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霊笛  作者: 野中
霊笛・第三部
69/72

第四章(9)

その手応えに、私は棒立ちになる。息を呑んだ。


状況は、どう動く? 分からない。


できた流れを壊しそうで、私は下手に動けなくなる。刹那。

清孝が、刀を薙ぎ払った。その切っ先は。

戦士の胴を、真一文字に抜けて、いて。


彼の身体が、ゆらり、傾ぐ――――――腰から上が、地面に落ちる。前のめりに。


残された膝が崩れ落ちた。地面に触れる寸前、その場で灰になる。

清孝が、警戒するように、後ろへ跳んだ。だが、杞憂だ。

身体の中はがらんどうなのか。

真っ二つになったのに、戦士の肉体は、血も贓物も振り撒かない。上半身はその場に伏したきり、動かなかった。


満ちる、不吉な沈黙に、私は柘榴へ視線を転じる。


間近にいた彼女は一点を凝視していた。息をつめて。その、眼差しの先に、

(…あ、)

千華姫に、似た娘が立っていた。見れば、柘榴の腕から、…髑髏が消えている。


娘が、歩いてくる。半透明の身体。だが、明るく跳ねるような足取りで。

私のそばをすり抜けて、真っ直ぐ、戦士の元へ。

彼女は、今にも泣きそうだった。それでも、懸命に、笑顔を浮かべる。


戦士のそばに屈みこんだ。手を伸ばす。

だが、その手は半透明で、―――――すり抜ける、と思うなり。

彼女の手は、彼女の手より、もっと、もっと薄れた、丸いものを取り上げた。



…実態もなければ、ほとんど形も成さない、けれど―――――確かにそれは、戦士の頭部だ。



宝物のように胸元に掻き抱き、娘が立ち上がる足元で、残っていた戦士の上半身も灰に変わる。

腕に抱かれた戦士が、彼女を見上げた。視線が、絡む。それだけで、もう十分だったらしい。娘は穏やかに顔を上げた。

そのまま、彼女は振り向く。柘榴を。


柘榴は、と見れば。



(え)



私は面食らう。なにせ、柘榴は。

私の背中に隠れるようにしていたから。

「なんということをしてくれたのじゃ」

かと思えば。


「やはり、凜など殺しておけばよかった」


子供のように泣きじゃくっていると確信が持てる声で、とんでもないことを言ってくる。

「あの、…なにが、だめ、です?」




私はやはり、思いやりの足りない娘なのだろう。柘榴の言いたいところが、本当に、さっぱり分からない。




「わたしは分からぬ、わたしがなにか、分からぬのだぞ?」


懸命に、言葉の意味を理解しようと努めるが、やはり、どうしても首をひねってしまう。

分からない。何が? 柘榴が、柘榴を?


「人間でもなければ、鬼でもない、かと言うて…はて、わたしは人外とも言えるのじゃろうか」


柘榴の弱い声に、私は目を瞬かせた。

ようやく、悟った。柘榴が伝えたいことを。




人外、とは人間以外の存在を指す言葉のはずだが、それすらも柘榴を弾いてしまう、と彼女は言っているのだ。




「わたしはなにでもない…こんなわけのわからぬ存在が子供であるなど…親は望むまい」

なんと、柘榴は。





―――――恥じているらしい。自身を。どんな範疇にも属さない、己という存在を。





…驚いた。


いつだって柘榴は堂々と、自分は自分である、と胸を張っているから。

いいや、他の者には、今だって、柘榴はそう言えるはずだ。言えない、理由は。

相手が…本当の、親だから。


柘榴が思う『子供』にそぐわない、柘榴自身を、彼らの前で、彼女は恥じている。


あの、柘榴が。

虐められた子供のように泣きじゃくって、私の後ろに隠れるなんて。

柘榴はもはや、親など必要としていない。それでも、何か、嫌われたくない、という気持ちがあるらしい。


これが、柘榴が垣間見せていた、恐怖の正体か。


無理に押し出すこともできず、私は困って千華姫に似た娘を見遣った。

彼女は、あかるく微笑んで、…何か、を。


「柘榴」

私は穏やかに、怯えた獣をなだめる気分で、友達の名を呼んだ。

「彼女の、言葉を」

祈るように、促す。



「見て、あげて」



半透明の娘の言葉は、もう音にはならない。唇の動きで、察するほかなかった。

私の後ろで、それでも、どうにか。


涙にぬれた顔を、柘榴は上げてくれた。怯えるようでは、あったものの。

―――――千華姫に似た少女は、微笑んでいた。精いっぱい。あかるく。



作り笑いではない。自然と、あふれ出る喜びに満ちた、笑顔だ。



自然、強張っていた柘榴の身体から、力が抜けていく。

言葉はなくとも、きっと、それだけで、彼女の答えは見えたのだろう。

少女の唇が、動く。

紡がれたのは、感謝の言葉だ。





ありがとう。うまれてくれて。ありがとう。生きていてくれて。ありがとう。ありがとう。





まるごとを受け入れる寛容さは、なるほど、柘榴の母親だ。それとも。


母親とは、子に対して皆、こういうものなのだろうか。

私の脳裏を、私自身の、母の言葉がよぎる。

彼女もそうだった。こうなれ、ああなれ、など、いっさい言わず、ひとつだけを、願った。


―――――そのままでいいのよ。


彼女の腕に抱かれた、戦士は…ただ、微笑んでいた。

大切な姫と、娘を視界に入れて。

彼らから、彼ら自身を追い詰めるような、謝罪や罪悪感に満ちた言葉や態度がなかったのが、一番の救いだったように思える。


あとから柘榴にそう言えば、彼女はからからと笑って言った。




ふたりとも、千年も己を責め続けたのじゃもの、飽きたのじゃろ?




その、明るい光景が、灰になっていく。

戦士の、もう肉を伴わない頭部が、ひかる砂のようになって、夜闇にこぼれ、溶けていく。

少女の姿も、また。

何かを考えることもできず、ただ見守る私の背後で、ひそやかな呟き。


「…ありがとう」


刹那。

(え)

猛烈な熱を背に感じ、息を呑んだ私は、




「この、―――――バカ鳥が!」




いきなり伸びてきた史郎の腕の中に掻っ攫われていた。鼻先が、史郎の胸にぶつかり、痛む。驚きと同時に、


(あ、熱…っ)


肌に感じる、焼けるような熱。それは、史郎の体温だったか、それとも。

咄嗟に目を閉じた後で、まばゆさに目がくらんだことに気付く。視界を真っ白に染める、膨大な熱と光が周囲を焼いていた。理解するなり、史郎の一喝が耳に届く。



「凜は人間だ! 間近で灼熱の塊になるな、阿呆!!」


えぇ?



言葉の意味が理解できず、さりとて目を開けることもできない。

何か、得体の知れない危機感に、全身を硬直させ、史郎の胸に顔を埋めた状態で、じっとしていると、






―――――すまなんだな。抑圧の鎖が、いっきに弾けてしもうてのぅ。






頭の中に、柘榴の声が響いた。だが、…遠い。…遠い?


首をかしげると、史郎が大きく息を吐いた。私の頭を押さえていた掌から力が抜ける。

…もう、顔を上げていい、ということだろう。

おそるおそる、史郎から顔を離し、彼を見上げた。

「…史郎さま?」


史郎は、私の肩を抱いたまま夜空を見上げている。同じように、顔を上げれば。

見えた光景に、私の頭の中からいっきに雑音が消えた。







―――――火の鳥が、見える。







夜空に舞う姿は、遠い。


なのに、あたりが真昼のように明るかった。


亡者たちの姿は、いっさい残っていない。


まるごと焼き尽くされたかのように。



羽ばたくたびに、火の粉が綺羅星のごとく夜空に散った。



「ほう、あれが」

清孝が、ぼそりと呟いた。彼を守るように、久嵐がその前に立っている。清孝も人間だ。久嵐が守ったのだろう。ふと見れば、虎一と蛍も無事だ。






「南翔公、であるか」






清孝が重く、宣言するように言うなり。

―――――花が、降った。

天から、贈り物のように。


―――――千年前も、天花は降ったがのう?


不思議そうな柘榴の声に、不貞腐れた態度で、久嵐。

「その頃のアンタと今のアンタは違うって事だろ」

「二度、認められた王ってことか」


「つまり、一度は天地に見放されたってことか?」


「前代未聞だな」




褒めて貶す二人の王に、聴こえているのか、柘榴がカラカラ笑って応じた。




―――――なんでもよいわ。ところで北竜公。

「…なんだ」

―――――呪いは『戻す』。

「おう」

淡々としたやり取りの裏、何か膨大な空気の流れを頬に感じた。豪雨のように何かが降った感覚に、ざわり、総毛立つ。

史郎は退屈そうに息を吐き、柘榴は上機嫌に言葉を続けた。



―――――西狼公、詫びじゃ、宴の準備、手伝うか?



久嵐が鼻で笑った。

「いらねーよ。北王はずっとひとりでやってきたんだ」

史郎を横目にする。彼はどうでもよさそうに肩を竦めた。


「おれ一人、ズルができるかってんだ。ん、間違いなくここだし、よし、もういいな」


悪戯げだった久嵐の表情がすっと落ち、厳粛さが満ちる。私は思わず腕をさすった。

遠く、四方から迫る気配を感じ取って。人外たちの気配だ。彼らは、待っている。宴のはじまりを。



そして、興味津々で見守っていた。





幼い西王の行動を、その、力を。見極めようと。





それらいっさいを、気にも留めず、渦中の王は、淡、と呟く。

「はじめる」


久嵐が、掌を下へ向けた右腕を前方へ伸ばした。何かをつかむようにして、一言。








「成れ」








猛烈に、力が凝縮された一言だった。


まるで準備されていたように、広い野原一帯を囲む形で、いっきに結界が立ち上がり――――――、位相が異界に反転。

ぐにゃり、一瞬力づくで折り曲げられたような感覚が元に戻るなり、




「宴、宴のはじまりじゃ!」




いつか聞いた、兎頭の浮かれた声と共に、ドドンッ、腹の底に響く、太鼓の音。


思わず目を見張れば。







わぁっ、と歓声に似たざわめきが、私の顔を叩いた。


ぐるり、周囲を見渡せば、…いっきに状況が変わっている。

そこは、どこかの天幕のようだった。天幕、とはいえ、いっときの生活の場に利用するような小さなものではない。

天井は高く、太い柱の先は見えない。


回廊や桟敷が組み立てられた内部は、遊びの気分が反映された罠がそこここに仕掛けられているようで、はしゃぐ声、笑いのこもった悲鳴が方々から聴こえる。







そばにいた久嵐が、後頭部で手を組み、どこか悔しそうに唇を尖らせた。

「ちぇ、やっぱ今のおれじゃこれが精いっぱいだ。北竜公みたいな格式とかデカさは持ちようがねえや」

対して興味もなさそうに、周囲を見渡し、史郎。


「それぞれってこったな。大体、てめぇにはまだ伴侶もいない。この状態で俺と同じことができちゃ、こっちの面目丸つぶれだろ。そんなことより俺は」

にやり、唇の端で皮肉気に笑う。




「宴の主催を誰かがやってくれるってだけで万々歳だ」


「まぁな、季節ごとにコレじゃ大変だったのは…分かる」




疲れた顔になって、

「これからは南翔公もいる。持ち回りだな」

「あの人間二人は弾いたか?」

史郎が言ったのは、虎一と蛍のことだろう。なんでもないように久嵐は応じる。

「異界に変わった時点で、あいつらはもう認識してないだろ」

つまり、彼らはまだ、先ほどの野原にいる、ということだ。

まだ意識のあった虎一からすれば、私たちがいきなり消えたとしか見えなかったろう。

柘榴の姿は見えないが、…彼女が、弾かれるわけはない。

宴の人込みの中にいるのだろうか。


「…じゃ、おれは行く」

「あの、久嵐」

いつのまにか破れ笠を被りなおした清孝を後ろに従え、未練なく立ち去ろうとする久嵐を私は呼び止めた。振り向く彼に、


「…賑やかな宴になりそうですね、楽しみです」


心から声をかける。久嵐の目が、ぱっと輝いた。次いで、すねた態度で唇を尖らせる。

「圧、かけてくんなよ!」

照れた様子で憎まれ口をたたき、向こう側へ駆け出してしまった。会釈した清孝が後に続く。直後、




「あれが西狼公とは」




足元から、声。見下ろせば、

「先が思いやられます。…お久しゅう、殿、御寮さま」

十歳ほどの、ひどく愛くるしい顔立ちの童女が、深々と頭を下げてくる。

「小春」

驚きのあまり名を呼ぶしかできなかった私の隣で、鷹揚に史郎が頷いた。

「よぉ、来たか。準備は」

「恙無く」

「準備、ですか?」

何やら通じ合っている二人に首を傾げれば、小春が厳しい顔で私を見上げる。


「そのお姿で、宴の席に座るおつもりですか」


促されるまま、自分の姿を私は見下ろした。…もしかして、着替え、だろうか。

頷く小春に、心から感服する。

やはり、デキるひとだ。


「ちょっとぉ、小春ちゃん」


感心している私の耳に、のんびりした声が届いた。聞き覚えのある声に、顔を上げれば。

「僕を置いていかないでよ。連れてきたの僕なのに」

軽い口調で人込みをかき分け、目の前にやってきたのは。

「てめぇも来たのかよ」

「青柳伯」

いやそうな顔になる史郎の隣で、私は目を瞬かせた。彼は、お留守番だったのでは。

「おひさ。宴、無事に始まってよかったよね」


まるきり他人事、の態度を崩さず言って、彼はひらり、手を振る。私の疑問に気付いたか、目を向けてきた。


「宴は異界に設置されるから、現実への影響はあんまりないんだよ。だから、北の心配はご無用ってね」

私はひとまず、頷く。


だが最初から準備万端だったのなら、今ここに、彼の奥方たちがいないのはどうしてだろう。宴であるからこそ、八人の奥方が共に出席するはずだ。


それが、私に違和感を生じさせる。今回の宴の参加決定は、急だったのではないだろうか。

私の目に納得を見なかったか、青柳伯が肩を竦めた。

「まあ…白状すると、今回、僕が特別に南の宴に参加する理由ならあるよ、確かに」

青とも銀ともつかない髪を指先でいじり、青柳伯は少し遠い目になる。





「最長老が亡くなったからね」





一瞬、周囲の音が遠くなる。最長老。あの、巨大な、亀の?

穏やかな、紺碧の瞳を思い出す。ああ、もう、…見られないのか。


喪失感に、胸が痛んだ。


足元で、小春が真面目な表情で呟く。

「なので、覇槍公がいらっしゃらないのですね。亡くなった際の対応に追われておいでですか。ああ、あの暑苦しい侍従もいない」

そう言えば、影介の姿が見えない。ちなみに、火滝はどこにいるのだろうか。


「征司は年寄り連中の気に入りだしね。最長老にもなついてたし、ま、しばらくしたらこっちに来るでしょ」

小春から目を上げた青柳伯が、史郎を意味ありげに見遣る。

「まぁ…だからさ、―――――分かるよね」


「あぁ」

厳しい顔で、史郎。

太鼓が鳴り響く賑やかな空間に視線を巡らせ、面倒そうに呟いた。


口元から、わずかに牙を覗かせ、獰猛な声で。






「勢力図が入れ替わるな」







次は終章となります。

読んでくださった方、ありがとうございます。

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