上がれば。

―――――ピィッ。

外から、小鳥の鳴き声。見上げれば、明り取りの窓から、豆乃丞が顔を出していた。

腕を延ばす。待ってましたとばかりに、指先に、小鳥が止まった。

跳ねるように腕を伝い、肩口で羽を休める。定位置だ。


窮屈な駕籠の中に押し込められるのに早々に飽きたつれないこの眷属は、一匹だけで自由な空を満喫していたらしい。小さな緑の身体から、草木の青いにおいがした。太陽のぬくもりも。


小鳥の頬を軽く小突き、私は通りに面した障子を開ける。とたん。



さまざまなにおいを伴った、夕暮れ時の風が吹き込んできた。生活の、匂いだ。



ここは、宿場町。

南方へ向かう際には、大皇の御幸が必ず足を止める場所。この国で南へ向かう際には重要になる拠点である。


旅籠の二階から通りを見下ろした。

日が暮れ落ちる中、未だ足早に旅人たちが行き交っている。かと思えば、寛いだ浴衣姿の者が旅籠の軒下で佇んでいた。宿場町の住人か、客寄せの声も響いている。何とも言えない賑わいだ。

ただ夜が近いこともあり、昼間としての喧騒は、終わろうとしている。


丸めた茣蓙を抱えた女性が物陰に隠れるように、ひそりと移動していくのを目の端に止めるなり、



「あ」


すぐ真下の通りから、幼い声が上がった。





「おひめさまだ!」





どこに、と見渡すが、通りにそんな影は見えない。

代わりに、数人の人が足を止め、上を見上げているようだ。何に驚いているのか、ぽかんと口を開けている。

二階のどこかにいるのか。ならば残念だが、私が見ることはかないそうにない。それとも、

(旅籠の中で移動する際に垣間見る機会があるだろうか)



「凜さま」



いきなり、厳しい声が背にぶつかってきた。

驚きに、弾かれたように振り向く。廊下に立った琴葉が見えた。

年が寄っても品のある顔立ちに、呆れを浮かべている。


「お声かけしても返事がないと思えば…みだりに外を覗いてはなりませぬ」


「…申し訳、ありません」

大皇の一行はまた別の宿に泊まっているが、この宿を使う者も御幸の関係者であることは明言されていた。あまり自由に行動しては、御幸の評判を傷つけることにもなりかねない。

素直に窓から離れた。代わりに琴葉がそちらに立つ。


彼女は、じろり、通りを見渡し、丁寧だが拒絶のはっきりした所作で、障子を閉めてしまう。



「凜さま、誤解なきように願いますが、」



上座へ座った私に、琴葉が、私より、ずっと主人らしい態度で告げた。

「行儀が悪い、と叱っているわけではありません」


内心、私は面食らう。では、今、何がいけなかったのか、分からない。


私の戸惑いに気付いたか、琴葉は額をおさえる。

「窓を開けるくらいは気分転換です。その程度も自由にできないともなれば監禁です。息が詰まりましょう。そうではなく」

私からいくらか距離を置いた位置に座り、琴葉は諭す態度で言った。



「気軽にお姿を民草に見せてはなりませぬ」



貴女はそういう立場なのだ、と言外の言葉が聴こえる。


―――――そう、今は。

私は、粛と頷いた。私の反応に何を思ったか、琴葉の態度が幾分和らいで、

「…南から東へ向かうごと、暑さは和らいでまいりましたが、まだ厳しゅうございます。お食事前に、しばらく横になられますか?」



気遣う声をかけられる。



なんと、琴葉は布団をのべにやってきたらしい。真緒に、休ませてくれ、と告げたのが、なにやら誤解を呼んだようだ。

まだ立ち働いているものが多い中、平気で布団に潜っていられるわけがない。罪悪感で胸がいっぱいになって、眠れるものも眠れまい。


首を横にふる。とたん、ではお茶でも、と琴葉は流れるように動く。

その、品格では別格の所作にほれぼれしながら、私はふと思い出した。

「伊織から聞いたのですが」

祓寮の長の名に、一瞬だけ、琴葉の手が止まる。普段、隙のない女性が、名前だけで、これだ。まさに天敵。伊織が琴葉に何をしたか、いつか聞いてみたいものではある。


だが、今は。



「琴葉は大皇家の語り部の一族とか」



すぐさま淀みなく動き始めた琴葉の手元から、茶のいい香りが立ち上った。

「左様にございます」

何気ない返事すら、厳格な雰囲気が漂う琴葉に、私は尋ねる。






「ならば、大神の物語は、ご存知?」






琴葉はしずかに私を見遣った。その面に、表情はない。とはいえ、おそらく。

―――――今、琴葉が浮かべている表情は、今、私が浮かべている表情に違いない。


要するに、彼女はどんな表情をするべきか、悩んで、鏡のように私の表情を映し返しているだけだ。


簡単に口にできる話、ではないのは承知している。

なにせ、大皇家の神の物語。

だが私は知らねばならない。そのために、都へ行くのだ。それだけ、ではないけれど。


いつも、頭の片隅で思うのは、史郎のこと。



(無事、北へ戻られただろうか)



目を閉じれば、先日の宴の光景がまざまざと蘇ってくる。











「…あの、史郎さま」


そのときの私は、小春の手腕によって、身だしなみを整えられ、宴の席に着いていた。

しばらくおとなしく座っているうちに、ことは終わったのだ、とようやく実感できた。


できた、からこそ。


聞いてみたくなった。…過ぎた、ことを。

「千華姫や、奈美さまは…あのように、なる必要が、あったのでしょうか」



「あれらは、供物さ」



史郎の返事は、さらりとしたものだ。

「西の戦の揺り返し」

何の感情もこもっていない、紙芝居でも読み上げるような、淡々とした声。

「南に蟠ったそれは、正しくほどく必要があった」

そこではじめて、史郎は皮肉に笑う。


「でないとコイツは、寄せて返す波みたいに、延々とどこかへ向かって揺り返す」

そのはじまりは、…いつ、どこ、だったのだろう。西の戦もまた、何かの揺り返しだったのではないか。

それは、考えてもきりがない。


思考を断ち、私は気になっていたことを尋ねた。

「…盗賊の、姿を変えてしまったあの方は…、最後まで、気配が人間にしか思えませんでしたが…」

言いあぐねた私に、史郎は淀みなく返してくる。



「あいつはなぁ…揺り返しが生む、ひずみだ」



聞きたいことは、察しがついていたようだ。

「揺り返しのひずみの力は膨大だ。どうしてあんな形になったかは知らねえが、あの野郎の欲望とその力は相性が良かったんだろうな。合わさって、あんなことになっちまった。だから、よ」

話している間中、いつも怒っているようにも見える史郎の横顔を、私はじっと見つめていた。

視線に気づいているのか、気にしていないのか。史郎は前方を睨むようにして、


「アレの思いを遂げさせるのが手っ取り早かった」


私は、宴に出席するときには顔を隠している。

その薄衣越しに見える満月色の瞳は、常の力強さを湛えているが、そのくせ、無力に苛まれているように見えた。他に方法があったなら、彼はそちらをとったのではないだろうか。

そんなふうに、感じる表情だ。


ああいった手段を取ることしかできなかった、そのことに、史郎は歯噛みしている。



「アレの思いは果たされ、結果、―――――今、南に満ちた平和は」



あの、あと。

彼はどうなったのか。姫を、腹に収めた男は。欲望が遂げられた醜悪な場に居合わせた久嵐は知っているはずだ。そして、蜘蛛蔵は、奈美を、どうしたのだろう。だが。

聞くことは、…知ることは、恐ろしかった。

「あの娘たちの犠牲の上に成り立っている」

ひどく重くて、同時に空しい言葉だった。投げやりな態度で、史郎は言葉を続ける。


「裏を返せば、あれらは救世主だ。すげえと思わねえか」


救世主。


先日も、聞いた言葉だ。

その、意味を。

今、しっかり呑み込んで。

苦さを噛み締める。


…そういうこと、か。

その通り、その通り、…だけれど。―――――やりきれない。


「おい、凛」

気を取り直したように、史郎は私に顔を向けた。直後、面食らった表情になる。

こういった、たまに見せる素の表情は、幼い。


「…お前ずっと見てたのか…いやいい、返事はするな。せっかくなんだ、俺じゃなく、宴を見てろ」


いきなり両手で頭を掴まれる。次いで、広間の方へ顔を向けられた。

史郎を見ていたいのだが。

「あの、史郎さま、」

言いさし、黙る。いや、史郎がそうして欲しいなら、仕方がない。

少し拗ねた気分で、賑やかな宴の光景を見遣る。その明るい光景は、南に蔓延った百鬼夜行の光景とは違い、健全だ。


「大体お前はまだ霊力がきちんと戻ってねえだろ。早めに休ませてぇんだが…まあ、少し話したいことがある。聞いてくれ」


座っていれば、身体の辛さも緩和されるから、そこまで気遣ってくれなくても大丈夫なのだが、…気遣いは、素直に受け取っておこう。それに、

(…聞いてくれ?)

史郎が、そんなことを言うなんて。


おっかなびっくり頷く。史郎は少し、沈黙した後。



「俺はどうも、安心し始めてるらしい」



言いにくそうに、そう切り出した。

「ずっと、北王一柱でやってきただろ? それなりに気が張ってたんだよ」

私は目を瞬かせる。もしかして、これは弱音か。史郎が? あの、史郎が。


私は癖のように、史郎を見ようとしてしまう。けれど、それは彼の手によって阻まれた。



「なのに今じゃ、俺を含めて三柱揃った。…情けねえが、今になって腑抜けてきたらしい」



史郎の声は、己に対してすら皮肉気で。なのに、なぜだろう。

隙間風めいた寂寥感を感じる。

何か、言わねばならない。妙な使命感に、私が口を開こうとするなり。

察したように、史郎が私を胸の内に抱き込んだ。これでは、声が出せない。



「ただの人間の捨て子の俺が、父上に拾われ、跡目に望まれて、力を受け継ぎ、人外になり―――――穂鷹公の道をひた走って、ふと我に返ったら、北王として今ここにいたって感じだ」



独り言めいた、囁きに、普段の力強さはない。乾いて、しずかだ。

「近頃、思うんだよ。ここにこうしているのは、本当に俺なのかって」

「本当の、ですか?」


どこにいようと、何をしていようと、史郎は史郎だ。本物も偽物もない。


私にとっては、それが事実だけれど。



史郎には、この、当たり前の何が見えなくなっているのだろう。



「そうだ。なんってのか…泣き喚くだけしかできねえガキが、次第に、夢から覚めてきた…感覚としちゃあ、それに近い。穂鷹公であるために、八代をはじめ、数多のいのちを踏みつけにしてきながら、なぁ」

顔をあげようとしても、できない。史郎は、自分の表情を見られたくないようだ。


ならば、と額を押し付けるようにして俯いた。動くことで顔を覆う薄衣が取れかかってきたが、仕方がない。これで、声が出せる。


「だからこそ、です」


「アァ?」



「踏みつけてきたからこそ、史郎さまは穂鷹公―――――なにより、北王でなければならなかった」



いつだったか、幼い史郎―――――月丸が教えてくれた。

土地に封じられる人外の場合、後継者が土地に認められ、名を受け継げば、先代に土地の力は流れなくなる。ゆえに。



先代穂鷹公、貴也。



あの、年経た大木のように、穏やかで優しかった人外は。

月丸が、穂鷹公の名を受け継いだことで、亡くなったのだ。

どれだけ辛くとも、史郎が立場を投げ出せなかったのは、そのせいだ。


誰よりも、優しいから。愛情深い方だから。



大切な存在から受け継いだものを、繋ぎ続ける以外の道は、選べなかった。



ゆえに、たった一人でも、背負い続け、歩き続ける。その、重い名を。

背に、かかる重圧は、いったい、いかほどか。

想像を絶する。


ゆえに。それの、ほんの、少しでいい。



「私にも、史郎さまが持つ荷物の、少しでも、わけてもらえたなら、…嬉しいです」



言いながら、薄々察していた。

この言葉は、史郎を傷つける。なにせ、私は。


案の定、―――――史郎は、息だけで、笑って。





「先に死ぬつもりのくせに」





腰が砕けそうになるほどやさしい声で紡がれたのは、…残酷な、揶揄。


こう、傷つけ返されることは、分かっていた。覚悟していたのに、思わぬほど深く来て、すぐには言葉も出ない。


そうだ、私は。

人間で、あり続けることを望んでいる。

人外である史郎とは、先に待つ時間の長さが違った。

人外と人間でも、寄り添い合い、めでたしめでたし、で終わる物語を、望むから。

私の、わがままだ。


けれど、だからこそ。



少し、傷つくくらい、わけはない。へっちゃらだ。



「その通りです、史郎さま。だから、私は」


口にした言葉を後悔したのか、史郎の腕から、力が抜けていた。ちょうどいい。

私は顔を上げ、ついでに両手もあげて。


頬を、薄衣が涙みたいに流れ落ちたのを感じながら、―――――掌で、史郎の頬を左右から包み込む。




「あなたに、きれいな『未来これから』を残したい」




ある意味、博打だ。


人間のまま、人外に寄り添い続ける。この姿が、他の目になんと映るか。

否定されるか、肯定されるか。そればかりは、分からない。

それでも。


人外と、人間。


双方の間に入ったひび割れが、これ以上に深くなることを、どうにか食い止められたらと願ってしまう。

なにせ、私の命が儚くとも。

―――――史郎は。


だからせめてもう少し、息がしやすい世界になったらいいと思う。



人外も、人間も。不幸ではなく幸福になる助け合いができる世の中に、なったなら。



人里に下りれば不思議なのだが、存外に、人間と人外の壁は薄い気がした。隣人として、互いに認め合っているような。今なら、まだ手遅れではない。


にもかかわらず。




…見えにくい、流れがあった。人外と人間を敵対させようとする動きが。




ちょうど、今回、南方の騒動で、黒蜜の配下が行った、あのような動きが、水面下である気がする。


意図的に、双方を争わせようとする意志が、感じられた。震源地は、おそらく。





―――――大皇家。





史郎が、目を見張る。そしてなぜか、息が止まったように動かなくなった。

心配が不安へ変化する頃合いになって、

「…驚いた」

なぜだろう? 史郎は、目を、伏せた。照れて、いる?


怒ったような、不貞腐れたような、そのくせ、浮つきを無理におさえるような声で、呟く。


「凜、お前…そんなふうにも、笑うのか」

笑う。笑って、いる? 私が? びっくりする、なり。



「ふぅむ」



間近で、のんびりした声。とたん、史郎の額に青筋が浮かんだ。

「挨拶に、と思ったのだが、やはり、間が悪かったかのう、主」


「火滝、てめぇはどこまで命知らずだ…」

獣が唸るような声を上げ、だが史郎は大きく息を吐いて、頬を包む私の手をそうっと握りこんだ。

その状態で、火滝を横目に睨む。


「で、どうだったよ?」

「予想通り。覇槍公も引き留めかねる様子」

ハッ、と息を破裂させるように嘲りを含んだ笑みを浮かべ、史郎。


「言い出すと思ったぜ。亀爺は穏健派の筆頭―――――いなくなりゃ、過激派が騒ぎ出すのは必定だな」

「しかも王が三柱揃っておる。気が大きくなっておるのだろ」


なんの、話だろう?

私の胸の中で、不安が膨らんでいく。史郎の空気が、獰猛に研ぎ澄まされていくのも、私の息を浅くさせた。

あまりの威圧に、周囲にいた人外たちが、波が引くように遠ざかる。


「どいつもこいつも、能無しか。王は均衡を保つ存在。人外と人間、どっちが欠けても柱は折れる。それを芯まで理解できてねえから莫迦を言い出すんだ」


袖で口元を隠し、火滝が他人事のように言った。




「然り、戯言よなぁ、人間を滅ぼす、などとは」


…心臓が、止まるかと思う。半面、頭の冷静な部分が呟いた。




―――――そういう、ことか。


どうやらあの、巨大な亀の人外が持っていた影響力は、並みならぬものだったようだ。そんな、道を照らす太陽が沈めば、皆、迷う。


人間が、人外を排除しようとすれば、また。


人外側も同じように考える。当たり前の、話だ。


「気持ちは分からんでもないがな」

突き放すように肩を竦め、火滝。

「で、どうする主。叱るにせよ、実力行使するにせよ、主はしばらく、動けんだろ?」

私は目を瞬かせる。どういう、ことだろう。史郎は大きく息を吐いた。


「それを今、凜に言おうとしてたんだよ」

火滝が私たちの足元から、落ちていた薄衣を取り上げる。それを史郎に渡した。

唇を真一文字に引き結んだ史郎が、鉛みたいに重い沈黙を湛え、私に薄衣を被らせる。


「凜、聞いてくれ。他の二柱がそうしたように…いい加減俺も、俺自身の鎖と向き合わなきゃならねえ」

…ある程度、予測していた言葉だ。史郎は、自身に逃げを許さない。


「このまま行けば、俺は自滅する、周りを巻き込んでな。そうなる前に、対峙する必要がある。あの、闇と」


他の二柱がそろっている今が、絶好の機会だと告げる史郎に、

「わかりました」

私は大きく頷く。



「お手伝いできることは、ありますか」



とたん。

史郎は、ひどく嫌そうな顔になった。対して、火滝がにこにこ微笑む。

「ほぉ、これも予想通り」

険悪な顔で、史郎は火滝を横目に睨んだ。

「吾を睨んでも、何にもならんぞ」


面白がる態度の火滝に、史郎は舌打ち。凜に向き直る。

「つーわけで、俺は動けねえ。滅ぶのは人間だつって暴走する輩は、残る二柱に説得なり、実力行使なりを任せる。他の理性的な人外にも従ってもらう。…マズい流れだ。いっせいに取り掛かる必要がある」


「左様。組織的に動いている気配がある…キナ臭い」

二人の会話に、私は少し、途方に暮れた。私には霊笛があるが、人外相手に何ができるわけもない。

ただの人間なのだ。


この状況で、いったい、戦えない私に何ができるだろう。思っていると、


「―――――凜には、一番危険な場所へ行ってもらう必要がある」

史郎は心底、いやそうに告げた。

「行かせたくはない、と素直に顔に書くものだの。仕方なかろう、せっかく亀の御老が残した縁、無駄にするわけにはいかぬ」

亀の御老? かの人外が、何を残したというのか。いずれにせよ、何かがあるとするならば、私に、否やはない。つらいことがあるとすれば、それは。


史郎と、離れることだが。


「しかも紡げるのは、」

火滝の言葉に、史郎は不満を隠さず押し黙る。

「霊笛の君しかおらぬのだ」





―――――その理由を聞いて、私は。





「行けば、死ぬぞ」

野性がむき出しの、飾り気のない声が、不意に、背中からかけられた。

(…あ)

そこで、気づく。



ここは、夢の中だ。



「西と、南。続けば、分かる。お前は俺が残した業の清算を押し付けられている」

ゆるり、振り向けば、…案の定。


「真牙」


短い赤茶の髪。青い瞳。太い首。分厚い肉体には、獣の衣。

私の祖たる青年、――――――真牙。


振り向いた拍子に、史郎と火滝の姿は消えていた。宴の賑わいも。



「また、呼んでしまいましたか」



いまいち力の制御ができない私の言葉に、真牙はゆるり、一度、首を横に振った。

私は首をかしげる。真牙を呼べば、狂うから、あまり呼ぶなと厳しく警告してきたのは、彼だ。


なのに、自ら来た、と言うことだろうか。なぜ?


「忠告だ。東に残る俺の業は厳しい。進むなら、命などないつもりで行け」

一言一言に、太い釘でも打ち込まれている心地にさせられる。

言い置くなり、消えようとする気配を察し、私は咄嗟に手を伸ばした。衣の裾を掴む。引き留める。


「…その東より、――――――北は、もっと厳しいのでしょう?」

私が安穏と暮らした穂鷹山。あの地に染み付いた、真牙の業は。




それすら、私がすすぐ役目にあるのなら。


「ならば、東程度、何を恐れましょう」




真牙が目を見張る。次いで、まぶしげに細められ、…鮮やかに、笑った。

「頼もしいな、娘」

私はつい、息を呑んだ。その、動きで。


ぱちり、目が覚めた。


薄暗い天井が見える。ここは。

―――――東への道程、その中途に位置する旅籠で間違いない。

戻ってきた。思うなり、違う、と否定。身体はずっと、ここにあったのだ。


琴葉と話をして、食事をとり、風呂に入って、…そして、現在。

横になったまま、私は慎重に自分の状態を確認した。


精神的な緊張はないが、肉体が強張っている。

歩かなくていいとはいえ、東への旅路のほとんどを駕籠のなかで過ごすのだ。身体の節々が痛む。ゆっくり湯につかって疲労はほぐせたと思ったが、まだ芯に残っているようだ。

少し起き上がって身体を伸ばしたいが、外で控えているだろう誰かに気遣わせてしまう。


どうするべきか、と静かに息を吐いた時。





「―――――…子守唄を、所望かな」


廊下側の障子向こうから、穏やかな声。





控えている誰かだろうか、と思わず口元をおさえたが、…すぐ、違和感に気付く。

まだ夢の中…ではない。間違いなく、宿泊中の旅籠の中だ。

というのに。


しずかだった。


まだ、通りを行き交っているだろう人の気配も、旅籠内で立ち働く気配もない。

誰も、ここにいないようだ。私以外は。

「…違うか、これは…ふむ、過去からのこだまがあったな」

そうだ、しかも、この声は。


いつだったか、穂鷹山で一度聞いた、あの。

「ならば、我とつながるのも、道理」

ほ、と息を吐く気配に、敵意はない。あるのは、



「名残惜しいが、逆に、長居はできんな」



―――――涙が出るほどの安心感。なぜだろう、幼子があやされるように、問答無用で全身から力が抜けていく。

声からして、相手が男性だということは分かるが、それだけだ。

「そうだ、ひとつだけ」

ふと、相手が困ったような声を上げた。


「子が、会いたがっている。会いに行ったやもしれん」


不思議な物言いだ。だが何をどう聞けばいいのか、分からない。黙ったままの私に構わず、彼は続けた。

「迷惑だろうが、手綱はそなたにしかとれん。言うことを聞かねば引っ叩け。ではな」

直後、





「―――――…さま、凛さま?」





耳に、いっきに音が戻ってくる。

「失礼、いらっしゃいますか、凛さま?」

幾分、切羽詰まった声と共に、廊下側の障子が開いた。


「真緒?」

何かあったのだろうか。慌てて起き上がれば、私を見た真緒の身体から、萎むように、緊張が抜けた。

「…ぁ、大変、申し訳、ございません。先ほど、凜さまの気配が、室内から消えましたので…いえ、そう、感じた、と申しますか」


狼狽えた態度で頭を下げる真緒に、私はひとつ頷く。

「気に、しないでください」

なにより、彼女の感覚は、非常に正しい。


「今日の、寝ずの番は、真緒?」

私の眠りを邪魔したと思ったか、申し訳なさそうに頷く彼女に、私は頭を下げた。

「いつもありがとうございます」

「え、…あ、いえ、こちらこそ、ありがとうございます」

頭を下げ合いながら、思う。

私は番をしてもらうような身分でもないのだが。

本当は、東へ向かうのも、別の手段があったのだが、あえて大皇の御幸に同道する方法を選んだ。

私が知らねばならないことは多い。





人外のこと。


大皇家のこと。


大神のこと。


――――――母の、こと。





「明日の移動で迷惑をかけないように、もう少し眠らせて頂きますね」

「はい、どうぞごゆっくり」

丁寧に、障子が閉ざされた。


確か、障子に描かれているのは、紅葉の景色。

豆乃丞が肩にいない状態で、この暗がりの中、その絵をはっきり見ることはできないけれど。



都に到着するのは、秋も間近な頃合いだろう。







史郎と出会ってから、―――――季節はもう、一巡りしようとしていた。








第三部、終了しました。

ここまでお付き合いくださった方ありがとうございます。

幕間を入れ、第四部へ入れたらと思います。

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