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霊笛  作者: 野中
霊笛・第三部
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第四章(7)

「よく分からないけど、旦那さんは苦い顔してたっけね…ああ、安心しとくれ、扱う職人は、凜さんも会った相手さ。ほら、真珠通りで」


私は手を打ち合わせる。大きな体をして、繊細な作品を並べていた男を思い出す。

「飾り櫛の」

彼が手掛けてくれるというなら、結果が楽しみだ。贅沢な話だと遠慮もあるが、素直に嬉しかった。

高位の人外の間でどのようなやり取りがあったのかは知らないが、どうすることもできなかった私を見かねたのか、使いやすく加工する形で話が収まったらしい。


「お代は加工の最中余った珊瑚で足りるというか、お釣りが出るくらいだけど、なんか希望でもあるかい」

「…あの、お任せで」

特に希望もない。おそらく、任せてしまう方が、一番いい。ああ、けれど、

「ある程度注文を口にした方が、いい…ですか?」

そちらの方が楽なら、と考えようとしたが、蛍は首を横に振った。


「必要ないよ。凜さんの雰囲気に合わせて考えてみなって言ったら、色んな考えが生まれて大変らしい」

私の印象、ということだろうけれど。自身ではよく分からない。問題ないなら、任せてしまおう。

一息つき、私は障子を見遣った。


差し込む茜色は、熟した果実のように、色を濃くしている。そろそろ、闇が入り込む時間帯だ。


「こちらから古戦場は、近いのでしょうか」

体力もある程度回復した。もう向かわなければ、と蛍を見れば、彼女は呆気に取られている。

「え、まさか今から向かうのかい? 聞いてはいたけど、もう遅いから、明日にしなよ」


あっけらかんとした返事に、どうしたものかと悩む。


それでは困るのだ。蛍は、私を案じて言ってくれているのだろうが。―――――早く向かわねば、間に合わないかもしれない。

今までの状況からして、百鬼夜行は夜に蠢く。

『髑髏を抱く男』を一度、日中に見たことはあるが、あのとき彼は半ば寝ぼけていた。通常の状態ならば、昼に彷徨い出ることはないはず。…先ほど見せられた過去の証言からしても。


心配を真正面から跳ねのけるのは申し訳ないけれど、どう説明したものか。

さきほど上げたばかりの布団をまたしこうと蛍が立ち上がったところで、廊下から凶暴な声がかかった。



「まだのんびりここでいるのか、てめぇら。どこのお嬢様かってんだ、引くわ」


この、遠慮ない口調は。



私は目を瞬かせた。虎一の姿が、いきなり廊下側に現れたからだ。ちゃんと、障子の方を見ていたはずなのに、いつ、そこに虎一が立ったのか分からない。


虎一は槍を片手に、ゆらり、痩身に濃い影をまといつかせて私たちを小ばかにした目で見下ろしている。


蛍の目に険が走った。勢いよく振り向く。

「この状態の凜さんを、今から古戦場になんか行かせらんないだろ。特に今日はヤバいじゃないか」


「あーあーあー、うっせえ、母親かよ」

大きく息をつき、虎一は面倒そうに懐から木の小枝じみたものを取り出す。



「弁えろ。これは、取締役の命令だ」



ぐっと蛍が言葉に詰まった。無感動に見下ろし、虎一が小枝を折る。とたん、視界がぐにゃりと歪んだ。

「面倒だ。心配ならついて来いよ。全員で、脈動を渡るぞ」





―――――それは、ひどい渡り方だった。


私は幾度か脈動を渡る経験をしてきたが、ここまで頭を揺さぶられる感覚があるのも珍しい。





それでも。

気分の悪さに思わず踏ん張った瞬間、気づいた。外だ。

焼けた大地の上を走る風が、少し涼を運んでくる。足元を、雑草が撫でた。


長時間逆さづりにでもされていたような、頭に血がたまった感覚に転びそうになるのをこらえ、ぐっと頭を上げた。


思えば、先ほどまで私は正座していたはずだ。

自身の動きさえ把握できないが、いきなり跳ね起きたような動作をしたのかもしれない。


「は、なんだ、元気そうじゃねえか」

近くでふんぞり返って偉そうに腕を組んだ虎一が、明らかに私を見て、鼻で笑った。

…彼が折った小枝に、何か仕掛けがあったのだろうか。


「こーいーちぃ~…」

恨めしそうな声が足元から上がったのに、目をやれば、頭を抱えた蛍が蹲っている。と見るなり。



「粗野な術はかける前に言えつってんだろ、これだから礼儀知らずの祓い屋はぁっ!!」



ばね仕掛けの人形みたいに飛び上がり、虎一の腹に頭突きを突っ込んだ。ぴったり、みぞおちに。

思わず私、口元を覆って、顔をそむけた。目の端で虎一が力なくうずくまる。


対照的に元気いっぱい立ち上がった蛍を、腹を押さえて殺気交じりに見上げ、

「て、め…」

あえぐように声を絞った。顎を上げ、鼻で笑う蛍。見ていてハラハラするが、すごい。

まず私ではついていけないところが。


「金的でなかっただけ、感謝するんだねぇ。で?」

これっぽっちも動じず、蛍は胡散臭そうに周囲を見渡す。すぐ、派手な顔立ちをしかめた。

「ふぅん? 古戦場かい。―――――…って、今一番ヤバい場所じゃないか!」


「だからそこの笛娘が必要なんだよ!!」

素できょとんと尋ねる蛍。

「笛娘って誰さ」


「そこの無表情だよ!」

…あ、そうか私…。少し私を振り向いた蛍が少し考え込む。顔に書いてある。意味が分からない。


分からないものは放っておくことにしたらしい。すぐ、握り拳を作り、虎一と向き直った。


「凜さんに何ができるってんだい! 一等守らなきゃいけない人じゃないか!」

「見た目に騙されんな、この女が一番厄介なんだよ、危険って意味でな!」

…知らなかった。私の外見は、詐欺的なのか。だが、どういう意味で。


蛍が、鼻息荒く言い放つ。

「確かに、古戦場へ連れてけって言ったのは、取締役だけど、あたしは納得いかないね。もう日が落ちる。凜さん」

蛍が振り向いた。手を差し伸べてくる。


「戻るよ。百鬼夜行の終着点はここだ―――――これ以上、あんなものに関わっちゃいけない」


…心配は、ありがたい。温かい、感情だ。けれど。

私は、首を振った。横に。蛍が、目を見張る。

「凜さん」


「私」

どう、言えばいいのか。伝わるのか、分からないが。

自分でも掴みにくい自分の心を、言葉という形に変える努力を、まずはしなければならない。そうしなければ、伝わらない。何ひとつ。


思い出すのは、鬼女の姿。西の戦の前に出会い、私を守る立場に在ってくれた彼女―――――柘榴。


おとなで。常に、悠然と構え。その言動は、自由そのものの。少し方向音痴なのは、ご愛敬。

そんな、彼女だが。


「短い、付き合いだけど。ともだちが、います」


どうやら、この地に縛られているようだ。その、自在であるはずの、魂の芯まで。

たまに、遊び慣れた壮年の男性を思わせるほどの、柘榴の寛容さを知っている私から見れば、意外なほどに。

親の話になると、柘榴が見せる苛立ちは、親に叱られた子供が見せるような怯えを隠す、盾か鎧のようなものなのかもしれない。


実際、今の柘榴に、親など必要ないだろう。彼女は独力で生きている。

けれど、そういう問題ではないのだ。


「私が、ここにいることで、どう、なるか…分からない、けど」

訥々と、私は言葉を紡ぐ。蛍とは幾分か気安く話せるが、やはり、自身の心を言葉に変えるのは不得手だ。


熟した太陽が、地平線の彼方へ落ちていく。足元から、濃密な闇が、せりあがってくる。


はじめて出会った時、柘榴は鎖につながれていた。

そのくせ、場の主人然と構え、居座るも去るも、己の自由とばかりに構え、状況を楽しみ、―――――遊んでいた。


そう言った、態度は。似通ったところがある。史郎と。




ああ、やはり、彼女は―――――南王なのだろう。




なのに、囚われている。過去に。心に鎖を引きずって。縛られている。


心の底から、解放を願うけれど。

私の手で、そんなだいそれたことができるとは思えない。どうすればいいのか、方法だって思いつかない。せいぜい、支えるのが精いっぱいだ。


その、ために。


…まずは、約束を果たすのだ。『髑髏を抱く男』―――――彼の胸に常に抱かれた彼女との約束を。

「せめて、少しでも…力になれたらいい、と…思うんです」

陽が、落ちた。大きなため息とともに、目の前で、蛍が片手で顔を覆ったのが分かる。


「あー、うん。よく分からないけど、そろそろ、凜さんがどんな性格か、分かってはきているから…了解。覚悟はしてるって、そういうことだろ」


脱力したように、肩から力を抜いた様子が感じられた。みぞおちからの衝撃から回復したのか、虎一が不貞腐れた態度で立ち上がる。

「ならなんでオレに当たり散らした」


「文句なんて心が狭いね、アンタは」

蛍は優しい。だから、不思議だ。こんな、ひとが。…本当に。


「…蛍さん」


聞かないほうが、いいだろうか。言わないほうが。いいや、どちらにせよ。

蛍は、蛍だ。優しさも残酷さも、それが彼女なら、私はそれで構わない。

私を見遣った大きな目をしっかり見返して、告げる。


「千華姫は死にました」

ただ、どのようにして、かは。口にする勇気は、なかった。

蛍が、刹那、真剣なまなざしで、私を見つめる。


「お付きの女は」

声の鋭さに、察した。彼女は、知っている。すべて、承知だ。―――――仕掛けを施した、張本人として。

「投獄され…経緯は語れませんが、今は、…人外の、巣に捕らわれています」

ふ、と蛍は厳しい顔で笑う。



「胸がすいたよ」



そこに、先刻、真珠通りの後継の件で見せた頼りなさは、みじんもない。

事態の報復を、いつか受ける羽目になったとて、恨み言ひとつなく、彼女は笑って受けるだろう。

すでに、それだけ腹が据わっているのだ。だからこそ、不思議だ。


「私の言葉を」

首をかしげた。

「まるごと、信じるのですか」

蛍はきょとんとして、

「嘘なのかい?」


私は首を横に振った。ただ、謎なのだ。

この、経験という点ではとうてい私が追い付けそうもない蛍が、あっさり、私の言葉を信じたことが。


「うん…強いて言えば、勘かな。凜さんは、嘘つかない」

「おい、」

不意に虎一が声を上げた。理由は目に見える形で現れる。


青い、鬼火だ。ゆらゆら、風に押し流されるように彼方から流れてくる。



ひとつ、ふたつ、瞬く間に数を増やしていった。



合間に、笑い声。どこまでも楽しげな、愉悦に満ちた…中身のない、虚ろな響き。

「そーら、おいでなすった」

こちらは、しっかりと中身の伴った、凶悪な喜色を秘めた虎一の呟き。


その口元が、いきなり、ふっと引き締まり、

「っぶねえ!」

私は突き飛ばされていた。


「凜さん!?」

虎一に襟首を引っ掴まれた蛍が声を上げる。そちらを見遣った私と、虎一たちの間。

吹き抜ける、一陣の風。


「どうじゃ、お望みの一番乗りぞ!」


彼方から、叱責に似た怒号。横へ転がりながら、そちらを見遣れば。

最初の風を追うように、柘榴が疾走―――――跳躍。その先に、転がる男が見えた。


彼だ。『髑髏を抱く男』。

転がる最中、私は地面を拳で殴る。勢いが半減―――――身体の均衡を取り戻した。くるり、反転しながら立ち上がる。目は回るが、それよりも。



「柘榴!」



声を張る。ちら、私に流れる鬼女の視線。

「…凜っ」

その、刹那。


津波の様に、浮かれた人外たちが古戦場に押し寄せた。いっきに、『髑髏を抱く男』が見えなくなる。跳躍した柘榴が膝を落とした場所にいた人外たちが数体、微塵に身体を散らし、絶命した。


柘榴が舌打ち。私を振り向く。

「相変わらず、理解できん、なぜ凜は常に騒動の中心におるのじゃ!」


いつもの彼女なら、面白がるところだ。よほど、余裕がないと見えた。


叫んだ柘榴の姿も、人外たちの影に埋もれ、見えたり、見えなかったりだ。

人外の波に押しもまれるに似たこの状況、いったいどうするべきか。


ただ、先日のような、視界が塞がれるような霧に似た何かはなかった。それらはすっかり晴れて、視界は良好だ。夜の暗がりに満ちている、という以外は。

つまるところ、百鬼夜行の様相は、昨夜とは様変わりしていた。


終わりが近い。


あの狂乱も、たけなわを超えた。そんな手応えの中、ゆっくりと、人外たちの顔つきが正気に戻っていく。ひとつ、ふたつ。正気に返った、というか、抜け殻のような、燃え尽きた表情。それでいて、すっきりした態度だ。

やり遂げた様子で、続々、離散していく。



―――――本当に、ここが終着地点なのだ。



凶悪なものから、剽軽なものまで。多種多様の人外たちの壁がまばらになっていく中、ただ、足の下に、微細な振動が生じ始めたのが、少し、落ち着かない。


「せっかくわたしが抑え込んでおったのに…戯けが、起こしおった」

足元の異常に、忌々し気な柘榴の視線の先で、『髑髏を抱く男』が立っていた。月を見上げて。


月光に照らされた面は、―――――やはり、柘榴と似ていた。


「抑え込む…何を、です」

私は問いかけた。半分以上、答えを予測して。一度、唇を真一文字に引き結び、柘榴。






「古戦場の、亡者どもよ」






人外のターン。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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