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霊笛  作者: 野中
霊笛・第三部
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第四章(4)

「…盗賊とでも、通じていらっしゃったの、玄丸?」


疑いの種を植え付けるのに精通した、黒蜜の切り返し。だが、珍しく、弱い。

どうやら事態は、黒蜜の意表を突いたようだ。


気づいたのだろう、玄丸の声に、微かな笑みがにじんだ。


「先日、盗賊の死体の山が見つかった屋敷での騒動をご存知ですか?」

盗賊の死体の山。そこまで言われて、思い出した。では。

襖の向こうで、虎一の槍に縫い止められているだろう男は、あのときの。



「その方は、いわば盗賊に害されそうになった被害者で、あの騒動の中を逃げ延びて、わたくしに事の次第を知らせてくださったのです」



私は内心、感心した。

物は言いようだ。玄丸の言葉は、間違いではない。



言っていないことが多いだけで。


つまり、玄丸が指す人物は、他の誰でもない、私だ。



「ゆえに、わたくしはこの男を保護しました。―――――真実を語らせるために」

「話す、話す、話すから、どうか命だけは…っ」

虎一がまったく、場の空気に影響されていない、鼻白んだ声で刺すように言った。




「ならとっとと歌え。血判状に関わった、先代総元締めの目的は何だった」






「知るためだ!」


間違いない。そこにいるのは、商人たちの、朝の会合の後、私に血走った目を向けた男。






悲鳴じみた声が上がる。


「血判状に記された名を知るために、総元締めは最後に、…血判状の一番最後に、名を記した…そう、することでしか、盗賊たちの信用も、得られなかった、から…我々も、それをしてしまえば、総元締めとて逃げられはしない、と、そう、思って…」



許してくれ、許してくれ、とうわごとめいた呟きが流れる中、何か重荷を投げ出すような大きな嘆息が、落ちた。



ああ、と力ない声が泣くように部屋を揺らす。



「責任を取る、とは…―――――責任、とは。ああ、かなわんな」



敗北をかみしめるに似た呟きのあと、しばし、沈黙が満ちる。

何かを受け取るような間を置いて、玄丸。

「では?」


「おう」

微かな、衣擦れの音。次いで、晴れ晴れとした声。



「受けよう。総元締めの地位」



「…やれ、退屈な幕引きですこと」


温度を下げた、女の声が、室内に響いた。たちまち。



水を入れ替えたように、空気が変わった。ざらりと乾いた、熱い砂漠の砂めいたものに。



あの、特有の空気だ。場がいっとき、空白に抜けたような。

獣が唸るような音は、虎一の喉から発されているのだろう、彼の警戒が限界まで引き上げられている。黒蜜に向かって。


ただし、虎一の唇には、好戦的な笑みが刷かれているはず。


「よもや、そなた」

小太りの壮年の商人が、動揺を押し殺した声で呟く。

「…人外か」

黒蜜がころころと笑った。


「黒蜜、西の骸ケ淵伯の地位に封じられておりますの」


「なりません」

玄丸の理性的な嗄れた声が、空気を淫猥にこね回すような黒蜜の声を遮る。

「この女性にょしょうは、真っ直ぐ見ては、毒される」


「言いますわねぇ、たかが、八百万の末席風情が」


「その、末席風情に」

玄丸の声は、どこまでも強く潔い。





「阻まれた、気分は如何です」


刹那。





強まった空白の感覚が、思考すら抜き取りそうになる。

私はぐっと両足を踏ん張って、帯から豊音を抜き取った。


「…ねえ?」


どこまでも女を強調する、媚びた甘えをにじませる呼びかけに、頭の芯がしびれて酩酊しそうになる。

これ以上は、よくない。


「この、愚かな女に、教えて頂けませんこと、玄丸」


豆乃丞の震えを首筋に感じながら、私は豊音を口元まで持ち上げた。

黒蜜の声は、あくまで『お願い』の範疇に収まる。なのにどうしてだろう。


逆らえないほどの迫力が満ちている。


単純な魅力と言ってしまうには、あまりに身勝手な操りの力が満ちていた。

早く言いなりになりなさい、と言葉の裏で、命じられている。

威圧とは別の、逃れられない力が満ちていた。意思に反して、捕らえられる。


でも、私なら。



黒蜜の視界から逃れている、今の、私なら。




抵抗、できる。




私は、すぅ、息を吸った。

「あなたごときに…運命に抗う力を与えたのは、―――――どなた?」



間髪入れず。



豊音から飛び出した音が、大気の淀みを鋭く打ち払った。



ハッと場に集った全員が、息を呑む。






「そうか、貴女か―――――霊笛の君!!」






黒蜜の得心がいった叫びと共に、私の眼前、襖が音を立てて開け放たれた。

梔子に似た香りが、ふわりと鼻先を掠める。


「お会いしとうございましたわ」


歓喜に満ちた、嘘偽りがひとつもない声とともに、気づけば、黒蜜は私の目の前に立っている。私は目を閉じた。音を紡ぐ。集中。

でないと。



この方は簡単に、向かい合う相手の意思をくくってしまう。



「いかん…奥方さま!!」

「拒まないでくださいませ、霊笛の君」

耳に届く、悲しげな声。指が、強張りそうになる。音を、止めそうになった。


だめ。聞いては。


「受け入れてくださいませ、でなければ、黒蜜」

黒蜜が、ねだるように、間近で囁く。囁くだけ、なのは。

豊音の音が、邪魔だからだ。だから、触れられない。

「その美しいお顔を、苦しみで歪めてしまいたくなります」


私の息が詰まりそうになった、そのとき。






「度胸だけは買ってやる」


天罰を思わせる苛烈な声が、割って入った。同時に、黒蜜の闇色の目から遊びが消える。






いる。霊笛を奏でる私の背後に。巨大な存在が。感じるなり、

「ふむ、離れよ」

ふわり、私の真横を流れる風。押されるように、黒蜜が後退。滑るように。


「女怪」


火滝の声が、走った。

直後、水のような輝きが弧を描く。


それはあっさり、黒蜜の豊かな黒髪をすり抜け、―――――その首筋をすぅと横切る。



冗談みたいな、軽さ。



縄でもかけられたようにぴたり、黒蜜が動きを止める。

同時に、私の眼前、火滝の背中が見えた。あくまで自然体。だが、次の瞬間、どこに現れるか読めない、そんな得体の知れなさが彼にはあった。


壮年の姿をしている玄丸が、震える息を吐きだす。

座したままの小太りの商人は、気死したように動かない。助かった、と言外の言葉が聴こえた。


彼らと同じ気分を共有しながら私は豊音を唇から離す。



「ほう、どうやら間が良かったようだな。このようなことは久しぶりだ。のう、主」



涼やかな納刀の音と共に、人を食った声。ぬかせ、と史郎は忌々しげ。

「てめぇを引っ掴んで投げ込んだ俺の手柄だ」

そこは、競争するところではない。


半ば、火滝の背中で覆われた視界の向こう。人形の首が落ちるみたいに、ころり、黒蜜の頭が落ちた。

それを、黒蜜の両手が危なげなく受け止める。血しぶき一つ立たなかった。

しみひとつない白いかんばせを、丁寧に抱いた黒蜜の表情に、呆れがにじむ。

「剣聖殿と真っ向から鉢合わせとは…あらあら、困りましたわぁ」


ちらり、黒蜜の底なしのがらんどうを思わせる目が、私に向いた。表情が象るのは、笑み。

なのに、恫喝されている心地になる。


「とっても間の悪い方のはずですのに…もうすこし、手心を加えてくださいませな、霊笛の君」


私? 私は、何もしていない。

だが、何を言っても黒蜜を煽ることになりそうで、黙り込む。代わりに、史郎が応じた。



「凜の星は強い」



強い、と語るその声こそが、最も強力で、無視できない。

自らの胸に抱かれた黒蜜の生首から、笑みが消えた。

「本人が、正しきを求めるから、なおのこと、貴様との相性は悪くなる。さて」

仕切り直す、改まった声で、史郎。



「遊戯は、ここまでだ、骸伯」



「黒蜜と、呼んではくださいませんのね」

媚びる声を、きれいに無視して、史郎。

「貴様は、そもそも謹慎中のはずだが? …期間を延ばされたいか」


「うふふふ」

種明かしを望んでするように、黒蜜。

「しておりましてよ、謹慎。見張りは、そのように告げておりますでしょ? 結界も、小揺るぎとて、していないはずですわ」

つまり、現在、骸ケ淵には、結界が張られ、見張りもついているというわけだ。謹慎とは、名ばかりではなかった。


なら、ここに黒蜜がいるのはどういうことか。



「なるほど、幻かね」



親し気に微笑み、火滝。

幻? この姿が? …梔子の、かおりまで?

「通りで手応えが薄いと思ぅた」

黒蜜は、のんびり呟く剣聖を半眼で見遣った。

「そのくせ、幻を、こうもはっきりお斬りになるなんて…くわばらくわばら」


虎一がぼやく。



「この、化け物どもが」





人間側の話は落着です。残るは人外。

読んでくださった方ありがとうございました~。

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